Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

人魚(シレーナ)

11

 三人が視線を投げると、ディアナも意図を読みかねて困惑の混ざった表情をしていたが、それでもはっきりと頷いた。
「あたしは大丈夫。それよりも仲間の治療を頼むよ」

 それを受けて、ライラ達は修道士の後をついていくことにした。彼女を残すことに不安がなかったわけではないが。
「私が通訳を務めさせていただきます。ロヘルとお呼びください」
 修道士はそう名乗った。こちらは見た目も声も比較的若い。三十歳にもいっていないかもしれない。

 ジェイクに渡された口元を覆う手巾(しゅきん)と手袋を身に着けると、彼らは船内へと入った。
 布で鼻を覆っていても、一段降りた中層甲板ですら(かび)の臭いと汗臭さ、その他諸々の臭いが入り混じっていて、ライラは思わず顔をしかめた。

 が、ジェイクは辺りを見渡して平然と呟く。
「思ったよりは、まともな状態だな。ファビオもそれなりに頑張ってたようだ」
 これでか、とライラはつい心の中で反論しそうになった。

 しかし考えてみれば陸の安い旅籠(はたご)だって臭いはひどいものだし、湿気がある分船の方が快適に保つのに労力が必要なのだ。
 ファビオもいくら航海長とはいえ、共同生活を送る中で一人の人間が出来ることなど限られている。さらにここは、船長と宣教師で権限が分散しているような場所で、彼らの協力は期待できそうにない。
 石鹸の件などを考えてみても、ファビオは船内環境の改善に一人で苦労していたのだろう。

「航海長は勉強家で、そして努力家です。しかし、水夫達には学のない者も多くて……。なかなか彼の言っていることは理解されず、思う通りにはいかないようでした」
 公用語だからか、ロヘルは率直にそう言った。その言葉の中に、ファビオに対しての信頼感や親近感のようなものが伺える。

 それを受けて、ははっ、とジェイクが笑った。
「あいつ、仲間を助けたいってすごい形相で乗り込んできたよ」
「そうでしたか。……航海長はあちらに残られたのですか?」
 心配そうなロヘルに、ジェイクは頷いてみせた。
「うちの頭領が出した条件だ。念のため俺達と交換ってことで、別に拘束や軟禁をされてるわけじゃねえよ」

 それを聞いて、ロヘルは安心したように表情を緩めた。
「あなた方の安全に対する保険ですよね、わかっています。むしろ、こちらが無茶を申し上げたのですから」
「あんたは……どうして俺達を捕縛しようとしなかったんだ?」

 すると、ロヘルは足を止めて苦笑した。
「大変失礼かとは思ったのですが、あなた方の会話が耳に入ってしまって。本当に治療にいらしたのだとわかったからです」
「医者のふりをした征服者かと思ったのかい?」
「ええ、実は。どうかお許しください、『天空の蒼(セレスト・ブルー)』の名は我が国にも届いておりますゆえ、一応警戒を致しました」
「それは別にいいさ、俺達が海賊なのは事実だ。しかし……あの神父様はどうも、お前さんのそれとは感じが違ったな」

 ジェイクは天井をちらりと見やって呟いた。
 すると、ロヘルは静かに言った。

「あの方は、宣教師として重要なお役目を陛下より(たまわ)っております。時としてそれが教義との間で矛盾を生じさせ、板挟みとなっているのでしょう。心の内では苦しい思いをなさっておられると思います」
 ロヘルは遠回しな言い方をしたが、ライラには彼の言っている内容が分かった。

 そもそもエスプランドルが海洋大国なのは、いち早くその分野に投資をしたからだ。つまり、海路での領土拡大を早いうちから推し進めた。
 新しい大陸や国を見つけては一方的に所有権を主張し、先住民たちを服従させて事実上支配していく。その征服行為の一端を担うのが国教であるエステーべ教の布教というわけだ。

 植民地への暴力的な支配について、本来ならば他者への寛容と慈愛を謳う教義とは相容れないはずだった。しかし、国教の筆頭信徒である国王は『異教徒に神の教えを広める』という建前で、先住民達に土着宗教からの強制改宗を迫った。エステーべの信徒は人間だが、それ以外は非人間であると定義して。
 そして抵抗する相手に対しては、虐殺も収奪も非人道行為に当たらないのだから罪ではない、とした。

 実際の聖典にそんな記述があるわけもない。神の名を借りた権力のもとで教義に反する行為を強いられ、苦悩する聖職者達もいただろう。だが反対に、文明的に遅れていた先住民に優位性を主張して何が悪いと言い出す者も多くいた。
 いわく、正しい道を知らぬ哀れな異教徒に、真の道を示してやるのが自分たちの務めだと。

