Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

海港都市ヴェスキア

17

「あのクレメンテ神父が今際(いまわ)(きわ)になって、そんな気概を見せてきたってのも意外だが」
 ファビオは皮肉な笑みを僅かに浮かべた。

「正直なところ文無しで放逐されたって、この街じゃ魂売り(セール・ヴェルコーパー)の餌食になるしかない。けど奴のその行動のお陰で、こっちは命拾いどころか待遇が格段に上がることになった。何がどう転ぶかなんて、わかんねえもんだな」

「それこそ神の思し召しってやつじゃねえの?」
 お前の国らしいさ、とジェイクが茶化せば、ファビオはたちまち渋面になった。
「結果良ければなんて言うけどな、そこに行き着くまでの過程が厳しすぎて身がもたねえよ」

 一方でライラは、聞き慣れない単語についてこっそりとバートレットに尋ねた。
魂売り(セール・ヴェルコーパー)ってどういう意味なんだ?」
「この国の悪質斡旋業者(クリンプス)のことだ」

 酒を継ぎ足しながらさらりと彼は答えた。ファビオに当てつけるようにして見事な飲みっぷりを見せた割には、バートレットは涼しい顔のまま食事を続けていた。あまり酔わない体質なのかもしれない。

「アリオルでお前が嵌められた居酒屋、あれも言ってしまえばそのひとつだ。ああいうやり方を、もっと本格的にして生業にしてる連中だよ。ヤースツストランドの場合は、組織だっているというか……」
 バートレットは言葉を探しながら説明した。

 船乗りが船に採用されるには、多くの場合港で募集がかかるのを待って応募するのだそうだ。採用されるまでの滞在費はもちろん自腹になるが、金がない場合は斡旋業者に頼ることになる。
 業者は乗船希望者に船が決まるまで面倒を見、募集がかかったら港に出向いて船員の売り込みにいく。採用が決まった場合、かかった費用を賃金の前渡し分から支払ってもらう。

 バートレットによると、大体の業者は滞在期間中に給料でまかなえる以上の豪遊をさせ、あえて借金を負わせるというのだ。そればかりか、売りつける船員装具は定価の倍、滞在費用の利息が馬鹿馬鹿しい率なんていうのは当たり前。
 とにかく乗船希望者は前渡し金では到底足らず、給料を担保にした借用証書を作ることになる。

 実はそれこそが魂売り(セール・ヴェルコーパー)の目的だ。

 船員が証書に示された額を稼いだら、その証書の所有者に金が支払われるのだが、そこから実費を引いた分が彼らの利益になるので、あの手この手でふっかけていく。
 ただし支払い前に金が必要になった場合は、資産のある別の業者に証書を売り払うこともできた。

 売買されるその借用証書のことを船員の魂に例えて、彼らは魂売り(セール・ヴェルコーパー)と呼ばれるのだ、とバートレットは言った。

「悪どい船と最初から手を組んでる場合もあるんだ。逃げられないよう、麻薬を嗅がせて乗船まで監禁したりする。斡旋謝礼金目当てでな。船は船で、入港が近くなったらこき使って脱船するように仕向け、船長はその分の給料を懐に入れる。文無しで船を降りたそいつは、また魂売り(セール・ヴェルコーパー)に頼るしかない」

 一度その手を取ってしまうと、逃れるのは容易ではないという。
 ヤースツストランドという国は、貿易が活発でヴェスキアのような自治都市の存在も認める反面、国土の大半が森林で覆われている都合で人口が少ないため、どうしても船員不足が他国より激しい傾向にあるのだとバートレットは言った。
 単なる失業者や犯罪者でも、魂売り(セール・ヴェルコーパー)は歓迎してくれるのだ。

「その点、うちは頭領がそういうのの一切を毛嫌いしてるからな。居心地が良くて皆抜けたがらない」
 幾分誇らしげに言うバートレットに、ライラは呆れた声を出した。
「海賊が堅実公正というのも、なんだかな」
「頭領は別に悪行がしたいのではなく、現行の法律に納得がいっていないから結果的に違法行為になっているというのもある」
「なるほど……」

 何故ルシアスが私掠許可証を必要としていないのか、これまでライラは疑問に思っていたが、そういうことだったのかとここでようやく理解した。私掠船はつまり、国に鎖をつけられるようなものでもあるからだ。
 バートレットはバゲットに酢漬けの魚を乗せながらライラを見た。

「お前は腹黒い連中を捕まえるのが生業だろう? 人を人とも思わない斡旋業者も、片端から牢獄送りにしてくれたらいいのに」
「私は捕吏ではないからな。懸賞金が掛かればいくらでもやるけど、そもそも魂売り(セール・ヴェルコーパー)は取り締まる法律もないんじゃないか? 本人に請われるまま宿と酒を提供したまでです、なんて言われたら厳しく罰するのは難しいと思う」
「まあ、確かにな」

