Brionglóid
幻楼堂奇譚
01
その店は、小さな街の一郭にあった。
大通りから曲がって『鈴架通り』を西に約二分。向かって左側の並び、街路樹として立ち並ぶ欅の陰に隠れるようにして、ちょこんと存在している。気をつけていなければ、ついうっかり見逃してしまいそうな、小ぢんまりした店舗だ。しかも、かなり年季が入っている。本来白であった石壁は煤けて灰色になり、軒先にかけられた真鍮の看板も褐色に色付いてしまっている。
そこに慎ましく刻まれた屋号は、『アンティーク 幻楼堂』。時を経ることで貫禄を増した木製の分厚い扉には、『あなたのお宅の古い品物をお引取り致します』とある。さらにその下に張り紙があって、『都合により、しばらく休業いたします』と書かれていた。
理由なら、わざわざ書かずとも、隣近所の連中は皆承知していた。
ここの店主であった老人が、しばらく前に亡くなったのだ。
確か孫娘と二人暮しだったはずだが、彼女はまだ十五か六。店を継ぐにはあまりにも若い。もとより人の出入りの多いような店ではなかったが、主人がいなくなってからは店の扉が開かれることは殆どなかった。現在のひっそりとした様子はまた、たった一人残された少女の心痛の程を表しているようで、周辺の住民達は彼女の心が癒えるのを少しでも早く時が解決してくれるよう祈っていた。
さて、くだんの少女は、閉ざされた扉の向こうで毎日を送っていた。骨董品が所狭しと並ぶ店舗の更に奥は普通の居住空間になっていたが、他にも地下へと続く階段などがあり、店舗におく余裕のない商品や鑑定の為に預かった品などはこちらに収納されていた。
少女はその、地下にいた。
埃にまみれたガラクタ……もとい、商品に囲まれて、少女はそこに佇んでいた。
燃えるような赤毛に、ちょっと釣り目気味の、気の強そうな美少女だ。しかし、艶やかな髪は邪魔だといわんばかりに無造作に束ねられ、服装に至っては色褪せたジーンズにトレーナー。少女の興味が女らしく着飾ることに一切向いていないのは、明らかであった。
「さあ、今日こそは成功させるわよ」
肉親を喪った悲しみなど塵ほども感じさせない、意気揚揚とした声で少女は宣言した。
その手にはつばの広い大きな三角帽子があった。周囲には大きな鏡や、人が一人なんとか納まりそうな大きさの黒い箱、それに先端に造花のついた棒などが並んでいる。
「無理だって。いい加減諦めろよ、お前も」
脇の長椅子から、そんな言葉がもたらされ、少女はきっときつい眼差しでそちらを睨みつけた。
「何でそういうこというのよ! 一生懸命やれば、いつかは出来るかもしれないでしょ」
「才能ねえのに、どれだけ頑張ったって時間の無駄だって言ってんの」
長椅子に寝転がった若者が、面倒くさそうにそう答えた。色素の薄い、少し長めの柔らかそうな髪の毛を自分の指に絡めて弄んでいる。灰色基調の虎縞のTシャツに、殆ど白に近いほど色落ちした穴だらけのジーンズという格好が、彼の気性をよく表していた。
「そんなことより、他にやることがあるだろ。精を出すならそっちに出しとけよ」
「言葉が過ぎるぞ、成重。紗枝に謝れ」
また別の、男の声が割り込んだ。長椅子から少女を間に挟んだ反対側だ。ひっそりと、影に溶け込むように、黒服の男が立っている。この三人の中では明らかに最年長だろう、二十代後半くらいの男だ。スーツを着こなした佇まいは、落ち着き払っていて歳相応の風格があった。
「先代が亡くなった以上、彼女が俺達の主人だ。口答えなど以ての外。だいたい、彼女がいなければ、俺達はとうにのたれ死んでいたはずだ。その恩を忘れたのか?」
「それとこれとは別だっての!」
ばっと身を起こし、成重は男に言い返した。
「俺は! 以前の状態に戻りたいんだよ! お前はそうじゃないのかよ、ジークフリート!」
「……。俺は、どんな形であれ、紗枝に従い、彼女を守るだけだ」
やや俯いて、それでもきっぱりとそう答えた男に、成重は尚も噛み付くように言った。
「こうなっちまったお陰で、昔以上に紗枝に依存しなくちゃ生きていけなくなっちまったじゃねえか、俺もお前も! 何もかも紗枝に頼って……お前、恩とかそれ以前に男としてそれでいいのかよ!?」
「…………」
「……もうやめて、二人とも」
