Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

海港都市ヴェスキア

13

 二人は並んで川辺を歩いた。遠回りになるが、このまま進めば港に戻れるだろう。
 秋とはいえ、まだ青々としている野草は柔らかい。踏むと、潮の香りに混ざってほんの一瞬だけ草の香りがした。

 ライラはそれからも何度か迷った様子を見せた後、苦笑いを浮かべた。

「何から話せばいいのか、迷うな」
「俺が把握しているのは」

 と、バートレットがあえて淡々と言う。

「お前が一人で賞金稼ぎをやっていること。ヴェーナの魔導騎士に追われていること。でも奴が追っているのはイリーエシアという名のご令嬢らしい、ということくらいだな」
「そうか……

 ライラは少し冷静さを取り戻したようだった。いつもの彼女に近い口調で、ゆっくり語りだす。

「イリーエシアというのは、私の昔の名前だ。コルスタッドが追っているのは私で間違いない。ただ……、理由は私にもわからないんだ」
「わからない?」
「彼とは直接の知り合いというわけじゃなくて……

 言いかけて、ライラは一度言葉を切った。

「これじゃ要領をえないな。ええと……そもそも、私はご令嬢なんて立派なものでもないんだ。いわゆる出来損ないというやつで、親には早々に見放されてた。探される理由がない」
「出来損ない、とは?」

 バートレットは急かさないよう、静かに尋ねた。
 ライラはすぐには答えなかった。再び視線を迷わせた後、観念したように小さく息を吐く。

「生まれた時から病弱だった。その上、優れた部分もこれといってない。家のためになるどころか、手間ばかりかかる子だったと、思う……

 ライラはゆっくりと歩きながら、ぽつぽつと語っていく。

「特に父には疎まれ通しで、視界に入るのすら許しがたい存在だったみたいでね。邪険に扱われることで私もすっかり萎縮して、常にあの人の顔色を伺うような子供になってしまった。父にしてみれば、その態度も忌々しかったんだろうな」
「今のお前からは想像もつかないな」

 思わずそう呟いたバートレットに、ライラも伏目がちの笑みを漏らす。

「私自身そんな自分が嫌いでもあったしね。だから、実際にこうして違う人生を選んだ」
……。随分思い切ったものだ」
「まあ、いろいろあったんだ」

 ライラは肩を竦めてみせた。

「それで、四つか五つの時に地方の領地に厄介払いで送られて、そのままそこで育った。あの家に娘がいたなんて、恐らく都の誰も覚えてないだろう。なのに、そんな私を今更追いかけてくる、というのが正直よくわからない」

 そのライラの言い分と記憶にあるロイの熱量とを思い比べ、バートレットは首を傾げた。

「あっちは大分お前にご執心に見えたが」
「私としては、人違いじゃないかなとしか……

 困惑したようにライラは眉根を寄せる。

「彼は確か兄の友人で、数回顔を合わせた程度でほとんど記憶にないんだ。彼がヴェーナにいるのも、私を追っているらしいこともアリオルで初めて知ったくらい」

「なら、どうしてあいつから逃げ回ってるんだ? 追われる理由も特にないんだろう。それに戦うとなれば、今のお前はその辺の男に負けはしないのに」

 バートレットがそう訊くと、ライラは口を噤んだ。視線を遠くに投げてしばらく考え、やがて静かに答えた。

「彼個人が怖いわけじゃない。自分の過去に、生理的な嫌悪感があるんだ。言っただろう、私の存在は最初から最後まで歓迎されたものじゃなかったから」

 言葉を選びながら、ライラは言った。

「向こうにも疎まれていたけど、こっちだって今更関わりたくないし、思い出したくもない。彼が追ってきていると知った時、まるで悪い夢が形になって現れたように感じたよ」

「領地に送られてからは自由に過ごせたんだと思ったが、違ったのか?」

 バートレットがそう言葉を挟むと、ライラは思い出したように「ああ」と呟いた。

「さっきも言った通り、私には六つ上の兄がいるんだ。兄は両親と一緒に都に残っていたんだけど、私が追いやられてしばらくした頃、母と兄も領地にやってきた」

 ライラが言うには、父親には少し支配欲が強いところがあって、母親がそれに参ってしまったかららしい。父親は父親なりに妻を大事にしていたから、自動的に彼も都から領地に通うようになったのだ、と。

「なるほどな……。結局それで元通りか」
 バートレットは顔をしかめた。

 貴族の妻が長男を連れて逃げ出すような事態は、「少し支配欲が強い」くらいでは発生しないだろう。庶民出の彼にもそのくらいはわかる。

 実の娘を家族から隔離するような行動といい、どうやらライラの父親というのは強烈な性格をもつ人物らしい。まだライラの話を聞いただけとはいえ、なかなか厄介な家庭環境だったことは想像に難くなかった。

