Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

新たな始まり

03

 剣を佩いた青年がひとり、晴れた午後のヴェスキアを当て所もなく歩いていた。

 赤みの強い茶色の髪は癖だらけの巻き毛でふんわりと肩にかかり、透き通るように白い肌の上にかすかにそばかすが散る。木漏れ日を閉じ込めたような明るい緑の瞳と、控えめな笑みのように口角の上がった唇が優しげだ。

 背の高さや肩回りの骨格からして間違いなく男性なのだが、全体的な柔らかい雰囲気とその現実離れしたような美貌が、どうにも年齢や性別を曖昧な印象にしている。まるで神話に出てくる妖精族のようだった。

 その青年は、今しがた目の前の宿屋から出ていった人物を見て、ふと足を止めた。
「あれは」
 鈍色の短髪をした大柄な男だった。
 その身を包む肩章付きの立派な外套は、この商業都市にあっては目を引く代物だ。背中の刺繍はとある都市の所属を示す。
 男は、青年に気づくことなく大股で立ち去ってしまった。

「どこかで見た顔だ。けどどこだったかな」
 青年は、小首を傾げてひとり呟いた。
「ヴェーナに知り合いなんかいないし」
 記憶を漁っている最中に、ぐう、と腹の虫が鳴った。

 太陽は既に下降を始めており、数刻もすれば夕方だ。なのに、今朝から何も食べていないことに青年は気がついた。

 そもそも、仕事だけではなく食料を探すために彼は徘徊をしていたのだ。しかし懐の残金は乏しく、どちらも選り好みが許されない状況だった。
 知り合いかどうかもわからない相手を気にする余裕は、今の彼にはないのである。

 青年は再び歩を進めながらきょろきょろと辺りを見回し、山盛りの果物を並べた露天商を見つけてそこに近づいていった。
「ええと、これください(ゲーフ・メ・ディット)

 林檎をひとつ取り、拙い地元の言葉で伝えつつクロイツァー銅貨を数枚差し出す。すると、恰幅のいい女店主はにっかりと笑って銅貨を受け取った。
「公用語で大丈夫だよ、色男のお兄さん」
「そうか。ありがとう、じゃあこれを下さい」
 青年はホッとした笑顔を浮かべて、改めて言った。

 と同時に、再び腹の虫が盛大に催促をしてきた。
 呆気に取られた女店主は、次の瞬間にプッと吹き出すと、愛想笑いをたちまち大笑いに変えた。体格に似合った、豪快で気持ちのいい笑い声だった。

「いやだ、お兄さん。腹減ってんのかい。そんなでかい音立てて、せっかくの色男が台無しじゃないか!」
「あー、これは失礼……。仕事を探して旅をしているんだけどね、どうもうまくいかなくて。節約してたんだけど、我慢し過ぎてこの有様です」

 青年が恥ずかしそうに答えると、女店主は眉根を寄せて痛ましそうに彼を見やった。
「あらら。こう言っちゃなんだけど、その見てくれをうまく使えば、お金持ちのご婦人様方に後ろ盾になってもらうこともできるだろうに」

 すると青年は気を悪くするでもなく、あははと軽く笑った。
「いやあ、僕はどうも要領が悪くてね。可愛げってやつがないみたいで」
「そりゃ残念だ、向き不向きはどうしてもあるさね。そんなに気を落とすんじゃないよ、人生何事も次があるよ」
 元気づけるように言う女店主に、青年は柔らかい笑みを返した。
「ありがとう、優しい奥さん」

 と、そんな二人のいる店の前の通りに、一台の二頭立て馬車が止まった。別の客のようである。
 小さな音を立てて扉が開くと、中から蜂蜜のような色の髪をした少年が出てきた。小走りでまっすぐ店に向かってくる。

 利発そうなその少年は、女店主を見て軽く会釈をすると、丁寧な物腰で言った。
「林檎を三つ頂けますか」
「あいよ」
 銅貨と引き換えに果物を受け取ると、少年はふわりと微笑んで再度、会釈した。
ありがとう(ダンクウェル)

 その笑顔は、二人が思わず見惚れてしまうほど愛らしいものだった。蕾が綻ぶような、とはまさにこのことか。
 笑顔以前に、少年の顔立ちが少女に見紛うほどよく整っているというのもあるだろう。あと数年もすれば、街中の女が溜め息をつくような美青年になるに違いなかった。

