Brionglóid
海賊と偽りの姫
人魚 号
25
「大国の肩書背負うのも、楽じゃなさそうだな」
ハルが他人事のように言うと、ファビオも「まあな」と笑いもせずに肩をすくめた。するとハルは、どこか割り切ったような表情でルシアスに告げた。
「俺がやるわ。先陣はバーティ坊やとお嬢ちゃんの若手に切ってもらったしな。そろそろ重い腰もあげねえと」
「は、ハルさん、大丈夫なんですか!?」
マーティンが思わず声を上げると、ハルは余裕の笑みで頷いた。
「大丈夫だろ。難しいことはわからんが、今まで患者を診てきたジェイクも生きてるし、エスプランドルの連中もピンピンしてる。同じ船にいたから必ずどうこうってわけじゃあなさそうだ」
「で、でも」
「強制じゃねえんだし、お前は船に戻りゃいいさ、マーティン」
ハルはいつもの気さくな調子でそう言ったのだが、マーティンはなにか考え込むように黙り込んだ。しかしすぐに顔を上げると、「俺もやります!」と言った。
「おいおい、お前こそ大丈夫か?」
「大丈夫ですっ」
その気負った表情に、周囲も何も感じなかったわけではないのだろう。
ハルとマーティンが人魚号に残ると宣言したことで、海賊たちの中からも数名手が上がり始めた。
ハルはある程度の人数を確保すると、ファビオに言った。
「悪いが、やっぱり俺達だけじゃ手が足りねえようだ。操船の要は、なんだかんだ言ってこの船に慣れてる奴らが担うのが早い。頼めるかい?」
「それは構わないが……本当にいいのか?」
俺達は捕虜だぞと、ファビオが逆に聞き返す。起きた事を思えばバートレットの懸念はもっともなのだ。しかし、ハルは気楽に笑った。
「信用してみるさ。これで寝首かかれるようなことがあれば、それはそれ。俺もその程度だったってことだ」
「……」
ファビオはディアナに意見を求めるように視線を投げる。
ふたりとも、既に腹を括った身だ。しかし今の不名誉な立場は、本意から外れた成り行きによるものだ。彼らの心のうちにはまだ誇りが残っていた。
機会を与えられた。もちろん次はなく、見返りがあるわけでもないだろう。が……。
ディアナは強く頷いた。
「わかった。今度こそ、期待に応えてみせるわ」
「話はついたな、それじゃ早速とりかかるか!」
ハルの言葉を皮切りに、海賊たちが慌ただしく動き出す。ファビオやディアナ達の拘束も解かれた。
彼らの動きを見て、ライラもまた触発された。皆がやるべきことをやろうとしている。なら自分も黙って見てはいられなかった。
「じゃあ、私もこのまま……」
「お前は戻れ、ライラ」
ルシアスの静かな声が飛んだ。視線を移すと、深海色の眼差しがまっすぐ彼女を見つめていた。
「戻るんだ」
「でも」
看病という仕事がまだ続くのにと、ジェイクの様子をちらりと伺うと、医者は腕組みをして一瞬だけ何かを考えたようだった。
「んー……。いや、いいよ。ライラ、お前は十分働いてくれた」
「ジェイク」
「大丈夫、肝心なところはやってもらったしな。それに、船長付きの小間使いがいつまでも本来の仕事投げ出すもんじゃねえよ」
そう言われて、ライラはふと思い出した。
何かあったら船尾灯を消せと、ルシアスは事前に言ってくれていたのに、自分はそれに応えられなかった。それでも彼は、助けに行くという約束を果たしてくれたのだった。
このままなし崩しにはできないという思いが湧き上がって、彼女は頷いた。
「……わかった。あとは任せよう」
「おう。港でまた会おうぜ」
おとなしく引き下がったライラに快活に笑ってみせると、ジェイクはバートレットを見た。
「お前さんも戻れ。お前だってやることあっただろ」
「……。そうですね」
