Brionglóid
海賊と偽りの姫
人魚 号
06
「落ち着けよディアナ。ルースがお前にそうしろって言ったわけじゃないだろ」
「あんたは黙ってな、ファビオ!」
見かねた航海長に諭されても、ディアナと呼ばれた女船長は落ち着くどころか噛みついた。まるで手負いの獣のような激しさだ。一喝されたファビオは、肩を竦めてあっさり引き下がった。
「女は怖えな」
すっかり外野となってしまったハルが呟くと、ファビオは「同感だ」と苦笑いを浮かべた。普段からこの船長には苦労しているのだろう。
「ねえルース、あたしようやく船長にまでなったんだよ!? あたしとあんたが一緒なら、世界中の海だって手に入れられる!」
ディアナはもどかしそうに言い募った。これだけの美女にかき口説かれているというのに、ルシアスの表情は変わらない。
(……よくわからない奴だな)
ライラは訝しく思った。
美しい花と見れば即座に手折る男にしては、今のルシアスは無感情すぎる。衝動的に動く彼というのを、ライラはどうしても想像できずにいた。
そこでやっと口を開いたルシアスは、呆れた様子でもなくただ淡々としていた。
「何度も言っているが、俺は別に世界がほしいわけじゃない」
「だからどうしてよ!? あんたほどの男なら手が届くのに!」
「届く届かないじゃないんだ」
「どうしてやりもしないうちから諦めちゃうのさ!?」
話を聞くうちに、二人の間にあるあまりにも大きな温度差が見えてきて、ライラはますます居た堪れなくなった。特に、ルシアスの姿勢は一貫していて揺らぐ気配がない。
男が女の懇願を必ず聞かねばならない義理もないのだろうが、それにしたってもうちょっと別の反応の仕方があるだろう、とライラは思う。
(でもまあ……クラウン=ルースは元々こうだったっけ)
ライラはアリオルより以前のルシアスを思い起こした。
目立つ位置にいるせいか誤解されやすいのだろうが、彼にあるのは野望ではない。組織を盤石なものに作り上げているのは、単純に仲間を守ることが彼の最重要事項だから、ただそれだけのことなのだ。世界中の海を手中に収めるため、なんて大それた夢を抱くような夢想家でもない。彼はどこまで行こうが、いつも通りの冷めた目で現実を見つめるだけ。
(ああ、そうか)
何となく、ライラは納得できた気がした。
ルシアスも男盛りだから女を腕に抱くこともあるだろうが、どれも一時的な遊びでしかないのだろう。そう考えれば、彼の無表情も合点がいく。
自分と話している時のルシアスは、ここまで反応が淡白なことはなかった。しかしそれは、彼がライラを女性としてではなく、対等と見なし客扱いをしているからだ。反対に女として扱われるとなったら、こういう冷たい対応が待っているということなのだ。さすがに、身請けまでしたリスティーは別だったのかもしれないが。
(悪い奴では、ないんだけどな……)
ライラは何度目かの溜め息をつく。
同じ女性として、ディアナの気持ちが少しはわからなくもなかった。今の世は、大抵の女の人生はついていくべき男に委ねられていると言っても過言ではない。相手がこのルシアスともなれば、大きな夢を見たくもなるだろう。
ライラは終わりの見えない口論を横目に、そっと身を翻してその場を抜けようとした。騒ぎを聞きつけて集まってきた者が人だかりを作っていたが、それでもハルに気づかれてしまった。
「ライラ?」
ライラは肩を竦めて答えた。
「後は任せる。私はスタンレイを探さなくちゃ」
「ああ、そうだったな」
ハルもついてくる素振りを見せた。多分、彼もこの船長同士の痴話喧嘩に少々辟易していたのだろう。
頭の中を船内の洗浄作業のことに切り替え、ハルと二人で上層甲板に向かおうとした時、ディアナと口論していたはずのルシアスの声が飛んだ。
「ライラ。どこへ行く?」
「…………」
ライラはあからさまに苦い顔で振り向いた。
なぜ、こいつはここで引き止めるのか。
「やる事がある。私には関係なさそうな話だし、別に構わないだろう?」
「構うさ。お前に今仕事は与えてないはずだ」