 バートレット自身は孤児で、平穏な家庭に縁がなかったという点では似ていたが、自由があるのとないのでは大分違う。空腹を抱え、衣食住を約束された貴族達に妬みの気持ちをもったこともあったが、ライラは自ら捨て去った上で今ここにいる。それどころか、一人で生き抜くだけの力も身につけた。

 違う人生を選んだなんて、口で言うほど簡単なことではなかったはずだ。
 その強さに、彼は改めて驚嘆した。

「元通りというほどじゃなく、一年の何分の一かっていう期間だけどね。兄は学校もあったし、あくまでも彼らの住まいは都にある屋敷だ」

 ライラの唇から、長い溜め息が漏れた。

「ただ、コルスタッドの件がなくとも、あの時代のことを忘れてしまえばいいのに出来ないでいる。ふとした瞬間に思い出すんだ。疎まれていた自分、弱かった自分。どんなに鍛錬を続けても、本性は変えられないんじゃないか。本当の自分は、あの弱くていじけたイリーエシアのままで……

 ライラの声は落ち着いていた。淡々と、感情の見えない口調で紡いでいく。

「覚悟を決めて過去と決別したけど、関われば昔の自分にあっさり戻ってしまうんじゃないかって。ルースや皆にも軽蔑されるかもしれない。そう思うと、怖くてたまらないんだ」

 気遣わしげに見守るバートレットに、ライラは顔を上げて無理やり微笑んでみせた。
「だからみっともなく逃げてる。コルスタッド本人には申し訳ない話だけどね」

 バートレットは、ライラに話をさせたことを少し後悔し始めていた。
 ライラは静かな口ぶりで語っていたが、その表情から実際は恐ろしく憂鬱な日々を送ったのだろうと彼は推測した。

 父親に疎んじられた彼女は、幼い少女の身でずっと耐えていたというのか。小さなイリーエシアは、どんなに孤独で不安な思いを抱えて過ごしたのだろう。その事に思いを馳せ、バートレットは腹立たしさのあまりに目眩がしそうだった。

 それに、と彼は隣の女剣士を横目で見下ろして思う。

 こんなライラは船にいる間には見たことがなかった。こんな、弱く頼りなさ気な彼女は。

 彼女の持つ強さは、弱さを払拭するものではないのだとそこで気がついた。薄い膜一枚で隔てられただけで、同時に存在している。彼女はただ強いだけではないのだ。

 何故か彼女に手を伸ばしたい衝動に駆られ、これもまた何故かわからない危機感を覚えて、バートレットは腰の脇で握りこぶしを作って何とかやり過ごす。

 彼はその間しばらく黙っていたが、やがて理性が上回ってきたあたりで口を開いた。

「頭領は、お前がどうだろうと受け入れてくれると思うぞ」
 唐突に言われ、ライラは驚いて彼をまじまじと見つめる。
 バートレットはその淡い蒼灰色の瞳で、彼女を静かに見返した。

「お前の恐れは、おそらく杞憂だ。そんな表面だけ見るような人じゃない。問題にすらしない」
……どうかな」
 ライラは弱く首を振った。
「最近は避けられていたようにも思うし。受け入れる以前の話じゃないか?」

 そうだった、とバートレットは苦々しく思い出した。
 ルシアスはここ最近ライラとろくに会話もせず、しまいにはディアナと二人きり部屋に籠ったままだ。事情があるにしても、船内にライラがいるにも関わらず、どうしてそういう態度を示したのか。それに対し、ライラがどう思うかを考えはしなかったのか。

 同じ男として、さすがに迂闊だと言わざるを得なかった。まだライラに執着を残しているのなら、の話だが。

 バートレットは言うべきかどうか悩みながら、結局言いにくかったことを言ってしまうことにした。

「そういえば、お前は頭領とぎくしゃくしたから船を出ていったんだと思ったんだ。ディアナのことも、お前は気にしないとは言っていたが……

 すると、ライラはびっくりしたように彼を見た後、微かに声を立てて笑った。
「私が思ってる以上に気を遣われてたみたいだな」
「何も笑うことはないだろう」

 不機嫌に言い返したバートレットに、ライラは笑みを残しつつも素直に頭を下げた。

「いや、すまない。あなたは本当に優しい人だな、バートレット。……確かに、少しも気にならなかったと言えば嘘になる。けど……
「けど?」
「私にも旅をする理由がある。船には残れないし、だったら気にしても仕方ない」

 バートレットは、ライラの吹っ切れたようなその表情が気になった。
 だから、慎重に尋ねた。

「その理由は、聞いても大丈夫なのか?」

 彼の思いとは裏腹に、ライラは軽く頷いた。

「私も人を探してるんだ」