Brionglóid
海賊と偽りの姫
記憶の楔
28
エルセを乗せた馬車が屋敷に戻ってきたのは、外がすっかり暗くなった頃だった。
両親に帰宅の挨拶をするとそのまま父の書斎に呼ばれ、彼女は素直に従った。
閉ざされた扉の向こうからは、時折シュライバー夫妻による叱責の声が漏れ聞こえてきたが、それに反論する声はない。
廊下では、使用人達が固唾を呑んで様子を窺っている。あの堅物の執事ですらそうだった。
弟のフリッツならともかく、エルセがこういう問題行動をとることはこれまでなかったのだ。気は強いものの、それは反抗ではなく矜持という形で表れていた。シュライバー家の長女という立場を、エルセ自身が一番理解していたはずだった。
真面目で厳格だが感情的すぎるシュライバー夫人だけでは、この屋敷の運営はうまくできなかっただろう。一歩引いた位置にいるエルセが、細やかな気配りをしていたからこそだと、ここで雇用されている皆が知っていた。
書斎の扉は、いつまで経っても開かなかった。
普段から悪さをしているフリッツなら、叱責の際も半刻かからず開放されていた。これがエルセだと、こんなに長時間拘束されてしまうのか。
使用人達の中には、こういった理不尽に気がついている者もいて、だからこそ皆が廊下から離れようとしないのだった。いざとなったら、お嬢様のために跪いての嘆願でも何でもしてやろうと、そんな気持ちをそれぞれが抱えていた。
とはいえ、長い。意気込みの反動もあって、緊張状態を保つのに疲れる者がちらほら出始めた頃、ようやく執務室の扉が開かれた。
出てきたエルセは疲労からやつれて見えたが、相変わらず背筋は伸びていた。
彼女は扉のすぐ外で振り返り、深々と一礼する。
『それではお父様、お母様。失礼いたします』
『この頑固者め。しばらく頭を冷やせ!』
頭を下げた彼女に、部屋の中から父ダニエルの怒声が投げつけられる。エルセは黙ってそれを受け入れ、静かに扉を閉めた。
彼女は使用人達に気づくと、弱々しいながらも微笑んだ。
『心配かけてごめんなさい。私は大丈夫だから、もう行って。でないとあなた達まで叱られてしまうわよ』
使用人達はそれでも気がかりな様子だったが、最終的には〝叱られる〟の一言に負けて散っていった。
それでも残っていた執事が何か言いたそうな顔をしているのを見て、エルセはきっぱりと言った。
『わかってるわね。ピーテルに非はないわ。彼なら断れないだろうって、私がつけ入ったのよ』
『……。せめて、私めにも相談をしていただければ、こんな大事にはならなかったのですぞ』
『そうね。あなたはお父様と同じ考え方をしているから、相談をすればお父様の代わりに私を部屋に閉じ込めたでしょうね』
それの何が問題なのかという表情をした執事に、エルセは失望の溜め息を返した。
エルセはその場を離れようとして、そこで初めて、彼女の新しい友人が廊下の片隅からこちらを見ているのに気がついた。
「アラベラさん」
常に凛とした佇まいのアラベラ・ベインズに、エルセは密かに憧れていた。自分の弱さや至らなさを目の当たりにする度、アラベラの中に見えるしっかりとした軸のようなものが、とても羨ましく思えた。
ただ、今のエルセにはそれが眩しさを通り越していて、つい自分が惨めになってしまう。
が、ここで気遣わしげな顔のアラベラに八つ当たりをするほど、エルセも子どもではない。エルセは己を叱咤して、何とか作り上げた微笑を向けた。
「叱られてしまいました。当分は外出も禁止だそうです」
「そうですか」
さり気なくエルセの横に並んでともに廊下を歩きだしながら、アラベラは言った。
「出過ぎた真似かもしれませんが……。私では、力になれませんか? あなたにはお世話になってばかりだから、お役に立ちたいです」
「アラベラさん……。こんなみっともない姿をお見せして、申し訳ないくらいですのに」
「みっともないなんて、そんなことはありません。あなたが考えなしに行動するような女性じゃないことは、知っているつもりです」