ディアナにあれだけ縋られても顔色一つ変えなかったルシアスが、なぜだか不機嫌そうに言った。早くこの場所を離れたいライラはうんざりして答える。
「ジェイクの指示だよ。事情は後で説明するから、続けていてくれ。取り込み中だろう?」
「ジェイクの指示ならそっちの方が重要じゃないか。どういうことか説明しろ」
ライラは一瞬思案した。仲間と船が第一の彼のことだから嘘ではないのだろうが……。
「いや。やっぱり後で報告する。段取りを決めてくるだけだから気にしないでくれ。……そっちの話は、この機会にきちんとしておいた方がいいと思う」
でないと多分、同じことの繰り返しになる。そう思って、言葉を慎重に選びながら告げたライラの様子をどう受け取ったのか、ルシアスはディアナから離れて近づいてきた。
そして、彼にしては珍しく、少し言いづらそうにして言った。
「……気にしてるのか?」
「え?」
「さっきから溜め息ばかりついてる」
ライラは驚きつつも呆れた。ディアナに捕まりながらも、こちらの様子はしっかりと把握していたらしい。
「そ、そりゃあ、気にしないほうがおかしいだろっ。急にこんなやり取り見せられて!」
「そうか。……すまん」
素直に謝罪するルシアスに、ライラ以外の全員が息を呑んだ。他人に頭を下げるクラウン=ルースなど滅多に見れるものではないからだ。
しかしディアナは、女性だからこそ感じ取れるものがあったのだろう。先程よりも強い憎悪のこもった眼差しでライラを射抜いた。
「……小娘。あんた、何なんだい。さっきから随分ルースに馴れ馴れしいじゃないか」
「ちょっと待てよ、ディアナ。その娘はマッキンタイア先生の助手だ。さっき俺も医務室で会ったんだ」
間に入ったのはファビオだ。ディアナに対しては及び腰だったものの、ライラを庇うつもりだというのは本気だったらしい。
それでライラもハッとした。ディアナは自分とルシアスのことを誤解しているのを思い出したのだ。
「私は、今回に限って乗船しているだけのただの小間使いだ。心配しなくても次の寄港先でこの船を降りる」
「次の港って、ヴェスキアで?」
何故か食いついてきたのはファビオだった。けれど変に隠さずに話せば、ディアナも誤解を解いてくれるかもしれないと思って、ライラは答えた。
「はじめからそういう約束だった。乗船もなりゆきだったから、とりあえず次の港までって」
「なんだ、そういうことかよ」
どうしてか、ファビオはホッとした様子だった。どことなく嬉しそうでもある。
「だからそんな水夫見習いみたいな格好だったんだな。服の大きさが合ってないし」
「これは……、着替えを借りたから」
この格好を観察されていたことに、ライラは気まずさを感じながら言い訳した。もともとはティオの服なのだ。
すると、ファビオはライラに近寄るなり、その髪に触れた。すごく親密な仕草で。
「初めて見た時からもったいないと思ってたんだ。君はドレスの方が似合うぜ。何なら、陸に戻り次第俺から一着贈ろう」
さっきとは違う意味で空気が固まった。
特に、ルシアスの周辺が。
「え……?」
ライラもまた、あまりにも場違いな発言に理解が追いつかなかった。
危機感に駆られたハルが咄嗟の判断でライラを引き離すのと、ディアナが今度はファビオに詰め寄るのはほぼ同時だった。
「ファビオ! お前まで馬鹿言ってんじゃないよ! みっともなく鼻の下伸ばしちゃってさ!」
「ディアナ、お前はルースだけ見とけよ。俺がどの娘と仲良くなろうが関係ないだろう?」
「関係あるよ、この節操なし! これだから男ってやつは!」
ディアナはすっかり癇癪を起こしていた。
「どいつもこいつも、結局何にもできないお人形さんみたいな可愛い娘がいいんだろう!? 何さ、男どもの言うこと真に受けて、あたしだけ馬鹿みたいじゃないか……!」
その胡桃色の目にうっすら涙が浮かんでいるのを見て、ライラは胸が痛くなった。
守られる立場を捨てた女であれば誰しもが共感できるだろう。くだらない男達に振り回される気持ちも、そんな連中を向こうに回してこれまで気張ってきた事実も。
彼女の口撃はあくまでも誤解によるものだし、ライラはディアナに親近感すら覚えたのだ。