Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

新たな始まり

13

 ライラがルシアスに呼ばれたのは、もう夕刻になろうかという時分だった。

 ロイとの話し合いに随分費やしたものだと思って会議室(サロン)へ向かうと、そこにはファビオが来ていた。
 他にルシアス、スタンレイがいる。人魚(シレーナ)号に行ったきりだったハルもいて、彼らは席についたまま、入室したライラ達に視線を向けた。直前まで意見を戦わせていたのだろうか、それぞれが疲労の色を纏っている。

 ライラとともに部屋にやってきたのは、ジェイクとバートレットだ。バートレットまで呼ばれたわけではなかったが、船医(サージェン)は何故か彼の同席を希望した。

「こんばんは、セニョリータ」
 いつもの気軽さでファビオは挨拶してきたが、その笑顔は硬い。奥に座るルシアスも口を引き結んでいる。それ以外の男達は、煮え切らないような表情で黙りこくっていた。

「話がまとまった、って雰囲気には見えないな」
 ジェイクがそうのたまうと、ファビオは鼻筋に皺を寄せた。

「まとめたいのは山々なんだがね。こっちとしても、油売ってる余裕はないんだ。先生、あんたからもこのわからず屋どもに何とか言ってやってくれ」
「何がどうなってるのか、それじゃさっぱりわかんねえよ」

 白けた様子で返す船医(サージェン)に、ファビオは嘆息してから苦々しく言った。

「うちの船長(カピターナ)が、どこぞの糞野郎に拐かされた。俺が言うのもなんだが、ディアナは下衆の薄汚い手で気安く触っていいような女じゃねえんだよ。臭え手垢をつけられる前に、とっとと掃き溜めから救い出してやらにゃならんのに」
 そう言って、彼はルシアス達を睨みつけた。
「この石頭ども、さっきから言い訳ばかりで動こうともしねえ! ディアナはこんな奴らのために捕まったってのにだ!」

「まず落ち着けよ、ファビオ。気持ちはわかるが、それじゃ進む話も進まんだろ」
 呆れた口調で嗜める船医(サージェン)の横から、ライラはファビオに向かって頭を下げた。
「ディアナが連れていかれたのは、正確には私のせいだ。本当に申し訳ない」

「お前のせいではない、ライラ」
 ようやくそこで、ルシアスが口を開いた。
「コルスタッドの話では、先にシュライバーの娘を人質に取られて、ディアナ自ら引き換えに応じたそうだ」

「だから! そもそもあんたの女だって勘違いされてなかったら、そんな取引も成立しないだろうがよ!」
 すかさずファビオが、机に拳を叩きつけて吠える。
「あんた、あいつが自分に惚れてるからって、馬鹿な女が勝手にやらかしたとでも言いたげだがな……!」
 感情的なその言葉に、スタンレイやバートレットは表情を険しくした。頭領に対する侮辱と受け取ったのだ。
 が、彼らより先に声を上げたのはライラだった。

「ファビオ。すまないが、その判断は少し待ってもらえないだろうか」
「……。なんだい、セニョリータ。ちょっと会わないうちに、君もすっかりこいつの女にされちまったのか」

 振り向いたファビオに当て擦られて、ライラも一瞬怯んだがそこは堪えた。
 ひと呼吸置いてから、彼女はファビオを見つめた。
「少なくとも私は、ディアナを勝手をやらかすような馬鹿だと思ったことはない。それは信じてほしい」

 それから、ライラはルシアスに視線を転じた。
「彼女は、その手の自己犠牲に酔うような女性にも思えない。逆に何か考えがあってのことと見たが、どうだろう。そしてルース、お前も二の足を踏むような滅多なことが生じているようだが」

 ルシアスは彼女の声を聞きながら、感心したようにライラを見た。少し前の、一触即発となっていた室内の空気が今、間違いなく変化したのだ。
 もちろん、話がろくにまとまる気配がない中で彼女を呼びにやらせたのは、そういう効果を多少なりとも期待してのことだ。互いに一歩も譲らなかった頑固な男どもも、女の大声で喝を入れられたら、自分含め目も覚めるだろうと。

 しかし彼女は、煽られて感情的になるどころか、巧みにあしらってのけた。
 ルシアスは口許にかすかな笑みを乗せた。ライラが現れただけで、不思議な心強さが芽生えていた。

 彼は入り口前に突っ立ったままの三人に着席を促し、気を取り直して彼女に応えた。
「ディアナの思惑は不明だが、それ以外についてはお前の言うとおりだ、ライラ・マクニール・レイカード。彼女は愚かではないし、俺も動きを制限される理由がある」

 その言葉を受けて、スタンレイが補足を入れる。
「先日の件で、頭領に出されかけていた逮捕状が一度保留になってるんだ。しかし、間をおかずにまた騒ぎを起こせば次は保証がない。そんなことになればこの組織は終わりだ。新造船の東方行きも頓挫するだろう」