エルセはどきりとした。
何故だろう。長い間一緒に暮らしてきた家族よりも、あの海賊船に関わる人々の言葉のほうが、心に届いてしまうのは。
エルセが応えずにいると、アラベラは沈んだ表情で続けた。
「私は、昼間あなたに同行できなかったことを、少し後悔しています」
「……」
「ギルバートが来なかったらどうなっていたか。そう思うと……」
表面的な慰めではなく、そこに本気の後悔を見出したエルセは、慌てて首を振った。
「そんな! 皆に内緒で外出したのは私です。それに、あなたを巻き込んでしまっては、バートレットさんに申し訳が立ちませんでした」
「エルセさん。私はこれでも、海賊船に乗っているような人間です。未婚の身で、身内以外の異性とともに歩くのが憚られるというのであれば、次はどうか声をかけてください。せめて、私達が陸にいる間だけでも」
アラベラは、その言葉と同様にまっすぐな視線をエルセに向けた。
「アラベラさん……」
エルセは、なんだか落ち着かない気持ちになった。
友人といっても、大抵は深い付き合いまではいかないものだ。当たり障りのない会話はするが、面倒事が起きれば「まあ、大変ね」と言って収まるまで距離をあけるのが、普通の友達付き合いだった。
エルセだってそうしてきたのだ。他人の私事に首を突っ込むなんて、失礼にあたるだろう、と。
しかし、アラベラの申し出は、不思議と不快ではなかった。
内心で戸惑うエルセに、アラベラは穏やかな笑みを浮かべた。
「あなたとお友達になれたこと、私も嬉しかったのです。友人として、どうか力にならせてください」
「あ、ありがとうございます」
どうにも気恥ずかしくなってきて、エルセは少し頬を赤くしながら微笑みを返した。
「お嬢様。こんな得体の知れない相手、友達にしないほうがいいと思うけど」
唐突に投げつけられたその声に、エルセは驚いて振り向いた。
アラベラとの会話に集中していて気がつかなかったが、廊下の先にニナが立っていた。
用意された服をまとい、身なりも整えられて、この屋敷にいても違和感のない姿ではある。しかし、不躾に相手を睨むさまは異質だ。
ここでそんな態度を許されているのは、シュライバー夫人くらいのものだった。どちらも褒められたことではないのだが。
「ニナ! なんてこと言うの!」
「親切で言ってるんだよ」
エルセに諌められてもどこ吹く風で、ニナはふん、と鼻を鳴らした。
その生意気な態度に、エルセは更に注意をした。
「人を貶める言葉に、親切なんて表現は相応しくないわ。アラベラさん、お気を悪くさせてごめんなさい」
「いえ、お気になさらず」
彼女の謝罪をアラベラが泰然として受け取ると、それを見たニナが激昂した。
「ちょっと、なんでお嬢様がこの女に謝るわけ?」
ニナは、恋敵であるアラベラもといライラには食ってかかるが、いろいろと世話を焼いてくれるエルセには心を開きつつあった。
慕っている相手が嫌いな人間と仲良くするのが気に食わないという、ニナの幼い感情に気づいているエルセは、言い含めるように告げた。
「この屋敷の中であなたが誰かに対して不快な発言をしたなら、私の責任になります。あなたが反省して行動を改め、それを相手が許して受け入れてくれるまで、私も謝罪する義務があるの」
「なんで?」
「あなたが子どもだからよ、ニナ」
子どもとはっきり言われて、ニナは不愉快そうな表情をした。
エルセはそれに気づかないふりをして続ける。
「あなたのお母様もそうしていたんじゃないかしら? 子どもの行動は親が責任をとるものだから」
「母ちゃんは……謝ってるところなんて見たことないよ」
ニナは不貞腐れたようにぶつぶつと言った。
「謝ったら、相手をつけ上がらせるだけだって言ってた。損する生き方だ、って。お嬢様は簡単に謝りすぎだよ。お嬢様はあたしの母ちゃんでもないし」