バートレットもこのまま船に戻ることについて少しだけ思案していたが、本来やるべきだった汚水処理と甲板磨きがどうこうと言うよりは、義理を果たす相手であるライラが戻るのなら、と考えたようだった。
「ライラ、さっきの話だが」
不意に、慌てた様子でマルセロがライラに声をかけてきた。
さっきの、というのは、彼らが甲板に出てくる際のことだ。あの時、彼はライラに何かを言いかけていたのだが、直後にフェルミンの凶行があり中断されていたのだった。
多分ライラが戻ると聞いて焦ったのだろう、そう察したライラは彼の言葉に耳を傾けた。
周囲にさっと視線を走らせ、言葉を選びながらマルセロは言った。
「俺もだ。あんたと一緒なんだ」
「一緒……?」
「なあ、また会えるか? ちゃんと話がしたい」
勢い込むマルセロにライラが反応に困っていると、傍らのルシアスが彼女の肩を強めに引き、彼女に代わってマルセロに告げた。
「悪いが時間がない、後にしてくれ」
「ルース」
彼の硬い態度にライラは驚いたが、ルシアスはそのまま彼女の肩を引き寄せて身を翻した。
「ちょっ、なんなんだルース! ……すまない、マルセロ! 後で話そう!」
いつになく強引なルシアスに文句を言い、首だけ振り向いてライラはなんとかマルセロに伝えた。それでもぐいぐいと引っ張って、接舷してある船舷まで行こうとするルシアスを、彼女は睨み上げる。
「ルース!」
「話をするなら俺が先約だ、違うのか?」
不意に足を止めたルシアスが、今まで見たことがないような眼差しで見つめてきたので、ライラは言いかけた文句を飲み込んだ。
でも何故だろう。何が彼をそうさせているのだろう。
何を言ったら良いのか……ライラが思案する長いような短いような間、思いがけず二人は見つめ合うことになった。
我に返る手助けをしてくれたのは、ディアナ達と話し込んでいたはずの船医の声だった。
「ルース! 船に戻る連中全員、海水を二、三杯頭から被らせろ! ライラとバーティは特にだ!」
もちろんそれは、簡単な洗浄をしろという意味であることは誰もが理解した。
二人が船縁越しにカリス=アグライア号に渡ると、残っていた仲間が即座に準備をし、まずルシアスが上半身に身に着けていたものすべてと靴を脱ぎ捨て、ためらいもなく海水を被った。
いくら夏場とはいえ、早朝に汲み上げたばかりの海水は凍えるような冷たさだ。しかし彼は、身震いすることもなく毅然としていた。
水の滴る長い髪をぞんざいにかき上げると、毛布を持って控えていたティオに告げた。
「時間がない、手早く終わらせて次の行動に移れ」
「アイ、サー」
敏い少年は、裸の肩に毛布をかけるなり、気遣わしげに尋ねた。
「あの、ライラさんはどうすれば……」
その言葉に促されてこちらを見たルシアスに、ライラはぎくりとした。
さすがに、ここで同じように上半身裸になれというのは聞けない注文だ。しかし……。
強張った表情で見返すライラをじっと見つめ、ルシアスはそのままティオに聞いた。
「彼女の着替えは?」
「船長室に運んであります」
「では、入り口近くまで水を運べ」
「アイ」
ティオが早速手配に走る。ルシアスはライラの手を引いて、船長室の扉の前まで来た。彼らを追いかけるようにして、樽と桶が運ばれてくる。
「ルース!」
「剣は外して脇に。髪をほどいて、靴と上着を脱げ。肌着はそのままでいいから」
「で、でもっ」
顔を真っ赤にして抗議の意味を込めて見上げたライラを、壁際に追い詰めるような形でルシアスが立った。やたらと距離が近い。服など脱げるわけがない。
「早くしろ。ぐずぐずするな」
「……っ」
ライラは観念して、震える手で剣を外し、まとめていた髪を解いた。