 新大陸では抵抗して滅ぼされたり奴隷にされた部族もあったが、次第に蹂躙を回避するために改宗する者達も出てきた。信徒が一気に増えたことで、エステーベ教会も国王のやり方に正面から異議を唱えづらくなってしまった。
 エスプランドルの外航船に大抵宣教師が乗船しているのは、そういう背景があるのだった。

 だからジェイクも、しらけたような呟きを漏らした。
「板挟みねえ」
 その呟きには聞かなかった振りをして、ロヘルはさらに階段を下りて行った。三人もその後に続く。

「こちらです」
 最下層へ続く入り口の所で彼らは立ち止まった。床を四角くくり抜いたようなその昇降口には、格子のついた羽目枠(はめわく)が鎖と錠前で施錠されている。中は暗くて見えない。

 そこからは、先程よりもひどい悪臭がしていた。
 黴と埃と、糞尿。そこへさらに何かが加わった臭いだ。

(死臭と腐臭だ)
 ライラはこの先に待ち構えるであろう光景に対し、ひそかに覚悟を固めた。ジェイクもバートレットも表情を消している。

 部屋の構造からするに、ここは元々倉庫か何かなのだろう。しかし、この中にいるのは、罪人や捕虜ではなく彼らの同胞のはずだった。
 ロヘルは持っていた角灯(ランタン)を入り口の傍に置いて鍵を外し始めた。

「被害拡大を防ぐためにこのような隔離処置をとっています」
 言い訳をしながら羽目枠を持ち上げようとしたロヘルを、ジェイクが手で制止した。

「待った。発生は一ヵ月前だって聞いたぜ。それからずっとこの状態で放置してたのか?」
「放置ではありません。食事と水は定期的に配給していました」
「んなもんは最低限だろ。家畜だってもっとましな生活送れんだろうが」
 ジェイクはそう毒づいてから、苦々しく溜め息をついた。そして声を低めて訊いた。

「まともな世話をしなくなってどれだけ経つ?」
……は、半月は経っている、と思います」

 ロヘルは言い淀んだが、口籠(くちごも)りながらも答えた。
「はじめは……医師もおりましたし、我々も、彼の指示に従って看護しておりました。しかし医師が亡くなり……、その後は航海長が引き続き看護するよう命じていましたが、原因が感染症だとわかると、皆怖がって近寄らなくなってしまって」

……。その後も新しい病人は出たのか?」
……出ました」

 その度この格子の奥に送られてきたのだろう。床下の暗闇からはかすかに呻き声が聞こえてきた。
 ジェイクは舌打ちした。
「文句言っても始まらねえか。……入るぞ」

 言うが早いか、ジェイクは自ら蓋を持ち上げた。率先して階段を降りていく。ライラとバートレットが後に続いたが、ロヘルは入り口で待つことにしたようだ。四角い昇降口から不安そうに中を見下ろしている。

 中の部屋では、靴底を床につけるとねちゃりと粘着質な音が立った。
 ジェイクが角灯(ランタン)を掲げると、ざっと見ただけで五、六名の男が床に寝転がっていた。辺りにはすっかり湿気(しけ)ってしまった敷き藁と、申し訳程度に敷かれた毛布代わりの古い帆布が散らばる。それらはぶちまけられた吐瀉物やら排泄物を吸い、ところどころ黴たり腐ったりして、複雑な悪臭を放っていた。

 その隙間を、突然の光に驚いた虫や鼠が行きかう。病人たちも、久々の光が相当眩しかったのか、苦し気な声を漏らした。
 ジェイクはそれぞれの様子をじっと観察し、しばらくしてから顔を上げた。

「どうせこんな暗がりじゃ大したことは出来ないとは思ってたが……。診察以前に大掃除が必要そうだな」
「それも我々がするんですか?」
 うんざりした様子でバートレットが言った。

 医療行為に関しては確かに専門知識が必要だろうが、汚物の処理まで一手に引き受けなくてもいいはずだ。
 ジェイクもその辺は同じ思いだったようで、上から心配そうに眺めるロヘルに告げた。

「停泊中で暇な奴もいるだろう。何人か寄こしてくれ。それから空いた樽に汲みたての海水を入れて、五つか六つここに運んでほしい。できれば湯も沸かせ。乾燥した敷き藁はまだ残ってるか?」
「人手とお湯については相談してみます。海水は恐らく大丈夫です。藁については確認が必要ですが、少しなら多分……
「他に空いてる部屋があるならそこに移すのでもいい。とにかく、ここにこのまま置くのは駄目だ」
「わ、わかりました。確認してきます」

 わたわたと上層甲板に戻っていったロヘルをよそに、ジェイクが誰にともなく「くそったれが」と呟いた。