Brionglóid
海賊と偽りの姫
海港都市ヴェスキア
14
「それは──」
誰のことなのか、バートレットが問い質そうとしたところに前方から声が被さってきた。
「お二人とも、ここにいましたか!」
二人は揃ってそちらに視線を転じる。
声の主はティオだった。
二人が話し込んでいるうちに、辺りは夕闇に包まれていた。濃い影が少年水夫の表情を隠してしまっていたが、弾む声に安心と喜色が窺えた。こちらに向かって駆けてくる。
バートレットは彼と違った意味での安堵を覚えた。ティオが来たということは、レオンの報告をルシアスが受け入れた証拠にほかならなかった。
二人の前まで来て、ティオは力が抜けたように両膝に手をついた。肩で息をしている。ここにたどり着くまでも、あちこち走り回っていたのかもしれない。
「まったく、探しましたよ……。目ぼしい場所で見当たらなかったので、もう間に合わないかと」
「念のため、人目につく場所を避けて戻るつもりだった」
「そうでしたか」
バートレットとティオのやり取りを眺めていたライラは、ばつが悪そうに言った。
「また私は、みんなに面倒をかけてしまったんだろうか」
「気に病まなくていい。頭領の指示で動いているだけだ」
振り向いたバートレットの言葉は気休めになるどころか、ライラは益々眉間の皺を深くした。
「……あいつの考えてることは本当によくわからないな」
ライラにしてみれば、残れと言われたり冷たくあしらわれたり、ルシアスの行動に理解が追いつかないのだ。
バートレットだけでなくティオも捜索に加わっていたなら、他の者達も駆り出されているだろうことは簡単に想像がつく。しかし、入港したことでライラは既に『天空の蒼』の庇護下から抜けているはず。何故まだ助けるようなことをするのか──。
すると、ティオが彼女の疑問に過剰なほど反応した。
「ライラさん! 多分いろいろと誤解があったんだと思いますっ!」
「誤解?」
ライラが怪訝そうに聞き返すと、ティオは勢い込んで答えた。
「この頃の頭領は忙殺されてただけで、ライラさんを追い出そうとしてるなんて絶っ対! 絶対、ありえませんから! ライラさんさえ良ければ、好きなだけ船にいてくれていいんですよ」
「……」
ライラはそこで少し黙っていたが、やがて合点がいったようだ。自分の下船の理由が、ルシアスとの不仲だと思ったのがバートレットだけではなかったことに。
「私は別に、ルースのせいで船を降りたわけじゃないんだが」
「へ?」
「所用があって下船しただけで、出立する前に挨拶に戻るつもりだったんだ。だからあまり心配しなくていい」
「え……。でもそれって結局……」
呆然と呟くティオの肩に手を置いて、バートレットが二人に告げた。
「辺りももう暗い。今はとにかく船に戻ろう、込み入った話はそれからだ」
「バートレット。私はすぐこの街を出る、あなた達は彼に会っても何も知らないと言い張れば──」
言いかけたライラに対し、彼はあえて被せるように言った。
「いや。しばらく一人になるのは避けたほうがいい、ライラ。奴のあの様子だと、諦めたとは思えないからな」
「お二人は、コルスタッド氏とはもう接触したんですね」
真顔になってティオが尋ねるのに、バートレットは苦い表情で頷いた。
「間一髪で追い払った。だが、一時的な効果しかないだろうな」
「こんなところまで追いかけてくるくらいですからね。あの御仁、やっぱり一筋縄ではいかなそうですか」
うーん、と唸ったティオに、ライラはことさら申し訳無さそうに言った。
「これ以上、私のことで皆に迷惑をかけるわけにもいかないよ。ルースだって多忙なんだろう?」
「いえいえ、入港時に事務処理で忙しなくなるのは毎度のことですから」
と、ティオは笑みを閃かせる。
「それに今回は、エスプランドルのこともあって立て込んでいたに過ぎません。ライラさんを匿うのに、問題はないと思います」
「エスプランドルに動きがあったのか?」
バートレットが聞くと、ティオはまたしても難しい顔つきになった。
