Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

記憶の楔

14

 積み荷の中身が予定のものと違うらしいと報告したのは、ハルの代わりに甲板の管理を担うことになったギルバートである。
 船に戻ったルシアスに改めて説明をするため、航海長(マスター)とともに船長室(キャプテンズ・デッキ)にやって来た彼は、ずっと苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 就任早々、仕事にけちがついたというだけではない。
 港湾で働く荷役の人夫も一般水夫も、文字が読めない者のほうが多いくらいで、口頭でしか確認できない以上ちょっとした手違いは避けようがなかった。その程度の手違いだったら、彼もここまで不機嫌になることはなかっただろう。

「食料庫に入れるはずの葡萄酒の一部が、いつのまにか火酒に化けてたんだよ」
 ギルバートは苦々しく言った。
「業者に確認したら、確かに注文どおりの葡萄酒を納品したし支払いも済んでるって言う。スタンレイにも見てもらったが、書類上もそうなってたらしい」

「ふむ」
 腕組みをしたルシアスは短く呟く。

 積み込みの作業に従事した者達は識字能力がないかもしれないが、商人達は違う。商業の街であるヴェスキアは住民の多くが商売に携わっており、二人に一人は読み書きができると言われていた。むしろ何でもかんでも記録するような地域性で、彼らが紙にそう記したというなら、実際そのとおりのことがなされたということなのだ。

 つまり、ただの手違いではない。

「現場はそのままか? 一度見ておきたい」
 言いながら、ルシアスはもう腰を浮かせかけている。しかしスタンレイも、ルシアスにこう言われることは予測していたらしい。間髪を入れずに「どうぞ」と、船長室(キャプテンズ・デッキ)の扉を開いて彼を手で促した。

 ここの食料庫は、飲料、穀物、肉類、その他で四つの部屋に分かれている。それぞれの鍵は、航海長(マスター)のスタンレイと主計長(パーサー)のカルロが管理していた。
 飲料用の部屋には、水や麦酒、葡萄酒の樽が整然と積み上げられている。稀に蒸留酒が加わることもあったが、大半を占めることはなかった。

 室内を一瞥してから、ルシアスは硝子瓶を一本手にとって品定めするように掲げてみた。
「品質は可もなく不可もなく、といったところか」

 他の飲料と違い、火酒などの蒸留酒は樽ではなく瓶に詰められる。樽よりは破損の危険性が高いし、積載効率も悪い。安く買えたとしても、酒精(アルコール)の度数も強く常用飲料には不向きで、あくまでも嗜好品にしかならない。
 よって、葡萄酒の代わりが務まるようなものではないのだった。

「単なる窃盗ならまだしも、少し厄介だな。このままでは出港するわけにもいかない」
 ルシアスの独り言にもとれそうな言葉に、スタンレイは生真面目に応じた。
「他にも同様の事象が起きていないかも含めて、現在調査を進めています」

 温厚で知られる彼だが、ギルバートとはまた違った意味で態度が硬い。航海の管理責任者でもある航海長(マスター)としては、特に見過ごせないのだろう。
 食料も飲料も念のため予備の分も積み込むとはいえ、勝手に減らされていいものではない。こういう細かいことを軽視して、後々乗組員の生命に関わる結果にならないとも限らないのだ。

「スタンレイは購入から搬入までの経路を、俺は関わった水夫達を洗い直す。この港から新規で入った奴らもいるしな」
 そう言うギルバートも、まだ渋い顔をしたままだ。

 既存の乗組員の中にも、搬入作業中に違和感を持っていた者がいるはずなのだが、誰も言い出してこなかった。これまでは強面のハルが隅々まで睨みを利かせていたところ、慣れないギルバートに替わったせいで、気の緩んだ部分が出てしまったのだろう。

 致し方ないこととはいえ、ギルバートは水夫達に舐められた形になったわけだ。積み荷の中身が違うのも、手違いではなく何やら意図を感じるとなれば不機嫌にもなる。
「まあ、丁度いいさ。ハルさえいなきゃやりたい放題できるなんて、大間違いだって知るにはいい機会だろ」
 彼はそう不敵に言ってのける。

 当初乗り気ではなかったものの、一度引き受けたからには四の五の言わずやるのがこのギルバートという男だった。目下の連中に甘く見られたことが、却って彼のやる気に火をつけたようだった。

