Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

海港都市ヴェスキア

11

 ルシアスがその話を聞いたのは、バートレット達が飛び出してしばらく経った頃だ。

 甲板での出来事を知ったスタンレイが、ひと通りの事情を取りまとめて船長室(キャプテンズ・デッキ)であげた報告に、ルシアスは思わず椅子から立ち上がった。

「ライラが出ていった? どういうことだ」
「とりあえず、旅券の発行手続きに行ったそうですが」
「旅券……何を勝手なことを!」

 感情的になって手元の書類を握りしめたルシアスに対し、航海長の態度はあくまでも淡白だった。

「いえ、勝手も何も……ライラはうちの人間じゃありませんし。元々港に着くまでという話でしたからね。自然な流れかと」

「自然? 何の断りもなく出ていくことがか!?」
「一応リックに声は掛けていったそうです」
「俺には何も来ていない」
「そりゃまあ、遠慮したんじゃないですか」

 年上の航海長は、ちらりと室内に視線を転じた。

 相変わらず書類で埋め尽くされた船長室(キャプテンズ・デッキ)には、彼らの他にディアナがいた。二人の会話を聞いて、不安そうに佇んでいる。
 スタンレイは軽く嘆息すると、珍しく非難がましい視線をルシアスに向けた。

「いくら忙しいと言ってもね。何週間も放って置かれたんですし、彼女ほど若い娘なら気が外に向かっても仕方ないと思いますよ」

 ルシアスは彼を見つめ返した。
……何が言いたい?」

「いつまで意地を張る気か知りませんが。このまま手をこまねいていたらどうなるか、あなたの頭であれば簡単に想像つくんじゃありませんか?」

「もちろん、このまま黙って行かせる気はない」
「ああ、それについては大丈夫です。バートレットとレオンが、すぐに血相変えて追いかけていったそうですから」
……っ」

 ルシアスはその一言に表情を強張らせた。しかしその変化は非常に些細で、それこそ腹心のスタンレイにしか判別できないものだ。
 それすらルシアス本人がすぐに理性で抑えこみ、いつもの無表情を作りあげる。

「なら、あいつらに任せておけばいい」
 と、ルシアスは平静を装って再び椅子に腰を降ろした。

 ディアナはそわそわしながら、スタンレイはやや冷めた目でその様子を眺めていた。
 まさかとは思いますが……、とスタンレイはおもむろに続ける。

「連れ戻しさえすれば帳尻が合うなんて、そんな馬鹿げたこと本気で考えてませんよね? あなた程の人が」

 スタンレイの言葉に棘が含まれていることに気がついたルシアスは、続きを促すように彼を見つめた。見つめた、というよりは睨んだ、と言ったほうがいいかもしれない。

 涼しい表情を崩さないスタンレイも大したものである。余裕の笑みまで浮かべて、彼は言った。

「だいたい、邪険にされた相手がこちらの機嫌まで取らなくちゃいけない義理なんて、ないでしょうに。だから出ていったんです。わかりませんかね?」

 ルシアスは、頬杖をついて彼を上目遣いに見た。

「ふん。随分あいつに肩入れしてるじゃないか」
「ライラに非はないように俺には見えますので。部下とちょっと仲良くしただけであんな八つ当たりされて、さすがに不憫ですよ」

 スタンレイはそう言って肩を竦めてみせる。

「あなたの我儘で彼女の乗船を受け入れましたが、こんな風に中途半端な扱いをするなら、今後ご婦人が航海に同行することはしっかり反対させていただきますよ」
……

 黙ってしまったルシアスを見て、狼狽えたディアナがスタンレイに聞いた。

「ねえ。ライラがいなくなったって、どういうこと?」
「ああ、セニョーラ。どうかお気になさらず。こちらの話です」

 スタンレイはにこやかに答える。それでもディアナが落ち着かない様子で更に尋ねた。

「まさか、あたしのせい?」
「違います。この朴念仁のせいです」
「スタンレイ、いい加減に……

 しろ、とルシアスが堪りかねて言おうとした時、扉の向こうから焦った声がした。

「頭領! レオンです、急ぎ報告したい件が!」
……入れ」

 言いかけた言葉を何とか飲み込んでルシアスが返答すると、必死の様子のレオンの他にギルバートやカルロも入ってきた。

「大勢でどうした」
「事後報告になってしまってすみません、頭領。俺とバートレットで、船を出ていったライラさんを追いかけて上陸したんです。そうしたら……っ」

 まだ整わない息の下から一気に言うと、レオンはそこで一旦言葉を切った。それから、一呼吸して告げた。

「ヴェーナの追手の男がいました」
……何?」

「顔を知ってるバートレットが残って、俺はこうして報告に……。頭領、このままだとライラさんが危険です」

 一同は一斉にルシアスを見る。

 最近の二人の距離を見てきているだけに、彼がどうするのかは全員が気になっているところだった。
 ルシアスが目を閉じて考え込んだのは実際には僅かな時間だったが、皆緊張した面持ちでじっと待っていた。

