Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

海港都市ヴェスキア

07

 ライラによる体術教室は、暇に飽いた海賊たちの興味を大いに引いたようだった。回数を重ねるごとに参加人数も見学者も増えていき、ありがたいことにライラは時間を持て余すということがないまま、検疫期間を終えようとしていた。

 幸いにも船内で体調を崩す者も出ておらず、これなら問題なく入港できそうだと、船内全体の雰囲気も幾分明るかった。

 その日の夕方、砲列甲板(ガン・デッキ)での夕食を終えたライラは、こっそりと露天甲板(アッパー・デッキ)に抜け出してきた。
 食事中もあれやこれやと質問攻めに合い、気疲れしたのだ。悪気はないのだろうが、常に監視されているような形になってしまい、一日中気が抜けなかった。

 当直の航海士以外誰もいない甲板に立つと、夜空には星が瞬き始めていた。やや肌寒いくらいの風が今は心地良い。彼女は深呼吸をして、身体の力を抜いた。

(過ぎてみればあっという間だったな)
 船舷に腰掛けてヴェスキアの街の灯りを遠く眺め、ライラは思いに耽った。

 一時はどうなることかと思った隔離生活も、そこまで窮屈なものでもなかった。もちろん、海賊達があれこれと気を回してくれたのも理解している。
 しかし、そんな賑やかな生活もそろそろ終わりだ。

(気持ちを切り替えなくては。出発の前にやり残したことはあるだろうか)

 ルシアスは最近になって多少余裕が出てきたようには見えたが、惰性もあってか、今更ライラに何かを言いつけるようなことはなかった。ライラも一人の時間がなかなか取れない状態だったので、結局彼とまともに話す機会は訪れなかった。このままなし崩しに下船ということも大いに有り得る。

 ジェイクとも、もう少しじっくり話す時間が取れたら良かったのだが、こればかりは仕方ない。それに、バートレットやレオンとも……

「いくらなんでも、この短期間でしがらみが出来すぎじゃないか?」
 溜め息混じりにライラは独りごちた。

 あまり歓迎された話ではない。ぬるま湯が心地良いのは当たり前、でも自分はそうではなく――

……?」
 船尾方面から物音がして、ライラはふと振り向いた。

 船長室(キャプテンズ・デッキ)の扉が開き、中からスタンレイが出てきたのが見えた。彼女がいるのはフォアマストの辺りだからか、向こうは薄暗がりにいるライラに気づいてはいない。
 航海長は角灯(ランタン)を片手に、何やら船縁で作業をしている。しばらく観察していると、黒い影が甲板に上がってきた。

(え……っ)

 ちらちらと揺れる角灯(ランタン)の灯りに一瞬浮かび上がった面影に、ライラは驚いた。
 ディアナとファビオだったからだ。

 検疫期間中は人魚(シレーナ)号との接触も禁じられていたはずだ。なのに、なぜ。

 スタンレイはどこかこそこそした様子で彼らを引き上げると、さっさと二人を船長室(キャプテンズ・デッキ)に招き入れた。
(どういうことだろう)

 再び閉じてしまった船長室(キャプテンズ・デッキ)の扉をじっと見つめていると、別の方角から足音が響いた。
「いた、ライラさん!」
「レオン」

 振り向くと、昇降口から上がってきたレオンはやけに真剣な表情で彼女を見つめていた。

「何してるんですか! 夜に一人でこんなところに来るなんて、危ないですよ!」
「危ない? ……あ」
 ライラはハッとした。彼は落水の件を言っているのだ。

「すまない、心配をかけるつもりではなかったんだけど」
「え? あ、いえ。俺も一人で焦りすぎたというか……。その、すみません」
 ライラが素直に謝ったことで多少冷静になったのか、レオンもきまり悪そうに頭を下げた。

「俺、泳ぎと潜水には自信ありますけど……夜の海は本当に怖いので」
「わかってる。私は一度面倒をかけてるものな」

 微笑みを浮かべる彼女に、レオンは更に毒気を抜かれたのか、はあ、と嘆息して隣に並んだ。

「気晴らしに来たんでしょう? 俺達、ずっとライラさんに付きまとってましたもんね」
「別に、鬱陶しいとかではないよ」
「いえいえ。根気強く指導してくれて感謝します。まさか年下の女の子に、格闘を習う日が来るなんて思ってもみませんでしたけどね」

 レオンはそう言って笑ったが、昼間の彼は真剣そのものだった。うまく行かなくても何度でも食らいついてくるし、どんな小さな疑問も臆することなくぶつけてくる。ライラが年下だからと遠慮してる素振りは全く無かった。そのおかげもあってか、レオンはこの短い期間で目覚ましい成長ぶりを見せていた。

