Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

新たな始まり

21

 馬車の脱輪の音に、もちろんライラ達も気づいていた。
 ディアナがいるという、屋根裏の使用人部屋に向かう最中のことだ。

 嫌な予感がしてバートレットがライラを見ると、彼女も険しい顔つきをしていた。
 音はここから遠かったが、こんな時間の郊外でのこと、異常事態が発生した可能性はあった。

「戻るか?」
 彼が尋ねると、ライラは首を振った。
「今行ってもどうせ後手になる」
 最低限の言葉で答えたあと、少し表情を曇らせてライラは付け加えた。
「でも、急ごう」

 ライラはそれ以上言わなかったが、あれだけ賑やかだった庭の虫の声が、何かに驚いて静まり返ったことにも気がついていた。そしてそれは、あの物音より(、、、、、、)少し後に起きていた(、、、、、、、、、)

 もし馬車に何か起きたなら、敷地外だし誤魔化しようもあるだろうが、庭先にいるエスプランドル人についての言い訳は難しい。こういうときの退路は決めてあったので、ペドロがうまく逃げてくれることを祈るのみだ。

 彼らは先を急いだ。途中、追加で何人か締め上げて空き室に放り込む。
 やがてふたりは、梯子のような傾斜のきつい狭い階段──それこそ船にあるような──を見つけた。

 階段の傍に立つ見張りの男を、これまで同様ライラが音もなく襲いかかり、縛り上げて転がす。

 ここまでくると、その手際の良さにバートレットも驚かなくなっていた。
 男が腰につけていた鍵束を奪って階段を昇ると、幅の狭く短い廊下に並ぶ小さな六つの扉を見つけた。
 扉の隙間から、明かりが漏れている部屋がひとつ。
 丸い鉄棒を差し込む小さな貫抜と、さらに錠前がかけられている。臭いに気づいてすぐ下を見ると、床に比較的新しい血の跡があった。

 ライラとバートレットはどちらからともなく視線を交わした。
 扉に耳を近づけた後、ライラは一度だけ扉を叩いた。

「……誰?」
 警戒しているような女の硬い声が応える。ディアナだ。

 他の人間の気配がしないのを確認して、ライラが口を開く。
「私だ、ディアナ」

 部屋の中で、足音が扉に近づくのが聞こえた。
「来てくれたんだね」
「血痕がある。何かあったのか?」
「ああ、馬鹿がちょっとした騒ぎを起こしたのよ。あたしは無事。ちょうど今一人だったんだ、いつ戻ってくるかわからないから急いでもらえる?」

 ライラが一旦扉から離れ、素早くバートレットが鍵を外して扉を開けた。周囲に人がいないのを確認してからふたりは中に入る。

 狭い部屋に幽閉されていた割に滅入った様子もなく、ディアナはむしろ苦笑を浮かべて彼らを迎えた。

「なんだか毎回あんた達に助け出されてるね。うちの連中は何してんだろ」
「ご安心を。ちゃんと配置についてますよ」

 抑えた声音で応えたバートレットを見て、ディアナはにやりと笑った。
「そういえば、今夜は随分と粋な格好してるようだね」

 ライラとバートレットはエスプランドルの服を借りていた。エスプランドル語を話せない彼らの精一杯の偽装である。
 付け焼き刃を自覚しているバートレットは、居心地悪そうに言った。

「動いているのは、あくまでもあなたの配下ということになっているので」
「ルースは無関係ってわけね。了解」
 バートレットの手短な説明だけでディアナは察したらしい。拍子抜けするほどの話の速さだ。
 彼女は今度はライラに視線を向けた。

「状況を教えてもらえる?」
「こちらに先日ルースを襲った男が紛れ込んでいるらしい。ルースが身代金の交渉を続けている間、そいつの足止めをしつつあなたを脱出させなくてはならない」

 淀みない答えに、ディアナは納得のいった様子で腕組みをした。

「だからあんたが来たのか。それで最終的に、何も起きなかった、ということにしたいのね?」
「理想としてはそう」
「簡ッ単に、言ってくれるわよねーっ」
 ディアナは盛大な溜め息とともにそうぼやいた。

「事情はなんとなく読めるけど。首謀者、どうもシュライバーの旦那の知り合いらしいし? だから騒がず殺さず結果出せ、って? とんだ貧乏くじ引かされたものだね、ライラ」
「そうでもない。うまく片付ける自信はある」
「このお人好し、ルースにいいように使われちゃって」
 微苦笑を向けてきたライラに、ディアナは呆れ返って言った。

