Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

新たな始まり

06

 それから数日間、ルシアスは何度も陸へ出向くこととなった。
 必要な資材が予定通りに入ってきていない、とシュライバーから連絡を受けたためである。その資材とは、航海に持っていく飲料用の樽材であったり、建造予定の船に使ったりする木材だった。

 この国は木材が豊富な国なので、特定の取引相手から多少滞ったとしても替わりが利く。だから大きな問題にはなっていないのだが、調整が必要なのも事実だ。

 木は切り出してすぐに使えるものではない。ある程度の期間は乾かして木そのものの収縮を落ち着かせる必要がある。いくら森が豊かな国とはいえ、好きなときに好きなだけ調達できるものでもなく、供給が即可能なものとなると数は限られた。

 そこでルシアスは、在庫を抱えている商人を新たに探して必要分を確保することにしたのだ。

「船の方は何とかなりそうだが、問題は樽だよな」
 ルシアスと連れ立って町の中を歩きながら、ギルバートが言った。

 ヤースツストランドはここ最近造船業でも頭角を現していた。水運技術の発達で大型船の建造も他国より短納期かつ低価格を実現させているためで、そこで多少の遅れが出たとしても、標準的な納期を鑑みればまだ余裕を持つことができた。

 樽材もそうなのだが、こちらは新造船以外の船や陸の産業でも常に需要があり、それの供給が滞るとなるとそのうち街全体の問題になってくる。
 航海で使う場合、特に飲料水については乗組員の生命に直結するものでもあるので、数の妥協が難しかった。こちらについては早めに獲得に動くのが無難といえた。

「船内に残ってるもので、まだ使えそうなものもいくつかあるはずだ」
 ルシアスの言葉に、ギルバートも頷く。
「念の為帰ったら確認させよう。……ところで、ちょっと気になってることがあるんだが」
「なんだ」
 ルシアスが促すと、彼はやや躊躇う素振りを見せた。

「いや、俺みたいな単純な奴の言うことだから、あまり本気にし過ぎないでほしいんだけどな」
「いいから言ってみろ」
「その……。この遅延の件、原因はなんだろうなって。いつもだとさ、どっかで戦争が起きたとか海賊の焼き討ちがあったとか、事前に読めそうな理由があったりするだろ。今回は急だったなと」
「……。そうだな」
 口ではさらりと返答しつつも、ルシアスはその点について懸念を強めた。

 確かに、予兆となる事象が今回は特に見当たらなかった。それに、この辺りの漁師達は鰊や鱈を船上で塩漬けにしたものを輸出していて、塩漬け用の樽が不足する傾向が見えれば街でも騒ぎになるだろう。シュライバーとて、物の流通に関しては自分達よりも敏感に異常を察知するはずが、彼は平時の前提で船の建造予定を立てていた。

「局所的な事情ならばいいが……何かの妨害があった可能性もある、か」
 苦笑交じりに呟く頭領に、ギルバートは反対に眉根を寄せた。
「やっぱり、そういうやつかな? まあ、俺達万人に好かれてますなんて大口叩く気はねぇけどさ、面倒くせえな」
「ここのところ平穏過ぎたくらいさ。俺達にしてはな」

 目顔でルシアスに指示されて、ギルバートもまた視線で応えると、ふたりは狭い脇道に入り込んだ。

 中央広場を中心に放射状に通りが伸びるこの街は、上空から見下ろせば蜘蛛の巣に似た形状をしていた。通りと通りの間にいくつもの細かい路が走っている。その多くは通行人の便を図るよりも住人の生活道路としての用途に重きを置かれ、極端に狭かったり、中には袋小路になっていたりするものも少なくない。

 建物に挟まれた路地には陽も当たらずひんやりとしていたが、見上げれば三階や四階の窓から物干しの綱が渡され、色とりどりの衣服が風に吹かれて旗めいていた。
 まだ昼前で、別の路地からは子供達の遊ぶ声が聞こえてくる。

 ルシアスとギルバートはどちらからともなく視線を交わし、そこで一気に走り出した。

「くそ、逃がすな! 追うぞ!」
 後ろから男の声が聞こえ、バタバタと追いかけてくる気配がする。

 ふたりは入り組んだ路地を走り抜けるが、追っ手が諦める様子もない。上手く撒けるのが一番良かったが、そうもいかないようだ。
 やがて窓の多い人家よりものっぺりとした石壁の続く倉庫が多くなってきた辺りで、彼らは足を止めて振り返った。

 やや距離をあけて、五人の追跡者達も立ち止まった。ルシアス達が観念したと思ったのか、男達は皆興奮気味にニヤニヤしていた。
「追い詰めたぜぇ、クラウン=ルースよう。そんな目立つ(なり)で真っ昼間っから歩き回るなんて、馬鹿な真似してるからさ」
 と、中心人物らしい男が言うや否や、上着の内側から拳銃を取り出して銃口を向けてくる。

 しかし、ルシアスに動じる様子はない。
 記憶にない顔だったことと、人目を憚ることなくドタバタと追いかけてきたことから、懸賞金狙いの破落戸(ごろつき)だろうと彼は見当をつけていた。

「別にこちらは目立ちたいとは思っていないのだがな」
「同業で、なんか孔雀みたいな格好してる奴とかもいるだろ。ああいうのと並べたら、お前は地味過ぎて逆に目立つのかもねえ」
 ギルバートの茶化し言葉に、ルシアスは憮然とした調子で呟く。
「だとしたら迷惑なことだ」

