Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

記憶の楔

12

 隣に座ったロイは、終始にこにこしながらライラの顔を見つめていた。
「こんないい天気の日に、こうして美しい君に会えるなんて。今日は幸運な日だ」
「世辞なら結構です」
 ライラは嘆息し、向こうの芝生で食事をしながら歓談する一同を眺める。

 抜け出してきたのは自分の意思だったけれど、ライラ達を構うことなく楽しげに食事を再開する彼らが、少し羨ましく思えた。

 今回は前もって覚悟していたのもあって、急に頭の中が真っ白になるようなことはなかった。しかし、既に息苦しさは感じはじめている。鼓動はいつもより早い。
 ルシアスが近くにいないという事実を、ライラはできるだけ意識から追い出そうとした。
 ゆっくりとした呼吸を心がけるライラとは裏腹に、ロイは上機嫌だ。

「世辞なものか。すべて本心だ、俺も口の巧いほうではないからな。気の利いたことはそもそも言えない」
 ライラは振り向いて、困ったような表情で彼を見た。
 彼女が誘いを受けたことで、ロイが浮かれているのが心苦しかった。

「……私は、先日の暴言を謝りたかったのです」
 俯きがちにライラがそう言うと、ロイは首を傾げる。
「暴言、とは?」

「あなたに対し、何もしない傍観者だと罵ってしまいました。少なくとも、あなたは私を案じて追いかけてきてくださったのに」
 はあ、と溜め息をついてから、顔を上げてライラは彼と視線を合わせた。
「私の苛立ちは、当時無力だった自分自身に対するもの。あなたにぶつけるのは筋違いであると、反省を致しました。無礼な振る舞いをお詫び申し上げます、コルスタッド様」

 そうして深く頭を下げたライラを、ロイは穏やかな眼差しで見守っていた。
「顔を上げてくれ、イリーエシア。謝罪を受け入れる。君の振る舞いを許そう」
「ありがとうございます」
「リーシャ、君はなんと正直な人なのだ。そのようなしおらしさを見せられて、許せないわけがない。君は本当に……立派な貴婦人になったのだな」

 ロイは感慨深げにそう言ったが、ライラは心の中で首を横に振った。
 暴言について謝罪したところで、彼を欺いている状況に変わりはないのだった。
 心が、鈍い痛みを伴って波立つのをライラは黙殺する。取り乱すな、まだだ、と自分に言い聞かせながら、ライラは改めて切り出した。

「お伺いしたいこともあったのです。先日のお話では、父が私を探しているとのことでしたが……」
 ふたりの間の柔らかな雰囲気が霧散したことに、ロイは残念そうな顔をしたものの、律儀に応じてくれた。
「なんだね」

「あなた以外に私を追っている人間に遭遇したことが、これまでありませんでした。いくら私が身分を偽っているとはいえ、父が本腰を入れればそうはならないはずです。なら、探しはじめてそれほど経っていないということで、合っていますか?」

「俺もお父上と直接話したわけではないので、確かなことは言えないが……。恐らくその認識で合っているだろう」
白の都(マディーナ・アブヤド)が微妙な均衡の上にあるのは、今に始まったことではありません。母が姿を消したのも数年前のこと。名前だけ利用できれば充分だったはずの私が、そこで急に必要になった理由は何でしょうか。内乱ですか? それも違う気がするのですが」

 淡々としたライラの言葉を、ロイは一度咀嚼するための間を置いてから口を開いた。
「そこまで差し迫っているわけではない。君の婚姻は父娘の不仲の噂を払拭させ、逆に結束の印象を強めるだろうが、爆発的な影響まではないだろう。兄上は即戦力として望まれているが、君の場合は投資的なものと言える。有力な縁戚を増やし、次代の跡継ぎを期待できる。しかしそれには時間がかかる」

 ライラは内乱ではないというその返答に、少し安心した。
 故郷に未練はないが、上に立つ人間の気まぐれで街の人々が戦火に巻かれるのは、気持ちのいい話ではない。

 ただし、どう見ても政略結婚に違いない両親の関係破綻によって、『知恵の民(アル=ヘクマ)』の首長達が不信感を募らせるのも無理はないとライラは思っている。何しろ、友好の証である「花嫁」が行方不明なのだから。
 父も『知恵の民(アル=ヘクマ)』も、母と兄の捜索については手を尽くしているのかもしれない。
 ただ、どうしても見つからなくて、ようやく蚊帳の外においていた娘のことを思い出したのだろうか。

「では、状況に迫られてというよりは……父の心境の変化が大きいのかもしれませんね」
「俺もそうではないかと思っている。人は誰しも年をとる。どれだけ輝かしい栄光と地位を得たとしても、永遠に生きられるわけではないからな。お父上は、次に繋ぐことを考えられたのではないか」

