Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

記憶の楔

01

 バートレットは咄嗟に目の前のライラを抱き寄せ、声のしたほうを振り向いた。

 しかし、もう遅かった。そう何度も、前回のようにうまくいくわけがないのだ。

 そこに佇んでいる男の視線は、まっすぐとこちらを──腕の中のライラを捉えてしまっていた。彼女もそれは理解していて、だからこそ、抱いた肩がこんなに強張っているのだろう。

 何故この男がここにいるのだということと、気を緩めてしまった自分の迂闊さに、焦りと苛立ちの気持ちが溢れ出る。
 ごちゃまぜの感情から、バートレットは舌打ちを漏らした。

「やっぱり君だった」
 まるで夢でも見ているかのような、おぼつかない足取りで近づいてきながら、ロイ・コルスタッドは呟いた。
「リーシャ、ずっと君を探していた。ずっと」

 彼の足が砂利を踏みしめる音が、バートレットは妙に耳障りに感じた。
 早朝とはいえ、周辺には人影もそれなりにある。それなのに、その音はやけに大きく響く気がした。

 服越しにライラが小さく震えているのがわかる。見れば、ライラはロイから視線を外すことすらできずにいた。目は見開かれ、唇が戦慄いている。
 尋常じゃない様子に、バートレットは小声で尋ねた。

「大丈夫か?」
 するとライラは我に返ったらしく、視線はそのままにきゅっと唇を引き結び、小さく頷いた。

 もう誤魔化しようがないと、彼女も覚悟を決めたのだろう。
 ライラはやんわりと彼の腕をほどき、背筋を伸ばして深呼吸してから、ゆっくりとロイに一礼した。

「コルスタッド様。いつ以来でしょうか。このような場所でお目にかかるとは、夢にも思いませんでした」

 丁寧だが、硬い声だった。顔を上げて騎士を見つめるライラには、社交辞令の笑顔すらない。

 しかし何年ぶりかで彼女に会ったロイは、違和感よりも感慨深さのほうが大きいのか、目を細めて彼女を見ていた。

「生きていると、信じていた。今この目で見るまでは不安に駆られもしたが……ああ、こんな喜ばしいことはない。イリーエシア、美しくなったな」

 ライラは微動だにしない。
 傍に立つバートレットも気が気ではなかった。これまでの彼女の怯えようからして、今も相当な無理をしているはずだった。

 しかし、ロイに攻撃性や残虐性のようなものは今のところ見あたらない。ライラも以前、彼のせいではないと言っていた。
 では、気弱とは程遠い彼女がここまで乱される原因とは、一体何なのだろうか。バートレットはそこが気になった。

「リーシャ? その血は……?」
 ロイはようやく、ライラの格好に意識が向いたらしい。

 彼女が身につけているのは、エスプランドル風の男の服装である。明るい色合いではないが、それでも血と埃にまみれて汚れているのが見て取れる。頭髪だって、年頃の娘のようにきちんと結い上げているわけでもなく、無造作に縛っただけ。腰には使い込まれた剣が下がっていた。

 ロイのような身分にある者が見たら、思わず眉を(ひそ)めるような姿だ。
 実際に顰めるまではいかなかったが、それでもロイは戸惑ったような目で彼女を見ていた。
 対するライラは、毅然とした態度で答える。

「昨夜の騒動に巻き込まれてしまったのです、怪我をしたわけではありません──夫が守ってくれましたので」

 そこでライラの手がさり気なく伸びてきて、バートレットの手をゆるく掴んだ。
 彼が目で問うと、ライラは縋るような眼差しを一瞬だけ向けてきた。

(ごめん。手、握ってて)

 そんな声が聞こえた気がした。
 ライラの指先は冷えきっていて、その動揺の強さを表しているかのようだ。

 今までのことを思い返せば、ライラの精神状態は制御不能に近いはずだ。しかしこの局面を乗り切るためには、何とかして理性を保たねばならない。
 彼女のこの態度は毅然というより、細かな感情を表に出すほどの余裕がないということなのだろう。真っ青なその横顔を見てバートレットは思った。

 ライラの意図を汲んだ彼は、指を絡めてしっかりとその手を握り返してやった。

「──では、結婚していたというのは本当なのだな」
 ロイは夫という言葉を耳にしたからか、あからさまに傷ついた眼差しになる。
 ライラははっきりと頷いた。
「ええ」

