Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

海賊との再会

14

 だが、ルシアスは次の瞬間には腕を退け、あっさりとライラを解放してやった。
 呆然と見つめてくるライラに、普段通りの無表情に戻ったルシアスは剣を鞘に収めながら言った。

「気は済んだか?」
……っ」
「睨むな。助けてくれとここへ来ておいて、俺に斬られるのは構わないとでも?」
「そ、それは……

 一瞬ライラがたじろぐ。そして、ルシアスは相手のそういった隙をみすみす逃す気はなかった。

「わざわざ匿った相手を殺してしまうつもりもないし、それ以前に俺達には海賊なりの自尊心がある。病み上がりの女子供を手に掛けたとあっては、自慢どころか恥にしかならん。で、どうだ。この通り追手は撒いたぞ。少しは俺を信用する気になったか」

 ルシアスがそう挑発すれば、ライラは他愛もなく真っ赤になった。信用出来ない、と言ってしまったことを思い出したのだろう。悔しそうな表情で俯いた。

……。助かった、礼を言う」
「なに、大したことじゃない」
 消え入りそうな声でもたらされた感謝の言葉に、ルシアスは大いに満足した。
 これだけで、出港予定を変更してまで彼女を匿った甲斐があったというものだ。

 ライラは、真剣な面持ちで尋ねてきた。
「ルース。お前は追手の顔を見たか? どんな奴だった」
「追手?」
 あえて怪訝そうな表情で切り返すと、ライラは逆に言葉を詰まらせた。変に説明をして墓穴を掘りたくないといったところだろうか。

 ルシアスは、弾き飛ばしたライラの剣を、拾ってきた仲間から受け取りながら答えた。
「その辺の破落戸(ごろつき)だったな。いつものお前であれば、余裕で片付けられる程度の雑魚ばかりだ。それがどうかしたか?」
「ほんとに……?」
「他にも追手がいたのか?」
「あ、いや……
 少しホッとした様子のライラを、ルシアスは見逃さなかった。

 ここへ来た時のライラの態度といい、ロイ・コルスタッドの執着ぶりといい、裏に何やら事情がありそうだとはルシアスも気づいていた。
 ロイとの関係を正面から問い詰めるなどという、野暮をしでかす気はもちろんない。だが、あの男の執着を目の当たりにしてからは、小さな思いがルシアスの中で芽生えていた。

 ライラさえ望むのであれば、あの男だけでなく、あらゆる男から匿ってやるのに、と。
 もちろん、彼女がそんなことを望むはずもないが。

 剣を渡してやりながら、ルシアスは目の前の女剣士を見つめた。
「お前を見ていると、不安になるな」
 ルシアスの低い呟きに、ライラは小首を傾げる。
「不安?」

「本当に、一人旅などさせていいものかどうか。ある意味うちのガキどもより危なっかしい」
 子供扱いされて気分のいい人間はそうはいない。ライラも例に洩れなかった。
「どういう意味だ、ルース」
「そのくらい自分で考えろ。こちらとしても、知っておいて貰った方がいろいろと助かる」

 さらに追求されないうちに、ルシアスは話題を逸らした。
「話を戻すが……船を出したのにはちゃんとした理由がある」
「え?」
「風が変わった。恐らく、今年最後の夏風だ。この勢いに乗って北へ行く」
「北だって?」

 思わず声をあげたライラに、ルシアスは眼を向ける。
「何か不都合でもあるのか」
……これから秋を迎えて冬になるというのに、好き好んで北に行く奴があるか。私はこのまま南下して、スカナ=トリアの王都を目指す予定だったんだ」
 憮然としてライラが言うと、くすりとルシアスは笑った。

「それは残念だったな。何なら帰りも乗っていくか? 冬が来る前には我々も引き返して来る。カーザの都に向かうのであれば、シェンブリーかマデリアで降りればいい」
「御免(こうむ)る。お前と一緒にいるとろくなことが無いからな」
「俺も嫌われたものだ」
 ルシアスが軽く鼻を鳴らすと、ライラは胡散臭(うさんくさ)げに彼を見た。

「だいたい、今回の件だってそもそもはお前が……。そういえば」
「どうした」

「ひとつ、気になる事を思い出した。リスティーという舞姫がここにいたはずだ。置いてきたのか?」
 何だその事かと、ルシアスは軽い気持ちで頷いた。

「ああ。もともとそうするつもりだった。もちろん、ちゃんと()は打ってきたから生活に困ることはないはずだ。この後どんな人生を送るかは、彼女次第だしな」
「そうか……。でも、良かったのか?」
 意外な言葉にルシアスがライラを見やると、ライラはじっとこちらを見つめ返してきた。

