Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

天空の蒼(セレスト・ブルー)』の海賊たち

06

「それで、話とは?」
 葡萄酒(ワイン)を注いだ杯を差し出しながら、ルシアスが訊く。
 受け取った酒を口にしようとして、ライラはその甘い香りに驚いた。日頃、飲料水代わりに支給されている安酒とは大違いだ。

 思わず顔をしかめたライラに、ルシアスがすかさず付け加えた。
「毒なんか入っちゃいないさ。そんなに警戒しなくてもいい」
「別に警戒なんかしていない」
 むっとして、ライラはぐいっと杯を煽った。

 思ったとおり、上質の葡萄酒(ワイン)だった。少しとろみすら感じるほど濃厚な甘く柔らかい液体が、疲労した身体の隅々まで行き渡るようだ。一気に煽ってしまったことを、ライラは軽く後悔した。
 一本いくらするのかはあえて想像しなかった。成金め。

 唇を潤し、一息つけたところでライラは言った。
「命を助けて貰っておいて、きちんとした礼がまだだったと今更ながら思い出したんだ。それに、この航海の船賃についてもちゃんと相談してなかった」

 神妙な心持ちのライラとは反対に、何故か面白そうな目をしてルシアスは応えた。
「礼なら、目を覚ました当日に受けたと思っていたが。まだ何かしてくれるのか? 船賃だって、お前はもうここで働いてるじゃないか」
「そうだけど、あの程度では気晴らしくらいにしかならないのはわかってる。だから、もっとちゃんとした仕事がしたい」
「一見大したことがない仕事でも、ちゃんと意義があるものだ。自分から見えていないだけで、どこかで誰かの役に立っている」

 まるで手伝いを渋る子供に言い聞かせるようなことを、ルシアスは言った。実際は、水夫上がりの彼自身がそう言い聞かされて育ったのかもしれない。
 ルシアスは、窓際にある机の縁に半分だけ腰掛けるようにして寄りかかった。そのまま、片足をもう一方の足に引っ掛けるようにして交差させる。

「当初お前の申し出は、そもそもその気晴らし程度の作業だったはずだ。まさか、本格的な船仕事を身につけて、船乗りになりたくなったわけでもなかろう。……誰に何を言われた?」
 どきりと、ライラの心臓が鳴った。彼女を見つめるルシアスの目は、いつの間にか冷え冷えとした鋭さを持っていた。

 反射的にライラは内心を見透かされないよう身構えたが、それでも彼はライラの内心の動揺などお見通しなのだろう。彼女の返答を待たずに言った。

「庇護すると決めた以上、ここでのお前の立場や生活を守る義務が俺にはある。お前に対し乗組員が無礼を働いたならば、俺はお前に謝罪をしなければならない。それに、俺を差し置いてそのような真似をした者がいるとあらば、ここの頭領として到底看過はできん」
「そんな、大げさな」
「大げさなものか。船長を乗組員が虚仮(こけ)にするのは船上では許されない行為だ」

 声音や口調こそ変わらなかったものの、ルシアスの言葉に不穏な空気を感じ取ったライラは少したじろいだ。
「ゆ、許されないって……
――帆船は」
 彼女の言葉を敢えて遮るように、ルシアスは言う。
「乗組員が一丸となって、初めて波を走ることができる。俺を軽視させたまま、いざというときに命令無視なんかされたら、仲間全員の命が危険に晒されるからな」

 静かだがきっぱりとしたその口調に、ライラは押し黙るしかなかった。
 彼が常に船内の統制を意識するのは、何より仲間の命を守るためなのだ。ライラは改めてそのことを思い知った。

 しかしそうすると、このままではバートレットが処罰対象にされかねないということでもあった。
 世の中もだいぶ文明的になってきているとはいえ、一般的な刑罰はいまだに体罰だ。特に鞭打ち刑は死罪にするまでもない軽犯罪に対する懲罰だが、受刑者の身体には一生消えない醜い傷跡が残る。場合によっては、身体の一部を損失する程の怪我を負うことも、結局死に至ることもあった。