「君は、自分の立場がわかっているのか?」
「わかっているつもりです。その立場が、私を助けることよりも苦しめることのほうが、遥かに多いのも」

 その返答に、ロイは苦い溜め息をつく。

「君の夫君(ふくん)はどこまで知っている?」
「やめてください、彼は何も知りません」
「話していないのか?」
「必要ないでしょう。私達は新たな人生を歩むと決めたのです」

 再び、ライラがちらりとバートレットの表情を伺う。内情を知らないバートレットがこのやりとりをどう思っているか、気になるのだろう。

 バートレットはライラの不安を打ち消すよう、軽く微笑んでみせた。

 まったく、自他共に認める融通の利かない堅物だったはずが、こんな小芝居までするようになるとは。バートレット自身、そう心の中で苦笑いするしかない。

 ライラはといえば、その微笑みに一瞬びっくりした顔になり、それからほっとしたように表情を緩めた。

 そんな仲睦まじい二人(、、、、、、、)の姿を目の当たりにして、ロイは更に苦さを増した様子で吐き捨てるように言った。

「君達だけで決めていい話ではない」
「到底、まともな話し合いにはなりそうもないのに?」
 視線をロイに戻したライラが、すかさず言い返す。
 それから彼女は、悲しそうに眉尻を下げて彼に訴えた。
「お願いです、そっとしておいてはくれませんか」
「そういうわけにはいかない、リーシャ」

 頑なな態度を崩さないロイに、バートレットは口を開いた。
「コルスタッド殿。そこまでにしていただきたい」

 ロイはハッとしてバートレットを見た。
 伴侶のある女性に何かを求めるなら、その夫の許可は必須だ。そんな基本的なことを、たった今思い出したのだろう。
 小さく嘆息して、ロイはバートレットに向き直った。

「ベインズ君。ほんの少しでいい、彼女と話をさせてくれ」
「生憎ですが、彼女は疲れているのです。それに、こんなところで騒いでは耳目をいたずらに集めるだけだ。妻を晒し者にする気ですか?」

 バートレットがわざと周辺に視線を投げるふりをすると、ロイは一瞬言葉に詰まった。
 確かに、行き交う者達の中には興味津々でこちらを見ている者もいる。

 彼らの服装が一定でないのは、庶民からなる自警の騎馬隊だからだろう。
 が、それでも彼らは、騎士としてある程度の規律を持っていた。仕事を投げ出してまで、大っぴらに騒ぎ立てるような真似はさすがにしない。

 ただ、寄り添う男女に横から割って入ろうとしているヴェーナの大男、というだけで人目を引いてしまうのも仕方ないことである。

 商人に金で雇われたにわか騎士よりも、魔導都市直属の騎士のほうが格はずっと上だ。本来雲の上と言ってもいい身分の男がこんな庭先で他人に絡んでいたら、多少意地の悪い目線で眺めたくもなるだろう。

「……っ。リーシャ、頼む。話を聞いてくれ、俺は君の敵ではない。信じてほしい」
 縋るような魔導騎士を、女剣士はにべもなく突っぱねる。
「私のほうからは、話すことは特にございません」
「リーシャ! 俺を恨んでいるのかもしれないが、挽回の機会をくれないか?」
「別に恨んでなどいません。ただ、私は過去に縛られずに生きたいのです」
「そんな勝手が許されるものか……!」

 気丈に対応しているものの、ライラの顔色はどんどん白くなっていく。必死のロイにはそれが見えていないようだった。

 これだけ目立っていれば、屋内のディアナ達も気づいて駆けつけてくれるのではないか。バートレットはずっとそれを期待していた。
 だが、ライラのこめかみに脂汗が流れ落ちるのを見て、彼は再びふたりの会話を遮った。

「もういいでしょう。お引き取りください、コルスタッド殿」
「話を聞いてくれ!」
 ロイは形振り構わずライラに詰め寄ろうとした。

 彼女が反射的に後退るのと、バートレットが繋いだ手を引くのはほとんど同時だ。
 バートレットは庇うようにライラを抱き寄せながら、空いた手でロイを撥ね退けた。

「いい加減にしろ、彼女が嫌がってるのがわからないのか!」
 朝の庭先であがった怒声に、周囲の人々も思わず足を止めて注目する。

 ロイが反論しかけたそのとき、けたたましい蹄の音が響き渡った。皆揃って、今度はそちらへと視線を転じる。

 正門から騎馬が駆け込んできたのだ。一騎のみのところを見ると、何か知らせを持った早馬か。
 馬車廻しに(たむろ)する人や馬が慌てて(みち)をあける中、やってきたその男は馬を止めるなり、馬上から飛び降りた。

