Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

その手に触れてもらえるのなら

「バートレットは、背が高くて腰の位置も高いところにあるから、重心がうまく落とせてないように見えるんだ。そのせいで上半身に変な(りき)みが入ってる」

 もはや恒例となったライラの格闘教室で、バートレットは彼女からそんな指摘を受けた。

 彼も思うように身体が動いていない自覚はあったので、ライラの言わんとしていることは何となくわかった。が、体格というものは後から変えられるものでもなく、バートレットは困ったように軽く下唇を噛む。

「うーん、しかしライラ。中腰はつらいんだ」
「慣れだよ。波で揺れる甲板を歩けているんだから、コツを掴めばすぐに習得できると思う」
 両手を腰に当てたライラは、そう言って自身の立つ床板に目を向ける。

 いくら停泊しているといっても、穏やかな波は絶えず船を揺らしていた。今でこそライラも平然としていられるが、慣れない人間にとっては甲板でじっと立っているだけでも苦労するものだった。(おか)と同じつもりで歩こうとすれば、たちまちよろめいて転んでしまうだろう。

 船乗り達は、普段は波の揺れを意識せずに生活している。平衡感覚は陸の人間よりも鍛えられているはずだ、とライラは睨んでいた。

「高波が来たときみたいな、あからさまな踏ん張り方じゃなくて……そうだな」
 少し悩んでから、ライラは顔を上げた。
「例えば戦闘時、前後を敵に挟まれたとする。最初の一撃の後、身体を回旋させると思う。そのとき、軸足に体重を載せて回転するんじゃなくて、あくまでも軸は中心、腰なんだ」

 剣を持っている振りをしつつ、身振りで示しながらライラはそう説明した。その動きを目で追いながら、バートレットは「腰?」と聞き返す。
 ライラは頷いた。

「腰を軸にすることで、両足、つまり全身が安定するんだよ。これは剣術でも徒手武術でも一緒」
「言葉でそう言われても、いまいちわからないんだが」

 ライラが二度三度と身体を捻ってみせるが、軸と言われても服の上からはそうわかるものでもない。うまく伝わらないことにライラも困り果てた。

「ええと、鼠径部(そけいぶ)のここなんだけど。まだるっこしいな。ごめん、ちょっと触るよ?」
 と、業を煮やしたライラが、軽く屈んでバートレットの身体に直接手を伸ばす。
 その行動にぎょっとしたのはバートレットである。

「ま、待て!」

 しかし、ここで彼女を力任せに突き飛ばすわけにもいかない。
 悲鳴のような制止の声が、周囲の水夫達の目も集めてしまう。その声の主が普段は冷静なバートレットだというのだから、尚のこと好奇の目を引きつけることになった。

 それには気づかないライラは、彼の足に軽く触れ、指をすいっと内側に滑らせた。
「足の付根の、この部分。ここに意識を集中させて」

 当然、そんなのできるわけがない。

「頼む、ライラ。そこはまずい」
 奥歯を食いしばりつつ、バートレットは懇願した。すると、手を止めてライラが不満げに言った。
「集中してよ」
「できるか! 別の部分に意識が行く! それどころか、自分の将来に暗雲がたち込めるところまで意識したぞ!」

 泣きたい気持ちを抑えながら、バートレットが反論する。
 できないという言葉に、当人としては大真面目のつもりだったライラは身体を起こして唇を尖らせた。

「もう、せっかく教えようとしたのに」
「お前なあ……」
 特大の溜め息をついて項垂れたバートレットは、しかし顔を上げた次の瞬間に再び硬直することになった。

 いつの間にやらそこに、この船の頭領が現れていたためである。
 無表情やら鉄仮面やらといった看板を掲げるクラウン=ルースは、こと恋人に関しては感情豊か、もとい嫉妬深いことが周知され始めていた。

 バートレットは思わずその場に凍りついたが、しかしルシアスはしばらく前からやりとりを見ていたらしい。哀れな部下に当たり散らすのではなく、ライラに直接苦言を呈した。

「ライラ。異性の身体に気安く触れるのは感心しない。痴女にしか見えんぞ」
「ひどい言い草だ、ルース。私だってこんなこと、やらずに済むなら越したことはないよ」
 胸の前で腕組みをしたライラは、不満もそのままに言い返す。

 微妙な空気を察知したのか、ルシアスのあとからやってきたレオンが、何とか状況の打開を試みようと果敢に割り込んできた。

「ライラさん! 重心を落とすって、頭領はどうなんです?」
「ルースは元からできてる。最初こいつとやりあったとき、有名な剣士に師事したのかと思ったくらい」

 レオンの話題反らしに乗ってくれたはいいが、何故かライラは更に渋い顔つきになった。
 あれ、と思いつつもレオンは話を続ける。

「それは無理でしょう、小さい頃からずっと船乗ってたんだし。ですよね?」
「? ああ」
 急に話を振られたルシアスは曖昧に頷いた。

 それを受けて、ライラはふんと鼻を鳴らした。
「だからこいつは感性だけでできる、いわゆる天才ってやつだ」
「さすが頭領!」
 レオンはそう煽てたが、やはりライラは面白くなさそうだ。彼女は忌々しげに言った。

