Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

人魚(シレーナ)

14

「軟禁って、それは確かなのか?」
 ジェイクが剣呑な表情で聞き返せば、ロヘルは一瞬怯えたように肩を揺らしたが、それでもはっきりと頷いた。

「クレメンテ神父がこれ以上の独断専行は見過ごせぬと、セニョーラ・モレーノから船長の権限を剥奪すると宣言なさいました。私が甲板に行った時にはもう、彼女の姿はどこにもなく……

 それで、慌ててロヘルはこちらに向かったのだという。
 ジェイクは腕組みをして考え込んだ。そしてやや置いてから口を開いた。

「こいつは万が一だが、すでに始末されちまってるってことはないよな?」
「ま、まさか! いくらなんでも神にお仕えする身でそんな恐ろしいこと、神父様がなさるはずがありません!」

 途端に青褪めて反論したロヘルだが、その言葉に安心できるわけもない。
 苦い溜め息をついてバートレットが言った。

「いくら神父の権限が強いからと言って、一存で船長をすげ替えることが可能なのか、エスプランドルってのは」
「それはさすがにエスプランドルでも不可能だ」

 答えたのはロヘルではなく、脇に控えて話を聞いていたマルセロだ。

「通常であれば、高級船員による会議を経て処分を決定すべきことだ。それまでの間は謹慎扱いになる。船長はどこかにいるはずだ」
「じゃあ、ファビオがここに戻るまではとりあえず無事ってことか?」
 ライラの少し楽観的な発言に、ジェイクは首を振った。
「いや、そうとも限らん。――なあロヘル、神父様はなんでディアナにあんなに噛み付いてたんだ?」

 ロヘルが何かに気づいたように目を見開く。それから喘ぐように彼は答えた。
「クレメンテ神父は……、以前から、ご婦人が指揮を執るのを快く思われていないようでした。女性が指揮する船がゆえに、このように傷病者が出るのだ、とも」
「やっぱりな。その辺だと思ったわ」

 は、とジェイクが乾いた笑い声を出す。

「独断がどうこうなんてのは後づけってことだ。ディアナが最初から目障りだったんだろ」
「航海長がいない今が好機、ってことですか。道理で強引なわけだ。では、かえって安心はできませんね」
 真顔でバートレットが呟くと、ジェイクも頷く。
「もちろん俺達自身もな。仲間が瀕死でも無視できる神父様だ、海賊なんざ虫けら程度にしか思ってないだろうぜ。船奪ってでもとっとと抜け出すぞ」

「お、お待ちくださいっ! 乱暴な真似はどうか……!」
 船を奪うという一言に、ロヘルが慌てて二人に懇願する。
 しかし、海賊達はその程度でほだされることはなかった。

 ジェイクは皮肉交じりの眼差しで彼を見据えた。
「神父様次第だ。黙って俺達を向こうに返してくれりゃ何の問題もない。ディアナのことも、仲間内で決めることだ」
「それは……
 ロヘルは言い淀み、残念そうに俯いた。

 ライラ達については、交渉次第で無事に返せるかもしれない。だがディアナについては、掛け合って何とかしてもらえるなら始めからこんなやり方をとってはいないということは、ロヘルもわかっているだろう。同じ聖職者とはいえ、神父の言っていることは言いがかりでしかないのも。
 そして『天空の蒼(セレスト・ブルー)』の力を借りずしてディアナを守れるかというと、それも自信がないのだ。

 と、その時、船が震えるように揺れ、雷が轟くような轟音が響いてきた。
 ハッとして全員が身構える。これは――

 抜錨の音、だ。

……おいおい、冗談じゃねえぞ?」
 ジェイクの言葉は、おそらくこの場にいた全員の内心を表しているだろう。

 公用語が話せずずっと黙っていたディエゴも、この異常事態に動揺してマルセロに訴えかける。
『どうなってるんだ! 航海長がまだ戻ってないのに!』
……人員と物資の補充もだ。あの神父は何をやらかす気だ? こいつは自殺行為だ』
 エスプランドル語でマルセロも毒づく。

 その様子を見て、ロヘルはますます焦りを露わにしてジェイクを振り仰ぐ。
「これはその、まずい、ですよね?」
「ここの水夫連中が、素人の言うことに大人しく従って錨上げるような馬鹿揃いだってんなら、そうだろうな」

