Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

新たな始まり

32

 ファビオとハルは何とか元の部屋へ駆け込むことに成功した。
 もちろんフリッツを逃がすため、廊下でちょっとした小競り合いを繰り広げ、時間を稼いだ上でのことだ。

 閉めた扉に背を預けたファビオは、そこで深く息をついた。
「はーっ。ギリギリってとこか」
 肩を大きく上下させて空気を取り込んでいるが、表情を見る限りまだ余裕がある。

 向こう側からは、破落戸(ごろつき)達が扉をこじ開けようと奮闘しているようで、ファビオは扉越しにその衝撃を受け止めながら苦笑した。

 逃げられたら追いたくなる、というのはある種の本能なのかもしれないが、外の男達はまんまとそれに嵌ってしまっていた。逃げ場のない部屋に追い詰めたからあともう一息、という状況もあるだろう。本来の目的を忘れているのは明らかだ。

 普通は指揮官役がそこで叱咤して、手綱を握りなおすべきところだった。しかし、こうやってファビオ達ふたりに固執し続けているのを見る限り、そういう人間がいないのかもしれないと彼らは推測した。

「古いとはいえ、丈夫な建物で助かったな」
 扉に遮られてくぐもった怒号を背中に受けながら、ファビオは何となく室内に視線を巡らせた。

 分厚い石の壁は、柄の悪い男達がどんなに暴れたところで、そう簡単に突き崩せるものではない。つまり、扉や窓などの、限定された開口部を守るだけでいいということだ。
 大砲がどこの壁を突き破ってくるかわからない船での戦闘と比べて、そのあたりは楽だった。

「朝まで何とかもちそうか?」
 長椅子を荒っぽく引き摺ってきたハルがそう言った。彼は、ファビオの代わりになる阻塞(そそく)を作ろうとしていた。

 瞬時に長椅子と入れ替わったファビオは、先程やりあったときに出来た左頬の打撲を指で擦りながら答える。

「できれば朝までこいつらの相手ってのは遠慮したいな。そうは言っても、外の部下がなんとか気づいてくれることを期待するしかないんだが」

 打撲の他に裂傷が出来ていたらしく、うっかりそこに触れてしまったファビオはかすかに顔を歪めた。

「どっちかって言うと俺は、坊っちゃんがうまく逃げ切れてるかのほうが心配だよ」
「あの坊やなら大丈夫だろう。建物の構造は知り尽くしてる。びびって腰抜かしてなきゃ、今頃は屋敷の外さ。きっとお前さんの仲間に拾われてるよ」

 そう励ましながら、ハルは室内を物色していた。何か武器になりそうなものを探しているのだ。
 そして暖炉の横に何本か並んだ火掻き棒を一本取り、素振でもするように軽く振り回してみる。

「ファン・ブラウワーはいったい何人の破落戸(ごろつき)を雇ったんだ? よくまあここまでかき集めたもんだ」
 と、彼は鎧戸の閉められた窓に視線を移す。怒鳴り声はその向こうからも届いていた。

 ファビオもまた、座卓の上の水差しを手で弄びながら言った。
「数はいるが、質が良くない。酒で釣って適当に声がけしたんじゃないか? どうぞ皆さんお誘い合わせの上、ってな。船でもそういうのあるだろ。環境がろくでもなくて、まともに募集しても人が来なさそうなとこ」

「仕事欲しがってるやつが、ピンからキリまでよく集まる街だしな」
「あとで船員募集かけたら、こいつらがそのまま列に並んでたりして」
「笑えない冗談だ」

 ハルはフンと軽く鼻を鳴らし、外側から何やら鈍器で叩き割られようとしている鎧戸を見つめた。
「ここで俺らとやりあって、そのうえで港に職探しに来るような骨のある奴なら、雇う価値はあるかもしれんが」

「金のためなら何でもする、っていう奴は勘弁してもらいたいね。あとで絶対問題を起こす」
 苦笑いで軽口を叩くと、ファビオはハルが見ているのと同じ鎧戸に視線を向ける。

 寒さを遮るための厚い木戸は強度も充分だったが、どうやら連中は薪割り用の手斧を調達してきたらしい。もちろん、それは対人の武器としても効果的なものだった。

 それなりに場数を踏んでいるとはいえ、大勢に対してこちらは二人。従者として振る舞うため武装も最低限だ。一瞬の気の緩みが死に繋がると、ハルもファビオも覚悟を決める。
 木材の軋む嫌な音が、早くも戦闘の第二幕が始まろうとしているのを知らせていた。

 やがて、一際大きな音を立てて掛け金の留具部分が壊れた。

 無惨な姿で力なく開いた鎧戸の隙間から、我先にと男達が押し寄せる。最も強引だった男が窓から中へ身を乗り出したとき、待ち構えていたハルが手にした火掻き棒でその頭部を打ち据えた。

