Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

新たな始まり

16

 船からの使者がシュライバー邸にやってきたのは、辺りがもう暗くなってからだった。

 使者来訪の報せを持ってきた初老の執事は、開いた扉の脇に立ち、相変わらず胡散臭そうな目でギルバートを睨めつける。帰宅してからエルセがずっと憔悴しきったままなので、こんな怪しい男を近くに置いておくのは気が気ではないのだろう。

 しかしギルバートとて、好き好んで彼女と同じ部屋にいるわけではない。

 立派な邸宅なんて場所は、航海生活に慣れきった彼にとって居心地がいいものでもないのだ。最初、仲間とともに部屋の外で守りにつくと申し出たのに、当のエルセが受け入れなかったのである。

 怖い思いをした直後なので、腕っぷしの強い誰かに傍にいてほしいという気持ちも、わからなくはない。けれど初対面時の対応を思い返せば、勝手なものだともギルバートは思った。

 まあ、労働階級の中でも底辺といわれる自分達船乗りとは、そもそも住む世界が違う人間なのだから、こんなものなのかもしれないが。

お嬢さん(ユフラウ)。ちょいと席を外させてもらうが、いいかな。もちろん廊下に何人か置いておくからさ」
 お上品な調度に囲まれて、いい加減気疲れしていたギルバートが、これ幸いとばかりに訊く。

 すると、長椅子で俯いたままじっとしていたエルセが勢いよく顔を上げた。
 その必死の形相に、ギルバートだけでなく執事までもがたじろいでしまう。

「ディレイニー様、どちらに……?」
「あー、ええと、船から連絡が来たんだ。話を聞いたらすぐ……」
「ここでは駄目なのですか?」
 ギルバートが言い終わらないうちに、畳み掛けるようにしてエルセが言った。

 やや青褪めた顔でじっと見つめてくる娘に、彼は一瞬言葉を見失ったが、すぐ我に返った。
「そいつはその……。あんまり感心しない、かな」
 ははは、とギルバートは乾いた笑いを浮かべた。

「あんたみたいな人が聞くような話じゃないんだ。この手の泥臭いことは、俺達に一任してくれればいい。安心してくれ、護衛の仕事はちゃんとする」
「あなたも、そんな風に仰るのですね」

 再び俯いた彼女の様子に、戸惑ったギルバートは執事にどうすべきか視線で問う。しかし執事は、小さくかぶりを振ることで『自分で対処しろ』と暗に伝えてきた。

 ふたりのやり取りに気がつかないエルセは、膝の上で組んだ指先に目を落としたまま呟く。
「いつもそうなのです。女だから。お前が知る必要はない。私、そんなことばかり言われてきて」

 ギルバートは、漏らしかけた舌打ちを何とか堪えた。今は長話に付き合っている場合ではないのだ。

 ルシアスからの指示内容を早く知りたかった。
 そもそも自分は、守り手より攻め手に特性があり、婦女子の護衛なんていうのは不向きなのである。

 だが一方のエルセも、彼女なりに必死だった。

「ですが、今回の事件は私の軽率な行動に起因するものであるはずです。その責任すら、取らせてもらえないのですか? 誰かに後始末を押し付けた挙げ句に蚊帳の外というのは、違うと思うのですが」
「……」
「モレーノ船長は、私の身代わりを買って出てくださいました。同じ女性なのに。馬鹿なことをしたと、彼女には誰も言わないのです。危険なことには、変わりないはずですよね。私と彼女、何が違うんでしょうか?」

 ギルバートは黙りこくった。
 住んでいる世界の違い。反射的に口をついて出そうになったその言葉を飲み込んだ。

 おそらく、彼女はこれまでもそんな答えで意見を封じられてきたのだろうと、ギルバートはさっきのやり取りを思い返して納得した。エルセが知りたいのは別の部分なのに、周囲の大人がはぐらかし続けてきたのだろう。

 執事に再び目をやると、彼は余計なことを言うなとばかりに、先程と打って変わって激しく首を振ってみせた。

 ギルバートは、少し考えてから口を開いた。
お嬢さん(ユフラウ)。あんたの言い分は──俺個人としては、だが。何となく理解できたし、いいんじゃないかと思う」

 案の定、ものすごい目で執事が睨んできたが、彼は黙殺した。

「だがな。責任を取るってひと口に言っても、経験やら立場やらで、取れる範囲が違うんだ。あんたは、商家の令嬢としての立ち振る舞いは叩き込まれてきたんだろうが……。この方面での責任の取り方については、何にも身につけてきていないんじゃないか?」
「……」

