Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

新たな始まり

09

 次の日は朝から小雨が降っていた。
 空を覆う重苦しい雲からさらさらと音を立てて雨粒が降り注ぎ、風景はまるで薄絹の帳をおろしたかのようにぼやけて見える。港はいつもどおり活動し始めていたが、晴天の日に比べればいくらか人も少ないように感じられた。

 そんな中、雨が作る紗に身を隠すようにしてカリス=アグライア号にやってきたのは、商人シュライバーである。
 船長室(キャプテンズ・デッキ)に招かれるなり、シュライバーは水を吸って重たくなった外套を脱ぎながら、ルシアスに嫌味を投げつけた。

「やれやれ。誰かさんのおかげで、昨日からあちこち走り回らされてるぞ」
「それは申し訳なかった」
 相変わらずすました様子で返しながら椅子を勧めるルシアスに、シュライバーは何を言っても無駄と悟ったのか、ふんと鼻を鳴らした。

 そのシュライバーから外套を受け取って壁の鉤にかけると、ライラは一礼して退室していく。
「……ここで若い娘さんに会うとは思わなかった。人魚(シレーナ)号のことといい、ルース、お前さんこの航海で随分変わったな?」
 彼女が出ていった扉を眺めながら、シュライバーがのたまった。

「以前はもっと、合理性を追求して一切の無駄を省くような奴だった。それこそ、他人の船がどうなろうと気にしなかったろうよ」
「別の誰かにも言われたな、前は面白味のない男だったと。俺も年を食って、丸くなったのかもしれない」

 シュライバーの正面に座ったルシアスが苦笑を漏らす。中年の商人は、そんな彼を軽く睨んだ。

「老けて見えるだけで、まだ三十にもなってないくせに生意気を言うんじゃない」
「十になる頃から船に乗ってるんだ、老けもする」
「せめて所帯を持ってから言うんだな、そういうことは」
 シュライバーは年長者の立場からそうあしらい、そして語調を変えて続けた。

(せがれ)から聞いたが、昨日事務所に来ただろう。おそらくその要件と同じ話だと思うが、結論から言えば、出かかっていた逮捕状はなんとか止められそうだ」
「そうか。恩に着る」
 あまりにもあっさりした礼に、シュライバーは声を大きくして言った。

「お前がこんなつまらんことで吊るされるのは、こっちも困るんだよ! あんな昼時の街なかで拳銃使えば目立つに決まってる。お前らが関わってたのだって既に調べがついてたんだ。いくらここがヴェスキアとはいえ、今回はあくまでも首の皮一枚で繋がっただけなんだからな!」

 拳銃を使ったのは相手であって、ルシアス達ではない。通常なら正当防衛が考慮される事態だ。
 しかし賞金首である以上、何かの騒動に関わった時点で当局に余計な口実を与えてしまう。適当な理由をつけて逮捕されれば、(おか)の刑事法廷では無罪でもそのまま海事法廷に引きずり出される可能性はあった。そうなれば自ら海賊を名乗る身で有罪は免れず、海に面した絞首台に吊るされ、しばらく波に洗われながら間抜けづらを晒す羽目になる。
 シュライバーが言うように、これ以上になくつまらん死に方だった。

「だから充分感謝してるさ。涙を流して抱擁するようなのが御希望だったか?」
「面白くもない冗談なぞいらんよ」
 ルシアスの言葉を適当に受け流し、シュライバーは話を続けた。

「まあ、目立つのが悪いことばかりだったわけじゃない。昨日、追われているお前らの姿を住人達が目撃していた。必要があれば証人になるという申し出もあった、逮捕状がすぐ出なかったのはそういう市民感情の後押しもあってのことさ。良かったな、この街で腹黒い商売してなくて」
「まったくだ。善良な市民の厚意には大いに感謝しなくては」
「ぜひそうしてくれ。この街ではクラウン=ルースは庶民に大人気なんだ。下手なことして夢を壊してやるなよ、うちの倅までのぼせ上がってるくらいだからな」

 シュライバーの苦々しい言い方に、ルシアスは昨日会った若者の熱狂ぶりを思い出して苦笑した。
「海賊に憧れる、ね。平和で結構だ」

 そもそもルシアスの罪状だが、海賊行為そのものが重犯罪であるとはいえ、高額な報奨金をかけるほどでもなかった。
 実は『天空の蒼(セレスト・ブルー)』は、先代の時も含めて残虐な行為はしていない。ただその活動期間が他と比べて長期であり、密輸による脱税の総額はかなりのものになる。

 彼らは、すべての積荷について不正をしているわけではなかった。関税が高すぎるもの、どこかの国が売買を独占しているものが大半だったが、人々には歓迎されても税金を徴収する側からは恨みを買ってしまうのは当然だ。
 また、海賊の増加は貧困と比例した現象でもある。社会的な上昇を求めて海賊化する者達の目には成功者として映るであろうルシアスを、国や当局が見せしめとして処刑し、抑止力にしたいという狙いもあった。

