Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

天空の蒼(セレスト・ブルー)』の海賊たち

16

「さて、今回の騒ぎについて事情を訊こう」
 両肘を机につき、顎の下で指を組み合わせた姿勢でルシアスが切り出した。

 ライラの診察が終わったあと、ほとんど間を置かずにルシアスは当事者達に招集をかけたのだ。他の乗組員達が興味津々だったことは言うまでもない。
 会議室(サロン)には彼とライラの他、バートレット、航海長(マスター)のスタンレイ、それに目撃者としてカールとジェフがいた。

(他人を嵌めようなんて、どんな若いやつかと思ったら……)
 意外にも、目撃者の二人は三十を優に越えていそうな男達だった。興奮しているのか、歳の割には落ち着かなさげに見える。彼らよりも若いルシアスが、どっしりと構えているのとは対照的だった。

 部屋の中央に置かれた長机は、普段から高級船員が会議や食事のときに使っているものだ。椅子は八脚あったが、頭領のルシアス以外の者は立ったままだった。バートレット達が入口の側に並び、スタンレイと何故かライラはルシアスの両脇に立っていた。もちろんルシアスの指示である。

(これじゃあ本当に専属従僕(キャビン・ボーイ)になったみたいだな)
 ライラは心の片隅でそう自嘲する。

 しかし、傍らにルシアスがいるせいか、自分が客観的になれている気がした。彼の配下の者達は頭領に気を取られており、ライラを気にする者はいない。これは周囲を観察したいライラにとって都合が良かった。

 そしてここに来る前に、ジェイクが小柄な乗組員から靴と靴下を借りてきてくれたのも助かった。おかげですっかり水夫の格好になってしまったのだが、それでライラは幾分心を落ち着つけることができた。
 さすがに足を丸出しにしたあの格好のままでは、締まるものも締まらない。こういう場で隙を作りたくはなかった。

「報告では、バートレットが彼女を故意に海に落としたらしいが、事実か?」
「本当のことですぜ、頭領。それでなくともこの野郎は、前々からライラを目の敵にしてやがったんだ」
 横目でバートレットを睨みながら、髭面のジェフが言う。

「嘘じゃねえ。こいつがライラをネチネチいびってる様子は皆が見てる。それが今日、とうとう手を出しやがってよ!」
「そうだ! 剣士とはいえこんな小娘相手にだぜ!? 海のど真ん中に落とすなんて、誇り高い海の男がやっていいわけがねえだろ! なあ、頭領!?」
 潮焼けした顔を興奮でさらに赤くして、カールも追随する。

 ライラがちらりと横を見ると、ルシアスは何を考えているのかわからない表情をしていた。彼を挟んで向こう側に立つスタンレイは、肘まで袖をまくり上げたたくましい腕を胸の前で組み、厳しい眼差しで目撃者とバートレットの両方を見ている。
 視線を正面に戻し、ライラはバートレットの表情を窺った。
 やや蒼褪めているようにも見えるが、唇を引き結んでルシアスをじっと見つめるその様子は、彼がまだ強い意志を保っていることを示していた。

「そのときの状況をもっと詳しく」
 ルシアスが促すと、カールは侮蔑するような目線をバートレットに投げてから、吐き捨てるように言った。
「昇降口をあがってきたライラに、バーティが絡みだしたんだ。この航海が始まってからは見慣れた光景でさ。けど今回だけは違ったんだ。ライラは掴みかかられて船舷(せんげん)まで引きずられ、そのまま海へ真っ逆さまだよ。こいつ、ずっとその機会を狙ってやがったんだ」

(そんなの嘘だ)
 掴みかかられてもいないし、引きずられてもいない。即座に否定しようとして、ライラは思い留まった。
 自分が感情的になればなるほど、バートレットに不利になると言われたことを思い出したからだ。まずは周囲の出方を見るべきだ。