「仮にでもうちの看板掲げて動いてるなら、ひとりふたり殺したところで、あたしならうまく逃げ切ってみせるわよ? どうせ、どこかから流れ着いたならず者ばかりだろうし」

 言っている内容は物騒だが、これはディアナなりの気遣いでもあった。

 相手を生かしたまま事を成し遂げるというのは、ただ力任せに圧倒するより遥かに難しい。加減というのは技量と余裕があってこそのものだからだ。

 ディアナは正式な武芸を嗜んだことはなかったが、経験上、殺してしまうほうが楽なのは充分理解していた。

 しかし女剣士は、今度は自信を湛えた笑みで頷いてみせた。

「一切を表沙汰にしないという条件だ。大丈夫、やれもしないことを引き受けたりしない」
「……さすがとしか言いようがないわね」

 ディアナもそれ以上は無駄口を叩くことをせず、気を取り直して訊いた。
「取り敢えずここを出ようかしら。その、ルースを襲った男っていうのには、まだ行き当たってないのかい?」

 バートレットは首を横に振った。
「見張りを締め上げて聞き出したところでは、街の外から来た若い男で、ここでも単独行動が多いので正確な居場所は不明とか。幸か不幸か、ここまでの道中も会わずに来ました」

「それしか情報がないの? 足を止めなきゃいけないんでしょ?」
「あとは……そうですね、スカナ=トリア人らしいということと、ジャック・スミスという名前だけです」
 困ったようなバートレットの答えに、ディアナは思わず目をむいた。
 その理由を視線で問うてくるふたりに、彼女は複雑な感情の混ざった表情で言った。

「そいつ多分、さっきまでこの部屋にいたわ」


 暗い廊下を歩きながら、ジャックはずっと違和感を拭えずにいた。
 静かすぎる、と。

 ここで雇われた者達は自分を含め、場末の酒場などでかき集められたような素性の知れない連中だ。その場の欲と感情に従って生きてきた者ばかりだった。各自が敵を威嚇したり攻撃したりはできても、侵入に備えて大人しく待ち構えるような、統率の取れた動きは期待できない。

 この状況は、敵に先手を取られたと見たほうが良さそうだった。

 先程聞こえてきた、板材の壊れるような大きな音と、少し遅れて庭先から聞こえた物音。
 あれは餌にしてはあまりにもお粗末だった。事故だとしても雑であることに変わりはない。それでジャックも、大したことはない相手だと思い込んでいたのだ。

 しかしこれはすっかり裏をかかれてしまったか、とジャックは自嘲の笑みを零す。
 あの人質は人違いであったはずだが、それを本気で奪還しに来た者がいるらしい。
 自然と彼の笑みも深くなる。
「いいね、面白くなってきた」

 案の定、僅かに開いている扉を見つけて中を覗けば、床に猿轡(さるぐつわ)を噛まされて縛られた男が四、五人も転がっていた。いくら烏合の衆とはいえ、これだけの人数をこちらに気取られずに片付けたとは。

 聞けば、「エスプランドル風の服装をした男女にやられた」という。
「エスプランドル、だって?」
 ジャックは思わず訊き返したが、言われてみればあの囚われの美女はエスプランドル人だった。

「……」
 このまま庭先の様子を見に出るか、屋根裏のあの部屋に戻るか。
 ジャックがしばし考えていると、玄関のほうから声が聞こえてきた。誰かがやってきたようだ。客の来るような時間ではない。

 彼は思案するのを一旦やめにして、玄関へと足を向けた。
 台所や倉庫の並ぶ奥の領域を抜けると、客室や広間のある表の領域に出る。すると、廊下の先から見知った侍女が小走りでやってきた。

「スミス様!」
「どうかしたのかい? ユリィ」
「はい。たった今、近くでシュライバー家の馬車が脱輪したそうです」

 公用語のあまり得意ではない彼女の説明を辛抱強く聞くと、つまりはこういうことらしい。

 シュライバーとはこの家の先代から付き合いのある商人で、彼の息子が乗った馬車が近くの路上で脱輪した。さらにその息子が酷い馬車酔いをしているので、体調が落ち着くまで一旦この建物に寄ってもらったのだという。

 あの大きな音はそれだったのかと、ジャックは理解した。では、侵入者とはたまたま時間が合っただけの偶然なのだろうか。

 客人のために台所へ向かう彼女と別れ、彼は廊下を進んだ。
 さすがに客人の目につくような場所まで出るわけにもいかず、やや距離をとって足を止める。

 玄関に一番近い客間を開放したらしく、部屋の入口からはバタバタと人の出入りがある。ジャックが見ている限りでは、商人の息子はもう入室済みらしいが、入り口横の廊下に従者らしき男が二人突っ立っていた。

 育ちのいい息子のお目付け役にしては、随分と頑丈そうな男達だ。そのうちの片方の姿を見て、ジャックは苦笑した。

「ここでもエスプランドル人か。……こいつはちょっと、してやられたかな」

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