Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

海港都市ヴェスキア

09

 昼食が済んだあたりに衛生局の役人が来て、簡単な聞き取りをしたあとに検疫期間の終了を告げていった。

 ルシアスが正式に入港の指示を出し、男たちは歓声をあげてそれに従った。

 そうして長い検疫を終えた船が無事に港内に錨を降ろしてからも、仕事はまだ残っている。積荷の揚げ降ろしには多くの者がかかりきりになった。

 ヴェスキアは浅瀬が広がる天然港のため、大型の船が入れるのは途中までだ。そこから艀船(はしけぶね)に荷を積み換えて陸まで運び、荷揚げする。そのための艀船を繋ぐ波止場が港内に何本も並んでおり、そこで荷を受け取った男達が荷車を牽いていく。

 眉間に垂れて来た汗を拭うついでに上半身を起こしたバートレットが、波止場に向かう艀船のひとつに目を留めた。
 屈強な男達に混ざって、明らかに異質な長い髪と細い背中がそこに見えたのだ。

……え?」

 頭から冷水を浴びせられたような衝撃だった。
 甲板を見渡せば、求める人影はやはり消えていた。

「おい……! ライラに下船許可を出したのは誰だ!? 何故彼女があそこにいる!」
 慌てた様子のバートレットに、しかし周りの男達の反応は呑気なものだった。

「ん? 頭領じゃねえの?」
「ライラは乗組員じゃないから、許可いらないだろ」

 それはそうだった。しかし、だからと言って何も言わずに立ち去るのはどうなのか。自分たちは最早それだけの関係でもあるまいにと、バートレットは悔しく思った。

「ライラさんがいなくなったって本当か?」
 そこへレオンもやってきて、波止場の方に目を向けた途端にバートレット同様言葉を失う。

「頭領はあの女船長と部屋に籠もったままだし、居づらくなったのかもなあ」

 誰かの言ったその何気ない一言に、バートレットはハッとした。

 ライラの寂しそうな眼差しが脳裏に浮かび、思わず船長室(キャプテンズ・デッキ)の方を見やる。しかし、その扉は相変わらず閉まったままだ。視線を戻せば、ライラを乗せた船はもう波止場に着きそうだった。

「あの、すみません! そういえば俺、ライラさんに言付かってたんでした!」
 と声をあげたのはリックだ。報告をし忘れたことに対し申し訳無さそう、というよりは叱られるのを恐れて怯えている様子の少年水夫に、バートレットは詰め寄った。

「彼女は何と言っていたんだ!?」
「えっと……市庁舎? 領事館? どっちかに行くって。手続きが必要だとか、言ってたような……
「旅券か。街を出る気だな」
 レオンが苦く呟く。

 バートレットは凍りついたように動かなかったが、それも一瞬だけですぐ身を翻した。船舷から身を乗り出し、船腹近くで荷を運んできた艀船を見つけるや、
「待て、俺も乗っていく!」
 船から離れて波止場に戻ろうとするのを強引に引き止めた。引き上げられようとしていた昇降用の支索が、再度降ろされる。

 彼の剣幕に若干気圧されつつ、レオンがその腕を掴んだ。

「バートレット! どうする気だ!」
「追いかける」
「追いかけるったって、勝手なことして大丈夫か!? 頭領の意思は……!?」

 頭領、と言われてバートレットも一度言葉を飲み込んだ。しかし、決意は変わらなかった。

「わからん。でも、こんな状況のまま、黙って彼女を一人で行かせるのが正しいのか? 俺はそうは思わない。叱責やら罰則は後で受ける」

……。わかった、なら俺も行く」
 あっさりレオンが追従の姿勢を見せたことで、周囲の男達からは冷やかしの声も上がった。

「いいねえお姫様は。お付きの騎士が多くてよ!」
「こりゃライラもしばらくは安泰だな、頭領に飽きられても次から次に男が現れてさ!」

 どっと下卑た笑い声があがった。
 バートレットが聞くに耐えかねて振り返るより先に、レオンが告げた。

「そうだな。頭領はともかく、俺はまだまだ彼女に飽きるつもりがないんでね」

 反論が来る前に、彼は船舷から身を躍らせて小船の上に着地した。
 支索を伝ってすぐあとを追ってきたバートレットが、呆れた様子で彼を見る。

「お前でもあんな事言うんだな」
「気がついたら勝手に口が開いてただけだよ。そっちこそ、人のこと言えないだろ」
 肩を竦めながらレオンはそう返した。


 波止場に着いて、船頭の男がもやいで艀船を固定するより先に二人は飛び出した。船乗りや荷役人夫でごった返す石畳の上を、かき分けるようにして突き進む。

「市庁舎って言ってたか?」
 バートレットの問いに、レオンが頷いた。
「この街で旅券をもらうならそこだ。陸路なら更に健康証明が要る、すぐには旅立てないだろう」

 国境を越える場合だけでなく、どこかの街に入るためには旅券の提示が必要だ。何百年か前の伝染病の大流行があってからは、健康証明書に関しても規則が厳しくなっている。この辺は海より陸のほうが細かかった。