そこで、間に挟まれた少女が悲しそうに溜め息をついた。
「私、二人のこと負担だなんて思ってないわ。でも、皆で一緒にいる為には、お金を稼いで生活していかなくちゃいけない。この骨董品店だけじゃとても無理よ。だから、こうやって奇術師になろうと毎日練習してるんじゃない」
「だから! 才能ないんだからやめとけって言ってるだろ!」
「そんなことないもの! 父さんも母さんも立派な奇術師だったわ。ねえ成重、どうして応援してくれないの? 他のことならいつも頑張れって励ましてくれるじゃない! 全く見込みがないなら私だって諦めもつくけど、あと少しって気がするの。おじいちゃんが言ってたように、私にも素質があるんだって、そう信じちゃ駄目なの!?」
ぽろぽろと涙を落とし始めた少女に苦い顔をしつつも、成重は前言を撤回することはなかった。
と、離れた位置で見守るだけだったジークフリートが、静かに歩み寄って後ろから少女を優しく抱きしめた。
「泣くな、紗枝。紗枝に泣かれると俺も辛い。紗枝が泣き止むなら何だってする。俺は応援してるよ、さあ頑張って」
「ジーク……」
「力になれなくて、すまない。結局、傍にいることしか、俺には出来なくて……」
ぎゅっと抱きしめる腕に力を込めて、辛そうに言うジークフリートに、紗枝は顔を上げて首を振った。
「ううん、そんなことない! それだけでいいの、充分よ! ジークは昔から傍にいてくれたわ。私が怒られて泣いてる時だって一緒にいてくれたし、学校のいじめっ子だって追い返してくれたし……」
「紗枝……」
「ジークがいてくれてよかったって、私、その度にいつも……」
今度はまた別の理由で泣き出した少女に、そっぽを向いていた成重が痺れを切らして口を開いた。
「そうかよ! どうせ俺は、悪ガキを追い返したりなんて出来ませんよーだ! 悪かったな、役立たずで!」
「成重! 誰もそんなこと言ってないじゃない。成重だって、寒い冬の夜は一緒に寝てくれたわ。母さんが興業で家にいなくても、全然寂しくなんかなかった……」
涙を自分で拭いながら、少女は顔を上げてにっこりと微笑んだ。
「ありがとう、二人とも。私、頑張るわ。あなた達と離れたくないもの。はやく一人前になって、お金を稼ぐのよ」
自分を抱きしめるジークの腕を解き、少女が手に持った三角帽子を構えると、途端に成重が蒼褪めた。
「駄目だ、止せ、紗枝!」
「帽子から鳩を出すのは奇術の基本よ。これを覚えないことには何も始まらないわ。大丈夫、今回はぬいぐるみを使うし」
傍に置いてあった灰色の兎のぬいぐるみを手にすると、少女は成重の制止を無視して深呼吸した。成重ばかりでなく、ジークフリートまでもが思わず後退る。
「さあ! ……“鳩が出るわよ”!」
少女の高らかな宣言と共に、ぽん、と気の抜けたような音がして、辺りに七色の煙が噴き出した。薄暗い地下室は煙に支配され、一瞬にして視界は失われる。げほげほと、気管に吸い込んでしまったらしい成重が、しばらく噎せこみながらようやく視界の戻ってきた室内に目をやった途端、そこにあった予想通りの光景にがっくりと肩を落とした。
「あ、あれ……? ここは……。ぼ、僕……?」
煙の消えた床に、見た事もない若者が一人、座り込んでいた。
茶色というよりは灰色っぽい髪の毛に、同色のカシミアのセーターを着ている。きょろきょろと不安そうに辺りを見回す仕草があどけない。
『三人目』、だった。
「あーあ……。とうとう、命の入ってない奴まで……」
握り拳を作って成重がうめいた。
「この、馬鹿紗枝! これ以上増やしてどうするんだよ! ええっ!?」
「え? ええ? どうしてっ? 今度こそ上手くいくと思ったのに……」
当の紗枝は、困惑気味に床の上の若者と帽子とを交互に見やっている。帽子に仕込んだはずの、兎のぬいぐるみが無い。
「何回も言ってるだろう、お前には奇術師の才能が無い! あるとしたら爺さんと同じ、魔術士の素質だ! 奇術なんてお遊びの練習なんかしてないで、真面目に修行して俺達を元の姿に戻せよ!」
「嫌よ! 魔術士なんて、所詮日陰者じゃない! バレたら街にもいられなくなるんでしょ!? おじいちゃんは骨董品店の店長っていう表の肩書きがあったからいいけど、私みたいな若い女の子がそれじゃあ誰だって変に思うわよ。それに、こそこそ隠れて生活するなんて、そんなの嫌! 私は舞台に立って、皆を驚かせてやりたい!」
