Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

新たな始まり

31

「どういうことです?」
 彼の緊迫した様子を受けて、ライラが横から鋭く訊ねる。
「何故あなた達が狙われる羽目に?」

「人質がいなくなって、でも相手の狙いはお金だったみたいだから、代わりに僕を狙うんじゃないかって、ハルさんが……」

 焦りながらも、フリッツは何とかライラ達に状況を説明した。
 危険を察知した三人は簡単な打ち合わせをし、いざ脱出しようとしたところへ男達がやって来た。荒事に慣れていないフリッツを先に逃がすため、ファビオ達が囮として残り、時間稼ぎをしているということを。

 男達の数は片手ではきかなかった。すぐそこの床で横たわっているトビアスを一瞥し、不安を強めたフリッツは思いつめた様子で言った。

「事前に、もし彼らとはぐれた場合について、外に待機してるエスプランドルの人を探せと言われてました。伝言を頼まれたんです。それで全部伝わるからと」

「伝言……なんて?」
 ディアナの問いに、緊張した面持ちのフリッツが答える。
「ええっと……、ネセシート・アユーダ、です」

 その短い一言はエスプランドル語だった。
 ペドロが意見を伺うようにディアナを見る。ライラとバートレットもまた、彼女のほうを見た。
 ディアナは得心顔で頷いた。

「なるほどね。大丈夫、たしかに伝わったわ」
「どういう意味なんだ、ディアナ?」
 ライラが訊くと、ディアナは肩を竦めた。

「あたしらの国の言葉で、助けてって意味よ。うちにはペドロみたいに公用語を話せない奴も多いの。敵国に捕まったときなんかは、そのほうが都合良かったりもするんだけど」

 しかしファビオはそれを逆手に取り、母国語を暗号代わりに使ったらしい。
 異国の人間であるフリッツがその場で即覚えられる長さで、かつ敵に知られても意図を悟られない言葉。それでいて、内容が仲間に伝わるもの。

 それらをきちんと受け止めたディアナは、言葉を託した腹心を想いながら呟いた。

「あいつ、何とかこの子を保護させたかったんだわ」
「そんな! それじゃファビオさん達はどうなっちゃうんですか!?

 てっきり戦略的な合言葉だとばかり思っていたフリッツは、悲痛な声をあげた。ディアナは片頬だけで笑ってみせる。

「当然見捨てやしないよ。問題は、こんな単純な言葉をなんで母国語で預けたかって話よ。若様の保護が第一優先だけど、自分達の異常も同胞に伝わる。手を貸せという意味も含んでるんでしょ」

 それからディアナは、腕組をしてその場にいる一同を見渡した。

「若様を逃がすのが目的である以上、真っ向から対抗してはいないと思う。そんなことしたらすぐバテちまうしね。言葉どおり、時間を稼いでるはずだよ」

「でも、援軍が早いに越したことはない」
 ライラが口を挟むと、ディアナは事も無げに応えた。
「それもわかってる。とっとと助けに行かなくちゃね」

 そこでフリッツが、少し迷った様子を見せながらディアナに言った。

「あの、モレーノ船長。その……ブレフト兄さんが……危険な状態なんです。こんな緊急時に、それもあいつに酷い仕打ちを受けたあなたに、こんなこと、言っていいのかわかりませんが……」

 勇気を出して声にしてみたものの、後になるにつれ段々とその声が萎んでいく。ディアナ達に頼るほかないのだが、それでもどの口が言えたことかという罪悪感がそうさせたのだ。
 彼の言わんとしていることを察したディアナは、ライラ達に視線を向けた。

「だってさ。あんた達はどう見る? 大事にしないっていう条件だったんでしょ」

 予定どおりにいくなら、ブレフトを助け、誘拐の件自体なかったことにするべきだろう。しかしファビオ達を救出して、ここの内輪揉めについては無関係を貫く、という方法もありえた。当初の話には、突発で発生した揉め事の解決までは含まれていないからだ。

 全員が、特にフリッツとユリィが不安そうに見つめる中、ライラが静かに答えた。

「人命が失われてしまっている以上、何事もなく収める、というのは難しいんじゃないかな」
「じゃあ、もう好きなようにやらせてもらう?」

 ディアナが訊ねると、いや、とライラは小さく首を振った。

「シュライバー氏の依頼の主旨は、ブレフト・ファン・ブラウワーを犯罪者にしたくないというものだった。そのくらいなら、現状でもどうにか守れそうだと見ている」
「真面目ねえ。それとも人が良すぎるのかしら」