「私はこの家の人間として、お客様をもてなす立場なのよ。屋敷内でお客様が不快な思いをしているのに、無視はできません」
「相手が客だったら何でも謝るの?」
「何でもではないわね。言ったとおりよ、あなたが子どもだから。自分でやったことなのに、あなたはごめんなさいが言えないんでしょう? きちんと自分で謝罪ができるなら、私も代わりに謝らなくて済むのだけど」
「……」
ニナは俯いて黙ってしまった。
会話が切れたところで、気を取り直したようにエルセはアラベラに向き直った。
「お待たせして申し訳ありません、アラベラさん。ところで、お食事はもうとられました?」
「いえ、先程ギルバートが来たところで、部屋で少し話をしていました」
「まあ」
ギルバートが屋敷内にいるという事実だけで、エルセの気持ちは勝手に舞い上がる。それを懸命に押し隠して、彼女はあえて事務的な話をした。
「では皆さん、さぞかしお腹を空かせてらっしゃるでしょうね? すぐに準備をさせますから」
「あなたもご一緒にどうですか? 友人同士の気兼ねない会食として」
アラベラの何気ない提案に、エルセは一瞬動きを止めた。思ってもみない申し出だった。
「そんな……。私、大丈夫かしら。お食事の邪魔に、ならないといいけれど」
明らかに動揺したエルセに、アラベラはにっこりと微笑む。
「大丈夫ですよ。あの二人ならきっと温かく迎えてくれます」
「わ、わかりました」
心が浮き立つ反面、喜んでもらえる料理を出さなくては、とエルセの頭の中が途端に忙しなくなる。
酸化していない葡萄酒や麦酒はある。常備菜も彩りよく並べて、でもせっかくだから、温かな料理を豊富に出したい。焼きたての香ばしい肉も食べてもらいたいし……。
まるで貴族でも迎えるような食卓が、彼女の脳内で展開されていく。急な変更だというのに、なまじ段取りをつける能力に秀でているものだから、準備の手順があっという間に組みあがる。
暴走気味のその思考を中断させたのは、またしてもニナだった。
「ねえ、あたしも行く」
我に返ったエルセは、怪訝に思って尋ねた。
「あなたの夕食は済んだのじゃなかった?」
「ひとりでいたって暇なの」
来たところで大人ばかりだし、楽しいはずもないのだが、何故かニナは行くと言い張ってきかない。
ニナは駄目だと言われる前に、アラベラとは反対側のエルセの隣に来ると、その腕に半ばしがみつくようにして自分の腕を絡めた。
困ったエルセが視線で意見を乞うと、アラベラは苦笑を滲ませながら頷いた。
やけに豪勢な食事に舌鼓を打った後、彼らはそのまま酒を片手に歓談をはじめていた。
他愛のない雑談をいくつか挟んで、場がすっかり和らいだ頃、何度か迷う素振りを見せていたエルセが切り出した。
「実は今日、皆さんが調べている葡萄酒のこと、酒場を営んでいる知人に話を聞きに行ったんです」
全員が、無駄話を止めて彼女に注目した。
それは誰もが知りたかったことだった。
どうして、真面目なエルセが突然、独断で行動に出たのか。
それだけでなく、彼らが追っている葡萄酒に関することと言われて、内心で彼らは驚いていた。
「知人?」
エルセの隣に座っていたアラベラことライラが、あくまでも落ち着いた口調で訊き返す。エルセは小さく頷いた。
「以前この屋敷で働いていた女性で、私にとっては姉のような人です」
一度話しだしてしまうと抵抗も薄れたのか、エルセは話し続けた。
「関わること自体が違法かもしれませんし、巻き込まないためにも、大勢を連れて行くわけにはいかなくて。私が行っても、話してもらえるかは賭けだったのですが」
「聞けたのか?」
「はい」
食卓越しに投げられたギルバートの問いに、エルセははっきりと頷いた。
彼女は、端の席で木の実の蜂蜜漬けをつまんでいるニナをちらりと見て、少し思案してから言った。
「後で詳しくご説明しますが、ほぼ間違いないかと。直接確認なさりたい場合は、私が店まで案内をいたします」
「さっき廊下でちょっと話を聞いてたけどさ。外出、禁止されたんじゃなかったっけ、お嬢様?」