 食料庫そのものに異常はない。外部の人間だけでは、ここに予定外の物を運び入れることは不可能だ。それがわかっている三人は、それぞれ複雑な思いを抱いていた。

 彼らは確認を終えるとさっさと部屋を出た。扉に施錠しながらスタンレイが、ルシアスに対して告げる。
「一応、不足分の葡萄酒は別に手配しておきました。後からなくなったものが見つかったとしても、予備に回せばいいでしょうし」
「わかった。それほど大量に消えたわけでもないのが、せめてもの救いだな」
 ルシアスは鷹揚に頷く。

 下の人間からは厳しいだの細かいだの噂されている彼だが、支障が出る前に報告がなされ、対応がとられていることに関してまで文句を言うようなことはなかった。

 彼がもっとも嫌うのは怠惰や隠蔽である。それを引き起こさないよう、無駄に怒鳴り散らして萎縮されるような真似は彼もしない。
 が、そういった配慮が末端の水夫にまで正しく理解されているかというとそうでもなく、「怖い頭領がいるのに何となく居心地がいい」という、独特の雰囲気を船内に作り出していた。

 三人が再び船長室(キャプテンズ・デッキ)に向かっていると、行く手の薄暗がりから小柄の影が飛び出してきた。そのすぐ後ろを、悪魔のような形相で追いかける中年の水夫がいる。

「待て、こそ泥!」
「だから、何も盗んでないったら!」

 小柄の影は、偶々先頭にいたルシアスの背に回ると、彼を盾にして追ってきた水夫に怒鳴り返した。
 水夫は小さな侵入者を捕まえる気満々だったが、頭領はじめ上司に当たる高級船員達が束で現れたものだから、慌てて居住まいを正した。

 突然のことに呆気に取られたのは、ルシアス達も同様である。
 だが、彼らはそれ以上に引っかかるものがあった。この高い声は、子どもというよりはむしろ……

……女?」
 新たな厄介事を予感してか、ギルバートが苦々しく呟く。

 逃げ込んできた小柄の人物は、その場の様子から咄嗟に彼らの上下関係を把握したようだ。これ幸いとばかりに、自分を守る広い背中の主に縋りついた。
「お兄さん、助けて! あの人あたしに言いがかりつけて、きっと変なことする気なんだ、この変態!」
「か、勝手なこと言うなクソガキ! 船に忍び込むなんて、それだけで怪しいだろうが!」
 追ってきた水夫は上司の前で不名誉な言葉を浴びせられ、顔を真赤にして言い返す。

 すると、航海長(マスター)が不毛な言い争いが始まる前に、両者の間に入った。水夫に対し、威厳のある声で告げる。
「これは一体どういうことだ? 説明を」
「あ、アイ、サー!」
 再び畏まった水夫は、背筋を伸ばして応答した。

「積荷の木箱がひとつ空いてたんで、手分けして点検してたらこいつが隠れてやがったんです。捕まえて話を聞こうとしたら、ちょこまかと逃げられまして……
 それを聞いたルシアスは、肩を竦めてスタンレイに目をやった。

「どうやらこの船は想像以上に穴だらけらしいぞ、スタンレイ。船を出す前で良かった、こんなのほっといたら沈没してしまう」
「申し訳ありません、すぐに下船させます」
 航海長(マスター)は恐縮した様子で頭を下げる。

「ねえ、待って! 困るの!」
 スタンレイの言葉に慌てた逃亡者、もとい男装の少女は、引き剥がされまいとするようにルシアスの腰に腕を巻き付けた。ルシアスが思わずぎょっとするほど、強い力でしがみつく。

「どこでもいいから連れてって! 黙って入り込んだのは悪かったけど、盗んだり壊したりするつもりはないから!」

「だったら乗船の手順を踏めばいいだけだろ? そもそもうちは客船じゃない」
 ギルバートが言うと、少女は振り向いて反論する。
「手順なんて知らないし、船を選んでる余裕なんてないもん! 家も仕事もなしで、このままじゃあたし、とてもこの冬を越せないよ」

「君は親もいないのか?」
 ルシアスに縋りつく少女を苦々しく眺めていたスタンレイだが、その手のあまりの細さに気づいて、穏やかな口調で問いかけた。
 彼女は恐る恐る頷く。

