Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

新たな始まり

02

 ヴェスキアの中央広場にほど近い場所にあるシュライバーの事務所は、一等地に建つだけあって見てくれは立派だが、中は雑然としていた。
 机の上には書類が積み重なり、本棚には本の他に細かい雑貨が隙間を余すところなく置かれている。それも、東洋風の陶器だったり、東南風の木彫りだったりと一貫性がない。床には箱や壷が並んでいたが、そちらも製造国は様々だった。

 それら遠方の異国との交易の歴史は古いが、あくまでも上層階級に限った話だ。庶民にまで届いたのはここ一〇〇年以内の話で、持ち帰られる品々全てが街の人々にとっては目新しいものだった。

 シュライバーはその好奇心と合わせ、商人として売り物になりそうなものを片端から買い求めて吟味するので、こんな状態になっているらしい。
 火事にでもなったら景気良く燃えそうだ、とこの日事務所を訪れたルシアスは室内を一瞥して思った。

 彼は二人掛けの長椅子に案内され、熱い茶の入った取っ手付きの器と受け皿を渡されていた。
 しかし、目の前の座卓は既に雑多なもので占有され、それらを置けるような場所は見当たらない。ずっと持っていなくてはならないのだろうか。
 一廉(ひとかど)の剣士でもある彼は、両手を塞がれたこの状態がどうも落ち着かなかった。

 半ばうんざりしている彼とは対照的に、シュライバーはホクホク顔だ。
「いやあ、うまくいきそうで良かった」
 シュライバーは上機嫌でそうのたまった。

「来年の春が待ち遠しいが、焦らず準備を進めないとな。しかし、実に楽しみだ! 最近の俺はついてるぞ! いや、それもこれもお前のお陰だよルース」
「そいつは良かった」
 気のない返事をするルシアスの様子に、部屋の主は気がつかない。

「ああ、そうだ。それはお前さんの運んできたブツだ。この街じゃ一ポンドあたり最低でも六十六バッツェンで捌ける。お陰で大儲けだよ」
 ということは二ギルダーちょっとか、とルシアスは手にした器を満たす淡い緑色の液体を見つめながら計算した。

 この街は経済が安定しているので労働者の平均月給も高めだが、それでも両手一杯分の茶葉にそんな金を払う庶民はいないだろう。
 彼は教えられたとおり、受け皿に少量垂らして茶を啜ってみたが、渋いばかりで価格に見合うだけのありがたみはわからなかった。

「何もかも順調だ、クラウン=ルース。組合の連中め、今になって自分らも一枚噛ませてくれないかと俺に擦り寄ってきているんだ。笑わせてくれるよな」
「それが使える相手なら考えよう。馴れ合いで動くつもりはない、ぶら下がるだけの連中ならいらん」
 ルシアスが淡々と応えると、シュライバーは心得たように二度三度と頷いた。

「わかってる。そういうお前だから俺もやりやすいんだ。今後も頼むぞ、相棒」
「それは、あんたがきちんと“仕事”をしてくれるかどうかによるさ」
 ルシアスは鋭く目を光らせた。
「くれぐれも、出し抜こうなどと思わないことだ」
「俺も見縊られたもんだな。危ない橋を渡るからこそ、信用が他よりものを言うんだよこの業界は」

 シュライバーはそれまでのにやけ顔から一転して、不敵な笑みを返す。

「それに少なくとも、今の時点では俺達の利害は一致している。これ以上にないくらいにだ。人魚(シレーナ)号の件も、手間と時間はかかるが相応のあがりが見込めたから提案を受けたんだぞ。俺の仕事は慈善事業じゃないんだ」
「ならば結構、だがこっちもただ厄介払いをしたかったわけじゃない。彼らはその辺の船乗りとは違う。相応以上の結果を出せるが、それも使い方次第だ」

 ルシアスはそう釘を刺した。シュライバーは腕組みをして曖昧に頷いた。
「確かになあ。あの女船長、肝の据わり方が男顔負けだし、下手な野郎どもよりよほど頭が切れる。だが、あのくらいでないと安心して俺の船は任せられない」

 シュライバーは実際のところ、水夫達の雇用については了承したが、船長が女性と知って二の足を踏んだ。九割以上が男性で占める船乗りの世界で、特例をどう扱うか見当がつかなかったためだ。