 やがて、ルシアスは再度椅子から立ち上がった。

「アリオルの件で嗅ぎつけられたようだな。存外早かった。……対応を検討する、主要な面子を集めろ」
「アイ、サー」

 と、ギルバートが身を翻して部屋を出ていく。レオンはホッとして肩の力が抜けたようで、天井を仰いで深い息を吐いた。室内の空気も、一気に緩んだように感じられた。

 間を置かずにルシアスはレオンに尋ねる。
「場所は? 奴は一人か?」
「大通りの質屋ヴィレムセンの辺りです。中央広場に向かっているようでした。恐らく一人だと思います」

「ライラとは会えたのか」
いいえ(ネイ)
「ではまず応援がいるな。カルロ、先行する者を選別して指揮を。レオンはご苦労だった、少し休むといい」
「アイ、サー!」

 先程までスタンレイにつつかれていたとは思えないほど、ルシアスは意識を完全に切り替えて指示を飛ばした。

 急に慌ただしくなった船長室(キャプテンズ・デッキ)で、所在なさげに佇むディアナに彼は視線を向けた。

「事情が変わった。悪いが時間切れだ、ディアナ」
「ルース」
「丸一日時間を与えた。もう十分だろう、お前も船長なら腹を括れ」

 そう言いおいて、ルシアスは皆と船長室(キャプテンズ・デッキ)を出ていく。ディアナは俯いて、扉が閉まる音をただ黙って聞いていた。

……色々申し訳ありません、セニョーラ」

 声をかけられて、ディアナは驚いて顔を上げた。スタンレイが残っていると思わなかったのだ。
天空の蒼(セレスト・ブルー)』の航海長は、先程と同じ位置に立ったまま彼女を見ていた。

「普段だったら、うちの頭領ももう少しましな対応が出来たのですが」
「ああ……

 と、ディアナは弱く笑った。理由はわからなかったが、ルシアスの様子が普段と違っていたのは薄々気づいていた。

「気にしないで。あたしも往生際が悪かったんだ。ルースの言う通り、もう腹を括らなくちゃね」

 気っ風の良い彼女だが、この船長室(キャプテンズ・デッキ)に来てからは終始落ち込んだままだった。隅にある釣床(ハンモック)を借りたものの、結局夜もよく眠れず、せっかく用意してもらった温かな食事もほとんど喉を通らなかった。

 すべては、クレメンテ神父がジェイクを通じて寄越した連絡による。

 国は彼らを見捨てるだろう、と神父は伝えてきた。

 確かにエスプランドル本国からは相変わらずなんの音沙汰もなかったが、教会が神父に宛てた手紙には厳しい状況が書かれていた。神父ら三名については教会側が身代金の拠出をするが、国は静観するつもりだ、と。

 それを受けてルシアスはすぐさまディアナ達を呼んだ。
 主要な都市にはエスプランドルの密偵が忍んでおり、入港後も長く人魚(シレーナ)号を留めておけばいらぬ詮索を買ってしまう。入港前に身の振り方を決める必要があった。

「あなた方に大きな不利益が及ばないよう、うまく取り計らうつもりです」

 生真面目に言うスタンレイに、ディアナは思わず苦笑した。

「わかってる。考える時間を貰えただけでも幸運だよ。あたしらは敗者だからね」
「あの戦闘は互いに不本意なもので、 勝敗に大した意味はありません。それに、こちらも単純な厚意のみで動いてはおりませんよ。遠慮は不要です」

「そういうとこはさすがよね」
 ディアナは笑ってみせたが、どうしても強がりきれない。
「大海賊の看板は伊達じゃない、か」

「こっちとしても戦い損は避けたいですしね。とはいえ、うちの頭領も大概甘いですから、悪いようにはしないでしょう」
 きっぱりとそう告げるスタンレイに、ディアナも自分の髪を指先で弄びながら同意した。

「そうね、何だかんだで一緒にいてくれたし。まったく、こういう時ばかり優しくしないでほしいよ、嫌な男」
「頭領なりの誠意ですよ」

 苦笑とともに宥めるスタンレイを、ディアナは軽く睨みつけた。
「一晩一緒にいて指一本触れられなかったのよ? これがどれだけ惨めかなんて、あなたにはわからないだろうけど」

「そこで手を出したら終わりだ、という視点でなら共感できます」
 スタンレイはあくまでも穏やかな口調で答える。ディアナは肩を竦めた。

「そういえば、天空の蒼(セレスト・ブルー)の航海長は相当な愛妻家なんだったね」

 自分で言った一言に、ディアナは何か気づいたようだった。諦めたように、力なく首を振る。

「わかった、もう十分。ここ数日で失ったものが多すぎるわ、船だけじゃなく惚れた男までなんて。これ以上の惨めな思いはごめんだよ」
「セニョーラ、どうかそんな事を仰らず。たった一日とはいえ、頭領はあなたの為にあらゆるものを後回しにしたんですから」

 スタンレイの言葉に、ディアナは動揺した。その表情がみるみる歪む。
 しかしすぐに唇を引き結ぶと、普段の彼女により近い口調で言い放った。

「馬鹿な男だね、ほんと!」

 その声は幾分鼻声がかったものだったが、航海長は気づかないふりをした。