 しかしここは海港都市ヴェスキア、商人達が作り上げた商業の街である。

 シュライバーが逮捕状を止めることが出来たというのも、ルシアスが暴力的な極悪人でもなく、商売上では街に貢献しているからに相違なかった。彼を処刑するより、そのまま経済活動をしてもらったほうが今の段階では得、と判断されたのだろう。

天空の蒼(セレスト・ブルー)』の面々もこの街のそういう性格を知っており、だからこそ、昨日の時点で無理をしてまで出港するという選択をしなかったのだった。

「それと、お前らが斬った破落戸(ごろつき)だが、捕吏の連中が駆けつけたときにまだ息があった。運が良ければ病院で今も生きてるはずだ」
「ほう」
「そいつが妙な証言をしてね。もう一人、別の男が現場にいたと」

 それを聞いたルシアスは目を細めた。彼の様子に確証を得たシュライバーは、更に続ける。

「確かに、生きてた二人は舶刀(カトラス)で袈裟斬り、死んだ三人は剣でひと突きか急所をバッサリだったそうだ」
「そいつらは巻き添えで死んだんだ。あの男はもともと俺の首を狙っていた」
「なんだと?」
 ルシアスの呟きに、シュライバーは目を剥いた。

「それじゃ、相手は賞金稼ぎか?」
「そのようなもの、らしいが。路銀が必要だとも言っていたかな」
 あくまでも淡々と語るルシアスを、シュライバーは奇異なものを見るような目で眺めやる。生命を日常的に狙われておきながら、平然とする感覚がわからないのだろう。

「金が必要な賞金稼ぎ? よくわからんな。斬られた連中だって、よそから流れてきた鼻つまみ者の小悪党どもだ。そっちを当局に突き出せば多少の金にはなったろうに」
「じっくり語り合ったわけでなし、思惑までは知らん」
 ルシアスはそう嘯いた。

 あの奇妙な男の言動を思い起こせば、金が必要と言いながらもそこまでルシアスに対する執着はないようだった。破落戸(ごろつき)を斬ったのだって、金のためや社会のためではないだろう。かといって、快楽殺人的なことをするようにも見えなかった。
『こいつは玩具じゃない』──その言い分からして、武器を持って戦うことに誇りを持つ系統の人間だとルシアスは感じたのだ。

 ライラは軍人崩れを疑っていたが、賊や賞金稼ぎに身を落とす軍人というのは、戦争が終結し、職にあぶれて経済的に困窮しているのが大半だ。そして、不本意なことをしているという不満が隠しきれない。それはあの男には当てはまりにくい気がした。
 では何者か、と訊かれればルシアスも困るのだが。

「ふむ……。わかった、そいつの動向も気をつけておこう」
 納得したようなしていないような様子で、シュライバーはその話を打ち切った。
 他にも話さなくてはならない件が多いのである。

「あとは、なんだったかな。……そうだ、人魚(シレーナ)号の買い手がついたんだ。昨日俺が留守だったのは、その商談をまとめていたからだ」
「買い手がついた?」
 思わずルシアスは聞き返した。

 あの船自体はまだ新しく価値もあるのだが、エスプランドルという国の背景を考えれば、処分するのにもっと難航するかと思っていたのだ。
 シュライバーは軽く二度三度と頷いてみせる。

「相手はエスプランドル商人さ。エスプランドル船は高いから売値にさんざん渋られたが、なんとか交渉成立だ。これで肩の荷が下りたよ」
 それを聞いて、ルシアスも納得した。
 おそらくはエスプランドル王室の意を受けてのことだろう。国庫に金がなくても、懐の豊かな商人に立て替えさせればいいのである。実際、あの国の王は商売の保護と引き換えに、これまでも商人達からよく金を借りているのだった。

「では、残る問題は新造船か」
「ああ、木材の件についてはもう少し時間をくれ。何となく把握しかけているが、核心が掴めていない」
 シュライバーは急に歯切れ悪くなってそう言った。

 ルシアスはそれに引っかかるものを感じた。
 商人というのは、ある程度の規模になると同業者同士でハンザやギルドを作る。競合や独占を防いだり、売買価格の乱高下を防いだり、今回のような問題に対処する団体だ。もちろん情報の共有もそこで行われる。

 この街の木材業者も例外ではなく、それでも時間がかかりそうだというのは、どうも腑に落ちなかった。
 やはり、単なる流通上の事故などではなく、誰かの意図が働いたという線が濃厚だろう。

 ルシアスは目立たぬよう嘆息した。
 恨みや妬みといったものには慣れている。が、これまでなら最悪自分や何人かの仲間が死ぬだけで済んだところを、今はそうもいかないことに改めて気がついたのだ。

 脳裏には、昨日彼の恋人が見せた心配ぶりが蘇っていた。