 ディアナは呆れたような、少し嘲るような言い方をした。
 彼女にとってブレフトは、今回のくだらない出来事の要因でしかない。しかもディアナは誘拐された張本人だ。彼が何の責任も果たさぬまま、社会的身分だけは守られるというのが業腹なのだろう。

 ライラもその辺の推測はしていたものの、あくまでも冷静に言った。
「引き受けた以上、出された条件は極力守らなくてはね」
「で、どうするのよ」
「私達は、堂々とファン・ブラウワーを救出すればいいんだよ」

 ライラの説明にほとんどの者は首を傾げたが、ディアナだけは意図を察したようだ。
 ブレフトの身分を守ることには難色を示したくせに、彼女はライラの案に興味を惹かれたらしい。先程よりやや声が弾んでいた。

「やぁねえ、あんたが何を考えてるのか判っちゃったわ。でもそれ、あたしが動かないと話にならないんじゃないの?」

「うまい具合に駒が揃ってるんだ。シュライバー氏に恩を売るなら丁度いいだろう? 今後のためにも」

 平然とのたまうライラに、ディアナは苦笑混りに応じた。
「……前言撤回。あんた、意外と抜け目のない女なのね。見くびってたわ」

「称賛として受け取っておくよ。でもディアナ、あなたもそういう役どころは嫌いじゃないと思ってるんだが」

「全くもってそのとおりよ。嫌いどころか、もう大好き。なんかやる気出てきた!」

 豪快に言って、ディアナは傍らで成り行きを見守っていたフリッツの肩をぽんと叩いた。

「話は決まったわ、若様。ファン・ブラウワーについては安心して任せて。悪いようにはしないから」
「ありがとうございます……!」
「その代わり成功した暁には、お父上に今回のあたしらの働きぶりについて、よーっく言い含めておいてよ?」
「はい!」

 ディアナに承諾してもらえたことで、フリッツはいくらか元気を取り戻したようだ。ユリィもほっとした表情で目尻に滲んだ涙を指で拭っていた。
 それからディアナはペドロを振り返った。

『若様とその娘を安全なところへ連れてお行き。それと、外に配備されてる連中に召集をかけて頂戴。頼んだよ』
『シー、セニョーラ』

 ペドロが恭しく首肯する。ディアナはさらに指示を続けた。
『クラウン=ルースとシュライバー邸にも伝達を。内容はこうよ──』

 一連の流れを傍観していたバートレットが、まだ話が読めずに困惑しながらライラに訊いた。

「すまん、俺にもわかるように説明してもらえるだろうか」
「さっき言ったとおりだよ。私達はただ、正々堂々と助けに行けばいい」

 燭台の小さな明かりにぼんやりと浮かんだライラの表情は、薄っすらと微笑んでいた。

 何故かバートレットの心臓は、その顔を見て小さく跳ねた。精神的な距離が近くなってからというもの、彼女のいろいろな表情を見慣れたと思っていたのに。

 その微笑みは、見る者を安心させるために作られたものではない。それは彼女の気持ちが自然に溢れ出たもの。湧き上がる闘志の表れだった。

 思えば、この作戦が始まってからの彼女は活き活きとしていた。水を得た魚とはこのことだろう。

 生気に満ち溢れたライラは、もともと整った顔立ちがさらに輝いて見え、不思議なくらい目を惹きつけられた。

 そればかりか、自分まで一緒に気持ちが昂揚していくようだった。傍にいるだけで奮い立ち、研ぎ澄まされ、心が満たされていく。こんな充足感は初めてだ。

 もし叶うなら、ずっとこのまま彼女の隣に──。

 そこでバートレットは我に返った。何だ、今のは。
 いや、ライラの内面を知り、その脆い部分を補いたいと思うのは自然なことではないのか。自分はただ、見守りたいだけで……。

 密かに動揺する彼をよそに、ライラは双眸に強い意志の色を湛えながら言った。

「ファン・ブラウワー家の当主を人質にして、悪漢どもが乗っ取りを図った。でもそこに偶然、シュライバー商会の関係者……新しく雇われたエスプランドルの船乗り達が居合わせたってこと。悪党討伐の筋書きとしては、これで充分だろうよ」