Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

海港都市ヴェスキア

02

 バートレットの読み通り、ヴェスキアの船団に攻撃意思はないようだった。
 しかし、一定距離まで来た時点で彼らは動きを止めてしまった。その中から一艘だけ、やや細身の船がこちらに近づいてくる。

 その頃にはルシアスも、短い仮眠から起き出して来ていた。疲れなどほとんど取れていないだろうに、それでも彼は疲労の色など塵ほども表に出さない。

 彼が船舷近くに立ってその帆船を出迎えると、同じように甲板に立った中年の男が大きく両手を振ってきた。
「ルース! 久しぶりだな!」

 男の満面の笑みとは裏腹に、ルシアスは相変わらずの無表情である。しかし男はそれにめげた様子もない。良くも悪くも慣れているのだろう。

 口ひげを蓄えたその男は恰幅がよく、短い胴衣(カミソール)を羽織って帽子を被った品の良い服装をしていた。水夫達に紛れて離れたところから様子を伺っていたライラから見ても、船乗りではなさそうだった。

 二つの船の間にいくつか支索が渡され、緩衝材を挟んで接舷する。しかし男はこちらに渡ってくることなく、そのまま自分の船に留まった。
 悪いがこのまま話をさせてほしい、と彼は言った。

「まずは戦勝を祝わせてもらうよ、クラウン=ルース。ここんとこ負けた話を聞かないな」
「そんな華々しいものじゃない。人魚(シレーナ)号がどういう状態だったのかはあんたも知っていたはずだ、シュライバー」

 腕組みをしたルシアスは、周囲にたちこめる朝の空気のように涼やかな口調で言った。シュライバーと呼ばれた男の方は、反対に笑顔のままで──しかし目の奥に違う色を隠しながら頷いた。

「無駄話は嫌いなんだったな、そういえば。いや、こっちも話が早くて助かるがね」
 ルシアスが答えないでいると、男は勝手に話し始めた。
人魚(シレーナ)号は検疫をすっぽかして逃げちまっててな。まあ、上陸さえしなけりゃ俺達としてはどうでもいいんだが。そいつらを拿捕した以上、お前らにも検疫を受けてもらわなきゃ港の使用許可は出せないんだ」

 つまりカリス=アグライア号は検疫が必要な船になってしまったので、シュライバーは乗船するわけにいかなかったのだ。
 ルシアスもそれについては承知だったが、シュライバーの話の目的がそれではないこともわかっていた。

「それで? 商人のあんたが、船団を引き連れて恭しく水先案内をしてくれるというだけではないだろう」
「そう()くなよ、大将。お前たちも、これからひと月以上の隔離生活なんか望んでないだろう? そいつをどうにかしてやろうっていうのさ。取引だよ」

 そこまで言われて初めて、ルシアスの表情が動いた。しかしそれもほんの僅か、眉が動いた程度だが。
 彼は遠くの船団をちらりと見て、ほんの少し思案してから口を開いた。

「仲間を出し抜こうっていうのか」
「人聞きの悪い」
 シュライバーは自らの口ひげを指でしごきながら、愛想のいい作り笑いを浮かべてみせた。

「元々やつらは伝染病が怖くて、ここに来るにも二の足を踏んでたんだよ。俺が交渉に行くと言ったら諸手を挙げて大賛成、あそこで見物と洒落込んでるんだ。このくらいの役得は大目に見てもらいたいもんだ」

「なるほど。それで、あんたの要求は?」
 ルシアスの直球な言葉に、シュライバーも今度は合わせてきた。間髪入れずに答える。
「積荷を買いたい。お前達が絹の他に極東の茶葉を積んでいるのを聞いたんだ。アリオルで降ろさなかっただろう?」

 そこでようやく、ルシアスが目を伏せて少し笑った。
「どこから聞いたんだか。相変わらず抜け目がない。検疫期間を短くするのは、一刻も早くほしいから、か」
「茶は鮮度が命だ、そいつだけでも早めに買い取らせてもらいたい。お得意さん方がご所望なのは綺麗な緑色の新鮮な茶でね。状態が良ければ五割上乗せしてもいい」