「ええ。とりあえず方向性は決まったようですが……まあ、話せばこっちも長くなるんですけどね」
「では、いずれにしても戻ったほうがいいってことだな」
ライラはまだ迷っているようだったが、バートレットは気づかないふりをして彼女を促した。
「早く帰ろう、ライラ。風が冷たくなってきた」
「……ああ」
溜め息をひとつ吐いて、ライラは彼らの後についてのろのろと歩き出した。
念の為周囲を警戒しながら帰路についたこともあり、三人が港につく頃にはすっかり日が落ちてしまっていた。
しかしさすが商業の街、多くの店は店じまいをするどころか灯りを煌々とつけて、夜の訪いを拒絶するかのように商売を続けている。
その光は一日の活動を終えた港にまで手を伸ばし、闇に沈みかける波止場を薄ぼんやりと照らしていた。
係留されている小舟のひとつに、火の入った角灯が下がっていた。停泊中の大型船へ人を運ぶ渡し船で、客を待っている風である。
その直ぐ側の桟橋では立ち話に興じている人影がある。船頭らしき男と話し込んでいた人物が、歩いてくる三人に気づいて振り向いた。
灯りに照らし出されたその顔を見て、バートレットは目を丸くした。
「レオン」
「やっと戻ってきたな、二人とも! 無事で良かった」
小走りでやって来たレオンが嬉しそうに肩を抱いてくるのを、バートレットが戸惑いつつも受け止める。
「何も変わったことはありませんでしたか」
ティオが横から尋ねると、レオンはハッとして身体を離す。真剣な目つきで三人の顔を見やる。
「大有りだ。あいつが船に来てる」
バートレットとライラは顔を見合わせる。当然、「あいつ」が誰を指しているのかはすぐにわかった。
ロイはルシアスに会うつもりだと言っていたので、そこまでの驚きはない。だが、二人がそこで彼と再会する事態は避けたいところだった。
ティオはわずかに眉をひそめた。
「まずいですね。今は船に行かないほうがいいってことですか」
「それを伝えるために待ってたんだ。まあ、ここでばったり出くわさなくて良かったよ」
レオンは肩を竦めて片頬に笑みを乗せた。
「ついさっき行ったばかりだから、頭領に追い返されるまでまだ時間がある。ライラさん、あなたはどこかに隠れてたほうがいい」
「隠れるって、急にそう言われてもな……」
ライラが困ったように独りごちる。
居酒屋も宿屋も、今ならまだ潜り込むことは可能だったが、虱潰しに探されてはいずれ見つかってしまうだろう。
そこで、再びレオンが口を開いた。
「人魚号はどうでしょう。下手な宿屋よりうまく身を隠せると思いますが」
レオン以外の三人は、遠くの泊地に錨を降ろしている豪奢な大型船に視線を投げた。
巨大な松明のような船尾灯に照らされた船影が、闇の中に淡く浮き出して見える。港内ということで甲板の角灯や船窓にも明かりが灯され、その姿は海中に聳える城塞のようだった。
「検疫は終わってるし、船内もだいぶ落ち着いてるって話です。ハルさんも先生もまだ残ってますから、きっと寂しくもないですよ」
レオンの提案に、ティオが賛意を示す。
「そうですね、案外目と鼻の先の方が盲点になりやすいかも」
「あいつが船から出てきたら知らせますから、夕餉でもとりながらのんびりしては?」
「でも……」
ここに来ても、まだライラは躊躇いがあるようだった。
いや、人魚号まで巻き込んでどんどん大事になっていくのが居た堪れないのかもしれない。
そもそも、自分個人の事に皆を巻き込みたくないとライラが話していたのを思い出し、バートレットは元気づけるように彼女に言った。
「俺も一緒に行こう。面が割れてしまってるしな、見つかったら厄介なのは俺も同じだ」
「バートレット……」
眉尻を下げて見つめてくるライラに、バートレットは短く笑ってみせる。
「そんな顔するな。巻き込まれたなんて思ってないし、むしろ退屈しのぎに丁度いいさ」
ライラは返事をする代わりに、微苦笑を浮かべて彼に頭を下げた。
二人のやり取りを見守っていたレオンは、そこで早速身を翻した。
「じゃ、善は急げだ。渡りの船なら確保してある」
と、肩越しに振り向いて告げる彼に、一同は頷きを返した。