Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

海港都市ヴェスキア

23

 ルシアスはおもむろに机に両肘をつき、指を組んだ。
「ではその外野にわかるよう、もう少々詳しい説明をしてもらおう」
 そう言って彼はバートレットを見、それからライラを見据えた。

「ライラ。あの男は何故、お前を追い回しているんだ?」
「……」
「アリオルから、国境を越えてまで、だ。並の執着ではない。あの男はお前の何なんだ?」

 深海色の眼差しに射抜かれ、ライラは息を呑んだ。
 覚悟していたつもりだったのに、いざ問い詰められると頭の中を嵐が吹き荒れた。

 脂汗が滲む。息苦しくて、何を言うべきかもわからないまま喘ぐように口を開こうとした時、先んじてバートレットが「待ってください、頭領」と言った。

「その話は落ち着いてから、せめて明日以降にお願いします」
「お前に意見は求めていない、バートレット」

 ルシアスが厳しい声で彼を制する。
 それから、畳み掛けるように続けた。
「では、彼女の代わりにお前が知りうる限りのことを話すか? 我々の今後にも関わってくる話だ」

 バートレットは怯んで口を噤んだ。
 ライラは彼がルシアスには話してしまうのではないかと思ったが、そうはならなかった。

「それは……。話せません」
「ほう」
「俺の口からは言えません。申し訳ありません」

 苦悩の色濃く答え、バートレットは頭を下げた。
 それを受けたルシアスは嘲るような冷笑を彼に向けた。

「どうも忘れているようだが、お前が雇われているのはこの船であり俺だ。違うか」
「違いません。ですが、それとこれとは別の話です」
「命令でもか」
「アイ」

 顔を上げたバートレットはきっぱりと言った。

「彼女は気丈に振る舞っていますが、今日はもう限界です。これ以上は、どうか……」

 そしてもう一度深く頭を下げたバートレットの姿に、ライラは耐えられなくなった。

 彼は他言しないという約束を守ってくれたのだ。そればかりか、ライラの心理状況を気遣って自ら矢面に立ってくれた。
 感謝する気持ちと嬉しさも正直あったが、しかしこれ以上は見ていられなかった。

 自分はルシアスとどう対立しようが、元は相反する立場同士で気にすることもない。一方、バートレットは雇用関係で立場が弱く、今後のことを考えるとルシアスに睨まれる事態は避けるべきである。

 何故この程度のことに気づけなかったのか──ただ口にしないでもらえたら、その程度の考えで、自分は彼にとんでもない約束を取り付けてしまった。
 ライラは堪らず彼に取りすがった。

「バートレット。大丈夫、もういいよ。あとは自分でなんとかする」
「駄目だ。お前一人に我慢させて済ますなんて、俺は反対だ」

 彼は予想通りの答えを返してくる。
 馬鹿がつくほど頑なで誠実なバートレットに、ライラは必死に訴えた。

「でも私だって、あなたの立場を悪くしてまで守られているわけにもいかない」
「立場と矜持は別の話だ。舌の根も乾かない内に前言を翻せるか!」
「あなたが卑怯者じゃないのは、私もよく知ってるよ!」

 二人が感情的になり始めた時、航海長が苦笑交じりにそれを制止した。
「盛り上がってるとこ悪いんだがね、お二人さん。こっちの話が先だ」
「……」

 ライラとバートレットがハッとして口を閉じるのを待って、スタンレイは傍らで不機嫌そうにしている頭領を見やった。

「どうも、予想より複雑な話のようですな。頭領、こりゃあ下手にかき回すとあなたの株が下がる一方だ。バートレットの性格はあなたもよくご存知のはず、不純な動機であなたに逆らう奴じゃないですよ」

 とりなしてくる腹心に、ルシアスはうんざりした様子で嘆息した。

「それなりの訳があってのことだと?」
「そう見えませんかね」
「なら、それも含めてここで話せばいいだけだろう」
「時々妙に頭が固くなりますね、あんたって人は。はっきり言いましょうか、上司がそんなだから部下が腹を割って話せないんですよ。人望の問題です」
「……」

 ルシアスはむっつりと黙り込んだ。
 ライラが事情を話さないのもバートレットがそんな彼女を守ろうとしているのも、ルシアス自身が原因だと、彼はそう言っているのだ。

「一連の報告はされましたよね。それに、ここに入港した時点でライラを庇護する約束は果たされたはず。それ以外については、本来俺達が首を突っ込む話じゃあないでしょ」

 年上の航海長の持ち味でもある歯に衣着せぬ物言いは、ルシアスも普段重宝しているが、こういう時は耳が痛いばかりだった。

 確かにスタンレイの言う通り、ライラが船からいなくなったとしても静観してよかったのだ。そうしなかったのは、他でもないルシアス個人の意思である。そこにはライラの意向すらない。
 無断で下船したバートレットの事情も、今本人によって説明がなされた。違反行為だが、その後レオンから報告を受けた際に後押しするような指示を出した以上、彼を責めるのはおかしい話だった。

 ロイとライラの関係も、バートレットが必死に彼女を庇うのも、ルシアスにとってどれだけ面白くなかろうが口を出すべき話ではないのだ。

 ここの頭領という立場からすれば(、、、、、、、、、、、、、、、)

 ルシアスは再度、わざとらしく大きな溜め息を吐いた。

「……俺の頭が固いなら、お前の性格は捻じれまくってるな」
「おや。余計なことを言ってしまいましたかね?」
「いや」
 ルシアスは軽く首を振る。

 余計どころか、遠回しな、それでいて有用な助言が散りばめられているのは、ルシアスも十分にわかっていた。問題は、喉元に切っ先を向けるような形をとるこの航海長のやり方なのだが、まあいい。
 彼は顔を上げ、不安そうに佇むバートレットとライラを改めて見つめた。