「それなら父は、古参貴族でもない身分で、世襲をするつもりなんでしょうか? 本国から承認が降りるかどうかもわからないのに」
 ライラの問いに、ロイは苦い笑みをその顔に刻んだ。
「降りるだろう、特例という条件付きだったとしても。あの地はお父上でなければ無理だし、どこの馬の骨ともしれない者が継ぐよりは、あの方の薫陶を受けた実子が受け継ぐのが最適だ。あるいは、象徴となる子が望ましい」

 そう答えてから、ロイは何かに化かされでもしたような顔になった。
「妙な気分だな、君とこういう会話をするなどと。うら若き乙女ではなく、まるで……同僚と話しているかのような」

 ライラはしまったと思った。
 アラベラは、あくまでもバートレット・ベインズの妻だ。何かあったときにはバートレットが前面に出て庇えることが、この偽装関係の最大の利点である。

 ライラ自身が言ったように、夫婦の責任の大きな部分は原則的に夫が負う。それは、女はものを考えるべきではないという言い分を貫いてきた男社会の、皮肉な副作用だった。
 夫にすべてを委ねる可愛くも愚かで淑やかな妻というのは、こういう物事を主導的に話したりはしない。

「私は乙女ではありませんし、若いという年齢でもないのです。世故に長けたとまでは言いませんが、これまで夫と旅をする中で、困難な事象に翻弄されることも多々ございましたので」
「おお、苦労をしてきたのだな。嘆かわしいことだ、本来の君ならば受けるべきではない待遇だろうに」

 眉根を寄せて同情するロイを、ライラはじっと見つめた。
 ロイは良くも悪くも典型的な男性なのだと、改めて感じた。

 彼の言葉の裏には、女性は男性の支配下に入るものという社会的な視点が隠れている。しかしそれは普段ならライラも聞き流すような、下手をすると定型化していると言ってもいいくらいの、ごくありふれた言い回しだった。

 何故今に限ってそれが気になったのかといえば、その「支配」の意味するもののせいだろう。
 その中には、自らが守るべきという仁君と、何をしても許されるはずという暴君とで、一見相反しているようなものが混在している部分がある。

 ロイの場合は、女は男が守るものという伝統的な騎士道の考え方に基づいたものだ。そしてライラの父においては、家族を養ってはいたものの、割合で言えば暴君だろう。
 どちらにしても、女を私物と考えていることに違いはないのだから興味深い。

 そこでライラには気づいたことがあって、改めて切り出した。

「コルスタッド様。あなたは独断で動いていると仰った。もしや父の動きを察し、いち早く追ってきてくださったのでは?」
「……そのとおりだ」

 ロイが返答を口にするまで一瞬の間があった。
 ライラは視線を下に落とした。

「ありがとうございます。であれば、私はますます戻るわけにいきませんね。……誰が相手だろうと、結婚をしたら最後。私は塔にでも閉じ込められて、腹には常に子が入っている状態にされそうです」
「そういう言い方はよせ、リーシャ」

 ロイは諫めてきたが、そう強い口調でもない。それというのも、彼も大体同じ想像をしたからこそ、ライラを追ってきたに違いないからだ。

 そう、支配──。
 父がどうしてイリーエシアを連れ戻す手間を厭わず、結婚話を進めようとしたのか。
 表面だけの味方を得るなら、縁戚を結ぶ以外にも、金品授受や地位の優遇でもいいはずだ。実際、はじめは名ばかりの結婚話だったのだから。

 そこに後継者という新たな目的が追加されたことで、風向きが変わったのだ。
 父がずっと忌避していた娘本人に拘り始めた理由は、その身体に流れる血に他ならない。

 ライラは兄とふたりきりの兄妹だった。結果として、ディオラス家はそれでは足りなかった。ならばあの父のことだ、娘には可能な限り子どもを産ませようとするだろう。今度こそ、多少欠けても問題ないくらいの数を。

 ライラは、目眩をこらえるために目を閉じた。

「そんな人生を送るくらいなら、死んだほうがましです」
 ライラが吐き捨てるように言うと、ロイは真剣な表情で彼女の両手を握りしめてきた。
「何度も言うが、俺は君をそんな状況には置かない」
「……」

 彼女は騎士の顔に黙って視線を向けた。
 ロイが先日イリーエシアの盾になると言ったのは、彼女が嫁いだらどんな運命が待っているか、見越してのことだったのだ。自らが結婚することによって、イリーエシアをその企てから守るつもりで。
 そのために、彼は手を尽くして彼女を探していたわけだ。

 だから──バートレットがいようがなんだろうが、ロイは突き進んでくる。
 彼は、力強く告げた。

「先日、俺が君を追ってきた理由を訊いたな。それがもうひとつの理由だ。俺は、君を守るために追いかけてきた。父上の追手に先んじるために」

 ぼんやりと見返すライラを、ロイは熱心に見つめた。
「リーシャ。俺は兄上の友人という立場ではあるが、君を昔から見てきた。どういう扱いを受けてきたのかも、少しは……。その君が、この上更に政治の駒になるのが不憫でならない。婚家でくらい、幸せに生きてほしいのだ」

