Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

人魚(シレーナ)

09

 簡単な夕食を済ませると、必要な準備をしてライラ達は人魚(シレーナ)号に向かった。
 二つの船は少し距離を開けて投錨しており、一旦小型艇に乗り換える必要があった。
 日が落ちた今、どちらの船も明かりが灯されていたが、海の只中ということもあるのか明かりは控えめだ。錨を降ろしている状態で他の海賊船に見つからないとも限らない。航海士達は今も目を凝らして外敵に備えているはずで、彼らの夜目を遮らないために明かりを絞っているのだ。

 近づくに連れ、ライラは人魚(シレーナ)号の大きさに圧倒された。カリス=アグライア号よりも一回り以上大きく、丸みを帯びた船腹は横幅もあり、下から見上げると貫禄がある。主要な帆柱は二本で、停泊中のため帆は畳まれていたが、風を受けて走る姿はきっと素晴らしいことだろう。
 船尾灯の淡い明かりに浮かび上がる様は、まるで海上の要塞のようだ。

「こうして改めて見ると、でかい船だな」
 ジェイクが呟いた。

 小型艇(ディンギー)は二列に座ってそれぞれが自分の座った側の櫂を漕ぐもので、二人一組の漕手に前後を挟まれる形で彼らは乗船していた。ジェイクは前列でディアナと並んで座り、後列のライラの隣にはバートレットがいる。
 ジェイクの言葉を賞賛と受け取ったらしいディアナが笑った。
「当たり前よ。戦争が始まったらあたし達も海員として戦うんだ。みすぼらしい船じゃ敵にも笑われちまうよ」
「そうか、これは軍艦にもなるんだな。それはすごい」

 ライラが素直に感心の声を漏らすと、ディアナは誇らしげに自分の船を見つめた。

「エスプランドルは世界で一番の海洋国家だからね。船の規格も国王陛下の勅令(オルデナンサ)で統一されてる。艀船(はしけぶね)みたいなのじゃ駄目なんだ。ちゃんと認められた(ナビオ)だけが、陛下の御旗の許で戦えるんだよ」

 ライラは船の明かりにぼんやり照らし出された彼女の美しい横顔に見惚れた。
(ルースに相応しくなるために、なんて言っていたけど)
 それ以前に、ディアナは母国を深く愛しているのだろう。私掠船の中でも国王自らが共有船主である人魚(シレーナ)号を率いることに誇りを感じているのだ。
 しかし、女性の身で国のために戦おうというのなら、私掠船乗りというのはうってつけなのかもしれない。たとえ貴族出身だったとしても、軍に入隊という道は不可能に近いはずだ。

「従軍義務があるなら、俺達にまで助けを求めなきゃならんような事態は避けるこった。今招集がかかったらどうする?」
 ジェイクに小言を言われ、ディアナは言い訳めいた反論をした。
「戦争の噂は聞いてないし、そもそもこんな海の真ん中まで呼びにはこないよ」
「詰めが甘いんだよ。何があってもいつでも馳せ参じれるようにしとくのが忠臣ってもんだろうが」
 渋々ながら、ディアナは頷いた。
「わかってるよ。だから今、こうして先生に来てもらってるんじゃないか」

『姉御、着きやしたぜ』
 先頭の漕手の一人が母国の言葉でそう言い、小型艇(ディンギー)は露天甲板から垂らされた綱梯子の位置に着けられた。これならライラでも登れそうだ。

『あたしが先に行くから、お前達は先生の荷物を持って最後においで。大事な薬も入っているそうだから、落としやがったらただじゃおかないよ』

 漕手を務めた男達に指示を出して、ディアナは梯子を颯爽と登っていった。それを見て、今まで黙っていたバートレットがようやく口を開いた。
「ライラ、先にいけ。俺はジェイクの後に登る」

 護衛対象のジェイクを二人で挟もうということだ。ライラは頷いて縄梯子に手をかけたが、すかさずバートレットから叱責が飛んだ。

「登るのが遅い!」

 ジェイクの笑い声を背に受けながら、ライラは慌てて縄梯子を登った。

 甲板にあがると、そこは『天空の蒼(セレスト・ブルー)』とはまた違った雰囲気の場所だった。船自体は豪奢なのに、乗組員達にあまり覇気が感じられない。傷病者が出て不安にかられているからか、とライラは勝手に推測した。

 しかし見れば、ディアナも明らかに強張った表情をして部下達と話をしている。
何があったんだい(ケ・パソ)?」

 彼らの会話はライラにはわからなかったが、部下達がディアナに何かを訴えているのは理解できた。後から上がってきたジェイクがそれを見て眉をひそめた。

「早速雲行きが怪しくなってきやがった」
「どういう意味です?」
 早くも追いついてきたバートレットが尋ねる。ライラと同じく、彼もエスプランドルの言葉がわからないらしい。

 ジェイクはうんざりした様子で肩を竦めた。

「船長と航海長が部下を見捨てて出ていったんで、宣教師が全指揮権を主張してるんだと」
「見捨てたって……逆じゃないか。それにあの二人はそんな誤解をされる程、うちに長居したわけでもない。だいたい救援を乞うと連絡してきたくせに、どうしてそういう話になるんですか?」

 バートレットも呆れた表情で、話し合いをしているディアナ達を見やる。

「さあな、いろいろ複雑な事情があるんだろう。しかしまあ、まるで機会を狙ってたみたいなやり方じゃねえか。俺達が来るのがあと少し遅れてたら、この船は船長と航海長を置いてどっか行っちまってたかもな」

 人の悪そうな笑みを浮かべるジェイクの横で、生真面目なバートレットはあからさまに顔をしかめた。
「ふん。クズどもめ」
 彼の視線の先には、少し青褪めながら懸命に何かを説明している様子のディアナがいる。

 ライラはジェイクに聞いた。
「病気の船員達はどうなるんだろう」
「わからん。それより俺達は自分の心配をした方がよさそうだ。特に我らがセニョリータは既に注目の的だしな」

 ジェイクの言葉通り、人魚(シレーナ)号の乗組員達は見知らぬ三人を、特に若い女性であるライラをじろじろと見ていた。

 値踏みするような、不躾(ぶしつけ)な視線だ。ライラとしては慣れた視線だったが、カリス=アグライア号に乗船してからは久しく受けていなかった待遇だった。
 と、バートレットが不意に身体の位置を移動させ、ライラの視界はそこで遮られてしまった。

「こんなところに長居は無用です。やることをやってさっさと帰りましょう」
 ライラが顔を上げると、いつも通りの冷たい表情があった。

 目の前には程よく筋肉の付いた胸や二の腕がある。背の高いバートレットの身体は、物珍しそうな視線からライラをすっかり覆い隠してしまっていた。

「同感だね。……おいディアナ、患者はどこだ!?」
 ジェイクはディアナに向かって声を張り上げた。
「治療できるのは夜明けまでだ、それほど時間はねえぞ! わかってんのか!?」

 すると、ディアナは慌てて三人のところへ駆け寄ってきた。
「ごめんよ、ちょっと問題が起きちまって」
「ところどころ聞いてたよ。味方の足許すくうなんてな、随分豪胆な聖職者殿じゃねえか」
「茶化さないでおくれよ。こっちは大変なんだから!」

 軽口を叩くジェイクに文句を言ってから、ディアナは大きく溜め息をついた。
 周りに聞こえない程度に、低く声を抑えて早口に続ける。

「聞いてたならわかるだろ。神父様はあたしを職務放棄の背任行為で更迭しようってつもりらしい。このままだと、あんた達も捕らえられて捕虜になっちまう」