「言われてみれば、今夜中に把握せずともいい話だったな。夜も更けた、ここらで解散としようか」

 鹿爪らしく告げれば、スタンレイは苦笑とともに肩を竦めた。

「ま、ギリギリ及第点、ってとこですかね」
「うちのお目付け役はとことん厳しいな。……建前くらいあってもいいだろう」
「仕方ありませんな」

 スタンレイはにこやかに言ってから、ライラ達に向き直った。
「と、いうわけだ。二人ともご苦労だったな」
 バートレットが恐縮して頭を下げるのに合わせ、ライラも軽く会釈をした。
 抜け目ない航海長の仲介によって、ルシアスとバートレットの関係が保たれたのも事実だった。

「ところでライラ。今夜はもう遅いから泊まっていくだろう?」
 突然スタンレイに言われ、ライラはきょとんとした。
「え……。いいのかな」
「構わんさ。今から宿探すのも大変だし、万が一ってこともある。それに」

 と彼がそこまで言った辺りで、ルシアスが嫌な予感でもしたのか眉間に皺を寄せる。
 それがまるで視界に入っていないようなふりをして、スタンレイは言った。

「お前さんがいなくなった事で、頭領の心労が尋常じゃなくてな。労いの言葉ひとつでいいから、かけてやってくれんかな。憎まれ役はいつもの事だとしても、あれだけ動いて何も無しってのは俺から見ても不憫でね」

 ライラは驚いて目を瞬いた。
 頭痛をこらえるようにこめかみを押さえたルシアスが唸る。

「スタンレイ……」
「もちろん、ルースが色々と気にかけてくれたことは感謝してる。そんな、憎まれ役だなんて……」

 ライラがそう言うと、スタンレイはそうじゃないという風に首を振った。

「もっと、しっかりじっくり伝えてやってほしいね。そうだ、ここに酒を運ばせよう。色々と誤解もあるようだし、この際だからふたりで腹蔵なく話せばいい」
「スタンレイ!」

 堪りかねて、ルシアスが制止の声を上げる。

「今夜は解散すると言ったはずだ」
「建前上は、でしょう。仕事の話はもちろん終わりですよ」

 スタンレイは視線をまっすぐルシアスに向ける。

「頭領としての建前は尊重します。ですが、突っ込まなくていい首をあえて突っ込む名分は、一個人のあなたにあるんじゃないですか? 俺達としても、そろそろはっきりさせてもらった方がいいんでね」

 表情こそ穏やかだが、航海長の目には逃げを許さない強さがあった。
 今後も『天空の蒼(セレスト・ブルー)』としてライラに関わるのであれば、それ相応の理由や目的が必要だ。指揮系統が強固な一枚岩であるのが強みの彼らにとって、それは譲れないことだった。

 しかしその強みのために、これまで散々私情を抑え込んできたルシアスが、今更真逆のことをしろと言われているのだから皮肉な話ではある。

「そうそう。頭領は妙な遠慮をなさってるようですが、ご安心ください。それがあなたの個人的な意向でも、俺達はお付き合いしますよ。あなたの『天空の蒼(セレスト・ブルー)』へのこれまでの貢献度を考えれば、当然です」

 航海長はそう付け加えるのも忘れなかった。
 ルシアスに逃げ道を用意したのか、あるいは良いように誘導したのかは不明である。その両方かもしれない。

 バートレットは難しい表情で成り行きを見守っていたが、話を聞くにつれて彼の顔つきも変わっていった。彼もその意見に反対ではなく、賛同の様子だ。
 スタンレイは表情を和らげ、所在なさげに佇むライラを見やった。

「今夜一晩、酒を片手に彼女と腹を割って話してみて、決裂したらそれはそれ。予定通りこの港で別れ、今後ライラとは関わらなければいいだけの話です。お互いのために、ね」

 仕上げとばかりの駄目押しにルシアスは彼を睨み上げるが、何かを言うことはなかった。

 一方のライラは、困惑して俯いた。
 思いもよらない展開だった。

 宿を提供してくれるのは有り難かったが、早朝にはそっと旅立つつもりだった。これ以上彼らを巻き込まないために。何より、ルシアスに負担をかけないために。
 自分には旅を続ける理由がある。
 けれど。

(決裂? 彼らと二度と関わらないだって?)
 想像しただけで、目の前が暗くなるようだった。

 話が急すぎる。けれど確かに、自分にばかり都合のいい話になるはずもなかった。
(私は結局、どうしたいんだ……)

 バートレットが、考え込んでいるライラを振り向いた。
「大丈夫か?」
「え? ああ……」
「無理はするなよ。別に今夜でなくてもいいんだ」

 彼は一瞬だけルシアスに視線を投げてから、控えめに念を押してきた。

 スタンレイの言い分に納得できたものの、ライラの心情も気がかりではあるのだろう。
 ライラが意に反することはしなくていいのだと、そういう意味での確認だった。

「うん、わかってる。でも……、私も今ちゃんと話をしておいた方が良いと思うんだ」
 ライラがそう答えると、バートレットは「そうか」と幾分安心したように頷いた。

 見事にこの場を支配しきってみせた航海長は、笑顔のまま締めくくった。
「明日改めて結論を伺います。念の為、こじれたとしても抜剣はなしですよ、お二方」

 そうしてスタンレイとバートレットが退室すると、再び組んだ指に額を押し当てて俯くルシアスと、ぽつんと佇むライラが残された。

 静かな部屋に、外からかすかに届く波の音が響いていた。

「まったく……なんでこうなるんだか」
 苦いルシアスの呟きには、ライラも全面的に同意するしかなかった。