Brionglóid

禍つ宮

禍つ宮

巫女の弔い

06

 呆気に取られたままの彩音の許を去り、男が彼女の死角に入った時、別の方角から声がした。
「お姿が見えないかと思えば、また、ここでしたか」
夏璃(かり)

 男が脚を止めて目をやると、祠の海側の入り口付近で岩肌に背を預けて佇む腹心の姿があった。

「随分御執心のようですね」
「相変わらず口煩(くちうるさ)い事だな。私のやることには口出し無用と言って置いたはずだが?」
 うんざりした様子もあからさまに男が小さく息を吐くと、青年は表情も変えずに答えた。

「滅相もございません。配下の者が(あるじ)に付き従うは至極当然の事。せめて、居場所くらいは把握しておりませんと」
「ご苦労なことだ」
「ええ。まったくです。あなた様は王の中でも一、二を争う気紛れなご気性の御方。臣下一同、その影を追うだけでも一苦労……まあ、それを承知で仕えているのですが」
「無理について来よとは申さぬ」
「いえ、無理などは一切。いい加減もう慣れましたゆえ」

 素っ気無く言い放つ主に、青年はやはり平然として答える。男はやや鼻白んだ様子で、その場から立ち去ろうとした。が、青年は構わず続ける。
「我が君ともあろう御方が、ヒトの許に足繁く通われているともなれば、周りに示しがつきませぬ。この奥に在るは、余程価値在る宝玉に相違ありますまい」

 挑発的な言葉を投げられて、男は再度足を止めて振り返った。
 まっすぐ向けられる冷やかな眼差しに、男は挑むような視線を投げかけた。
「買い被ってもらっては困る。私が今、どのような状態にあるかを一番知っているのはお前だろうに」
「買い被ってなど。あなた様は私の唯一の主人にございますれば」

 物怖じすることなくきっぱりと言い切った青年に、男は皮肉な笑みを向けた。
「夏璃……忠実な、私の片腕よ。お前にも真実を見る目が必要なようだ。乗り換えるなら今のうちだと、今一度忠告しておこう」
「聞かなかったことに致します。あなた様はどうも私を見縊(みくび)っておられるようだ。この夏璃の忠誠、右から左へと簡単に動かせるほど、安物ではありませぬ」

 目を(すが)め、どうやら本気で怒ったらしい夏璃に、男はおかしそうに含み笑いを漏らした。
「やれ、物好きなことだ」
如何様(いかよう)にでも」
「……良い、好きにしろ」
「そうさせて戴きます」

 恭しく首肯してから顔を上げた夏璃は、もう一度仄かな明かりの灯る岩窟の方へと視線を投げた。
「しかし……本当にどういった風の吹き回しです? 私はあなた様ほど気まぐれな存在を知りません。それが……」

「こまめに毎晩此処(ここ)を訪れるとは、いったいどういう考えがあってのことか、と? ……別に何もない、お前が期待するようなことは、何も」
「……期待などしてはおりませんが。女の許に通うにしても、同じ者の所へはひと月と続けて足を向けたことのないあなた様です。私でなくとも興味を持ちましょう。銀の月の君の心を捉えたは、いったいどのような人間であろう、と」

 すると、男はさも可笑しそうに含み笑いを漏らした。
「なるほど。その相手が傾国の美姫なればまだしも、痩せこけた少女というのであれば、藤薙(ふじなぎ)め気でも違ったかと言われてもおかしくはないな」
「笑い事ですか。……古いとはいえ、佳蛇の蛇神による祠の結界はまだ生きている。中にあるものが覗けない分、眷属らの興味は募るばかり。外に出るたび捕まって、事の詳細を聞かせろと詰め寄られる私の身にもなって頂きたいものです」

 苦い顔で恨めしそうに言った腹心に、男は口許に笑みを刷いたまま告げた。
「そやつらに再び(まみ)えることあらば、言って置け。藤薙の怒りを買いたくなくば、今後も潮の祠に干渉するべからずとな」

 その台詞に夏璃は軽く首を振って溜め息をついた。いつもこうだった。気まぐれなくせに、その時の興味の対象への執着はものすごく強い。
「……それよりも、中の巫女とやらにそろそろ手を下しては如何(いかが)です。いったいいつまで遊んでおられるおつもりか」
「手を下す、とは?」
 訊き返した主君に対し、夏璃はやや呆れた顔をした。何を今更、という感じで。

「どうせ死にかけているのでしょう? それも正規の巫女の筋の者が。ならば依代としては丁度よいではありませんか。何より、当のあなたがそこまで気に入っているのですし」
「……」

 男の表情が不意に凍りついた。それに気づいた青年が、言葉を切って様子を窺うように訊ねた。

「我が君?」
「……あの娘を、私の依代にする……?」

「まさかお忘れでもありますまい、ご自身に許された時間のことを。あなた様が眠りにつく為の肉の器を探さねばならないこと。とはいえあなた様は気に入った者でなくては依代としても認めないでしょうから、ご自分で探されるしか術がない。もうそれほど時間はないのですよ。このまま異形になってしまわれるおつもりか?」

 夏璃がやや厳しい口調で言ったのは、心の底から男の身を案じているからに他ならなかった。
 本来の眷属とはそういうものだ。人間が儀式的に従属するのとは違い、唯一絶対と思った相手に服従を誓う。主君が異形になろうものなら、悲しみの果てに狂気に身を任せ、同じように異形となってしまう。
 だが。

「そのことはわかっている。だが、あれを器とするつもりはない」
「なんですって?」
「この奥にいるのは、雪芽の娘だ」

「……! ならば尚更! どうせ死ぬ運命の者です。分不相応にも不老長寿を願い続けるヒトの子、どんな形であれ生き長らえさせてやれば感謝されてしかるべきでしょう。我が子が己以上に短い命を閉じることを、雪芽とて望みますまい。あの者を依代にすれば、あなたもまた命を繋ぐ事ができる……!」
「死に行く者を無理やり引き止めてなんとする。如何(いか)な力ある存在であっても、そのような権利はなかろう」

 静かな声に、夏璃は一瞬声を失った。その娘だけでなく、己も含めた言葉だったのだと即座に察したからだ。
 そこに、壮絶なまでの孤独を感じた。残された者の孤独を。

 しかし、彼が失われてしまえば夏璃をはじめとした眷属すべてがその孤独に見舞われることになる。そんなことは断じて許されることではなかった。

「ですが……!」
「あの者の人生を狂わせては、雪芽に申し訳がない。あのまま死の眠りにつくまで、私が見守る」
「我が君!」
「余計な手出しはせぬことだ、夏璃」

 言い捨てて、男は月の昇る中空に向かって跳躍した。銀白のきらめきがその体躯を包み、彼は白い梟へと変化を遂げる。
 飛び去っていくその姿を、冷めた眼差しがいつまでも追っていた。

第一章 Fin.