 軽武装の騎士達と違って、男は上着も中の胴衣も上等な生地で設えた、お仕着せの服装をしていた。
 男は馬丁に手綱を押し付けながら、しきりに何かを訴えている様子だった。そしてあたりを見回し、ロイの姿を目に止めるや、三人のもとへと走ってくる。

「ヴェーナの騎士殿!」
 男はぜいぜいと息を整えながら、バートレットとライラの二人を横目で見つつ、ロイに言った。

「その方々は、我がシュライバー家の客人です。どうか、ご無体はなされませぬよう」
「なんだと?」
 まるで自分が無頼漢のように言われ、ロイは眉根を寄せる。

「無体など働かぬ。俺は彼女と話がしたいだけだ」
「これは失礼を致しました。では、主人が取り次ぎを致しますので、お話はその後に願います」
「知人と話をするのに、取り次ぎが必要だというのか!」
「この方達を屋敷へお連れするため、じきに迎えの馬車が到着致します。大事なお客人(、、、、、、)なのです。自儘な振る舞いはお控えください」
「……っ」

 ロイは言葉を飲み込んだ。

 彼はあくまでも、エルセとシュライバー夫人の警護として屋敷の滞在を許されていたにすぎない。ヴェーナの肩書はついでのようなものだ。

 それを振りかざして強引に突き進んだところで、シュライバーが不快を示せば屋敷を出ていくしかなく、イリーエシアとの接触は難しくなる。
 有力商人のシュライバーに睨まれてしまえば、この街で彼女の姿を目にするのもこれで最後ということになりかねない。

 無念の思いで騎士は歯噛みした。
 だが当のイリーエシアは、人前で恥じらうでもなくバートレットに身を委ねたままだ。ロイに向けるその眼差しには精気がない。

 自分は歓迎されていないのだと、ロイはようやく思い知った。

「……わかった、一旦引き下がろう。しかしリーシャ、どうしても駄目なのか? 説明もなく拒絶されるのはつらい。これでは俺も諦めがつかぬ」
 未練がましく言い募るロイに、ライラは困ったように軽く俯く。

 考えあぐねた様子だったが、やがて彼女は顔を上げた。

「少し、休ませてください。いずれ、時を改めて」
「いいのか?」
 訊いたのはバートレットだ。するとライラは、彼に弱い微笑みを向けて「大丈夫」と言った。

 ロイは苦痛を堪えるような目でそれを見ていた。実際彼にとって、ふたりが心を通わせている様子というのは、彼の胸を突き刺す凶器でしかないのだろう。

 しかし彼は、たちまち苦悩を内側に押し込め、騎士らしく姿勢を正した。
「ありがとう、リーシャ。無理を言ってすまない」
 では後程と一礼すると、ロイは颯爽と身を翻した。知らせを持ってきた男に促され、屋敷の中に入っていく。彼も他の騎士達同様、昨夜の処理で派遣されたのかもしれなかった。

 しかし、そんなことはもはやどうでもよく、バートレットはすぐさまライラに視線を戻した。

 彼女は別に、ロイに見せつけようと彼の腕の中に留まっていたわけではない。
 そうしなければ、立っていられなかったからだ。

「おい、しっかりしろ」
 ライラはずっと、浅い呼吸を繰り返していた。ロイの姿が見えなくなった途端、ぐったりしながらバートレットの腕にしがみついた。
 苦しいのか、その目尻には微かに涙が滲んでいる。

「ごめ……。ちょっと、限界……かも……」
「わかった、あとは任せろ」
 バートレットがそう請け負うと、ライラは荒い息の下から音にならない声で「ありがとう」と告げた。

 そして瞬く間に意識を失った彼女の身体を、バートレットはしっかりと抱きとめる。

 彼女の顔はまるで死人のような白さで、大量の汗によって肌はすっかり冷えきっていた。その姿は、ついさっきまで、悪漢を相手に立ち回りを演じていた人間とは到底思えない。

 バートレットは何かを堪えるように唇を引き結び、ぎゅっとライラを抱きしめた。

 だがそれも、ほんの一瞬のことだ。
 彼はすぐに気を取り直し、その身体を両腕で抱えあげる。

 迎えの馬車がどうとかいう話だったが、ともかく今は彼女を横たえる場所が必要だ。
 遠巻きに見ていた騎士達が、異常を察してこちらに駆け寄ってくるのが視界の端に映っていた。