Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

海賊との再会

04

 ライラ・マクニール・レイカード、という名が人の口にのぼり始めたのは、ここ数年の話だ。
 表舞台に唐突に現れた腕利きの賞金稼ぎとして、である。

 元々、後ろ暗いことのある連中ばかりがひしめき合う悪党の界隈では、素性が知れないことなど珍しくもない。賞金稼ぎと言っても、堅気ではない輩が狩る方と狩られる方に分かれただけで、その立場が逆転するのもよくある話だ。道端で人が野垂れ死ぬのすら日常的なこのご時世、裏社会の人間がどうであろうと、世の中の大半は気にもかけずに生活をしている。

 ライラの場合、比較的短期間で挙げた賞金首の名前と数がきっかけで、徐々に話題にされるようになったに過ぎない。それが若い女だとか、徒党を組まずに一人で活動しているだとか、にわかに信じられないような話ばかりで、しばらくは実在するかどうかすら怪しまれていたものだ。

 とはいえ捕まった連中までが虚構なわけもなく、実際に処罰されたとなれば人々も気にし始める。彼女の非現実的な付加情報も、抑圧された日々を送りながら退屈を持て余す庶民に好んで受け入れられた。
 いつしかライラは、このエディル大陸ではクラウン=ルースと並ぶ程、名が知れ渡ることとなった。

 剣で生きていく以上仕方のないことだが、彼女とて相手から恨みを買わないことはまずない。その相手本人だけでなく、仲間や家族から目の敵にされることも常だ。敵と呼べる存在ならば星の数で、何処に潜んでいるか判ったものではなく、気を緩めた途端に寝首をかかれる可能性も高いのだった。

 ライラがルシアスの許を訪れたのは、しばらく匿って貰おうという魂胆も確かにあったのだろう。しかし、それは本来の目的ではないようだった。

「賢明、だと……?」
 物騒な響きのする呟きを洩らした後、いきなりライラはルシアスの胸倉を掴みあげた。

「すべてお前の所為(せい)じゃないか! お前が、女に手なんか、出すから……!!」
「何の事だ」
「とぼけるな!」
「ら、ライラさん……っ。そ、それ……」

 ティオが思わず声をあげたのは、掴みかかった彼女の腕に、真っ赤な筋を見つけたからだった。まだ乾ききっていない、鋭い傷口。
 意識を保つ為に、彼女自らが剣で切り裂いたのだろう。

 それを目にしたルシアスは、僅かに眉をひそめた後、不快を散らす様に溜め息をついた。
「お前というやつは……また無茶をしたな」
「してない! 話をそらすな!」
 普段の彼女を知る者からすれば、今のライラはとても正気には見えなかった。本来こんな癇癪を起こす人間ではないのだ。
 そして、ライラが興奮して腕に力を込めたことで、閉じかけた傷口が再び開いて血が溢れ出している。

 いつもと違うライラの様子と、鼻腔をかすめる鉄の匂いに、ルシアスは何事か考えたようだった。
 彼女をじっと見つめ、胸倉を掴む手首を包み込むように握り返した。

「わかった。話を聞こう。その前に、腕の手当が先だ」
「そんなもの! 今は、どうでもいいだろうっ! そんなことよりっ」
「どうでもよくはない」
「だって……、だって、それどころじゃ……。早く、しないと……!」
「ライラ」

 ルシアスは取り乱した彼女を諌めるように名を呼んだが、ライラは朦朧としてきたのか聞こえていないようだった。時折苦しげに目を眇め、目眩を振り払うように力なくかぶりを振っている。

「早く、逃げないと。早く……」
「逃げる?」

 ルシアスはその一言を聞き漏らさなかったが、言った本人はそれすらももう認識できない。ただひたすら、焦点の合わない視線をあちこちに彷徨わせ、うわ言を繰り返すばかりだ。
「いやだ。どこか、遠く、へ……」
「ライラ。わかったからもう休め。大丈夫だ、俺を信用しろ」
 ルシアスが尚も辛抱強く言い聞かせると、ライラは乱れた息の下から彼の顔を見上げた。