 バートレットが諦めた声で答えたところで、いつの間にか二人のやり取りを眺めていたらしいファビオは興味深げに言った。
「二人はなんだか奇妙な話をしてるな? 懸賞金?」

 ライラがどきりとしたのは言うまでもない。気を抜きすぎていた。
 しかし、ディアナにはもう知られているし、警戒すべきはエスプランドルの私掠船であって、今のファビオはそれに当たらないのじゃないかと考え直した。

 彼らの様子で何かを察したのか、船医(サージェン)が低く含み笑いを漏らした。
「ライラって名前で腰に剣下げてりゃ、いい加減気がつきそうなもんだがね」
「は?」

 ジェイクに言われてもファビオはいまいちピンと来なかったらしい。
 数瞬考え込み、人魚(シレーナ)号の航海長は平然としている船医(サージェン)と気まずげに視線をそらすライラとを交互に見やる。

「え、だって……先生。いくらなんでも冗談が過ぎるだろ」
「冗談なんかじゃねえよ。まさか本気でただの助手だと思ってたのか? お前の可愛いセニョリータはあれだ、剣握らせたらこの中で一番強いぞ」

 ライラは益々居心地が悪くなって俯いてしまう。
 ジェイクの様子でからかっている訳でもないと悟ったファビオは、今度はバゲットにかぶりついているバートレットを睨みつけた。

「おい、番犬君。どういうことだ」
「番犬なんてのは、あなたが勝手に呼んでるだけでしょう。俺なんか、護衛するどころか相手にもなりませんよ。むしろ教えを請う立場です」

 バゲットで乾いた口の中を果実酒で潤しながら、バートレットが答える。
 それを聞いたジェイクが、「そういや検疫中に甲板でお前ら楽しそうだったよな」と笑った。

「番犬じゃなくて弟子かよ……!」
 ファビオはうめき声を漏らした。
「くそっ、話が違うじゃねえか! その名前は確かに俺も知ってるが、あれって岩みたいな厳つい頑強な女じゃなかったのか!?」

「どっかで似たようなこと聞いたな」
 杯を口元に運びながらジェイクが空惚(そらとぼ)ける。
 バートレットは生真面目な表情でライラを見た。
「お前の評判はエスプランドルでいったいどうなってるんだ?」
「私が知るか」
 ライラが匙で煮込みの皿の中をぐりぐりとかき混ぜながら、投げやりに答える。

 ファビオはそんな彼女をまっすぐ見つめる。
「あの堅物のクラウン=ルースが珍しく若い娘を乗船させてると思ったら、そういうことか……。セニョリータ、君は本当にあのライラなのか?」
「あなたが言うのがどのライラか知らないが、私の名前は確かにライラだな」

 ライラが煮込みを食べながらそっけなく応えると、額を抑えて「マジかよ(マドレ・ミーア)」と彼は唸った。
 そして大きく息を吐くと、ファビオは顔を上げて再びライラをじっと見た。

「思ってたのと全然違う」
「それは悪かった」
 あからさまに面倒そうなライラに対し、彼は真顔で言い募った。

「そういうことじゃない。ああまったく……こんなことってあるか? 俺には相変わらず、君が知性と品性を兼ね備えた素晴らしい女性に見える。なのに、悪党どもと対等に渡り合える優れた剣士でもあるって? 神はなんてものを創り出したんだ!」

 その言い様に、当のライラは圧倒されてつい食事の手も止まってしまう。
 彼女は困惑したように眉を寄せて首を傾げた。

「大げさな……。ディアナだってかなりの女性じゃないか」
「あいつは良い奴だが根っからの海賊だよ、君とは根本的に違う。俺も女だったら誰でもいいわけじゃない。だが……ちくしょう、君に跪いて愛を乞う男は山程いそうだ!」
「……」
「でも、今君の前にいるのはこの俺だ。その事実に快哉を叫びたいね」

 ファビオは真剣そのものでそう言ってのけた。
 もはや返す言葉もないライラを、隣のバートレットが同情するように見やる。
 ジェイクも呆れて「前向き過ぎるだろ」と呟いた。

「前向き? 想い人が名実ともに素晴らしい人間だったと知って、これが喜ばずにいられるか。俺の目は確かだった! 惚れ直したよ、セニョリータ」
 ファビオはきっぱりとそう言い切り、次いで晴れやかな笑顔をライラに向けた。
 ライラは呆気にとられていたが、やがて小さく吹き出した。
「なんかもう、いろいろ突飛過ぎて……っ。面白い人だな、あなたみたいな人には会ったことがないよ」

 軽やかに声を立てて笑うライラに、男三人は意表を突かれて身じろぎを止めた。
 バートレットが視線を彼女から無理やり外し、やや不機嫌そうに杯を傾ける。一方でジェイクは椅子の背に身体を預け、面白そうにライラを眺めていた。

 ファビオは、感嘆したように目を細めて彼女を見た。
「君の魅力は天井知らずだな」
 それから、彼はちょっと困ったように微笑んだ。

「深みに嵌りそうで怖いくらいだよ」