 彼女は、自分の眼差しが持つ力を全く理解していないのだろうか。だとしたらものすごく厄介な話だ。

翠金石の瞳(スター・オリヴィン)』は魔力を宿すなどと一般では言われているようだが、これもその効果なのか。日差しを受けて普段以上に神秘的な色合いを見せるその瞳に、ルシアスは動揺をすんでのところで飲み下した。
 ライラ本人はいたって真面目な、難しい顔で口を開く。

「航海が生易しいものではないっていうのは判ってるんだ。だけどお前……その娘の事、かなり気に入ってたんだろう」

 ルシアスは、何を言い出すのかと驚きながら女剣士の言葉を聞いていた。ティオも立ち止まり、甲板に出ている他の乗組員達も、仕事に従事している振りをしながら聞き耳を立てていた。
 そんなことには気づきもせずに、ライラは更に言った。

「居酒屋で聞いたんだ、売れっ子だった彼女を大金(はた)いて持って行ったって……最初、信じられなかったけど、本気で惚れてたんだな。お前が自分の船に女を上げるなんて、滅多にないのに。私は事情を良く知らないけど、何も別れることはなかったんじゃないか? ……ああ、待てよ。そうか、航海は危険だものな。かといって、ずっと待たせておくのも可哀想だし……

 その舞姫に私もちょっと会ってみたかったな、と残念そうに言うライラの横で、さすがのルシアスも絶句して立ち尽くした。
 離れた所で会話を聞いていたティオは思わず額を抑えて天を仰ぎ、周囲に散らばる乗組員達は皆こわばった顔つきで肩を震わせていた。笑いをこらえている。

 今回の慌ただしい出港の件で、この船の乗組員達でもう知らない者はなかったからだ。自分達の頭領が、何故あえて『翠金石の瞳(スター・オリヴィン)をもつ舞姫』を選んで船に呼んだのか。私情を滅多に挟まない彼が、異例中の異例ともいうべき決断を下した理由は何なのか――

 それを、この女剣士は。

 最初に我慢しきれなくなったのは、リックだった。
「もう駄目っ! 姐さん最高ッ!」
 彼が笑い出したのを機に、甲板は一気に笑いの渦に包まれた。
 ルシアスはしばし唖然としていたが、やがて周りにつられるようにして笑いが込み上げてきた。

「え……おい、何だ? ……ルース! 何がそんなにおかしいんだ!?」
「いや……

 腹の底から笑うという経験がこれまでの人生でそれほどなかったので、ルシアス自身も内心で若干戸惑っていた。
 しかし、悪くはない気分だ。
 ルシアスは片手で口元を隠すようにしながらも、こらえきれずに笑い続けた。

「全く何なんだ。人を馬鹿にしたみたいに!」
 未だに笑いの収まらないルシアスに腹を立て、ライラは付き合ってられないとばかりに向きを変えて下甲板へ続く昇降口へと歩き出した。事情の判らないまま笑い者にされたのだから、居心地が悪くなるのは当然だろう。

 だが、ルシアスには確かめておかなければならないことがあった。今後の行動の為にも。
 確かめる方法はただ一つ。簡単なことだった。

「リーシャ」

 ぼそりと呟いたその一言に、ライラが勢いつけて振り返る。意表を突かれたと、表情にありありと浮かべて。

……ルース。お前、今何か……
 慎重にそう聞き返してくるライラに確信を覚えながら、表には出さずにルシアスはいつも通りの態度で接してやる。

「何だ?」
「あ、いや……
 ルシアスの平然とした態度にはっとして我に返り、ライラは慌てたように視線をさまよわせる。元がまっすぐな気性の彼女は、こういったことに関しては酷く不器用だった。

「気のせいだ。何でもない」
 ぎこちなく笑うライラに、ルシアスは誤魔化された振りをした。
「そうか。そういえばお前、食事がまだだろう。俺の部屋に運ばせるから一緒にどうだ」
「あ、ああ」

 目に見えて安堵した様子のライラにまた苦笑を誘われながらも、ルシアスの中では既に何かが動き始めている。脳裏に浮かぶのは一つの名。
『イリーエシア・リゼル・ディオラス』。

 ……まあいい。今はまだ、その時期ではない。少なくともこの船にいる間は、何事も無く済むだろう。
 全く、お前といると退屈しないな、ライラ。
 昇降口を使って中甲板へと入っていくライラを眺めながら、ルシアスは内心でそうほくそ笑む。

 晩夏の風がその頬を撫でる。風は太陽に熱された甲板を走り、そして、紺碧の空へと駆け抜けて行った。

第一章 Fin.