Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

新たな始まり

27

……で、そういう夜に見張りにあたるとな。寒くて寒くて、毛布一枚あったって意味なんかないのさ。こう、手なんか冗談みたいに震えちまって」

 そう言いながらファビオが大げさな仕草で手を振るわせると、長椅子に座って見ていたフリッツは笑い声をあげた。

「それ本当ですか!? ファビオさん話がうまいからなあ」
「本当だって! 交代時間になって報告するときも、舌が回ってくれなくてうまくしゃべれない。歯がガチガチ鳴る音のほうがでかいくらいだ。なあ、ハル?」

 話を振られたハルも苦笑して頷く。
「そうだな。とはいえ、砲列甲板(ガン・デッキ)(ぬく)いかっていうとそうでもないんだが」
「直接風が当たらなくて、他に人がいるっていうだけで大違いだろ。猫水夫なんかいたら、取り合いになるね!」

 船乗り達の経験談に聞き入るフリッツの瞳は、暖炉の明かりを反射してキラキラと輝いていた。ファビオ達にしてみれば何てことはない日常風景が、フリッツにとっては冒険譚の一節のように感じるらしい。

 もともと饒舌なファビオだが、聞き手の反応がいいものだから更に拍車がかかっている。
 フリッツはこの年齢にしては頼りなくも感じるほど素直だったが、過酷な局面の多い航海生活をここまで興味津々に聞き入ってもらえては、ファビオ達も悪い気はしない。ここで「知ったふうな顔をするな、世間知らずのお前の想像を遥かに超える過酷さなのだ」なんて水を差すのは野暮というものだろう。

 だから、フリッツが悪気なく訊ねてきたことにも、ふたりは馬鹿にしたりせず真摯に応じた。

「防寒着は着ないんですか? この辺りも真冬はとても寒いんですけど、毛皮もなしに外を歩くなんて無謀ですよ」
「そうだな。たとえばこの国の船だったら、前もってそういう準備もするかもしれない。ただ、船員装具っていうのは基本的には自前で用意しなくちゃならないんだ。そのために借金する奴も珍しくない」

 ファビオの言葉に、フリッツもなにか気づいたようだった。
 特に財産のない庶民だとしても持っている価値のあるもの、その代表的なものが衣服だった。どんなに安価な素材を使ったとしても、人の手で織られ縫製する工程を経る以上、ある程度の価格はしてしまう。

 裕福な商人の子息として何不自由なく育ったフリッツも、郊外で野盗に襲われれば身ぐるみを剥がされる、ということくらいは知っているはずだ。奪った服をそのまま売ればそこそこの金になるし、賊が手に入れたばかりの新しい服に着替えて古いほうを手放すこともあった。

「着古した冬物の外套ひとつでも三、四ギルダーはするもんだ。その負担を嫌う場合もあるし、もともと持ってたとしても手放す場合もある。他に欲しい物ができて、その資金を用立てたいなんてときだな」

 まあ大抵は酒か女だが、とファビオは苦笑した。
 するとフリッツは迷った様子を見せながら更に訊いた。

「あの、船から上着を支給するわけにはいかないんですか? 全員分じゃなく、せめて当直の人用に。だって、凍え死んだら元も子もないでしょう」
「そういう船もあるかもしれない。ただ、さっき言ったとおり借金して乗船してるのも多いからな。善意で支給された毛皮を前にして、魔が差すこともある」
「犯罪じゃないですか……! 処罰はされないんですか?」

 フリッツは愕然と声をあげたが、それでもファビオは平然としていた。

「見つかれば当然されるよ。魔が差すってそういうことさ、後先のことまで考えられない。バレたらまずいよりも、見つからなけりゃ大丈夫が勝っちまう。そういう連中の前には、最初から金目の物を置かないっていうのも、方法としてはありだろ」

……ファビオさんは、その寒い中での当直に不満はなかったんですか?」

「寒いのは確かに苦手だが……毛皮の外套なんか置いてたら、一日経たずに失くなってるだろうってのは想像つくからな。そもそもだ、はじめはそこに用意されてたのかもしれねえよ? 俺が来るのが遅かっただけで」

 ファビオがからからと笑う。
 フリッツはまだ釈然としないものがあるのか、黙って暖炉の火を見つめている。

 なんとなく会話が途切れ、火の爆ぜる音だけがしばし室内を支配していた折、不器用に扉を叩く音がした。

 ハルが扉を開けると、そこに立っていたのはブレフトだった。
 彼はぎょっとした様子で扉をおさえるハルを見やり、暖炉のそばにファビオもいるのを見て、明らかに不快そうな顔をした。

