Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

新たな始まり

12

 連れ立って医務室(シック・ベイ)に向かうと、片眼鏡(モノクル)船医(サージェン)は形ばかりの不満を漏らした。
「人の職場を溜まり場にするんじゃねえよ、まったく」
 しかし事前にティオに聞いていたからか、それ以上の小言はない。そして、何故かティオの姿は室内になかった。

 ジェイクは読んでいた本を閉じると、真顔になってライラを見た。
「大丈夫か?」
「……ああ」
 やや強張った作り笑いを返された船医(サージェン)は、短く息をつくと、
医者(おれ)の前でまでやせ我慢せんでいい、そんな青い顔して。まあ、丁度いいさ。薬酒を出してやるよ、今ティオに湯を取りに行かせてる」
 と言って彼らに向き直った。

「触りだけ聞いたが、ルースの女とかいうのがどっかの馬鹿に捕まったって?」
「俺達もよく知らないんです」
 レオンが答える。ライラのほうをちらりと見てから、取り繕うように付け加えた。
「何かの間違いだと思いたいところですけど」
「その話持ってきたのが、例のヴェーナの騎士様だろ? もしかしたら、捕まったってのはディアナじゃねえかな」
 自分以外の全員の視線が集まる中で、ジェイクは胸の前で腕組みをした。

人魚(シレーナ)号で本人から聞いたんだよ。この前あの兄さんを追い返したときに、機転利かせてルースの情婦のふりをしたって」
「ああ、あのときか! じゃあ、拐った連中もそう思い込んだってことですか?」
 当時ティオとふたりでディアナに事情を説明したレオンは、思い当たる節があったらしい。
 ジェイクは「多分」と頷いた。

「まあ、上の連中の話を聞かねえことにはわからんが。ルースに特定の女がいたって話は、ライラ以外に俺も知らんしな」
「なんだ。良かったですね、ライラさん」
 と、レオンが明るい顔を向けても、ライラは喜ぶどころか表情が晴れないままだ。

 そのとき、湯気の立つ銅製の水差しと蜂蜜の壺を持ったティオが、厨房(ギャレー)から戻ってきた。
 ジェイクは慣れた手付きで薬草酒のお湯割りを人数分作り、話も一旦途切れる。
 そんなライラと彼女を気遣わしげに見るバートレットを、ジェイクは手を動かしながら交互に眺めやった。

「原因、そっちじゃねえのか」
「コルスタッドに関することで、ライラはひどく動揺するようなんです」
 答えたのはライラではなくバートレットだ。
「本人の意思とも関係がないらしくて」
「……」
 どんな表情をとっていいのかわからないライラは、周囲の視線を避けるように俯いた。

 レオンとティオは話の全体像を掴もうと、余計な言葉を挟まないようにしている。が、誰も口を開こうとしなかった。

 お湯割りが各自に配られたところで、ライラが思い切ったように顔を上げた。
「もし、私を庇ったせいでディアナが危険に晒されたなら、私が助けに行きたい。いや、私が行くべきだ」

「まだ無理だ」
 即時、バートレットが否定する。
「動揺した状態で行動するのがいかに危険か、お前が一番わかってるだろうに」
「でもバートレット、黙って見てるだけなんてできない」
「俺から見ても許可は出せないな、ライラ。自分で思ってるほど冷静じゃないぞ、お前」
 悔しそうに訴える彼女の横から、ジェイクが苦い溜め息とともにそう告げる。

「今無茶したら、ディアナがお前を庇ったのも水の泡になるんだぜ? 義理不義理で考えるなら、むしろ今は大人しくしとけ」
「……っ」
 唇を噛んで下を向いたライラを、男達は心配そうに見やる。

 レオンが、おずおずとバートレットに視線を移した。
「確認なんだが……あのヴェーナの男に関わりさえしなきゃ、ライラさんは大丈夫ってことなんだよな?」
「おそらくは」
 バートレットが小さく首肯すると、レオンは悩ましげに眉根を寄せた。

「何とかできないものかな。ライラさんの機動力とか戦力って、無視できないだろ。特に今回みたいな件、彼女は得意なんだから」
 そこでジェイクが、ふと気づいたように訊いた。
「そういえば、ふたりは街の中で騎士殿と遭遇したんだよな。その時はどうかわしたんだ?」

 それについては、レオンとティオもただ「ごまかした」としか聞いていなかった。彼らは、興味を惹かれたようにライラとバートレットを見る。
 ライラはもちろんのこと、バートレットもしばらく答えるのを躊躇っていたが、やがて彼は重い口を開いた。

「人違いだと言って突っぱねたんですよ。ライラの顔は一瞬見られてしまったんですが、距離があったので。間近で『翠金石の瞳(スター・オリヴィン)』を見られていたら無理でした」
「あのコルスタッド氏が、よくそれで退いてくれましたね?」
 ティオに悪意はなかったが、バートレットはその言葉にぎくりとする。ジェイクはそれを見逃さない。

「確かにそうだな。遠路はるばる追いかけてきた男にしちゃ素直だ。……で、決め手になったものは?」
 意地の悪そうな眼差しを向けられて、バートレットはあからさまに嫌な顔をした。ライラはそんな彼を心配そうに見やるが、彼女から答えるつもりもなかった。

 バートレットは、はあ、と重苦しい溜め息をついた。
「勘弁してくださいよ、頭領にも顰蹙(ひんしゅく)を買ってるんですから……。夫婦だと嘘をついて、妻に手を出すなと脅したんです」

