Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

新たな始まり

20

 かの海賊が船を降りて街に繰り出し、酒場で女達と乱痴気騒ぎを繰り広げているという報告は、ブレフト・ファン・ブラウワーを大層不愉快にした。
 今日一日、この件に振り回された上での一報だったからである。

「いい気なものだ。身の程を知るだけの頭もないらしい。まあ、悪党の頭目ならばそんなものか」
 父から譲り受けた書斎で、ブレフトはそう吐き捨てた。

 数日にわたる監視の末に、女を捕らえたまでは良かったのだ。
 これでようやく事が進むかと喜んだのも束の間、捕まえたのが目的の女ではなかったとわかった。

 汚れ仕事ゆえ家人を使うことを避け、使い捨ての利く流れ者に任せた結果だ。そのわずかな気の緩みで、計画は頓挫する寸前までいった。

 たとえ人違いだとしても、誘拐した事実は動かない。
 女がこの街の住人だとしたら、身内が騒げばそれだけでこちらは身の破滅。跡取りのいない自分が財産を没収されては一族全体の問題にもなる。それは当初の目的から外れるどころか、まるきり対極の事態だった。

 おかげでブレフトは生きた心地のしない半日を過ごし、ようやく挽回の芽が出てきたのは日も傾きはじめた頃のことである。
 生じた齟齬を埋めるべく右往左往しているところへ、シュライバーがやってきて、女と海賊があながち無関係でもないことを自覚なく示していったのだ。

 捕らえた女にも人質の価値はあった。計画は何とか息を吹き返した。

 いざ本来の道筋へ戻らんとブレフトが心を砕く一方で、海賊本人は女を侍らせ大宴会だというのだからやっていられない。

 報せを持って帰ってきた召使いの少年は、不機嫌な主人に怯えて黙りこくっている。
 拉致の件で懲りたブレフトは、使者の役目を普段から屋敷で使っている少年に命じた。行儀見習いも兼ねて奉公に来ているはずの少年にとっては不幸な話だ。まさか海賊が大勢いるような酒場に行かされるなど、想像もしていなかったに違いない。

 少年の傍らに同じように佇む執事のトビアスが、苦い顔をして言った。
「しかしそうなりますと、あの女も哀れなものですな。おのれが危機に瀕しているときに、情人が他の女どもと戯れているなど」
「その危機も、男が原因とくればな。胸中やるせないだろうよ」
 ブレフトは乾いた笑いを閃かせる。

「しかし、情婦はエスプランドル女だそうだな。かの国では独身男が愛人を囲うのは一般的だと聞く、女遊びは見慣れたものなのかもしれん。実際、あの男は他の女も船に置いていたのだし」

「船に別の娘がいたのは確かですが、クラウン=ルースの愛人とは限りますまい」
 中年の執事は早合点しかける若い主人を窘めた。
「今は、あのエスプランドル女だけで充分でございましょう。奴も身代金の交渉を拒否しなかったのですから」

 トビアスの言葉のとおり、海賊はこちらの提案を一応は聞き入れた。
 ただ、身代金を支払うにしても両替商が開く朝まで待たねばならないし、通貨を揃えた上で大金を用意するとなると、さらに時間がかかるとの返答だった。

 ブレフト達は出鼻を挫かれる形となったが、よくよく考えてみれば納得のいく話でもある。
 どれだけ資産家だろうと、異国の船乗りである以上、統一通貨の現金で手持ちがないという状況は充分ありえる。いつ船が沈むかわからないのに、全財産を常に持ち歩くわけもなかった。

「だが、それが時間稼ぎの言い訳の可能性もある」
 若い貴族は疑念の滲む声でそう漏らした。執事は眉を上げて聞き返す。

「時間稼ぎ、ですか?」
「長引けば不利になるのはこちらだからな。あの男に足元を見られている気もする。それに、奴の態度がどうも腑に落ちない」

 ブレフトの一方的な印象でしかないのだが、クラウン=ルースはそれほど焦っているように思えなかった。人質のために金を寄越せという要求にも、あまりにもあっさりと応じている。

 本当にルースは支払う気があるのだろうか。
 可愛がっている愛人が連れ去られたら、普通はもっと余裕を失うのではないか。

 シュライバーのような狼狽ぶりを見せないあの海賊が、いったい何を考えているのか、ブレフトには不気味に感じられるのだった。

「女を捕らえてもどうせ大したことはできまいと、高をくくっているのか? 小賢(こざか)しいならず者め」
 不安を打ち消すよう大上段に構えた物言いをしてみるものの、クラウン=ルースとブレフトとではそれほど年齢に差がない。