「しかも、水夫が本業で武芸は片手間だろう? それで涼しい顔で両方さらっとこなすんだ。私なんか専業でもかなり苦労したのに。賞金首っていう以前に存在自体に腹が立ってしょうがないから、こいつ絶対狩ってやろうと思ってたんだよな」
「本人を前によくそこまで言えたものだ」
 ルシアスが呆れたように呟く。

 ライラはそれは聞かなかった振りをしつつ、渋々といった様子で続けた。
「でもルースの動き方が最適解なんだ。力まない、過剰に意識しないのが理想」

 バートレットだけでなく、レオンもライラから武芸を習う身だ。手本にせよと言われればそうすべきなのはわかっているが、頭領は多方面で別格という意識が彼らにあった。

「難しいですってば」
 弱音を吐くレオンに、ライラは励ますように言った。
「大丈夫、歩くのと一緒だよ。右足を前に出したとき、じゃあ左手を前に出さなくちゃ、なんて考えないだろう?」

「あれは身体が勝手に動くものじゃないか」
 と、口を挟んだバートレットをライラが振り向く。
「そう、勝手に動くっていう段階まで昇華させる」
「ものすごく高度なことを要求されている気がする……」
 ライラの励ましは功を奏することなく、レオンもバートレットもむしろ腰が引けてしまっていた。

 困り果てたライラは、少しの間考え、それからじっとルシアスを見上げた。

「ルース、ここでちょっと見本になってもらえないか?」
「……。俺に見世物になれと?」
「嫌なら、私が直接バートレットに触れて」
「わかった、やってやる。剣を構えればいいんだろう」

 半ば自棄になって答えた恋人に、ライラは輝くような──別の言い方をすれば、若干わざとらしいような笑顔で「ありがとう」と告げた。

 かくして、剣を抜いたルシアスが構えの姿勢をとってみせたところを、その足もとに膝をついたライラは遠慮なく触れて説明していった。

「こうやって構えたとき、足は開きすぎない。足の裏、全体に体重が乗っているかを確認して。それを自然にできるようにする。それで、腰から下に手をずらしていくと、ここに大きな骨がある」

 太腿、膝はもちろんのこと、脚部全体を好きなように触ったり掴んだりされるルシアスは、だんだんとその無表情を維持するのが難しくなってきた。

 今もまた、ライラの手がルシアスの腰の横を下に滑っていく。
 その大胆な行動に、ルシアスは内心驚いた。何せ部屋に二人きりのときだって、彼女はここまでのことはしないのだ。

 そしてその手がさらに、鼠径部に沿って太腿の真ん中あたりに移動する。
 その微妙な感触にルシアスが思わず身じろぎすると、すぐさまライラから叱責が飛んだ。

「見本なんだから、じっとして。余計な動きするなよ。……ここ、曲げると骨があるのがわかるはず」
「……っ。ライラ」
「ルース、じっとしてったら!」
「くそったれ……」

 歯ぎしりするように毒づくルシアスを無視して、ライラは説明を続けた。

「ここに力をこめるつもりで。剣を振るうとき、腕だけ振り回したり、上半身だけで回旋しようとしないこと。わかった?」

「わ、わかった! もう充分、わかったから!」
 頭領の変化に青褪めたバートレットが拝むような勢いで言えば、レオンも一緒になって「どうかもう今日はこの辺で!」と必死になって言い募った。
 ライラは「そっか、もう夕方だもんな」と素直に退いた。

 拷問のごとき時間からやっと開放されたルシアスは、剣を鞘に戻しながらライラを睨めつけた。
「……。お前は実は悪魔なんじゃないかと思えてきたぞ」
「失礼な。請われて教えてただけじゃないか」

 むっつりと応えるライラの腰を、ルシアスは有無を言わせない力で抱き取った。
 急にそんなことをされ、ライラは途端に真っ赤になる。
 本来の彼女は、実に(うぶ)なのだ。

「え? おい、何だこれは!」
「言うとおり付き合ってやったんだ。次は俺の番だな」
「つ、次……?」

 わけがわからず聞き返すライラに、ルシアスは人の悪い笑みを向ける。
「なに、今の礼をしようというだけさ。人前でやってやらないのは俺の温情だ、有り難く思え」

 そしてルシアスは振り向くと、その場の部下に言った。
「今夜は、許可があるまで船長室(キャプテンズ・デッキ)に近づくことはならん。総員にもそう伝えろ」
「あ、アイ、サー!」
 バートレットとレオンが踵を揃え、背筋を伸ばして応答する。

 満足気に頷くと、ルシアスは船長室(キャプテンズ・デッキ)へとライラを連行していった。
 そのライラの後ろ姿を見ながら、レオンが呟いた。
「今回は、ライラさんが悪いよな」
「……まあな」
 同じようにその姿を見送りながら、バートレットは、少し寂しげな微笑を浮かべていた。

読んだ感想などいただけると嬉しいです。