 エルセの肩がびくりと揺れる。しかし、彼女はギルバートを見つめたまま視線を外さなかった。
 世間知らずを指摘されて反発するかと思われたが、逆に彼女は彼の言葉を漏らさず聞こうとしているようだった。

 温室育ちの娘にしては気概があるなと、彼は感心した。自分より十五は下のはずだが。
 それに免じて、ギルバートは厳しい口調にならないよう、慎重に気を配りながら言った。

「役立たずだって言ってるんじゃねえよ? ディアナは、外洋航行船の船長としての実績がある。女の身で危険な状況には違いないが、少なくとも、あんたよりはうまく動ける。あんたがここの令嬢だからってのもあるが、自分のほうが適任だと思ったから、彼女は身代わりになったんだ」

「……きっと、あなたの仰るとおりなのでしょう、ディレイニー様。私には何もできません」
 エルセが悲しげな溜め息をついた。

「あんな粗暴な者どもに捕まって、いくら恐ろしかったからとはいえ……。他人を差し出すような真似をして! 責任も取れないくせに、私はなんてことを……」

 今にも泣き出しそうな顔のエルセに、ギルバートは内心慌てたが──横に立っている執事からの圧力もあって──何とか大人の余裕を装って応える。

「相手の狙いがそもそもディアナだったんだ、お嬢さん(ユフラウ)が負い目を感じることじゃねえさ」
「私が捕まらなければ、彼女の拉致も成し得なかったでしょう」
「確かに、今後はひとりで出歩くのを控えるべきだな。教訓ってやつか」
 敢えて明るく言ったのだが、しかしエルセはそれでは納得していないようだった。

 一見して育ちの良い令嬢の我儘のようだが、彼女は自らの無力さに本気で苛立っている。おそらくディアナやライラと同じ気質の女なんだろうと、ギルバートは思った。

 しかし彼女達と同じことがこのエルセにできるかといえば、そうではない気もする。
 それに、裕福な家と慈しんでくれる家族、この二つの財産は、多くの海賊達が欲しくても与えられなかった貴重なものだった。捨てるなんてとんでもない。

 彼女は若過ぎて、手の中にある宝物の価値に気がつけていないだけだ。

「ええと……、例えばうちの船にも、操舵手とか航海士とか色々いるんだけどな」
 待たせている使者がいい加減気になるギルバートは、何とか頑張って言葉を探した。学がないというのは、こういうときに厄介である。

「やれることは、皆それぞれ違う。できないもんはできない、そりゃあ当然だ。ただしできることに関しちゃ腕を磨け、全力を尽くせと、うちの頭領なら言うだろうな。お嬢さん(ユフラウ)、あんたも今の自分にできることを考えたらいいんじゃないかと、俺は思うんだが」

 これでどうだと横目で見ると、執事はしかつめらしい表情で頷きを返してきた。とりあえず及第点は貰えたようだ。

「私に……できること……」
 半ば呆然と、エルセは呟いた。そこへ執事が咳払いをする。
「お嬢様。僭越ながら、あなた様が煩わされる問題ではないかと。やくざ者同士の諍いに、不運にも巻き込まれてしまっただけにございます。あなた様にできるのは、今日のことをいち早くお忘れになるということだけです」

 ギルバートは執事を睨みつけた。
 この爺、おとなしくしていろという点のみ賛同していたらしい。そういう態度に、彼女は苦しめられてきたのだろうに。

「エルセ」
 ギルバートは敢えて名前を呼んだ。驚いた顔の彼女に、にやりと笑ってけしかけるように言った。

「色々考えてみることさ。あのクラウン=ルースだって、いっつも眉間に皺寄せてうんうん唸ってるしな。まずはそこからだよ」
「……。はい!」

 ぱあっと、雲間から日が差したように輝いた彼女の表情に満足し、ギルバートは「じゃあちょっと行ってくる」と部屋を後にした。


 船からの使者は、部屋にすら案内してもらえなかったようで、玄関先の広間で所在なさげに立っていた。
 都市部にあるため、富豪の豪邸とはいってもこの広間にそこまでの広さはない。
 しかし複雑な文様の織り込まれた敷物やら、壁にかけられた誰かの肖像画やら、庶民にとっては立ち入るだけで圧倒されるような空間だった。
 大股でやってきたギルバートの姿を見るなり、その若い水夫はほっとした表情を見せる。