 なのに、妙に焦燥感を煽られるのは何故なのか。こちらは貴族であちらは出自も知れない平民、もしくはそれ以下だというのに。

 何がそうさせているのかが自分でもわからず、そのことがまたブレフトを苛立たせていた。

「あるいは、おのれの置かれている状況すら把握できないほどの愚昧(ぐまい)か。少しわからせてやりたくもあるな」

 呟く主人を、トビアスは静かに諌める。
「ブレフト様、どうか短気を起こされますな。せめて明日の朝まで待ちましょう。仰るとおり事を長引かせてはなりませんが、慌てても良いことはございません」
「……ただ待つというのは苦手だ」

 年齢に釣り合わない重厚な執務机に頬杖をついて、ブレフトはそう零した。
 唇を尖らせ、普段の──子供の頃から傅役(もりやく)を務めた相手に対する口調に戻って呟く。

「考えれば考えるほど腹立たしいよ。善良な市民は法の制約があるのに、海賊のあいつには禁忌がない。人殺しすら(いと)わず、ある意味何でもできる。だから酒を飲んで呑気に構えていられるんだ」

 自身も誘拐という罪を犯してしまったのを棚に上げて、ブレフトは憤慨する。

「奴の財産だって、どうせ汚い仕事の賜物だろうが。この街の連中はなんであんなやくざ者を持て(はや)す? 僕が若造なら奴とて同じだし、手段を選ばなくていいなら僕だって!」

「ブレフト様」
 再度、トビアスが制止の声を上げた。
「比べたところで詮の無いことです。あなた様は跡目を継がれたばかり、すべてはこれからのお方なのですから」

「すべてはこれからだって? これから先、差は開く一方だろう。あっちはどんな汚いことでも狡いことでもやる。それで今後も莫大な財産を築いていく! まったく不公平だ。犯罪者が得をして、正直者が割を食うなんて」

 トビアスはそれには応えず、困ったようにブレフトを見つめている。
 クラウン=ルースの情婦を連れ去ったのは金銭が目的だったが、いつの間にか彼の中で私怨の割合が高くなっているようだった。

 ブレフトも不幸な身の上には違いない。
 裕福な貴族であれば、管理している荘園からの収益だけでも何とか生きていけた。残念ながら、ファン・ブラウワー家は自ら商売せねば成り立たない下流貴族だった。

 それでも父ヨーゼフは精力的に働き、一家は徐々に資産を増やしていった。貧しい思いをさせた分、子供には充分な財産を遺してやりたいと、そんな親心もあったのかもしれない。

 ヨーゼフは死ぬまで働き続けるつもりで、当主の地位を保持すると明言していた。実際それでうまく回っていた。
 ただ、息子に家督を譲るのが予定より数十年早まってしまっただけ(、、、、、、、、、、、、、、、、、)の話なのだ。

 部屋住みの若君でしかなかったブレフトは、一転して厳しい商業の世界に放り込まれた。父の友人シュライバーの助力がなければ、あっという間に家業は傾いていただろう。

 慣れない仕事に揉まれ、小難しい法律や慣習を頭に叩き込む日々。少し前まで気楽な身分だったブレフトには苦痛でしかなかった。
 なのにあの海賊は、そんなブレフトを尻目に女を抱き、手段を選ばぬ取引で楽に暴利を貪っている──。

 若い主人の胸の内に巣食う不満を見て取ったトビアスは、改めて口を開いた。
「ブレフト様。あなた様はこの家の当主であって、ならず者とは違うのです。急を要するためにこの度は静観いたしましたが、これ以上御身を汚すような真似はお控えください。誇りを見失ってはなりません。先の旦那様も悲しまれるはずです」

 少し硬い、叱責にも聞こえるその言葉に、召使いの少年は自分のことでもないのにびくびくしている。ブレフトもまた、悪戯が見つかったときのようなきまり悪そうな顔になった。

「わかってる、頭では。それに母上も何か勘づいている様子だ。まだ何も言ってこないけども。あの人は昔の貧乏生活なんて、死んでも戻りたくないんだ。この件を知ったらただじゃ済まないだろうな」
「大奥様のみならず、一族郎党が皆関係してくることですぞ。分家の立場から独立を果たすという先代の功績を、ご子息のあなた様が無になさってはあまりにも情けのうございます」

 ブレフトは拗ねたように鼻を鳴らす。
「理解しているよ、だから必死なんじゃないか。僕だって、こんなこと早く終わらせたいんだ、トビアス」

 それからブレフトは、話を切り上げるように椅子から立ち上がった。
「そういえば、あのエスプランドル女はどうしているだろう」
「旧宅に、雇い入れた者どもと隔離してございます」

