Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

海港都市ヴェスキア

18

 凪いでいた風が、方角を変えて再び吹き始めた。

 頬をくすぐるその感触に、ディアナは誘われるようにして視線を転じた。
 その先には輝きを放つ夜のヴェスキアの姿がある。

 街全体が灯りを灯しており、こうして遠くから眺めればまるで闇の中に撒き散らした宝石の粒のようだった。街の喧騒すら風にのって、ここまで届いてきそうな華やかさである。知らぬ者が見れば、この街を首都と勘違いをしても不思議はない。

 しかしディアナは、すぐに視線を外した。彼女の興味はそもそも綺羅びやかさにないのだ。

 ディアナは暗い海に浮かぶ黒々とした船影に目を戻した。人魚(シレーナ)号である。
 入港中のことで灯りも使用しているとはいえ、街の輝きには遠く及ばない。しかし、そのどっしりとした佇まいにこそ、彼女は愛着や安心感を覚えるのだった。

「自分の船をこうして眺めるってのも、妙な感覚だねえ」
 自嘲の笑みとともに、ディアナは独りごちる。

 滅多に無い機会ではあるが、もうすぐあの船は自分の船ですらなくなる。尚更感慨深いものがあって、彼女は船から目を離せずにいた。

 今後のことについてルシアスから話をもらった際、安堵したのは確かだ。
 死を覚悟した気持ちに嘘偽りはなかったが、人間とは愚かなもので、助かるとわかれば強い決意も多少は揺らぐ。

 死んでしまえば何もかもなくなってしまうが、生き延びられるのであれば船も何とかなるんじゃなかろうかと、そんな欲がちらついて踏ん切りがつかない。
 もともと、船に乗った時点で自分は船と命運を共にするのだと、ディアナは勝手に思い込んできた。死ぬ時は船もろとも海に沈むつもりだったのだ。
 こんな状況を想定していなかった、そのことも迷いの原因のひとつだった。

「わかっちゃいるんだけど、な……
 はあ、と何度目かの溜め息が漏れる。

 残された僅かな時間を、こうして勇姿を目に焼き付けるのか、或いは戻って仲間たちと過ごすのか、それもまた悩みだった。

 そろそろ切り上げなくてはと思いつつ、彼女が船舷から離れられずにいると、反対側の船舷に垂らされた支索から誰かが昇ってきた。
 当直の航海士の手を借りて甲板に姿を見せたのは、上陸していたティオとレオンである。彼女はそちらへ歩み寄った。

「おかえり。ライラには会えたのかい」
「はい、何とか」
 ディアナに頷きを返したティオは、船長室(キャプテンズ・デッキ)に目を向ける。
「頭領はまだ取り込み中ですよね」
「そうねえ。しばらく経つし、いい加減終わりそうなもんだけど」

 ディアナもつられるようにしてそちらに視線を投げるが、部屋の扉は開く気配がない。

「いったい何なんだい、あの男は?」
「俺もよく知らないんですが、ライラさんを追い回している人です。俺達はライラさんの要請を受けた形で、アリオルから一緒にきたわけで」
「ここまで追っかけてきたっていうの!? しつっこいねえ!」

 驚いたディアナに、レオンが慌ててその口を手で抑える仕草をした。

「ディアナさん、聞こえますって! ……一応、ライラさんは人魚(シレーナ)号に避難してもらってます」
「なるほど。けど、そうしたらあの男、ライラに会うまで帰らないんじゃないの? この船にいるって確証持ってるから乗り込んできたのよね?」

 先程より幾分抑えた声音でディアナは言う。
 彼女の疑問に答えたのはティオだ。

「確証までは持っていないかと。アリオルでも彼は曖昧な条件で探していて、ライラさんを名指ししていたわけじゃなかったので。だから俺達も、似た条件の女性を身代わりにして逃げてこれたんです」
「ハズレを掴まされたのに気づいたから追ってきた、ってことか。でもどうやって航路がバレたのかしら」

 その呟きに、ティオもレオンも苦い顔になる。陸に拠点を置く商船ならともかく、海賊船が航海予定を外部に漏らすことはまずない。

「彼はヴェーナに所属しているそうなので、占術師の力を借りたんじゃないでしょうか」
 レオンの推測に、ディアナは顔を僅かにしかめた。
 そういえば、レオンが最初に報告を持ち帰った時にそんな話をしていたことを思い出す。
「また厄介なのに目をつけられたんだねえ、あの子。あんた達が手を貸したのもそれなら頷けるわ」

 あまり信仰心が強くはないにせよ、エステーべ教の色が濃いエスプランドル育ちの彼女だ。自然崇拝に近いヴェーナは、妖しげな呪術の使い手がいる邪教の都、という意識があるのだろう。

「でも、だったら乗船していたのがライラだって知られちゃってるんじゃないの? 怪しい術使われたら一発でしょ」
「占術もなんでも分かるわけじゃないみたいです。特にライラさんの瞳は特殊らしくて、占ってもはっきりとした結果が出ないと言ってました」