「ワガママ娘! んなこと言ってる場合か! お前が何かやらかす度に、どんどん人数が増えてくんだよ。余計貧乏になっちまうんだぞ!」
突然目の前で言い争いを始めた紗枝と成重を、若者は何が何だかわからないといった様子で唖然と見つめている。ジークフリートが、やれやれと溜め息ひとつついて口を開いた。
「言い争いをしている場合でもないだろう。彼が困ってる」
「あ……ごめんなさい、エイドリアン。突然のことで、さぞ驚いているでしょうね」
振り向いた紗枝の顔を、若者は不安そうに見上げた。
「エイドリアン……? それは僕のこと? わからないけど、何だか聞き覚えがある名前のような気がする……。君は、いったい……」
「私は紗枝。この店の主人よ。一応、はじめまして」
にっこり笑う紗枝の横で、ジークフリートが軽く頭を下げた。
「俺はジークフリート。『一人目』だ。元はここで飼われていたジャーマン・シェパード」
続いて、まだ不機嫌さが抜け切らない表情の成重が名乗った。
「俺は『二人目』で成重ってんだ。よろしくな。この馬鹿娘のせいで今はこんな姿だが、こう見えてれっきとしたアメショなんだぜ」
「あ、あめしょ……?」
首を傾げたエイドリアンに、成重は苛立たしげに言い直した。
「アメリカン・ショートヘア! 猫だ、猫! 俺達みんな、紗枝の実験台になってこうなったのさ。お前は、紗枝が七歳の誕生日に爺さんに貰った兎のぬいぐるみだったはずだ。何となく覚えてるだろ」
「あ、ああ……そういえば……。紗枝、君か……!」
ようやく合点が行って、エイドリアンの表情が明るくなった。それを見て、紗枝も嬉しそうに笑った。
「私のことがわかるのね、エイドリアン!」
「喜ぶ前に! どうするんだよ、今月の生活費!」
せっかく人が喜んでいるのにと、水を差してきた成重に紗枝は口を尖らせた。
「何とかするわよ。おじいちゃんの通帳だってまだ手付かずで残ってるんだし。何なら成重、あなたここで店番する? そしたら私、外に働きに行けるわ」
思いつきでそう言った紗枝に、成重とジークフリートが揃って「駄目だ!」と言った。
「馬鹿紗枝! 自分が食うために女を外に働きに行かせられるかよ! 冗談じゃねえぞ!」
「駄目だ、紗枝。一人で外に出すなんて、危険すぎる」
この二人だけでなく、新顔のエイドリアンもまた、いい顔をしなかった。
「僕も反対だよ、紗枝。まだ事情がよくわからないけど、僕達三人が働くのは駄目なの? 僕に出来ることなら何でもするよ」
「そう言われても……あなた達を外に出すのも結構危険だと思うのよね」
何せ人間じゃないしと、ちょっと俯いた少女に、男三人はしばし考え、まず成重が鼻を鳴らして言った。
「だったらとりあえず……店を開けようぜ。四人もいて休業ってのもないだろ。やるよ、店番くらい。こんな店でも、開けてないよりはマシだろ」
「そうだな。何もしないよりは、いい」
ジークフリートも同意した。
「早速明日にでも店を開けよう」
「僕も……! 僕にも、何か出来ることがあるかなっ?」
勢い込んだエイドリアンに、成重はちょっと思案した後、こう言った。
「お前は見張りだ」
「み、見張り? 何を見張るの……?」
「決まってるだろ。紗枝だよ」
突然名前を出され、紗枝は目をしばたいた。
「わ、私……?」
「紗枝が変な真似しないように、しっかり見張ってろ。いいか、奇術なんて今後一切禁止だからな! 真面目に魔術士として修行するように、ちゃんと見張れよ」
「わ、わかったよ」
「ええーっ!? そんなの横暴よ! ひどいわ!」
「喧しい! その方が世の中の為なんだよ! お前は確かに素質がある! 店は俺達が見てやるから、お前はこの際がっつり修行して一人前の魔術士になれ! いいな!?」
文句を言う少女に成重が一喝したが、その時はさすがにジークフリートもエイドリアンも、彼女をかばい立てすることはなかったのだった。
そんなこんなで、数ヶ月ぶりに開店することになった『アンティーク 幻楼堂』。
このお店がこれからどんな騒動を巻き起こしていくかは、また、別のお話……。
Fin.