「今、私は幸せです」
 ライラは囁くような声で応える。ロイはゆるく首を振った。
「そうだろう。しかし不安定な幸せだ。これからだって、逃亡者のような生活になるかもしれない」
「でも戻れば、そのささやかな幸せすらなくなってしまう」
「俺がそうはさせない」
 ロイははっきりと否定を口にした。

 ライラは悲しくなった。胃の腑の当たりにずっと不快感が留まっていて、吐き気が消えなかった。
 これがもし、故郷を捨てると決意する前に言われていたなら。こんなに強い言葉をかけてくれる誰かがあのとき傍にいたなら、きっと、人生は違ったものになっていただろう。

 すべては遅く、ロイの熱意がこもった言葉の数々も、ライラの心を打つことなく虚しく響くだけだった。

「ただ婚姻すればいいという話ではないことは、ご承知のはず。あなたの人生だっておありでしょう、コルスタッド様」
「これでも貴族の端くれだ。俺の人生など、生まれたときから自由にはならんとわかっている」
「ならば尚更……!」

 語気を強めたライラの視線を、ロイは微苦笑で受け止める。

「イリーエシア、俺は自ら君を追いかけてきたのだ。僅かにこの手にある自由を駆使して」
 いくら言い募っても態度を変えないロイに、やるせなくなったライラは顔を片手で覆った。
「本当にどうかしている……。いったいどうして、そんな酔狂を起こされたのですか? それも、償いなのですか?」

 ロイは軽く首を振り、しかしすぐには答えなかった。
 しばらく迷ったあと、照れ笑いを浮かべて彼は言った。

「君が好きだった。ずっとだ。君は覚えていないだろうが、初めて会ったあの日……兄上に紹介された際に、花のような笑顔を向けてくれたあの瞬間から」
「……っ」
 ライラはそれを聞いて愕然とした。しかし、同時に納得もした。
 あのときルシアスも言っていたではないか。ロイはお前に惚れている、と。
 彼の見立ては合っていたのだ。

「その顔を見たいがために、休暇を利用して何度も通ったよ。会わせてはもらえなかったが」
 ライラは、苦笑交じりのロイの告白にさらに驚いた。

 そんなこと、まったく知らなかった。これも欠けた記憶なのか。
 彼の言うことが嘘でないなら、ロイはかなり昔からライラを気にかけていてくれたことになる。
 戸惑いつつも、彼女は謝罪した。

「申し訳ありません、今このときまで存じ上げませんでした。無礼の数々を、どうかお許しください」
「かまわない。病気で臥せがちだとは聞いていた。君の兄上に頼み込んで、庭に出ている君を遠くから眺めるだけで充分だった。あの当時は」
 過去の記憶に思いを馳せているのか、ロイはどこか遠くを見るような目になって言った。

「いつしか、その君と、人生をともに歩みたいという欲を持ってしまったんだ。しかし、それにはコルスタッドの家名だけでは足りない。だからヴェーナの魔導騎士になった」
「どうして、そこまで……」

 愕然としたライラの問いに、ロイは振り向いて微笑んで答えた。

「他の女性と出会っても、ここまでのことはしなかっただろう。辺境貴族の次男として、戦争でもない限りは、故郷から一歩も出ないでつまらん生涯を終えただろうな。リーシャ、君は俺にそこまでさせるだけの力があるんだ。もう眺めるだけにはしない、この手で一生君を大事にする。君の夫として、あらゆる苦難から君を守ろう」
「……」

 ライラは彼からぱっと顔を背けた。
 心が僅かに揺らいだことに、動揺してのことだった。けれどそれは煌めいた新鮮なときめきではなく、やはり時間が経ちすぎて色褪せてしまった何かだった。

「……簡単に言わないでください。コルスタッド家の家中の方々を巻き込むことにもなります。名ばかりの結婚話のときとは、わけが違うのですよ」
「我が一族は大した功績もなく、一代で名をあげた君の家よりも格が落ちる。格式目当てなのは認めよう。だが、お父上に忠誠を誓う者も多いのも本当だ。君の存在は歓迎されるだろう」

 ライラは顔をしかめた。何を言っても変わらないロイの姿勢に、辟易し始めていた。
 彼はそんなライラを見て、もうひと押しとでも思ったのか。彼女の手を取ると、その指先に恭しく口付ける。

「少しずつでいい、前向きに考えてみてくれないか?」
「……。私は夫のある身です、コルスタッド様。不義を持ちかけるのはおやめください」
 ライラは無礼にならない程度の力で、さり気なくその手を振り払った。
 ロイは気にした様子もなく、不敵にも見える笑みを浮かべてみせた。

「もちろん、筋は通す。ベインズ君にはきちんと話をするつもりだ」
「バートレットを巻き込まないでください」
「もう巻き込んでしまってるのだ、リーシャ」

 睨んだライラの眼差しを臆することもなく受け止めて、ロイは言った。
「俺は諦めるつもりはない。時間がかかったとしても、君の気持ちを変えてみせる」