興味がないふりをしつつも、しっかりと会話内容を把握していたらしいニナがそう口を挟む。
ハッとしたエルセの横から、ライラはすかさずギルバートに言った。
「ルースに事情を話して、シュライバー氏を説得してもらえないだろうか」
「いいぜ。もし大当たりならお手柄だからな。問題ないはずだ、今夜中に伝えておく」
ギルバートはそう請け合い、再度エルセに視線を向けた。
「お嬢さん、俺をその店に案内してくれないか?」
「わかりました。お任せください」
これでギルバートの役に立てそうだと、エルセの表情が誇らしげに輝く。
彼のほうはそれを見て、少し呆れたような口調で言った。
「しかし、無茶だったってのも事実だ。場所が場所だぞ。今回はつまらん物盗り程度だったからまだ良かった。せめて事前に相談くらい……」
「あなたは最近、ほとんどここへ来ていなかったじゃないか、ギルバート」
ライラが澄ました顔で小言を遮ると、図星を指された彼は口を噤んだ。そして、面白くなさそうに呟いた。
「……。俺達だって手分けして調査してたんだよ」
ライラはそれ以上は突っ込まず、バートレットに向かって言った。
「皆が頑張っていたのはわかるけれど、実際のところ、個人間の小さい取引まで把握しきれるものなのか?」
ギルバートの隣で黙って酒杯を傾けていたバートレットは、唇についた葡萄酒を親指で雑に拭いながら彼女に答えた。
「虱潰しにやれば……その労力と時間に見合わない作業かもしれないが。今回はそもそも、なし崩しにはしないというのが前提だった」
「効率は悪くともやるしかない、か」
ライラが呟く。
ギルバートも、渋々ながらそのことを認めた。
「たしかに、今回その店にたどり着くのは俺達だけじゃ難しかったろう。手が届く前に期限が来て出港していたかもな」
非効率と知りつつ酒場通いをしていたのは、目的がはっきりしていたからだ。しかし暗中模索もいいところで、エルセが道筋を示してくれなかったらどうなっていたか。
少し想像しただけで不機嫌になったギルバートは、鼻筋に皺を寄せた。
「そうなれば、小悪党にしてやられた俺達は面目丸潰れってわけだ」
低い声で吐き捨てる。
海に生きる男達にとって面子は重要だ。他の皆もそれを知っていたから、何も言わなかった。
たった一名を除いて。
「偉そうにしてる割に、役立たずばっかなんだね」
笑いを含んだ、あからさまに茶化す響きのニナの声音に、ギルバートの皺が更に深くなる。
「お前な。その生意気な態度で煽ってなきゃ、痛い目に合わずに済んだかもしれないんだぞ。もう忘れたのか?」
怯えるどころか、ニナは聞こえないふりをして木の実を口に放り込む。ギルバートは腹立たしげに舌打ちをした。
どんどん機嫌の悪くなる彼に、慌てたのはエルセだ。勢い込んで言った。
「あの、ディレイニー様。これもいつか、お話しようと思っていたのですが……このまま、この子を私に任せていただけませんか? 道徳も、礼儀作法も身につけさせますから」
突然の提案に、エルセ以外の全員が驚いた。今度ばかりは、ニナですらそうだった。
「お嬢様、冗談でしょ?」
さっきまでの不遜な態度はどこへやら、ニナは愕然としてエルセを凝視した。
しかしエルセは逆に、落ち着いた態度で首を横に振る。
「私は本気です。怪我が治っても、行く宛もないのでしょう?」
「……」
返す言葉も見つからないニナに、エルセは更に言った。
「厳しい言い方だけれども、今のあなたでは、そのうち誰かの怒りを買って大変なことが起きかねないわ。身分や環境による生きづらさも、もちろんあるでしょう。でもあなたはそれ以外にも、自ら敵を作ったり災いを引き寄せるような言動を多くとっているの。わかる?」
「大きなお世話。ほっといてよ、あたしは好きでこうしてるんだから!」
卓の端を両手で掴み、身を乗り出すようにしてニナは文句を言った。
しかし、エルセは動じずに、まっすぐ少女を見つめた。