「父ちゃんは最初からいなくて、母ちゃんは一昨年死んじゃった。ここの冬の寒さで胸を悪くしたんだ」
「それは残念な話だ。教会や孤児院は頼らないのか?」
「追い出された。あたし、よそ者だからね」

 少女は俯きがちにそう言った。垢で黒くなった顔も艶のない髪の毛も、彼女がどういう生活を送ってきたかをよく表していた。真っ当な権利を与えられない中で生き抜こうと思ったら、どんなものにでもなりふり構わず食らいついていかねばならない。へこたれてる暇などないのだろう。

 少女は中年水夫よりはまだ話が通じそうだと思ったのか、ルシアスにしがみついたまま、スタンレイに訴えた。

「お願い、何でもするから乗せてって」
「そうは言うが、君はこの船の行き先も知らないんじゃないかね?」
「この時期に出港する船は、鰊漁や鯨漁でもない限りは南へ行くんでしょ?」

 得意そうに答えた少女を見て、スタンレイは意見を乞うようにルシアスに目を向ける。ルシアスは首を横に振った。

「駄目だ」
「なんでよ、人でなし!」
「第一に、ここは客船じゃない。第二に、お前の密入国を手助けする義理は俺達にはない」
 憤然とした少女とは対照的に、ルシアスは淡々とした口調で告げる。

「そして第三だが。お前が南に行っても、大して意味がない」
「意味がないって、あんたに勝手に決めつけられることじゃないよ」
「どうせ、ここより楽に生きたいから南下したいんだろうが。南方が楽園だというのはまやかしだ。でなきゃ流刑地になんぞならん」

 少女はきょとんとした。おそらくこれまでの人生では、余計な口を利けば返ってくるのは折檻ばかりだったのだろう。きちんと説明されたことに、驚いてすらいるようだった。

「気候は温暖かもしれないが、あっちはあっちなりの苦労がある。疫病は北方よりも頻繁だ。そうやって男に抱きつくどころか、手が触れただけで娼婦の烙印を押される国もある。そんなところに命がけで行っても、お前が思ってる以上に割に合わんよ」

「そうなんだ……。じゃあどうしたらいいんだろ」
 ぽつりと呟き、少女は改めて顔を上げた。
「お兄さん、見た目と違って意外と良い人だね。あたしみたいなののこと、馬鹿にしないなんて。そんな大人ばかりだったらいいのにな。それに、よく見たらすごくいい男」

……。お褒めにあずかり光栄だ」
 嘆息混じりに応えたルシアスから、スタンレイがさり気なく少女を引き離す。

「身寄りのない君くらいの子どもが、ひとりで生計を立てるのが難しいのは確かだな。乗船は無理だが、今後のことについては相談に乗ろう。……それでいいですかね、頭領?」
「任せる」

 まったくこの航海長(マスター)ときたら、航海の管理ばかりかこんな雑事まで引き受けるのだから大変だ。なんで彼が常日頃穏やかな微笑を浮かべていられるのか、ルシアスから見ても謎だった。

 侵入者を捕まえられずに叱責を覚悟していたらしい中年水夫は、航海長(マスター)が始末をつけることに安堵したのか、黙って成り行きを見守ることにしたようだ。

 一方でギルバートは、あからさまに顔をしかめて少女から距離を取った。
「話がまとまったなら何よりだ。とりあえず陸に戻して、沐浴でもなんでもさせたほうがいい。どんだけずぼらな船乗りだって、ここまで臭う奴は滅多にいねえよ」

「し、失礼なこと言わないでよ!」
 身なりを整えてなくても羞恥の心はあるらしい。少女は思わず言い返してから、悔しそうに下を向いた。
「しょうがないじゃない、家がないんだからさ」

 スタンレイは非難するような視線をギルバートに向けるが、本人も言い過ぎたと思ったのか、ばつの悪そうな顔になった。どんな立場だろうが、身内でもない異性に臭うなどと言ってはいけないのだ。

 ただ、彼女が最初性別がわからなかったほど汚れていたのも事実だ。
 ルシアスは彼女の頭から爪先までざっと眺めてから、再度溜め息をついた。

「せめて顔と手足はもっとこまめに洗え。まともに相手をしてほしかったら、まず自分から少しでもまともに近づくことだ」
「あたしばっかり努力しなくちゃいけないなんて、そんなのずるい!」
「顔を洗う程度のことが大層な努力だというのなら、船に乗るために何でもするなんていうのも、はったりだということになるぞ。船での生活は大体において、もっと大変だ」