 すると案の定、笑い上戸の船医(サージェン)は吹き出した。
「何だよそれ、最高じゃねえか! そのときのルースの顔、見たかったわー!」
「よりによって夫婦って、お前度胸あるなあ」
 レオンが愕然として言う。ティオも驚きと心配の混ざる顔でふたりを見つめていた。

 状況のこともだが、彼女が上司の想い人であることも含んでいるとはバートレットもわかっていたから、彼は渋々応える。
「度胸とかじゃない。咄嗟のことで、手段なんか選んでる余裕がなかった」
「アラベラって、彼の母上の名前を借りたんだ」
 舐めるようにちびちび薬草酒を飲んでいたライラが、弱いながらも微笑する。

 彼女には、ギリギリの緊迫感と切り抜けた達成感は、賞金稼ぎとして活動する上で馴染みのあるものだった。思えばそのときは、ロイに対して感じる抵抗を、高揚する気持ちが緩和してくれたのだろう。

「なるほどねえ……」
 やっと綻んだ彼女の表情を、船医(サージェン)は面白そうに観察する。
「ディアナも言ってたが、相手はかなりの堅物(かたぶつ)なんだろ? 案外、最良の策をとったのかもしれないな」

 するとそこで、ティオが近づいてくる足音に気づいて振り向いた。部屋の外側を見ると、ルシアスがこちらに向かってくるところだった。
 彼は、医務室(シック・ベイ)に入り切らないほどの大人数がたむろしているのに、少し驚いた顔をしていた。

「おや、珍しい奴のお出ましだ。話し合いしてたんじゃないのか?」
 ジェイクの問いに愛想もなく「抜けてきた」と答え、ルシアスはすぐにライラの前に立った。

「話がある」
「話?」
 ライラが首を傾げると、彼は興味津々で聞き耳を立てている周囲には目もくれず、真摯に言った。
「時間がないから手短に言う。俺の女だと思われて、ディアナが拐われた」
「……そうかもしれないって、今ジェイクに聞いたところだ」

 軽く頷いたライラに、ルシアスは目を瞠り、脱力したように深く息をついた。その様子に、ライラはかすかな笑みを浮かべる。
「わざわざ伝えに来てくれたのか。ありがとう」
「こんな誤解されたまま放置するなんて、恐ろしくてできん」
 呻くように告げる彼に、彼女は小さく笑い声を立てた。

「誤解じゃなかったとしても、別に泣き喚いたりしないよ」
「いや。事実だったら思う存分(なじ)ればいい、その権利はある」
「恐ろしいのにか」
「震えながらでも耐えてみせるさ、失うよりマシだ」
 安心したからか、ルシアスは軽口で受け答えしてみせた。

 そのやり取りにあてられた医者が、皮肉っぽい目をルシアスに向ける。
「物分りのいい恋人で何よりだな、ルース」
「もう少しごねてくれてもいいが、正直今は助かる」
 皮肉をそれと受け取らず素直に返した彼に、ジェイクも表情を入れ替える。

「確かに痴話喧嘩してる場合ではないな。相手はわかってんのか? 目的は?」
「まだ何も。そのうち交渉役が来るだろうが、それまでに打てる手を打つつもりだ。スタンレイが街で情報収集をさせてた何人かを、今戻してる」

 ルシアスは淡々と言ったが、彼が急いでいるのは話を聞いた全員が感じ取った。
 彼の身内を連れ去ったのは、弱味を握ることで交渉を有利に進めるためだろう。しかし、わざわざ情婦という立場を狙ったなら敵の真意は他にもある可能性がある。

 特に、彼ら海賊の界隈ではよくある話だった──若い女性の捕虜に対し、担保されるのが生命だけというやり方は。

 ライラはルシアスをじっと見つめた。
「ルース。私にも責任の一端がある、ディアナの救出に参加したい」
「だから駄目だ」
 と、ジェイクとバートレットがほとんど同時に声を上げた。
 ライラばかりでなくルシアスも面食らったが、彼は何かを察してふたりに尋ねた。

「それは、俺も把握していたほうがいい事柄か?」
「一応な。ちょいと事情が複雑、というか繊細だ」
 ジェイクが苦々しく言う。

 それを聞いたルシアスは目を眇め、ほんの少しの間だけ考えに耽った。しかしすぐに口を開く。
「わかった。後で話す場を設けよう。上のがまとまったら誰か呼びに来させる」
 そう言い置くと、彼は身を翻して会議室(サロン)に戻っていった。

 それを見送ってから、ライラは嘆息する。
「ふたりとも神経質だ」
「お前に何かあったら困るんだよ、色々と」
 ジェイクがぼやく。

 その横で、ティオが控えめに口を開いた。
「改めて思うんですけど……。ライラさんの前だと、頭領ってかなり人間臭くなりますよね」
 彼は先ほどのやり取りに、驚きを覚えたようだ。ライラを除く他の者もそうだったようで、レオンなどは苦笑交じりに頷いた。

「頭領も普通の男なんだなって、俺は安心したよ。恋人に気を遣って、話し合いを抜け出してくるなんてことする人じゃないもんな、普段」
 自分でそう言ってから、レオンはバートレットにふと目を向けた。
「そういえば、お前もそうだよな。最近、人当たりが柔らかくなった」
「え」

 不意を突かれて、バートレットは目を丸くした。
 ティオは邪気のない笑みでレオンに同意する。
「確かに、近頃はよく笑いますよね。前までは、こうやって皆でわいわいやる場所にもあまり入ってこない印象でした。これもライラさんの影響ですかね」

 しかし言われた当人は、つられて笑うようなことはなかった。
 視線を床に落とし、戸惑いを隠しきれない様子で、バートレットは独りごちた。
「そうか。自分じゃ、わからないものだな」