『ブレフト! 久しぶり、こっちに来てたのか』
 長椅子から立って出迎えたフリッツに、我に返ったブレフトはバツの悪そうな様子で頷いた。
……ああ。ここに用事があって』

 成長して距離ができてからはブレフト兄さんなんて呼び方をしていたのが、フリッツはつい懐かしくて子供の頃のまま呼び捨てにした。
 普段のブレフトだったら訂正を求めたところだ。先代から世話になったとはいえ、フリッツは商人の出身で自分は貴族だという想いがあったからだ。

 しかし何故か今の彼は、朗らかに笑うフリッツにそういうことが言えなかった。

『偶然だなあ。僕も、近くで馬車が動かなくなってお世話になってたんだ。トビアスはどこに行ったんだろう? 呼び鈴を鳴らしても、誰も来てくれなくて困ってたんだよね』

 フリッツに執事の名前を出されて、ブレフトは明らかに動揺した。表情が強張ったのに船乗り達は気がついたが、当のブレフトは無理やり口もとを笑みの形にひん曲げた。

……。さあ、どこだろう……。疲れたと言っていたから、もう横になっているんじゃないかな。他の者達も、もともとこちらにはそれほど人数をおいていないからね、不自由をさせてすまない』
『急におしかけたのはこっちだから。ところで、そろそろ迎えの馬車が来るはずなんだけど、まだかな。そのことを聞きたかったんだ』

 フリッツとブレフトは母国語で話をしていた。ファビオにもハルにも内容はまったくわからなかったが、このブレフトが今回の主犯だということは知っている。その彼の突然の来訪に、意外にもフリッツは怯むこともなく対応していた。

 一方で、会話の途中でブレフトの様子が変わったことにファビオ達は引っかかっていた。フリッツを見る限り、そんな爆弾発言をしたようにも思えないのだが――

『馬車はまだ来ないようだよ。もうこんな時間なのだし、泊まっていけばいい。部屋を用意させるから』

 ブレフトの言葉に、フリッツは小首を傾げた。

『ええ……? ありがたい申し出だけど、人がそんなにいないんだろう? 今から三人分の用意なんて誰がするんだよ』
『整える必要があるのはお前の分だけだ。屋根裏の使用人部屋が空いてる、寝台もそのまま置いてあるから彼らはそこを使えばいい。夕餉はもう済んでるんだよな?』

 使用人ごときに部屋を割り当てるのはむしろ寛大だという口ぶりで、ブレフトは言った。しかし、フリッツは戸惑いを残しながら応えた。

『食事は済ませたよ。確かにあとは寝るだけだけど、彼らと僕を一緒の部屋にしてもらうことはできないかな。いろいろ身の回りの世話もあるし。簡易寝台くらいはなんとかなるだろ? 部屋の隅にでも置けないだろうか』

 ブレフトは驚いて彼を見返した。何か、信じられないものを見るような目で。
『一緒の部屋だって……?』

『ゆったり過ごすつもりでここに来たわけじゃないからね。朝が来たら早めに御暇(おいとま)するためにも、一緒がいいんだ』
『明日、なにか急ぐ用事でもあるのか?』
『ないけど……、父さんには朝一番に事情を説明しないといけないし』

 自分で言っておきながら、フリッツは今回の自分の失態を思い出して気まずそうな顔になった。余計な首を突っ込むなと、いつも注意されていたのだ。せめて報告くらいは迅速にしないと、しばらくの間外出の制限をされても不思議ではない。

 するとブレフトは、表情を固くしてそんなフリッツを見た。
 少しの間をおいて、ブレフトは言った。

『シュライバー氏には僕から連絡を入れておく。久々に会えたんだから、のんびりしていけばいいじゃないか』
『そういうわけにもいかないよ。僕だけのんびりしてたら姉さんにも叱られる! ブレフトだって今は当主なんだから、午前中にだらだらしている時間なんてないだろう?』

 つい勢いでそう反論したフリッツは、少し迷ってから声の調子を落として続けた。

『ブレフト、もしかして僕に話したいことでもあった? 様子が変だよ、本来の君じゃない気がする。そういうことなら……
 フリッツがそこまで言ったところで、ブレフトは振り切るように踵を返した。

『なにもない。そこまで言うなら、追加で寝台を用意するよう指示してくる』
 早口で告げて、ブレフトは部屋を出ていってしまった。

 扉が閉まったあとも、フリッツは彼のことが妙に気にかかっていた。
 終始疲れたような生気のない表情は、自信家のブレフトには似合わない姿だと思った。