 ルシアスは一瞬動きを止めた。
 何のきっかけか、その瞬間だけ彼女の強い意思が戻ってきたのは眼差しの強さを見れば明白だ。そして、透き通った湖に金粉を散らしたようなその美しい瞳は、ルシアスをも魅了するに充分な代物だった。

「信用、できるか。馬鹿……っ」

 呻く様に毒づいた直後、ライラの身体がずるりと崩れかける。ルシアスは咄嗟にその身体を抱きとめた。
 ふう、と息を吐いてから、気を取り直すようにルシアスは呟いた。

「……随分な言われようだ」
「可哀想に。何があったんでしょう、ライラさん」
 落ちたライラの長剣を拾い上げて、ティオは改めて意識を手放したライラを見た。辛そうに歪み、紙のように白くなっていくライラの顔を、さっきからずっと横で見ていて気が気ではなかったのだ。ライラの額に浮かぶ脂汗を、懐から出した手巾で拭ってやった。

 ライラは、ルシアスの腕の中で浅い呼吸を繰り返していた。こんな状態のライラを見ても、ルシアスは表情の見えない眼差しで彼女を見つめているだけだ。普段から感情をあまり表面には出さない彼は、今ですら薄情なくらい淡々として見えた。

 まさかと思いつつも、不安になったティオは恐る恐る尋ねた。
「どうするつもりですか、頭領」
 それには答えず、ルシアスは弛緩したライラの身体をおもむろに抱き上げた。

「ティオ」
「アイ」
 名を呼ばれ、ティオは思わず背筋を伸ばす。船乗り特有の応答が自然に出た。
 少年が緊張しながら見つめる中、ルシアスは静かな声で告げた。

「これから五、六人連れて、この間の酒場の様子を見てこい。リスティーがいた店だ。判るな?」
 その言葉に、ティオは目を見開いた。
「アイ、覚えてます!」

 答えながら、ティオは歓喜が雷のように身体を貫くのを感じた。興奮で顔を輝かせた少年に、ルシアスは小さく笑ってみせた。
「そうだな。場合によっては多少遊んで来ても構わん。但し、やり過ぎん程度にだ。いいな」
「アイ、サー!」
 勢い込んでティオが答えると、ルシアスは満足げに頷いた。

『事の詳細を調べ上げ、相手を見つけ次第死なない程度にぶちのめして来い』。ルシアスは、ティオにそう命じたのだった。

 そして更に、ルシアスはその場にいた仲間達に対して口を開いた。
「そういうわけだ。たった今、ライラ・マクニール・レイカードは我々に庇護を申し入れ、この船の賓客となった。我々はその辺の破落戸(ごろつき)とは違うからな。どこの軍隊が来ようと、彼女に指一本触れさせることがあってはならない。他の者達にもそう伝えるように」

 周囲から一斉に、威勢の良い返事があがる。他の船で作業している男達が何事かとこちらを見たが、ルシアスは気にもとめずに続けた。
「ではまずライラを寝かせる部屋の用意だ。終わったら各自持ち場に戻れ。以上」
「アイ、サー」

 少年達が慌ただしく走り去るのを見送って、ルシアスは腕の中で眠るライラを改めて見下ろした。

 腕の出血は少し続いていたが、元々が気付けの為の自傷なので深い傷ではなかった。薬も何を盛られたかはわからないが、致死の毒物であれば自分の許まで辿り着く事自体不可能だったろう。
 これはすぐさま命に関わるものではない、とルシアスは経験から判断していた。そしてライラ自身も、それは当初からわかっていたはずだ。腕利きの賞金稼ぎという肩書がはったりではないことを、ルシアスはよく理解していた。

 しかし、なんということだろう。
 今回危機に晒された彼女は、自分を頼るのが最善だと考えたのだ。海賊で、賞金首の自分を。
 ふ、とルシアスの顔に皮肉な笑みが浮かんだ。我ながら不謹慎だとは思いつつ、気が高ぶっているのを認めないわけにはいかなかった。

「運命の神も、たまには粋な計らいをしてくれるじゃないか」
 そして、一瞬後にはその笑みを治めてもとの無表情に戻ると、ルシアスもまた、船へ戻るべく桟橋へと足を向けた。