 レオンとバートレットは、何度か来たことのある街の大通りを難なく見つけ、中央広場にある市庁舎を目指した。

 よく管理された石畳の通りは広く、時折中央を小綺麗な馬車が小気味よい調子で駆けていく。人々は轢かれないように器用に避けながら歩くのだ。

 通りの両脇に建ち並ぶのは、この地方特有の切り妻屋根の建物群だ。石壁や煉瓦で作られた家々は、海さえ凍りつく冬でも耐えられるよう丈夫に作ってある。

 伝統なのか、屋根の瓦だけは紺色か橙色と決めてあるようで、船で入港する際に遠くから眺めるこの街の風景は整然としていて圧巻だ。しかし実際に街の中を行くとなると、似たような建物ばかり目にすることになり、不慣れなよそ者は目的地へ辿り着くのに大変苦労させられるものでもあった。

 中心部に近づくにつれ、周辺を行き交う人間も船乗りではなく商人や役人が増えてくる。銀行や貿易商と書かれた看板が並び、生活感のない店構えが続くようになった。

「くそ、いないな……!」
 日が傾き始め、さすがのレオンも焦りを見せ始めた。人の出入りの多いこの商業都市で、薄暗くなったら探し人を見つけるのは困難だ。

「諦めるな、建物の中にまだ残っているかも……
 忙しなく周囲に視線を飛ばしていたバートレットが、言いかけた言葉を不自然に切った。

 変化に気づいたレオンが足を止めて振り返る。バートレットは少し手前で立ち尽くしていた。その顔はやや青ざめている。

「バートレット?」
「あいつだ」

 バートレットは呆然と、遠くの一点を見つめてそう呟いた。馬車道を挟んだ向かい側の、進行方向にある一点だ。
 レオンもその視線を追うが、人の流れがとめどなく続く光景があるだけで何のことかわからない。

「あいつ?」
「追手だ。……ヴェーナの!」
「ええっ!?」

 驚いて、レオンは再びバートレットの視線の先を探す。
 ヴェーナの追手というのは、アリオルで『翠金石の瞳(スター・オリヴィン)の娘』を追って船にやってきたロイ・コルスタッドという男のことだ。あの時扉番を任されたバートレットは顔を知っているが、対面していないレオンがわからないのは当然のことだった。

 武人として優れた体格を持った人間だとはレオンも話に聞いていた。雑踏の中にそれらしい人影を見つけはしたが、見たこともない相手なので確証はない。

 アリオルでは、ルシアスの機転で『翠金石の瞳(スター・オリヴィン)』を持つ舞姫リスティーをロイに引き渡し、その僅かな隙に彼らはライラを連れて出港した。

 その時点で、ロイの目的がライラだとはっきりしていたわけではない。が、ここまで追いかけてきたのであれば、彼の探している相手が誰かは確定したようなものだった。
 ロイが仮にライラを追っていたのなら、勘付かれるのも時間の問題だとはルシアスも最初からわかっていたろう。しかし、こんなに早く追いつかれるとは思っていなかったはずだ。

……あっちは俺達に気がついてないんだよな? どうする?」
 無意識に声を潜めて、レオンが訊く。バートレットは鈍色の髪の偉丈夫から視線を外さないまま答えた。

「お前は急いで船に戻って頭領に伝えてくれ。相手の顔を知ってる俺が残った方がいい」
「わかった。でも……

 頷きつつもレオンは逡巡を見せた。
「頭領は動いてくれるだろうか」

……
 一瞬だけ、バートレットはレオンを見た。しかしすぐに視線を戻す。

……頭領を信じよう。いつものあの人なら、必ず動いてくれる」
……。そうだな、信じよう」

 今度は力強く頷いて、レオンはバートレットの肩を一度軽く叩いた。
「待っててくれ、バートレット。必ず頭領に伝える。頭領が駄目でもなんとかしてやる。それまで、ライラさんを頼むぞ」
「わかった」

 レオンが身を翻して来た道を駆け戻る。バートレットもまた、人混みの中を走り出した。
 どうか間に合ってくれと、心の底から願いながら。