 それで今朝方、スタンレイに連れられたディアナ本人と直接対面したのだが、その際に迷いも消えたらしい。むしろ、男達よりも船と航海に対して真摯な彼女を、すっかり気に入ってしまったようである。

 シュライバーは彼女を東方に送るにあたり、立派な大型船の建造を約束し、そればかりか早く具体的な話を進めたいと、この日の内にルシアスを呼び出したのだ。
 急な話ではあったが、あまりこの街に長居したくないルシアスとしても、願ったり叶ったりの流れだった。

「わかったよルース。お前さんが図ってくれた便宜は確かに生半可なものじゃない。いくらか見返りが必要だろうな」
 座卓を挟んで向かい側に座っているシュライバーは、にやにや笑った。
「とはいえ、あまり吹っ掛けんでくれよ。お尋ね者のお前達がこの街で自由に動けるよう、こっちもあちこち根回しはしたんだ。その骨折りも計算に入れた上で頼む」

 ようやく話が目的の流れに入ったことを知り、ルシアスは気を引き締めた。
 正面の商人の顔をじっと見つめる。

「調べてほしいことがある」
「ほう?」
「この街に今、ヴェーナの使者がいるはずだ。その男の詳しい身元を知りたい」

 シュライバーは眉を上げ、それから肩を竦めた。
「確かにそういう男が街に来ているのは知っているが。金になりそうな気配のない話だな、クラウン=ルース?」
「商売の話じゃないからな」
「個人的な因縁か。また厄介なやつと揉め事を起こしたもんだ」

 口ではそう言うものの、シュライバーはどこか面白そうに目の前の青年海賊を見やっている。ルシアスの個人的な要望というのが珍しく、興味を引いたのかもしれない。

「ヴェーナってのが気にかかるが、いいだろう。他には?」
 ルシアスはすぐには口を開かなかった。

 やや考えて、それでもまだ迷いの残る様子で尋ねた。
「ディオラスという家名について、聞き覚えはあるか?」
「ディオラス……」
 シュライバーは呟いて、記憶を漁るように視線を室内のあちこちに飛ばした。

「ここらでは聞かないな。感覚的にスカナ=トリアかエヴィロギア辺りか。だがエヴィロギアなら、お前が自分で探せるだろうしなあ」
「聞き覚えがないならいい」
 話題を打ち切るような強さでルシアスが言った。
「忘れてくれ」

 シュライバーは、おや、という顔で彼を見返した。今日は珍しいものをたくさん見る日だ。
「……わかった。じゃあ必要なのは最初の一点か、期限は?」
「早いほうが良い。積荷が整い次第、我々も出港する。遅くてもそれまでには頼む」

 それを聞いたシュライバーは目を丸くした。
「ずいぶん急ぎだな。ま、可能な限り情報をかき集めてみるが、期待はするなよ」
 その返答を聞くや否や、ルシアスは長椅子から腰を上げている。茶の器と受け皿は座っていた場所に置いて。
 ほとんど中身の残った緑茶を、シュライバーは興味深そうに眺めている。
 構わず、ルシアスは身を翻した。

「次があるのでここで失礼する。新造船の艤装の見積もりが出来たら船に寄越してくれ」
「お互い忙しいな、ルース。見積もりは明日にでも届けよう」
 シュライバーは肩を竦めることで見送りの代わりにした。

 用件の済んだルシアスはさっさと事務所を後にし、建物の外で待機させていた馬車に乗り込んだ。
 中で待っていたのはティオである。

「おかえりなさい。首尾はいかがでしたか?」
「とりあえず、船については今のところ問題はなさそうだ。シュライバーの商売人としての勘は信用できる、あの男で駄目なら他の誰でも駄目だろう」

 狭い椅子に何とか腰を落ち着けて、ルシアスは大きく息を吐いた。苦い表情で呟く。
「……らしくもないことをした」
「え?」
 うまく聞き取れなかったティオが聞き返す。

 しかし、ルシアスは軽く首を振っただけだった。そして再び顔を上げて姿勢を正した頃には、普段どおりの彼になっていた。
「さっさと用事を済ませて、帰るとしようか」
 そうしてルシアスが行き先を告げると、軽やかな蹄の音を立てて馬車が走り出した。