 女店主などは、少年とのこの短いやりとりだけで、ぼんやりして軽く頬を染めている。
 その間に少年はさっさと馬車に戻ってしまい、中に乗り込む様子を目で追いながら女店主はまだ半ば呆然としつつ呟いた。
「あらあら、今日は眼福の日だわ。あたしも負けてらんないわねえ」
「僕から見れば、奥さんも充分お綺麗ですよ」
 横から苦笑交じりに青年が告げると、女店主はすぐさま本来の元気な笑顔を取り戻した。
「ありがと! でもあたしにまでそんなおべっかが言えるなら、仕事でも何とかなりそうじゃないかい?」

 もちろん彼女の言う仕事とは、金持ちの夫人達に囲われる情夫のようなものだ。
 確かに、この街には金と暇を持て余したご婦人方が多くいた。商売に精を出し過ぎて家庭を一切顧みない夫を、ただひたすら家で待つだけの彼女達に、そういった若い男は需要があるのだった。

 それは実際に身一つでできる仕事ではあるが、青年ははっきりと首を振った。
「いやいや、女性相手の仕事では僕の婚約者が悲しむので」
「おや、じゃあ仕方ないねえ。でも、結婚するなら早く仕事見つけなくちゃね。頑張って、この街なら他の仕事もたくさんあるよ!」
「ええ、そうみたいだ。……ところで」

 愛想笑いで頷いた青年は、既に走り出した馬車に視線を向けたまま尋ねた。
「あの馬車に乗っていた色黒の彼、もしかして相当な有名人では?」

 色黒、というからにはあの少年のことではない。
 少年が馬車に乗り降りする際、奥に別の人間が座っているのが垣間見えたのだ。

 女店主がそこまで見ていたかどうかはわからないが、目立つ相手であるのは確かだった。辻馬車に乗りながら、異国人の奴隷でもなくきちんとした小姓を連れているというのもそうだが、あの人物はとにかく一度見たら忘れられないほど特徴的だ。
 ここで店を出すような商売人なら、その正体を知っていてもおかしくはない。

「ああ、クラウン=ルースかい。まあ、有名人だね」
 女店主はあっさりと答えた。
 青年は、驚いたふりをした。
「やっぱり。すごい賞金首じゃないですか」
「そうだけど……この街じゃいいお客さんなんだよ」
「お客さん?」

 賞金首と聞いて急に歯切れの悪くなった女店主に青年が聞き返すと、女店主は肩を竦めて弱い笑みを浮かべた。
「海賊っていうけど、あの人はあちこち荒らし回ったりしないし。商船の護衛も頼めば引き受けてくれるそうだし。お国が取引を独占しているような貴重な品も、たくさん持ってきてくれるからね」
「そうかぁ」

 つまりは、この街にとって欠かせない人物らしい。

 下火になってきているとはいえ、まだまだ海賊を名乗る者が多いご時世だ。そんな中で国が積極的に捕縛するのは、よほど目に余る悪党か、市民から通報があった場合くらいだ。そういう意味では、クラウン=ルースはこの街の人々に守られているのだろう。

 青年がこれまで聞いた噂でも、『天空の蒼(セレスト・ブルー)』がやっていることは海賊(パイレーツ)というよりは冒険商人(マーチャント・アドベンチャラー)に近いものだった。

 商船も武装したり護衛をつけたりする現在、収奪行為も簡単ではなくなっており、国際社会というものが急成長している中、盗品も買い手がつきにくくなっている。そんないわくつきの品を買い取ったとしても、国を通して返還を求められれば拒否できないし、下手をすると共犯者とみなされるからだ。海賊達が挙って私掠許可証を求める理由もそこにある。
 時代の流れを読むなら、クラウン=ルースの動き方は賢いと言えた。

……けど、国からは充分に睨まれている、と」
「え?」
 聞き返してきた女店主を、青年はとびきりの笑顔で誤魔化した。
「なんでもありません。それじゃあ、ありがとう奥さん」

 軽く会釈をして店を離れながら、青年は買ったばかりの林檎に齧りついた。
 その目つきは、温和でありながらもどこか危険な色を滲ませている。それはまるで、獲物を捕捉した猛禽類の目だった。

「数年前確認した時、既に懸賞金は三〇〇〇ギルダーだった。そんなに必要はないけど、選んでもいられないしな。――狩るか」

 あっという間に林檎を平らげ、余った芯を路の脇にある側溝に放った。芯はべちゃりと音を立てて、へどろに埋まる。
「しかし、結局こういう世界に戻るのか。因果なものだけど、背に腹は代えられない」

 手についた果汁を服の裾で行儀悪く拭うと、青年は胸元に手を伸ばす。首から下げられた紐には、少し形の歪んだ銀の指輪が括り付けてあった。
 指先でそれにそっと触れながら、青年は寂しげな溜め息を漏らした。

「せめて、君と一緒だったらよかったのにな、ライラ」