 公開で処刑することで恥辱という別の傷を与えることができ、少ない打撃でも非常に効果的であるという話だが、ライラは個人的にこの懲罰が嫌いだった。
 一般的な刑罰がそれなら、荒くれ者揃いの海賊が行う処罰(キールホーリング)とはどんなものなのだろう。噂に聞いたことがあるのは船底潜りや帆桁吊しだが、いずれも()なものではなさそうだった。

 バートレットは確かに好意的ではなかった。でももちろん、今回の件はそこまでするような話ではない。
(なんとか誤魔化し通すしかない)
 ライラは力を抜くように小さく息を吐くと、顔を上げてルシアスをまっすぐ見た。

「待て、ルース。私はまだ何も言ってない」
「庇い立ては無用だぞ、ライラ」
「庇ってない。私は自分の立場として、掛かった経費をきちんと支払うか、見合った労働をしたいと思ったまでなんだ」
……なるほど」

 ルシアスは口角をやや吊り上げ、皮肉げな笑みを見せた。

「ならば、希望どおり仕事を与えてやろう。やることは山程ある。人間一人分の微々たる経費をもらうよりは、労働力を提供してもらうほうがこちらとしてもいい。しかし、船仕事をさせるにはお前は経験が無さすぎるな。とりあえずは、俺の身の回りの雑用全般を担ってもらおうか」
「は?」

 ライラは一瞬耳を疑ってしまい、即答できなかった。
(身の回りの雑用だって……?)
 つまり、専属従僕(キャビン・ボーイ)の真似事をしろということだ。自分は知らずのうちに墓穴を掘ってしまったらしい。

 専属従僕(キャビン・ボーイ)は、だいたい十四~五歳くらいの子供が請け負うもので、船長室(キャプテンズ・デッキ)の掃除や食事の際の給仕、着替えの手伝いなど個人的な雑用を行う。つまり、船長につきっきりということだ。
……どうしよう)
 ライラは、心の中の混乱を気取られないようにするので精一杯だった。

 そもそもライラが最初に仕事をしたいと言ったのは、ルシアスと二人きりになりたくないために他ならない。これでは本末転倒になってしまう。
(けど、自分から言い出した手前、拒否できる状況でもないし)
 ライラは頭を抱えたくなった。

 ルシアスはいわゆる専属従僕(キャビン・ボーイ)を置いていなかった。一時期はティオが務めていたらしいが、彼は一人前の船乗りになることを希望したので、早めに甲板作業へと移ってしまったという。
 しかしルシアスが後任を置かなかったため、ティオが引き続き一部の世話をし、それ以外のことは彼が自分でこなしていたと聞いた。手の空いているライラが引き受けてくれるなら、それに越したことはないと彼が考えるのも自然なことだった。

 しかし、ライラにも言い分がある。少年と若い女では、同じ役割でも意味合いが違うはずだ。
 いや、少年であっても寵愛対象として従属させることはあるらしい。女であれば尚更、あからさまにも程がある。
 同じ部屋で寝起きするだけでも一苦労だというのに、さらに自分がそういった好奇の目に晒されることを思うと、ライラの頭の中は沸騰しそうだった。

(よくよく考えればわかることだろうが、この馬鹿。なんでこういうときに限って察しが悪いんだ?)
 ライラは内心で目の前の海賊に悪態をついたが、ルシアスは何食わぬ顔で葡萄酒(ワイン)を飲んでいる。

 ルシアスはといえば、ライラに妙な手出しをする気はないらしいので、ただ純粋に小間使いが欲しいだけなのかもしれなかった。
 ライラが一人で悶々としていると、涼しい顔のままルシアスが口を開いた。

「そうやって、常に俺の横に引っ付いていれば、つまらんことをほざく輩もいなくなるさ」
……だから、そうじゃないと言ってる」
「どうせ、バートレット辺りにやられたんだろう?」
 ライラは目を見開いた。そして、しまった、と思ったときにはもう遅かった。

 案の定、ルシアスは再び面白がるような様子でライラを眺めていた。
「当たりか」
「ち、違う。違うんだ、ルース。そうじゃなくて!」
「何を慌てる? さっきから随分あいつを庇うようだが、弱味でも握られてるのか?」
 不意にルシアスの口調が鋭さを増したような気がして、ライラは戸惑った。