「そう簡単に入ってこれると思うなよ」

 何とか意識を失わずに済んだその男は、激痛を受けて反射的に相手の顔を見上げた。
 自分を殴りつけたのが船仕事で鍛えられた立派な体躯の主だと確認すると、男は一瞬硬直した。しかも相手の顔には猛々しさを象徴するような刀傷があり、両手には火掻き棒の他にむき身の舶刀(カトラス)が握られている。

 舶刀(カトラス)はそれほど大きな武器ではない。しかし、無防備に突き出された男の首など、あっさり切り落としてしまいそうな立派な刀だった。

『おい、お前ら下がれ! どけ!』
 慌てた男は、今度は逆に身体を引こうと藻掻いた。後ろから押し寄せていた男達は何がなんだかわからず、ちょっとした混乱が生まれる。

 そこへファビオが、「はいはい、戻った戻った」と開いた木戸を再び強引に閉めた。
 ただ閉めただけでつっかえ棒も何もないのだが、外の破落戸(ごろつき)は怖気づいたのか、すぐに突破してくる様子はない。

 ファビオは感心した様子でハルを振り返った。
強面(こわもて)ってのはこういうとき頼もしい限りだな」
「おう。女にゃモテねぇがな」
 ハルもハルで、気を悪くした風でもない。

 しかしそれでも、いつかは再び侵入を図ってくるだろう。二人で窓際に立ち、第二陣の襲撃を待ち受けていると、今度は廊下側から声がした。

『お前ら、何ちんたらしてやがる!』
 酒焼けを伺わせる濁声がした。その声の主は、続けて怒鳴りたてる。
『シュライバーの息子はどうした! 閉じ込めとけって言っただろ、なんで逆のことしてんだ!』

 それに対し、扉の向こうで四苦八苦していた男達がぼそぼそと言い訳めいた説明をした。濁声の男はそれに納得がいかなかったのか、もう一度怒鳴り飛ばす。

 すると、破落戸(ごろつき)達はようやくフリッツが室内にいない可能性に思い至ったらしい。何人かが廊下を走っていく気配がした。

「……まずいな。坊っちゃんのほうに行きやがった」
 ファビオの苦い呟きに、ハルも表情を険しくしつつも、励ますように言った。
「裏口までどのくらいの距離があるかわからねえが、俺達もずいぶん時間を稼いだはずだ。逃げ切れてることを祈ろう」

「だとしたら、俺達がここに留まってる理由もないな。頃合いを見て逃げられればいいんだが」
 さすがのファビオも、いつもの飄々とした雰囲気は消えている。

 廊下では濁声の一喝がきいたのか、扉をこじ開けようとする勢いが増した。重しの長椅子が扉越しに押され、少しずつ動いていく。一方で、窓からは外の男達が再び侵入してくるところだった。
 せめて窓と扉、どちらかひとつなら対処のしようもあったのだが──。

「ファビオ、どっちをやりたい?」
 急にハルに問われ、ファビオは半ば自棄になって答えた。
「どっちも糞もあるかよ。……ええと、じゃあ窓! 窓側だ!」
「なら俺は入り口だな」

 ハルは言うやいなや大股で長椅子に近寄ると、手すりの部分を掴んでぐいっと豪快に引き、自ら扉の支えをなくした。それまで力任せに押したり殴ったりしていた扉が突如開いたものだから、勢い余った男が数人転がり込んでくる。

 床に突っ伏した男の目前に火掻き棒が振り下ろされ、甲高い音が響き渡った。

「焦らして悪かったな。さ、始めようぜ」
 ハルの野太い声が、乱闘再開の合図となった。

 破落戸(ごろつき)の下っ端連中はハルの凄みにやや怖気づいていたものの、赤髭の男の叱責も怖いらしい。烏合の衆だったはずが、いつの間にか上下関係が出来上がっていた。

『たった二人に何を手こずってる! 殺せ!』
 尻を叩かれるようにして向かってくる男達を、ハルは薙ぎ払うようにして散らしていく。
 ファビオも、狭い窓口から一人ずつ入ってくるのを効率よく撃退していた。

 とはいえ、数に差がありすぎる。夜明けも間近のことで乱闘も本日二回目、ふたりの体力の限界はすぐそこまで来ていた。

「くそっ。足がふらついてきやがった」
 ぜいぜいとファビオが荒く息をしていると、破落戸(ごろつき)のひとりが襲いかかってきた。
 直前で気づいてかわそうとしたが、間に合わない。

 側頭部を殴りつけられたファビオは、短く呻いて崩れ落ちた。