 数で既に負けているはずの獲物達の余裕ぶりが癪に障ったのか、もしくは焦ったのか。男は顔を紅潮させて怒鳴った。
「無駄口叩いてないでとっととくたばりな!」
 言い終わるかどうかというところで、男はルシアス達に向けて発砲した。

 銃声に驚いて、屋根で羽を休めていた野鳩達が一斉に飛び立つ。
 が、日陰とはいえ明るい時間帯でのこと、しかも攻撃の手が完全に見える状態で、ルシアスもギルバートもあっさりと銃撃をかわしてしまった。

「真っ昼間って自分で言っておきながら銃ぶっ放すとか、阿呆かよ」
 呆れた口調でのたまいながら、ギルバートが剣を抜く。
 彼の隣で同じく抜剣したルシアスも苦笑した。
「闇討ちではないあたり、一応は正々堂々と言ってやってもいいんじゃないか?」

 火打式(フリントロック)の拳銃は玉込めに時間がかかる上、照準も合わせづらいので、一発が勝負だ。
 しかし修練を積まずとも高い殺傷能力を発揮するので、武芸に心得のない者が使う場合も多かった。使いどころを見誤ってしまうのはそのせいだろう。

「ごちゃごちゃうるせえ!」
 男は拳銃を懐に仕舞うと、今度は剣を抜いて奇声とともに斬りかかってきた。
 ひと呼吸ほど遅れて他の男達も剣を手に構えるが、狭い路地なので一度に二人同時に向かうのが限界だった。

 そして、二人程度であればギルバートの敵ではない。
 彼は逃げるどころか迎え討つように前に出た。

 最初に降ってきた刃を真っ向から受け止めると見せかけ、身体を横に逃しつつ手首を捻って受け流す。相手の剣を下方に滑らせ、返す刀で胴を斬り上げる。傾く男の背後から突き刺さんと繰り出された別の剣も、ギルバートはその勢いでかわし、相手の後ろに周って袈裟懸けに斬った。

 悲鳴をあげながら二人目の男が崩れ落ちる頃には、彼はもう次の獲物に向けて剣を構えている。
「ほら、どうするよ? 正直言って、この街じゃこんなことに命懸けるより、真面目に働いたほうが楽に稼げるぜ?」
「……っ」

 残った三人の男達は、その言葉に動揺を見せた。怯えたような眼差しでルシアス達を睨んでいたが、ふたりが斬りかかってくる様子がないとわかるなり、身を翻して一目散に駆け出した。

 その背中が遠ざかるのを見送り、ギルバートは嘆息して剣を鞘に収める。
 ルシアスももちろん、追いかける気などさらさらなかった。

 ああいう手合は、地道な仕事を嫌って短絡的に悪事に手を染めている割合も多く、命を懸けるほど強い信念があるわけでもない。大した腕もないのに、懸賞金に目が眩んで追いかけてくるのもそういうことだ。

 それをいちいち殺していくことに、彼らは意味を見出せなかった。私怨で向かってくるならまだ相手もするだろうが、刃を向けられた程度では怒る気すら起きない。

 そのとき、路地の先から短い断末魔の叫びが聞こえた。

 はっとしてルシアス達が再度男達の走り去った方へ視線を向けると、そこでは既に三つの塊が地面に蹲っていた。彼らが目を離した一瞬の出来事だった。

 その傍らに、一人の男が立っている。
 血に濡れた剣を手にしたまま、男はゆっくりとこちらに向かってきた。

「死ぬ覚悟もない奴が、人に剣を向けちゃあいけないんだよ。こいつは玩具じゃないんだから」

 男の穏やかな声音に反し、ふたりは無言で剣を手に構える。
 先程の追跡者と違い、この男の気配は全く感じ取れなかった。

「本当はお手並み拝見といこうと思ってたんだけど、まさか見逃すとはね。甘いなあ、クラウン=ルース」
 距離が近くなるに連れ、男の姿が明らかになった。
 微笑みを浮かべるその顔だけ見れば、勝ち気な女性といっても通るほど整っていたが、声は間違いなく男性のものだ。体格もそう。

 しかし、ただ歩いているこの状態ですら全く隙がないことを、ルシアス達も気づいている。

「お前の狙いも、俺の首か?」
 ルシアスの低い問いかけに、男は笑顔で頷いた。
「そう。特に恨みもないが、路銀の足しにしたくてね」
「何だと……⁉」
 ギルバートが気色ばむ。ルシアスは彼を手で制しつつ更に訊いた。

「見ない顔だが、賞金稼ぎか」
「一応そういうことになるかな」
 男はあくまでも朗らかに答える。

 しかし、そんな上辺の姿勢に惑わされるふたりでもない。男から視線を外さないまま、ルシアスが剣の柄を握り直した、そのとき。
 遠くから大勢の足音が聞こえてきた。銃声を聞きつけた住民から通報が行ったらしい。

「もう時間切れか。面倒事はごめんだ。残念だけど、ここは退こうか」
 男から周囲を圧迫するような気魄がたちまち消え失せ、見た目通りの穏やかな様子で彼は肩を竦めた。
「近い内にまた会おう、クラウン=ルース。次は楽しめることを期待しているよ」
 剣を仕舞いつつ微笑みとともにそう告げると、男は軽い身のこなしで脇の細い路へと走り去る。

 ギルバートは面食らった様子でそれを見つめている。
「なんなんだ、あいつは……」
「さあな。とりあえず、今はここを離れよう」
 そうしている間にも、足音と喧騒がかなり近くなっていた。
 ルシアスはギルバートを促して、男とは別の方向へと走り出した。