「幸せな人生を望んでいるから、南方行きを目指したんじゃなかったのかしら?」
「……っ」
「あなたを不幸たらしめているのは、自分かもしれないのよ。幸せになりたいのなら、直すべきだわ」
「お説教なんて十分! 気分悪い!」
ニナは癇癪を起こして叫び、同時に卓を思い切り叩いた。食器がけたたましく音をたてる。椅子からぱっと飛び降りると、彼女は荒々しく扉を開けて走り去った。
一同は一連の様子を目で追っていたが、誰も部屋を出てまで追いかけようとはしない。
ギルバートが、嘆息してエルセに言った。不機嫌の欠片も見当たらない、いつもどおりの口調で。
「子どもに正論なんて通じないもんだ、お嬢さん。下手を打ったな」
「でも、あのまま街で生きていけるでしょうか? 私にはそう思えません」
今のやりとりに表情を曇らせながらも、エルセはきっぱりと言い切る。
杯を傾ける作業を再開したバートレットも頷いた。
「たしかに……。あの年齢なら、まだ間に合いそうな気もしますね」
ライラはニナの出ていった扉に目を向けたまま、複雑な表情で呟く。
「孤児院にもいられないなら、矯正の機会がない。となれば、悪党の側に傾くしか道がないものな。もしくは……」
本当に誰かの怒りを買って、短い一生を無惨に終えるか。
路上に生きる孤児が裕福な人間と関わりを持つことなんて、実際はそうあることではない。おそらくニナにとって今が一番幸運な時期で、これを逃したらあとは更に転落していくだけだ。
こそ泥や浮浪者にも縄張りがある。少女がひとりで生きていける世界ではなく、遅かれ早かれ、たちの悪い男に捕まって飼われることになるだろう。
飼われると言っても、愛玩されるわけではない。乱暴に扱われ、逃げることも許されず、悪事の手先として生きるしかなくなる。しかし、それも従順にしていればこそ、だ。
この場にいるエルセ以外の三人は、そういう現実を知っているのだった。
ギルバートが、エルセに対して苦々しく言った。
「しかし、あんただってまだ若いんだ。何もそんな年から、子育てみたいなことしなくてもいいだろう。しかも、あんな手のかかる子なんて。苦労しかないぞ」
「年齢ではありません。今の私にできることを考えただけです」
「むしろ今じゃないだろうよ。さすがにあそこまででかい子どもなら、あんたに悪い評判も立たないかもしれないが……どっちにしろ、まともな嫁ぎ先がなくなっちまうぜ」
「……っ」
ギルバートの最後の一言に、エルセは絶句した。
何かを堪えるように震える唇を噛み締め、絞り出すように言った。
「私は、それで構いません」
「お嬢さん!」
「ギルバート。そこまでは、私達が干渉する部分ではないよ。彼女とシュライバー家が考えることだ」
ライラが横からそう制した。静かだが、大の男が思わず黙ってしまうような強さのある声だった。
それから彼女は、振り向いて隣のエルセに告げた。
「あんな言い方だけれど、ギルバートはあなたのことを案じているんです。年長者の目線で」
「……わかっています」
エルセは顔を見られたくないのか、俯いてしまった。
それを見ていたバートレットが、ライラに続いて声をかける。
「案じるというのは、つまり、あなたに幸せになってほしいんですよ。どんな形であれ、ね」
思わせぶりなその言い回しに、ギルバートが横から睨みつけた。
「バートレット。お前、知ったような口利くじゃねえか」
相手は先輩格だというのに、珍しくバートレットは即座に訂正などしなかった。
逆に薄笑みを浮かべて、ギルバートにちらりと視線を投げる。
「見当違いでしたか? それは失礼しました」
「そうは言ってねえだろうが」
ギルバートは言い返したが、こちらも強く撤回を求めるようなことはしない。
自分のことを好きに言われたのが気に食わないだけで、内容に文句があったわけではないのだった。
「ったく。この件は一旦保留だ」
不機嫌を装ってわざとらしくそっぽを向き、ギルバートは酒杯を煽った。