 トビアスの言葉に、ブレフトはぎょっとした。

「お前を疑うわけじゃないが、大丈夫なのか? どれも流れ者ばかりだったろう。思い出のある屋敷だ、荒らされてないといいが」
「管理の者が普段から数名おりますので。私も時折様子を見に参りますし、今のところは特に問題は出ておりません」

 ブレフトはその回答に安心はしなかった。むしろ、不安を強めたように顔をしかめる。拉致の失敗が彼の中で尾を引いていた。

「自分にそのあたりの人脈がないのも、悔しいところだ。足がつかないのはいいが、信用という面で不安が残る人選を余儀なくされてしまう」
「然様で。ただ、今回ひとりだけ毛色の違うのが混ざっておりまして。なかなか話の分かる男のようです。あの者であれば、今後もある程度は使えそうかと存じます」

 トビアスは、下の者を評価するときは手心を加えない人間だった。判断を主人に委ねる姿勢がヨーゼフからも信頼をされていた部分なのだが、若いブレフトには年長者として助言を意図的に混ぜ込んでいるらしい。

 が、それでも明確に推挙するのは珍しかった。
 ブレフトは少しだけ興味を惹かれた。

「そいつに直接会いたいな。お前がそこまでの評価をするなら確かなのだろう」
「では、この件が片付きましたらすぐにでも」
「頼んだぞ。少しずつ手駒を増やしていかなくては」

 ブレフトが行き詰まっているのはまさにその部分が大きかった。ヨーゼフは仕事の引き継ぎどころか、普段から関係者に跡取りとの顔合わせもしておらず、跡を継いだときには何もかも手探りでいちから始めるに近い状態だった。

 何かと支援をしてくれるシュライバーも、表の仕事だけでなく裏社会に精通した人脈を作っているらしいことは、ブレフトも最近になって知ったことだ。そして、それが確固たる地位を築く上では重要なのではないか、という気がしていた。
 その意識は、若い主人と二人三脚でやっているトビアスも同じだった。
 彼は、少し迷ってから口を開いた。

「ブレフト様。もうひとつお耳に入れたいことがございます」
「なんだ」
「ライラ・マクニール・レイカードという女をご存じでしょうか。腕利きの賞金稼ぎだそうですが」

 ブレフトは記憶を手繰り、他愛のない噂話の中からその名前を引っ張り出した。部屋住みだった時代、取り巻きの誰かが話の種でその名を口にしていた気がした。

「名前は知っている。それがどうした」
「その者、どうやら今ヴェスキアに来ているようです」

 ブレフトは瞠目した。
「……確かなのか?」

「はい。本人と手続きをした役人が確認しております。ただ、いるのは確かなのですが、どこに滞在しているかは誰も知らないようなのです」
「どういうことだ?」
「私の推測ですが、獲物がこの街にいるのではないでしょうか。だから身を隠しているのかと……」

 その一言で、ブレフトはすべてを察した。
 彼は執務机を回り込み、興奮気味にトビアスの二の腕を掴んで揺さぶった。

「それだ、トビアス! 急いで彼女に連絡を取れ! ファン・ブラウワーが手助けすると言うんだ! 彼女の狩りを全面的に支援すると!」

 トビアスは主人の命令に即答できなかった。自分の失言に気がついたがもう遅い。
 ただ手駒を増やすという意味で進言したに過ぎない話に、ブレフトは違う可能性を見出してしまったらしい。

 トビアスはあるまじき失態に苦い思いを抱きながら、釘を差すように言った。
「しかし、居場所がわからないのですから、すぐにというわけには……」
「そんなのわかりきってる!」
 顔を紅潮させて、ブレフトは捲し立てる。

「手練の賞金稼ぎが目をつけそうな、大きな獲物は確かにこの街にいる! ライラはあいつの近くに現れるはずだ。そして僕達は、奴を──クラウン=ルースをおびき寄せればいい」

 トビアスは言葉を失って立ち尽くしていた。
 ブレフトが何を狙っているのか、ここまで聞けばもうわかってしまった。

 召使いの少年が、執事に気遣わしげな視線を投げてくる。大人しいが素直で聡明な少年で、トビアスも気にかけていた。その彼に、主人のこんな言葉を聞かせてしまうことを申し訳なく思った。

 ブレフトは熱に浮かれたように言った。
「ライラと我々の目的は一致している。彼女と手を組んで、クラウン=ルースの首を獲ってやるんだ……!」

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