「対応を一歩間違えば、すべてが滅茶苦茶になるんだな」
 ライラの呟きに、ルシアスは自嘲混じりの笑みを浮かべた。
「それこそが、相手の狙いかもしれないがね」
「交渉役はまだ来てないのか? 相手のことで何かわかっていることは?」

 ライラは更に尋ねる。ルシアスは、ゆるく首を振った。
「今のところ音沙汰はないが、いくつか情報が上がってきている。ディアナが連れていかれたのは、ファン・ブラウワーという貴族が所有する建物だ。そいつは以前、シュライバーの使いとしてこの船に来たことがある」
「恨みを買うようなことをしたのか」
「何も、と言いたいところだが。逆恨みされた心当たりはある」
 肩を竦めてルシアスは言った。

「東方への航海に、シュライバーを差し置いて一枚噛ませろとそいつは言ってきたんだ。それだけでも問題だが、取り分が七対三とかいうふざけた内容だったから、話にもならなかった」
「一枚噛ませろ、とは具体的にどんな?」
 ライラが訊くと、ルシアスは右掌を上向かせて一度だけひらめかせた。
「出資させろということだ。それ自体は珍しいことじゃない」

 東方貿易の航路が確立されてから、航海に投資する貴族は各国で増えた。異国で仕入れた珍しい品が高く売れるだけでなく、他国籍船を収奪して大量の金銀を手に入れることも可能だったからだ。初期に出資を受けて船出したある海賊は、数千倍の配当を実現してのけたという。

 その話を聞いて、海を有する国々が色めき立ったのは言うまでもない。エディル西側のどこの国も、引っ切り無しに起こる大小の争乱に加え、疫病や飢饉もあり、経済的に疲弊しきっていた。庶民や貴族ばかりでなく、王室すらも。

 もちろん、船を出したところで海賊に襲われたり嵐で難破したりしてしまうこともあったが、航海が成功した時の利益はそれほどまでに魅力的だった。

「外洋を行ける頑丈な船なら、中古でも一トンあたり一〇〇ギルダーはする。庶民には船を用意することがまず困難だが、船さえあれば命がけでも行ってやるという船乗りはそれなりにいる。貴族達は実務を任せる代わりに金を出し、船乗り達は船と航海費用を出してもらって商売をしてくるわけだ」
 そこまで説明して、ルシアスは一旦言葉を切った。それから、苛々と顎をさすった。

「そうやって、はなからお膳立てされた航海なら利益配分が七対三でも納得してやるが、あの新造船は俺とシュライバーの折半で、航海費用も自前でね」

「なるほど、割に合わないな」
 思わずライラが笑みを溢すと、ルシアスはふんと鼻を鳴らした。
「それでこの騒ぎだ。逮捕状の件がなければ、俺だって直接行ってあの間抜けを殴ってやりたいところさ」
「残念だが、今回は諦めてもらうしかないな。代理で誰かを動かせば済む話じゃないのか?」
 ライラの言い分に、「そのとおりではあるんだが」と答えたのはスタンレイだ。
「ただ、話がちょいと入り組んできていてね」

 苦笑いを浮かべながら航海長(マスター)は、ライラと、その両脇に座るバートレットとジェイクを見渡した。
「先日、頭領が襲われたときに現れた賞金稼ぎ。そいつがファン・ブラウワー邸に出入りしているという情報があったんだ」

 ライラは唖然としてスタンレイを見返した。
 それはもちろん、ルシアスとギルバートを前にして動じもしない使い手だという、あの厄介な剣士のことだ。ディアナを拐った相手の狙いが何かにもよるが、用心は必要だろう。本気でルシアスの首を獲りに来ているとも考えられる。

 いざというときにその男に対応できる人間となると、この船でもかなり絞り込まれる。単体ではまず無理だ。
 半端な人選をすれば大事な部下を失うかもしれず、ルシアスとしては慎重にならざるを得ないというわけだ。

「ようやく話が見えてきたな」
 と、ジェイクがのたまうと、スタンレイは芝居がかった仕草で眉を上げた。
「いえいえ、全容はこの部屋の誰もまだわかっていないというのが実際でして」
「そうかい。しかしな、俺としちゃ嫌な予感が当たったって気がしてるのさ」

 船医(サージェン)は口の端を吊り上げた皮肉っぽい表情で航海長(マスター)を見た。

「俺達がここに呼ばれるのは、この話が終わった後のはずだった。それとは別件だからな。でもいざ来てみりゃこのとおり、家畜小屋の鶏を家の中に放したみたいなとっ散らかりぶりだ」
 それから彼は、ルシアスに非難めいた視線を向けた。

「この時点で呼んだのは、厄介な賞金稼ぎ野郎の対抗馬として、ライラを使いたい。そういうことだろう?」