Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

新たな始まり

28

 やや険悪な空気に気づいたものの、わけのわからないファビオはフリッツに肩を竦めてみせた。
「なんだったんだ、ありゃ?」

 フリッツは、様子のおかしいブレフトの姿を思い返しながら軽く首を横に振った。
「わかりません。本当にわからない……。もう、僕の知っているブレフト兄さんじゃないのかも」

 フリッツはふらふらと長椅子のところに戻ると、力なく腰をおろした。

 ブレフトが貴族という肩書に執着しているのはフリッツも知っていた。主人と使用人は共にありながらも一緒にしていいものではなく、厳格にわけられるべきというその考え方も昔からだった。

 しかしフリッツはあくまでも商人の息子である。商売は下で働いてくれる者がいてこそだと教え込まれ、父ダニエルは下の者を大事にしろと事ある毎に言っている。

 だからこそ冷え冷えとした廊下で突っ立っていたファビオ達を不憫に思い、室内に入れる許可を取ろうとしたのだが、鳴らした呼び鈴には誰も反応しなかった。仕方なく、無許可で彼らを室内に引き入れたわけだ。

 ファビオ達にとっては吹き曝しの冬の甲板に比べればなんてことはなかったが、寒いのは事実だし、この素直なお坊ちゃんの厚意をありがたく受け入れた次第である。

「あの兄さんはなんて言ってたんだい?」
 ハルが訊くと、フリッツは悲しげな溜め息をひとつついてから、先程のやりとりをふたりに説明した。
 それから彼は、疲れたように深く息を吐く。

「ブレフト兄さんは貴族で、僕は商人の息子。わかっていたつもりで、そうじゃなかったのかもしれないです」

 つい子供の頃のような気持ちで話しかけたものの、価値観の違いの大きさにフリッツは衝撃を受けていた。まるで、知らない相手と話しているようだったと。

 しかし船乗り達の意見はそうではなかった。
 腕組みをしたファビオはにやりとしながら言った。

「坊っちゃんは大事なことを忘れているようだが、そもそもブレフト兄さんには別の目的があったはずだろ」
「目的……あ、そうでしたよね! 馬車のどたばたで忘れてました……!」

 ハッとしたフリッツに、ファビオは頷いた。

「そうそう。主人だの使用人だのも本音だろうが、要は坊っちゃんと俺達を引き離したかったんじゃねえのかなってね」
「それは……僕達がモレーノ船長を助けに来たと知られてるってことですか? それで、分散させようって?」
「疑いは充分かけられてるだろうし、実際そうだしな。こっちはバレても大丈夫な動き方はしてるから、そいつはいいんだが」

 と、そのファビオの後に続いてハルも口を開いた。

「さっき廊下に立ってるとき、奥のほうから言い争ってるような声が少しだけ聞こえたんだ。それがバートレット達かまではわからんが、そんな騒動がある中であっちは泊まっていけと言ったんだろ? ディアナについて嗅ぎ回られるのが嫌なら、痛い腹探られないうちにとっとと迎えの馬車で帰すほうがいいのにだ」

 一旦そこで言葉を切り、ハルはまっすぐフリッツを見下ろした。

「なんで追い返さないのかって、そいつは当然、お前さんにいてもらったほうが(、、、、、、、、、)都合がいいから(、、、、、、、)じゃねえのか?」

「……」

「俺達は、ちょいと思い違いをしていたのかもしれないぞ。奴はディアナを名指しで捕まえて、ルースに金を要求してた。理由は意趣返しだ。しかしちょっとやそっとの金額じゃあ、ルースへの嫌がらせにはならん。あいつが払うとなったら、あの手この手で涼しい顔して払える金額に落とし込むだろうしな。そのくらい朝飯前さ。だから、とにかくディアナの身の安全だけ心配した」

「えっと、つまり……?」
 混乱してきたらしいフリッツは、戸惑った表情で二人を交互に見やった。

 ファビオはしたり顔で言った。

「なるほどな。ルースにとって何が一番痛手になるかファン・ブラウワーにはわからないから、情婦を拐った上で金をせびるのも順当だ。女か金か、どっちか当たりゃいい。だから交渉してる間に餌がどこかへ消えちまえば、ファン・ブラウワーは攻める手を失ってこの件も終了するはず。俺もそう思ってた……でもそうじゃなかった」

 それから彼は、考えを整理するように室内をぐるりと一周する。そして足を止めたところで、顔をあげた。

「坊っちゃんを引き止めたことからすると、どうも簡単には幕をおろす気はないらしいな。だが、坊っちゃんを新しい交渉材料にするなら、相手はルースじゃなくシュライバーの旦那じゃ……?」

 その言葉を受け、ハルはフリッツのほうに再び視線を向けた。

「ファビオの言うとおりだ。お前さんを捕まえてもルースに対する手札にはならねえ。でもディアナとお前さんには、人質として共通する価値があるだろ」

 ハルの口調はあくまでも淡々としている。
 一方のフリッツは、口を半開きにしたまま硬直して話を聞いていた。
 たっぷり時間をかけて、その表情が歪んだ。

「お金、ですか……」
「そう」
 船乗り達は揃って頷いた。

 ファビオが暖炉の火で熱くなりすぎた片頬をごしごしと手で擦ってから、ふんと軽く鼻を鳴らして言う。
「嫌がらせも目的のひとつだったんだろうが、金も重要だったってか。相手がルースじゃなくてもいいなら、むしろ最初からそっちが主な目的だったのかも」

