Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

天空の蒼(セレスト・ブルー)』の海賊たち

14

「は……?」
 ライラは一瞬、何を言われたのかわからなかった。後ろのほうにいたジェイクもそれは同じだったようで、三人の間には言いようのない空気が漂った。

 数拍の間が生まれる。
 やがて徐々に思考が動き出したとき、三人の反応は見事にバラバラだった。
 つまり、ルシアスは顔色ひとつ変わらず、ライラは耳まで真っ赤になり、ジェイクは一瞬吹き出しかけたのを自力で無理やり抑えこんだ。

「な、な……何をっ」
 言い出すのか。
 ライラは完全に不意を突かれ、何か言おうにも言葉がうまく出てこない。自分でも、どうしてここまで動転しているのかわからなかった。
 場所も状況も関連する人間も、ライラの中ではルシアスの発言とまったく結びつかない。そもそもライラ自身、その手のことをあまり考えない人生を歩んできたのだ。急にそんなことを言われたって、反応できるわけがない。

「それは図星ということか?」
 反論する前に追撃が来た。
 ライラが顔を赤くした意味を、ルシアスはそう捉えたらしい。一体どこをどう受け取ったらそういう解釈になるのか甚だ謎だが、見る限りルシアスは真剣なようだった。

 ここまで大真面目に見当違いなことをのたまわれると、ライラとしてもどう返していいか、ますますわからなくなってくる。
 ルシアスがこういう発想をしてくるのも意外だった。まだ、癒着とか裏取引を疑われるほうがマシだ。

 しかし、おおよそ恋愛というものに無縁のような顔をしておいて、彼もしっかりそういう相手がいたことをライラは思い出す。

 そういえばそうだった。彼だって、リスティーに何かあったらアリオルに取って返すのかもしれない。ということは、同類ゆえの共感というやつか。
 時と場合によって、それは『大きなお世話』と名前を変える。

(そりゃあ、惚れた相手に必死になるのは構わないけど! 勝手に私まで仲間にするなっ!)
 何だか怒りがこみ上げてきた。ライラは肩を掴まれていた手を勢い良く払いのけるや、ルシアスの胸ぐらを掴みあげる。力任せに引き寄せて、至近距離で怒鳴りつけた。

「あのなぁっ! なんでそうなる!?」
……? 違うのか」
「違うも何も、どこに見当つけてそういう話になったかこっちが訊きたいくらいだ!!」
 ライラは更にがなり立てた。一方、堪えきれなくなったらしいジェイクは腹を抱えて笑いこけていたが、ライラはお構いなしに続けた。

「大体なっ、どこをどうやったら、私がそんな気持ちになれるっていうんだ!? あれだけ嫌味を言われたんだぞ、あれで好意を持つなんて余程達観した聖職者か単なる変人だ! 馬鹿じゃないのか!?」
「だが、実際そんな相手を何度も庇ってる」
「それが好意とは限らないだろうが! じゃあ何か? お前は私が変人だと言いたいのか!?」
「そうは言ってない。一番あり得そうな答えがそれだったんだ」
「だから、それが一番あり得ないと言ってるんだ!」

 ライラは色んな感情がごちゃまぜになった頭で、すっかり逆上していた。
 しかしジェイクはまったくの逆だった。室内には、ライラの怒声に負けないくらいの、彼の大笑いする声が同時に響き渡っている。

「お前ら、ほんっと、いいわ……っ。あー、腹痛ぇ……
 船医(サージェン)は何がおかしいのか、ふたりの口論を苦しそうにひーひー言いながら聞いていた。

 憤慨していたライラとしてはそれもまた面白くなく、彼女は彼を横目で睨みつける。 「楽しそうで何よりだ、ジェイク。でも笑ってばかりいないで、あなたからもこいつに何か言ってくれると助かる」
「そうだなぁ。姫君がそうお望みなら」
 目尻の涙を拭うと、ジェイクは姿勢を正して呼吸を整えた。

「あー、笑った笑った。もうね、甘酸っぱいやらもどかしいやらで、おっさんには眩しすぎていかんよ。……さて、確かにお前らまったく噛み合う気配ないから、代わりに俺から言ってやろう。ライラがあいつに惚れてたなんて冗談は、ほんとにあり得ないぜ、ルース」
「そうなのか」
 振り向いたルシアスに、ジェイクは笑いの拭いきれていない表情で頷いた。

「ここまで男慣れしてないお嬢ちゃんが、そんな偏好性も難度も高い相手に惚れるわけねぇだろ。嫌な扱い受けたら、普通に腹を立てるだけさ。嫌いになることはあっても、その逆はないんじゃねぇの?」
 そう説明されても、ルシアスはまだ納得まではいっていないようだった。
 ジェイクはそれを見て肩を竦め、さらに付け加える。

「許されざる関係を隠すために、表面上いがみ合うなんてのは演劇の中ならよく見るが。実際はそう簡単なことじゃねえよ、バートレットとライラじゃ性格的にも無理だ。ライラがバーティを庇うのは、別の理由だと思うね」

 最後の一言に、ライラは心臓が跳ね上がった気がした。
 恐る恐るジェイクを見ると、彼は小さい笑みを向けてくる。要請どおり一応の擁護はしたぞ、あとはお前次第だ、とでも言うように。