「よかった、お待ちしておりました!」
「悪いな、待たせちまって」
 謝罪もそこそこに説明を催促すると、使者の青年は周りに視線を投げてから連絡内容を伝えた。

「陽動作戦を取ることになりました」
 口頭なのは、ギルバートに文字の読み書きができないためだ。先代船長から識字能力の必要性が説かれていたが、海賊の身分ではどうせ免罪詩(ネック・ヴァース)も使えないしと避けていた結果である。

「ベインズ夫妻が先行を担当します」
「ベインズ夫妻?」
 聞き返したギルバートの肩越しに何かを見た水夫が、あっという顔をした。
 ギルバートが振り返ると、そこにはヴェーナの騎士ロイ・コルスタッドの姿があった。

「今の話は本当か、ディレイニー殿? ベインズ夫妻と聞こえたが」

 シュライバー夫人は娘の身を本当に案じていたのだが、同じ部屋に海賊がいることに耐えられず別の部屋にいた。その際に夫人の警護として指名されたのが、このヴェーナの魔導騎士だった。身元がはっきりしていて、立派な肩書きもあるというのがその理由である。

 が、その顔を見るに騎士本人は不本意だったらしい。適当に理由をつけて抜け出してきたのだろう。
 ロイは、ギルバートが何も答えないうちから興奮気味にまくし立てた。

「ベインズ夫妻とは、あの金髪の水夫とアラベラ殿のことだろう? 何ということだ、ぜひともお会いしたい」

 アラベラって誰だよとギルバートは思ったが、ベインズという金髪の水夫には心当たりがあった。バートレットのことだ。
 彼は独身だったはずで、となると仮初めの妻役が誰かも何となく見当がついた。
 よくルシアスがこの作戦を通したものである。

「彼はこの港で下船という形になりまして。夫妻は我々の所属から離れ、人魚(シレーナ)号の方々と行動を共にされます」
 使者の水夫が、すかさずそんな補足を入れる。
 彼の説明では、自分達と人魚(シレーナ)号の連中で部隊分けするということだった。
 バートレットはカリス=アグライア号を降り、転籍して人魚(シレーナ)号の連中と同じ船に乗るという偽装をする。

 多少無理のある設定のような気もするが、おそらくライラの補佐として彼が必要になったのだと、ギルバートはそこまでは把握できた。
 使者はロイに余計な情報を与えないよう、苦労しているようだった。もどかしい言い回しになっているのはそのせいだろう。

「この事件自体を表沙汰にしないようにという、シュライバー氏からの要請がありました。なので、お二方も言動にはくれぐれもご注意ください」

「難しいこと言ってくれるなあ、あの旦那も」
 顔をしかめるギルバートの横で、ロイは真面目くさって頷いた。
「承知した。明るみに出ては、いずれエルセ嬢の評判にまで影響が及ぶかもしれんからな」

 それに対し使者が、行儀の良い愛想笑いを浮かべる。
「ご理解感謝致します。頭領は、自分が動けば目立ちすぎると懸念しております。よって、こちらの警備についてはお二方にお任せする他ない状況でして」
「安心してお任せあれと、クラウン=ルースにお伝えいただきたい。ヴェーナの月の紋章にかけて、必ずや守りきってみせよう」

 こうしてはいられない、早速周辺の見直しをしなくてはと、急にそわそわしだしたロイは身を翻した。本来の業務に近い課題を与えられて、俄然やる気になったらしい。
 その大きな背中を見送りながら、使者の青年はギルバートにこそっと告げた。

「頭領から、どんな手段を用いても騎士殿の足止めをせよとの言伝です。ライラさんの妨げにならないようにと」
「令嬢だけじゃなく、でかい男のお()りもしろってか」

 ギルバートは思わず天を仰いだ。浮かれるロイの手綱を握りつつ守りに入るという仕事は、考えるだけでもうんざりするものだった。

 書面での指示だったら、多少は楽な仕事だったのだろうか。少なくとも、指示内容の一部がロイに漏れることはなかったはずだ。
 ギルバートは諦めの色が濃い溜め息をついた。
 これが終わったら、ライラかジェイクあたりに文字を習おうと密かに決意した。