 ジェイクが冷めた声でそう返す。ロヘルは首を振った。

「神の意に逆らうのかと言われては、水夫達も従わざるを得ません。皆、異端審問に掛けられるのを恐れているのです」
「逆恨みの道具かよ、異端審問ってのは」
「本来は違います! ですが、エスプランドルに限っては教会から独立した機関となっておりまして……いえ、今はそのような事を言っている場合ではありませんよね」

 勢い込んだロヘルは、途中で我に返って語調を抑えた。
 バートレットも蒼灰色の瞳を(すが)めて吐き捨てる。

「船長も航海長も不在、航海士も不足、そして今は夜。そんな状態でうろうろすれば、まあ、半日経たずにめでたく遭難できるだろうな」
「ええっ!? そんな、困ります」
 驚いて声を上げたロヘルに、ジェイクは肩をすくめた。
「だろうな。俺らも困っちゃうぜ」

 一連の会話を聞いていたライラも、陸者(おかもの)ながら事態が急激に悪化したことは嫌になるほど理解できた。
 例の宣教師は自分達をカリス=アグライア号に返す気がないらしい。もしかすると、ファビオを戻す気がないという方が正しいのかもしれないが。
 どちらであろうと、黙って状況に流されてやる気はなかった。

 ライラはマルセロに聞いた。
「この船だと抜錨完了までどれくらいかかる?」
「今の人数なら、全員駆り出しても半刻はかかる」
「半刻か。微妙なところだな」

 ライラは顎に指先を当てて考え込んだ。それから、更にマルセロに確認した。

「ディアナがいそうな所に心当たりは?」
「なくもない、が……
「ちょっと待てライラ。お前まさか、ディアナを解放するつもりか?」

 苦虫を噛み潰したような顔で横から割り込んできたジェイクに、ライラは首を傾げる。

「そのつもりだけど」
「あのなあ、お前またかよ! よその船の事情に首突っ込む前に、まず俺達自身の事だろうが」
「それはわかってる。個人的に彼女を助けたい気持ちもあるけど、その前に少し考えてみたんだ」

 と、一度言葉を切ってからライラは一同を軽く見渡した。

「この船が錨を上げたことは、きっとルースも気づいているはずだ。追ってきてくれれば海の藻屑にならずに済むけど、おそらく戦闘になる。一方的に約束を反故(ほご)にされたんだから」

 エスプランドルの面々が表情を凍りつかせる。
 彼らは決して臆病者ではなかったが、相手が悪すぎるだけでなく、自分達がとても戦える状況にないのをよく理解していた。
 でも、とライラは続けた。

「ディアナは元から戦うつもりはないんだし、彼女がうまく取り計らえば私達も安全に帰れる。ここの皆だって、彼女がいれば遭難も避けられるだろう? 感情抜きにしてもディアナがいた方が何かと都合がいい」
……たしかに」

 渋々ながらジェイクは同意し、バートレットもまた難しい顔つきで呟いた。
「こういう時のための人質だったはずだが……。彼は見捨てられたも同然だから、抑止力にはならないのか」
「まあ、いざとなりゃ俺達もルースに呼吸合わせるだけだな。……あんた達はどう思う? このまま神父に従うのかい?」

 ジェイクに突然話を振られ、エスプランドル人達は言葉に詰まる。
 遠回しな脅迫だった。神父に従うと答えれば戦闘を容認する意味になり、その瞬間にライラ達とは敵対することになる。相手は男二人に女一人の少数とはいえ、自分達は聖職にあるロヘル以外は何かしら身体に問題を抱えた傷病者だ。

 それまで険しい顔つきで話を聞いていたマルセロは、大きく息を吐いた。
 ディエゴと短いやり取りをした後、こう言った。

「船長には乗組員全員の命を守る義務があるはずだ。あの神父様はそれを忘れているらしい。俺たちはディアナとファビオに指揮を執ってもらいたい」
「無用な争いを避けるために、セニョーラ・モレーノの解放が必要ということですね?」

 もはや悲壮感すら漂わせながら確認するロヘルに、ライラは頷いてみせる。

「一刻も早く彼女に指揮権を戻すべきだと思う。ルース達にあの神父が威嚇砲撃のひとつでもしようものなら、事態の収拾はより難しくなる」

 ロヘルはじっとライラを見つめていた。今の状況と自分の立場についてでも考えているのだろうか。表立って神父に歯向かうことは、格下の修道士である彼にとっても簡単な決断ではない。

 しばしの空白の後。

 意識を切り替えたらしいロヘルは、やや青褪めた顔のまま、それでも視線に力を込めて告げた。
「わかりました。多少の荒事は致し方ありません。とにかく今は船長を解放しましょう」