 言えば手を貸してはくれるものの、丸投げまで許さないというわけだ。そこまで甘やかしてくれないこと自体は別によかったが、ライラは別の部分で暗い気持ちになってしまう。
(体罰が嫌いだ、なんて。そんなつまらない拘りだと知ったら、ふたりはなんて言うだろう)
 こんなことで一生残るような負の傷を負わせたくない。戦いで負った名誉の傷とはまったく違うのだ。

 もちろん、バートレット本人がどう思っているかはわからない。が、原因であるライラが、このことで彼の身体に傷をつけることを望んでいなかった。
 理不尽なだけの痕が一生身体に残るなんて、絶対におかしい。傷を見るたび、バートレットはライラのことを否応なく思い出さねばならない。それも死ぬまで、だ。

 さすがにそこまでするような落ち度ではないだろう。なんなら、バートレットが一度頭を下げれば済む話だと、ライラはそう思っている。
 だがそんな考えを、彼らはきっと一笑するかもしれない。一生ものの傷跡どころか、明日命があるかどうかもわからない世界に生きているのだから。

「それはそうと、俺にしてみりゃお前の話も相当だぞ、ルース。なんだってあんな突拍子もないこと言い出したんだ?」
 ライラが俯きがちなのに気がついたのか、ジェイクはさり気なくルシアスに水を向けた。
 ルシアスは、少し考えるように間を置いてから口を開いた。

「さっきジェイクを呼びに行ったときに、甲板で訴えてきた者がいた。ライラが突き落とされたのを見た、故意に見えた、と」
 ルシアスは淡々とそう告げた。ライラは目を見開く。

「なんだそれ……
「見事にライラの言い分と食い違うな」
 ジェイクが呟いた。
「証拠といえば、目撃者と当事者の証言だけだろうからな。外野の俺達に確かめる術はない。さて、嘘をついているのは誰でしょう、ってことか」

 ライラは唇を引き結んだ。ルシアスが何を気にしてあんなことを訊いたのか、ようやく理解できた。

 彼の立ち位置から見る「あり得そうな話」とは、要するにそういうことだったのだ。
 証拠がない中、当事者であり被害者であるライラがなりふり構わずバートレットの肩を持てば、事実がどうだろうとそれがまかり通ってしまう可能性がある。ライラがバートレットに惚れていたなら、再三庇うのも道理にかなっている。

(ルースは頭領として、公平であるために嘘か本当か見極めようとしたのか)
 そのことに気づいて、ライラは胸の奥に重苦しさを感じた。
 後ろめたさを抱える自分と、それで彼に疑われたという事実は、大きな重りとなってライラの心にのしかかってきた。
 これは自業自得なのだ。わかっているのに、ルシアスに見縊られたのが不満だった。

 色恋沙汰になると、途端に盲目になる女がいるのはライラも否定はしない。しかし、そんな女と自分を一緒にしてほしくなかった。
(誰かに恋をしたって、私は善悪の判断を誤ったりしない。……多分)
 そもそもそんな事態は起こり得ないだろうしと、ライラは自信のなさに言い訳をする。

 とにかく、ライラも自制して行動してきたつもりだったのに、彼の目にはまったくそうは映っていなかったのだ。
 公平であろうという姿勢は立派だが、その目の節穴ぶりに腹立たしさを覚えてしまう。

(さっきはあんなに、海に落ちたことを心配してくれたくせに)
 腹立たしさの勢い余って、心の中でライラはルシアスに不満をぶつける。

 当のルシアスは、甲板での会話をジェイクにかいつまんで説明している。その横顔はライラが見る限り、至って普通だ。

 ルシアスにとっては、ライラもその辺にいる年頃の娘と大して変わらないのかもしれない。それはそうだ、彼は他人の恋人なのだから。
 相手がたとえライラ・マクニール・レイカードだろうと、別枠になることはない。それだけだ。

 頭ではわかっているのだが、まるで裏切られたとか、突然突き放されたかのような気分だった。

(だから、あいつのせいじゃないだろ。もともとは、理由を言わなかった自分のせいなんだし)
 ライラは、勝手に沈んでいきそうになる気持ちを無理やり引き止めた。
 あのときのルシアスの心配は本物だった。対して、煮え切らない態度でしか返せなかったのは自分だ。それで彼は、ライラをその程度の人間だと判断したのではないのか?

(これはきっと、自分自身に対する失望だな……
 ライラは、心からなかなか消え去ってくれない靄をそう結論付けた。

 彼はただ一貫して、客観的だっただけだ。それなのに、自分の非を棚に上げて、危うく彼を責めてしまいそうになるなんて。
 今更そんな子どもじみた責任転嫁をしかけたことに、ライラはうんざりした。

(彼はあのクラウン=ルースだ。普通に接してくれてても、対等だとは思われてない。ちょっと親切にされたくらいで思い上がるな、馬鹿)
 何なら今も彼のせいにしたくなる気持ちが残っていて、ライラは自らを戒めた。

 幼い頃はともかく、最近はこんな考え方もしなくなっていたのに、急にどうしたというのだろう。暴走しかけている自分の心に、ライラは戸惑った。

 名のある男の近くにいたことで、己の格もあがったと思い込んでしまったのだろうか。
(こういうところが、まだまだだっていうんだ、私は)
 ライラは、はあ、と溜め息をついた。