 あまりの大盤振る舞いに、『天空の蒼(セレスト・ブルー)』の乗組員たちも一瞬ざわめいた。

 東洋の品はこの辺りでは人気だが、それはあくまでも陶器や絹織物で、茶というものはそこまで認知度の高い品ではなかった。しかし薬効があるということで徐々に貴族階級に広まりつつある、とはライラも聞いたことがある。馬鹿みたいに高価だったはずだが、富裕層の人間たちは自己顕示欲を満たすためにあえてそういうものを買い集める傾向があった。

 商人のシュライバーが値切るどころかこう言うということは、既に流行の兆しを見せているのかもしれない。

「そいつはどうだろう。知ってたら道中急いだんだが、こちらは物珍しさで仕入れただけだからな」

 目当ての積荷が存在する、とルシアスが認めたことで、シュライバーは俄然色めき立った。

「構わん! そもそも、途中で沈まずにここまで持ってこれる船も多くはないんだ。どうだ、まとめて買わせてくれないか?」
「俺達の検疫はどのくらいになる?」

 すかさずルシアスが尋ねると、シュライバーは気勢をそがれた様子で一瞬黙った。むう、と唸った上で再度口を開く。

「四週間ならどうだ」
「長い。そこまで人魚(シレーナ)号と深く接触してはいないし、船内すべて洗浄した」

 きっぱりと言われ、シュライバーは渋面になった。
「無茶言うな。だったら船医(サージェン)に報告書を出させろ、それ次第だ。医学のことは俺にはわからん」
「いいだろう。……ああ、それと」

 彼とは反対に涼しい表情を崩さないルシアスを、シュライバーは睨みつけた。

「まだ何かあるのか!?」
「エスプランドルの領事に連絡を取りたい。仲介役を頼まれてくれないか?」
「……。わかったよ。その代わり、他のやつらに積荷を渡すなよ」

 シュライバーは渋々と言った様子で了承し、接舷を解いて船団に戻っていった。検疫用の港外泊地に案内するからついてこい、と言って。

 カリス=アグライア号の甲板も再び賑やかになる。男達は与えられた役割に従って、それぞれが持ち場に散った。バートレットも作業をしに行ってしまい、ライラは甲板の隅にひとり取り残された。

 ルシアスはといえば、早速これからの動き方についてスタンレイやカルロと話し込んでいるようだ。
 ライラはそんな彼の背中を見やった。

(まるで商人みたいなことをしてるんだな)
 しかしこの広い海で、いつも都合よくお宝を積んだ獲物にありつけるわけでもない。強奪した品を売るのも仕入れた品を売るのも、手順だけ見ればそこまで差はないし、利益を上げるのがまず重要なはずだ。ルシアスにも船を維持し、仲間を養う責任がある。

 バートレットの一件で、カールやジェフがこの船に拘っていたのをライラは思い出す。ファビオも、航海生活の維持管理に苦労しているようなことを言っていた。
 きっとここは他の船よりも、水夫たちにとっていい環境を提供できているのだろう。

(大海賊クラウン=ルース、か)

 このご時世にあえて私掠ではなく海賊のままなのも、何か意図があってのことなのだろうか。
 しかし、もしルシアスが海賊の肩書に固執していれば商人の真似事などしなかったろうし、水夫たちも獲物にありつけない場合は飢餓に喘ぐことになる。それをルシアスが良しとするとは思えなかった。

 まったく、彼が文字通りの海賊として悪逆の限りを尽くしてくれていたなら、自分も迷わなくて済むのに。
 そう考えて、ライラは我に返った。

(迷うって、何をだ!)

「ライラさん!」
 声をかけられて振り返ると、ティオが立っていた。
「すみません、朝食の準備を手伝ってもらえませんか? この後頭領も会議室(サロン)でとるはずなので」
「わかった」

 手持ち無沙汰だと余計なことを考える癖がついたようだ。ライラはティオの申し出を有り難く受けることにして(きびす)を返した。
天空の蒼(セレスト・ブルー)』の朝は、こうして慌ただしくはじまったのだった。