 答えたのはもちろん、アリオルで直接ロイからその話を聞いているティオだ。
 彼は生真面目な表情のまま続ける。

「それなのに、俺達がヴェスキアに来ることは知られていた。頭領はその理由を探るつもりで、コルスタッド氏の訪問を受け入れたんだと思います」
「なら、ライラがいた事はあくまでも知らぬ存ぜぬで通すつもりってこと?」
「おそらく」

 ティオが頷くと、ディアナは「んー」と唸った。

「すんなり行かないって、はなから覚悟してるわけね。ルースに何か策はあるのかしら」
「さあ、それは……

 表情を曇らせる若い海賊二人に、ディアナは胸の前で腕組みをして短く嘆息した。
「ちょっと、しっかりおしよ! こんな面倒なこと、頭領ひとりに背負わせる気?」
「そういうわけではありませんけど、今俺達にできることって何かあります?」
 弱りきった様子でレオンが言うと、ディアナはもう一度船長室(キャプテンズ・デッキ)に目を向けて考え込んだ。

 しかし、その眼差しは不安や困惑と言った、弱々しいものは感じられない。
 ディアナは闘志すらにじむ声できっぱりと告げた。

「それは今から考える。……あの男について、もう少し詳しく話してちょうだい」


「見損なったぞ、クラウン=ルース」

 長い沈黙を破ったのは、ロイの方だった。
 以前通されたのは長机のある会議室(サロン)だったが、今回ロイは船長室(キャプテンズ・デッキ)に迎えられた。室内に控えているのもスタンレイのみ。
 前回より距離が縮まったとも取れるが、もてなす気がないという意味にも取れた。

 何せ、船長室(キャプテンズ・デッキ)とはいうものの、互いが対面したのは部屋の入口側にある散らかった小部屋だ。
 周辺のどこを見ても書類の山。円卓の上こそ空いていたが、山積みされていた書類をどけて無理やり場所を作ったのは一目瞭然だった。そこには茶も酒も出てこない。

 しかし、ロイが苛立っているのはもちろん、丁重にもてなされなかったからではない。
 激情を押し殺したような声で、彼は目の前に座る海賊に恨み言を連ねた。

「俺は、先日のアリオルで貴殿を信用に値する男だと思った。どうやら間違いだったようだ」
「勝手に期待されても困る」

 向かい側に座ったルシアスは素気なく返した。

「急に押しかけてきた上、言いたい放題言われた挙げ句に清廉な人格まで要求されるとは。しばらく(おか)を離れている間に、世間の海賊を見る目も大きく変わったらしい」
「そうやって、またはぐらかす」
 ロイは苦々しく舌打ちをした。

「どこまでも俺を馬鹿扱いするつもりか!」
「言いがかりだ。こちらもこの通り忙しい最中で、遊んでる暇はないのでね」

 ロイはルシアスの顔をしばらく睨んでいたが、からかっているわけでもないと理解するにつれ、その表情が苦悩に歪んだ。
 そして、唐突に席を立つや否や、ロイは円卓に手をついて頭を下げた。

「頼む。この通りだ、クラウン=ルース。そちらの内情には触れずに置こう、引き渡してくれとも無理に言わん。だが、せめて、せめてひと目彼女に会わせて欲しい……!」

 それを見たルシアスは、こっそりと嘆息した。
 ロイがそうやって頼み込むのも、今夜はもう数度目だった。この男の実直さは以前から評価していたが、今はまさにその部分で煩わされていた。

 焦りからああだこうだと文句は出るものの、ロイは頭を下げること自体に抵抗がない。
 目的のためなら、己の自尊心など取るに足らないものだと割り切っているのだ。かといって、見せかけだけの懇願でもないのが厄介だった。

「だから、そんな娘はここにはいないと言っている」
 ルシアスの返答も相変わらずだった。
 相手がいくら本気だからといって、譲ってやる義理などルシアスにもない。

「いるはずだ!」
 ロイは机に拳を叩きつけて詰め寄った。
「我がヴェーナの占術師と、その辺のいかがわしい占い師を一緒にされては困るぞ。この船がアリオルを発った後、『翠金石の瞳(スター・オリヴィン)』の気配も街から消えたと言われたのだ! 他に考えようがないではないか!」

「考える余地ならある」
 ルシアスは動じることなく、きっぱりとした口調で言い返した。
「確かにアリオルの時点では、リスティーはこの船に滞在していた。その身柄を引き渡したのだから、気配が消えたと言われてもこちらの責任ではなかろう。問いただすべきはリズヴェル国ではないのか」
「ここまできて、まだ(とぼ)けるというのか!」

 激高したロイを、ルシアスの鋭い視線が射抜く。

「そもそも『翠金石の瞳(スター・オリヴィン)』とは何だ、我々にとって価値あるものなのか? 連れていれば金銀財宝が降ってくるならば、こちらも本腰でいくが」
……っ」

 言葉を失ったロイに対し、彼は畳み掛けるように続けた。

「突然現れて協力しろと言い、首尾よく行かなければ責め立てる。失望するのは勝手だが、貴殿こそ、我々を海賊風情と軽んじているように思うがな」
 口の端をかすかに上げ、ルシアスは冷たい笑みをロイへ投げつけた。