 ルシアスは短く嘆息し、視線をバートレットに移した。
「これは事実か?」
「……アイ、頭領。一部は違いますが、ほぼ事実です」
 仮面のように凍った表情の中で、眼だけはギラギラさせながらバートレットが答えた。

「俺が突き飛ばして、彼女が船から転落しました」
「ライラが俺の客だというのは通達してあったはずだが?」
「アイ。だからこそ、だと思います」

 ライラは茫然とした。自分がルシアスの客だから?
 訳が分からず立ち尽くすライラの横で、ルシアスは質問を続けた。

「それはどういうことだ? 頻繁に彼女に絡んでいたというのも同じ理由か」
「俺は、こんな得体の知れない女を船に乗せるのは反対でした」
 バートレットのその言葉に、ルシアスは目を細めて彼を見る。

「彼女はライラ・マクニール・レイカードだ。エディルで一番の腕を持つ賞金稼ぎ。その辺の港の花娘よりは余程得体が知れているが?」
「じゃあ何故ヴェーナなどに追われているんです!?」
 バートレットは言葉尻に被せるくらい、勢い込んで訊き返す。

 ライラははっとした。
 そうだ。あのときも、バートレットとの口論の中でその話を聞いた。自分を追ってきたのが魔法都市ヴェーナの人間だったと。ルシアスは何故かそのことをライラに伏せていた。

「ルース。その件について私も訊きたい。ヴェーナの人間が私を追ってきたというのは本当なのか? なぜ黙っていた」
 ライラが問うと、ルシアスは平然としたまま答えた。
「特に言う必要もないと判断したからだ。あの男は人探しをしていると言っていたが、それが賞金稼ぎのライラだとは言っていなかった。俺達は先を急ぐ必要があったから適当にあしらったが、そもそもあいつは別にお前を追っていたわけじゃない」
「そう、なのか……」

 ルシアスを挟んだ向こう側でスタンレイが呆れて肩を竦めたが、ライラは気が付かなかった。
 バートレットは尚もルシアスに訴えた。
「彼女がいなければ、出港予定を変えることもなかったし厄介な相手と関わることもなかった。この女のせいで、この船が危険に晒されるのが許せないんです!」

 ルシアスはその言い分を受けて短く嘆息する。
「前半は納得できるが、後半部分については異議があるな。いつ危険に晒された? アリオルを出てから戦闘すらしていないというのに」
「彼女は俺達みたいな賞金首を狩る人間だ! そんな相手を傍近くに置くなんて、あなたもどうかしています!」
「ああ、そうだな。赤髭のミゲル──あの強突張(ごうつくば)りの盗品商を牢獄に叩き込んでくれたのは彼女だ。各地の奴隷商人から美少年ばかり買いあさって、倒錯した性癖の餌食にしていた変態野郎のグラントもだ。目障りな連中を減らして貰ったおかげで、うちも商売がしやすくなった」

 どれだけ必死に訴えても一向に意に介さないルシアスに、バートレットはとうとう失望の眼差しを向けた。
「頭領、俺はあなたを尊敬しています、信頼しています。あなたは俺の誇りだ! なのに、あなたはライラのことになると途端におかしくなる……! どうして……っ」
 バートレットは悔しそうに呻く。

(本当に、ルースに惚れ込んでるんだな)
 ライラは自分が口撃の対象になっているのも忘れて、バートレットのルシアスへの敬愛ぶりについてただ感心してしまった。

 男惚れされる男というのは本物だと、どこかで聞いた気がする。少々熱が入りすぎている気もするが、ここまで想ってくれる部下は得難い存在だろう。ルシアスだって、その価値がわかっていないはずがないのだ。
 それなのにここまで揉めて、彼の言う折り合いがどの辺でつけられるものなのか、ライラにはまったく見当がつかなかった。

 だが、自分はどうせ次の港で下船する。港はもうすぐだと聞いた。
 早くその日が来て、バートレットの苦悩がなくなればいいのに、とライラは思った。