 さらりと指摘されて、少女もぐっと言葉に詰まる。
 だが、しばらく考えてルシアスの言うことが妥当だと思ったのか、渋々といった(てい)で応えた。

「わかった。ちゃんとする」
「それでいい」
「ちゃんとしたら、船に乗せてくれる?」
「駄目だ」
「ケチ!」

 少女の悪態もここまでくると聞き慣れてしまって、男達は何とも思わなくなっていた。それに少女自身、ルシアスとのやりとりを面白く感じ始めたらしく、口で言うほど不満を持っているようでもない。

「さあ、もういいだろう。冬までに何とかするつもりなら、うかうかしてる暇はないぞ。……おい、お前も手を貸してくれ」
 スタンレイが会話をふたりの断ち切り、ついでに中年水夫にも声をかける。
「アイ、サー」

 中年水夫は一応の返答はしたものの、少女とのお互いの第一印象がよろしくはなかったものだから、ふたりでこっそりと嫌そうな目線を送り合った。
 だが、それでも逆らう理由にはならない。彼らは大人しく航海長(マスター)に従って、その場を後にした。

「お前も優しいよな、ルース。問答無用で追い出せとは言わんが、あそこまで相手してやることもなかったのに」
 去っていく三人を見送りつつ、ギルバートが言った。ルシアスは涼しい顔で応える。

「あの程度、貧民街に行けばいくらでもいる」
「そうだけどよ。……最近、周りにいる若い娘といえばお嬢さん(ユフラウ)だったからなあ。ライラも小綺麗にしてるし、俺も変な方向に慣れちまってたか」

 あれらを普通だと思っちゃ駄目だよなと、ギルバートが己に言い聞かせていると、ルシアスは小さく笑みを溢した。

「あんな子どもを引き合いに出すまでもなく、このところ俺達の周辺にはいい女ばかり揃ってるよ。だがそれも、奇跡の如き僥倖だと戒めておかないと、感覚がおかしくなる」
「そのうち一人は自分の女ですってか? 悪魔に喰われちまえよ」
 心底うんざりしたギルバートは、ふんと鼻を鳴らしてそう吐き捨てた。

 一方、スタンレイの後ろをついて歩く少女は、興味津々で質問をぶつけていた。
「ねえ、さっきのお兄さんって偉いひと?」
「そうだな」

 スタンレイはそうぼやかしたが、彼女と並んで歩く中年水夫のほうは、慌ててその発言を咎めた。

「馬鹿っ、お前! 頭領に軽々しい口叩くんじゃねえ!」
「なんでよ、あのお兄さんだって別に怒らなかったじゃない」
「そりゃ頭領が寛容だからだ! お前の無礼な態度も我慢してくださったんだよ!」
「なにさ、我慢なんて自分で勝手にしてただけでしょ? 馬っ鹿みたい!」

 中年水夫に対しては、少女は変わらず遠慮のない物言いを展開する。
 生意気なこの口を何とか塞いでやろうと、中年水夫はとっておきの手段に出ることにした。

「おい。あのひとはな、クラウン=ルースなんだぞ。お前がいくら世間知らずだって、港街にいたなら名前くらい聞いたことあるだろ!」
 中年水夫の狙いどおり、少女は目を瞠った。
「嘘だぁ。あんなに若いわけないよ」

「クラウン=ルースが年寄りだなんて、どこの話だね?」
 背中で二人を興味深く観察していたスタンレイが、苦笑いしながらそう訊いた。少女は一瞬考える。
「聞いたんじゃなくて、なんとなく。……え、じゃああれ、本物なの?」

 一転して目を輝かせた少女に、中年水夫は誇らしげな気分もありつつ、あまりの単純さに不安にもなった。
「お前なあ……
「ねえ、あたし、ちゃんとしたらこの船に乗ってもいい?」
「駄目だって言われたばかりだろ!」
「えー。だって、あたしあのひと気に入っちゃったんだもん」

 中年水夫にどやされても、少女はどこ吹く風だ。むしろ、うきうきとした様子で言った。
「格好良くて優しくて、すごいひとだなんて。これはもう、運命だと思う……!」