「指導なんて大それた事できる立場じゃないんだ。私自身まだまだなのに、今思えばおこがましい事をしてしまった」

 ライラが後悔の溜め息をつくと、レオンは柔らかく首を振って否定した。

「そんなことないですよ。俺なんかガキの頃からほとんど船の上っていう人生だから、何かを体系的に学ぶのって新鮮でした。教えられたことが身について、ちゃんと自分のものになる実感ができるのがすごく楽しくて」
「そういえば、バートレット以上に熱心だったものな」

 その時のことを思い出して、ライラが含み笑いを漏らす。レオンも、つられて笑みを零しながら更に言った。

「なのに、それを教えてくれるのは俺より年下の女の子なんですよ。悔しい気持ちと憧れる気持ちの両方があって、内心複雑ったらないです」
「それを言うなら、私も単にガキの頃から剣を握る人生だった、っていうだけだよ。その代わり、私が泳げないのは知ってるだろう?」

 ライラの自虐を受けて、不意にレオンは彼女をじっと見下ろした。

……そうなんですよね。あの時俺、ライラさんも普通の女の子なんだなと思ったんです。なのに一方では、俺なんか全然かなわないくらい強いんだから、ずるい」

 意味を測りかねてライラが彼を見返すと、レオンは微笑んだ。

「じゃあ、またライラさんが海に落ちたら、次もきっと俺が助けますね。例え暗い夜の海でも、必ず見つけて捕まえてみせますよ」
「それは心強い。でももうあんなヘマは――
 しない、と言おうとした言葉に被さるように、バートレットの声がした。

「ライラ! ここにいたのか」
「バートレット。あなたも、私がまた海に落ちる心配をしてたってわけか?」

 彼女の隣にレオンが立っているのを見て、駆け寄ってきたバートレットは脱力したように項垂れた。
「当たり前だろう、またお前をそんな目に合わせてみろ。今度こそ俺は頭領に愛想を尽かされる」

 ルシアス信奉者のバートレットにしてみれば、それは何より恐れる事態なのだろう。少し申し訳ない気持ちになって、ライラは「わかった、気をつけるよ」と答えた。

「ルースと言えば……二人とも何か聞いてないか? 検疫期間がまた変わったとか」
「? 何も聞いてませんが……
 レオンがバートレットに視線を向けると、彼も首を横に振った。
「俺もだ。何か気になることでも?」

 ライラは、ディアナとファビオが船長室(キャプテンズ・デッキ)に入っていった事を二人に話した。すると彼らは、少しの間黙って考え込んだ。
 まず先に、バートレットが顔を上げた。

「昼間検疫官が来たなんて話も聞いてない。入港するなら号令がかかるはずだし」
「いや。おそらく……
 と、レオンも口を開く。

「検疫期間に変更はない。変化があったのは……エスプランドル側の動きじゃないか?」

 その言葉に、バートレットとライラはほぼ同時に彼を見た。
 エスプランドルとの交渉は難航していたはずだ。教会とのやりとりは出来ているものの、神父はまだ船にいる。

 このまま膠着状態が続くようなら、最悪人魚(シレーナ)号はいわゆる人買いに任せることになるが、ルシアスは極力それを避けたがっていた。ルシアスがあの二人を呼び寄せたのなら、エスプランドルからようやく返事が来たのだろうか。
 ライラはそう思ったのだが、バートレットは違う考えのようだった。

「わざわざ薄闇に紛れて呼びつけたってことは、検疫期間中にしておかなきゃまずい話が出てきたってことか。それも、連絡船じゃ代わりになれないような話が」

 停泊期間中、人魚(シレーナ)号の様子は船医(サージェン)のジェイクを通して定期的に伝えられていた。ジェイクが自由に活動できているのも、不足品などを逐一報告することで頻繁に補充されていたためだ。今回はその連絡船では事足らず、直接話し合う必要があったのだろう。

「しかし、身内にも完全に隠し通したいわけじゃないはずだ。実際ライラに見られてるし、頭領がその気ならもっとうまくやる。ただ、公にしたくないという意思表示ではあるだろうな」
「意思表示?」
「俺達は下手に騒ぎ立てずに、見て見ぬ振りをしろということだ」

 聞き返したライラに、バートレットは苦笑交じりにそう答えた。
「動く時は追って沙汰があるさ。まずは様子を見よう」

 彼がそういうのは、ルシアスに対して絶大な信頼を寄せているからに他ならない。秘密裏に事を進めるのは理由があるからで、時が来ればルシアスは自分達にも話してくれる。それがわかっているからだ。
 その時は、ライラもレオンもバートレットの意見に異議はなかった。

 そして翌日、その日の見張り番が夜分遅くにファビオを乗せた船が帰っていくのを見たと言っていた。

 しかしディアナは、いつまで経っても船長室(キャプテンズ・デッキ)から出てこないままだった。