「た、確かにブレフト兄さんの林業が順風満帆とは聞いてないですけど、首が回らないなんて噂があったら既に父さんの耳に入っていると思います!」

 ブレフトが金銭目的で犯罪に手を染めたというのが納得できないのか、フリッツが必死に反論する。本当は、再会したばかりの幼馴染を信じたい気持ちがまだあるのだろう。

 ハルは同情するような眼差しで応えた。

「仕事でコケたんだとしたら、シュライバーの旦那は手を差し伸べるだろうな。ただ、貴族っていうのは俺達が想像してるより面倒臭いものらしいぜ。何をするにも金、金、金。体面も保たにゃならん。その方面については、旦那といえども部外者だし、把握しきれてなかったとしても不思議じゃない」

「お金が目的なら、最初から姉さんを捕まえておけばよかったじゃないですかっ。機会なんてこれまでいくらでもあったのに」
「でもそれじゃ、ルースへの打撃にならないだろ」

 ファビオはフリッツにそう指摘してから、ふと気がついたように続けた。

「言われてみればそうだよな。理由はともかく金集めに必死なら、恩を仇で返すのもやむなし……わざわざ海賊相手なんて危険な橋渡らなくとも、最初から借金するなり、坊っちゃんや姉さんを誘拐するなりすれば良かった。嫌がらせなんて別の機会でもいい。そうしなかったのは、なんでだ?」

 ややこしくなってきた話に、ハルはしかめっ面になっている。
 こういう話はルシアスやスタンレイあたりの担当分野で、彼にお呼びがかかることはまずないのだ。
 だが、そんなことも言っていられない状況なので、ハルは諦めたような溜め息をついた。

「さあな……。始めは義理やら体面を気にする余裕があったのが、今はなくなったって話じゃねえの。今というか、今夜だが」

 何気ないハルの言葉に、ファビオは一瞬考えて言った。

「奥で賑やかにしてたのは、セニョリータ達がディアナ救出に成功したってことじゃないか? 金と引き換えにするつもりだった人質がいなくなって、でもたまたま坊っちゃんがここにいたから……」

「いや、確実なことはわからんよ。見たわけじゃねえしな」
 と、ハルは難しい顔つきで応える。

「ただまあ、呼び鈴で誰も来ねえのに建物の奥では口喧嘩、何かはあったんだろう。アラベラなら滅多なことでヘマもしないだろうが、例のジャック・スミスって奴が絡んできたなら話は別だ。それは信じて任せるしかない」

「むしろ予定外の動きをしてるのは俺達だしな。余計なことより自分達の身の振り方を考えたほうがいいか」
 ファビオが苦笑いを浮かべると、フリッツが申し訳無さそうに俯いた。

「すみません、本当に」
「いやいや、物事が何でも予定通りに進むとは限らない。船に乗ってりゃ運任せなんてのも日常茶飯事さ」

 そんな気休めめいたことを言い、それからファビオは冗談交じりにぼやいた。
「しかしまあ、うっかりすると頭がごちゃごちゃになるな。今夜一晩で随分と老け込みそうだ」

「まったくだ。とりあえずディアナについては一旦置いておこう。問題は俺達だな」
 ハルもうんざりした様子で同意する。

 ファビオは気を取り直すように表情を入れ替えた。

「まとめようか。──ファン・ブラウワーは元から金が目的だった可能性が高い。更に俺達の知らないところで事情が変わって、いよいよ形振(なりふ)りにも構ってられなくなった。で、太い実家を持つ坊っちゃんまでうっかり射程範囲に入っちまった……って解釈が妥当か? 要は、囚われのお姫様を助けにきたつもりが、気がついたら俺達がお姫様になっていたって話だ」

「もっとマシな例えを持ってこいよ……」
 気が抜けるわ、とハルが文句を言うと、やり取りを見ていたフリッツがくすりと笑った。
 責任を感じて萎れていた彼に笑みが戻ったのを見て、船乗り達は内心ほっとする。

「迎えの馬車を呼んだかどうかも、こうなってくると定かじゃない。仲間が俺達のことに気づいてくれてたらいいが、過度な期待はしないほうがいいな」

 身体をほぐすように、ハルが天井に向かって大きく伸びをする。その仕草そのものが、さあこれから動くぞ、という宣言にも見えた。

 ファビオもまた、世間話をしていたときのような愛想のいい表情からどことなく変わっていた。笑顔は笑顔だが、種類が違う。

「俺達だけでも何とでもなるさ。それより、ぼやぼやしてたらブレフト兄さんが戻ってきちまう。……坊っちゃん、動けるかい?」

 急に話を振られて、フリッツは飛び上がるようにして背筋を伸ばした。
「だ、大丈夫です」
「よしよし。じゃ、行動開始といこうか」

 緊張した面持ちの青年に、ファビオはまるで悪い遊びを教えるみたいな不敵な笑みを向けた。