 ルシアスが自分の扱いをここまで気にするのは、やはり庇護者として、あるいは頭領としての面子(めんつ)に関わるからなのだろうか。うっかり誰かの不満でも漏らそうものなら、相手がどんな罰を受けるのかわかったものではない。
 どうしてここまで自分が気を遣わねばならないのか。あまりの理不尽さにライラは溜め息をついた。

「そうじゃないったら。考えすぎだ」
 ライラはそう言ったものの、ルシアスは完全には納得していないようだったが、少なくともそれ以上追求するのはやめたらしい。葡萄酒(ワイン)で一度口を湿らせてから、鋭さの消えた声音で言った。
「あいつは真面目で優秀だが、時々硬すぎるところがあるんだ。嫌な思いをさせたのだったら、代わりに俺から謝る。悪かったな」
……。よしてくれ。本当に、何てことなかったんだから」

 ライラはその話を打ち切りたかった。
 ルシアスに手を差し出され、空の杯を渡すと、彼は無言で葡萄酒(ワイン)を継ぎ足した。
 中身の入った酒杯が目の前に戻され、それを受け取ろうとしてライラは、自分に注がれた視線に気づいた。
 ルシアスは、やけに真剣な眼差しでじっと彼女をみつめている。
……っ」
 咄嗟に彼女は視線をそらす。

 ライラがきちんと受け入れるまで、彼はその態度を変える気がないのだろう。大の男が自分みたいな小娘相手に、こんなふうにきちんと謝るなんて、ライラはどうにも居心地が悪かった。

 しかし、本来謝罪とは立場も性別も年齢も関係ないもののはずだ。そういう意味ではルシアスの態度が正しく、面映ゆさを感じているこちらが変なのだろう。
 それに気がついたライラは、むしろ自省するような思いで彼を見た。

「ルース。私も大事にしたくないし、頭領のお前がそうして謝罪したのだから、この話はこれで終わりだ。それでいいだろうか?」
「わかった」
 そこでやっと、ルシアスの表情が緩んだ。ライラも少しホッとして、思わず嘆息する。

(まったく、調子が狂う……
 海と陸では理屈が異なると、ライラも理解したつもりだったが、それでも驚かされることはなくならなかった。こいつは名のある海賊ではなかったか?
 いや、これは海とか陸という問題なのだろうか。
 とにかく、ルシアスはライラがこれまで関わってきた人々と、何かが違うのだった。

……雑用って、主に何をすればいいんだ?」
 話題を変えるためにライラがそう言うと、ルシアスは意外そうな顔をした。
「今の話の流れで言うなら、振りだけでも構わないが」
「なんで振りなんだ。仕事をしたいと言ったのは私だ、ちゃんとやる」
……頑固な」

 ルシアスは目を僅かに眇めてぼそりと呟く。それから彼は、気を取り直したように言った。
「まあいい。お前がやる気になってくれたのなら、遠慮なく使わせてもらおう。俺も赤子ではないから、手取り足取りする必要はない。ただ、俺達の日常は海次第だ。臨機応変さを求める場面もあることは、留意しておいてくれ」
「わかった」

 家令のように、気をきかせて先回りするのを期待されているわけではないとわかって、ライラは安心した。そんな細かい作業に向いていないことは、彼女自身が一番理解していた。
 ルシアスは軽く肩を竦めて杯を口もとに運ぶ。

「今まではできる限り自分でやるようにしていたが、忙しくなると、些細な手間も忌々しくなってくる。髪も髭も放置したままの蛮族のような輩もいるが、ああはなりたくないものだ」
「相手を威嚇するために、敢えて恐ろしい姿を作っていると聞いたことがあるが」
「怠惰な人間ほど、やらずに済むための言い訳を考えるのが得意なもんさ」
 ふん、とルシアスは皮肉げに笑った。
 そういうものなのか、とライラは改めて目の前の海賊を眺めた。

 水が自由に使えないという船上特有の事情があるため、海賊でなくとも、長期航海する船の水夫というのは身なりを整えるのが困難だ。
 ただ、アリオルの酒場で言われていたとおり、ルシアスはまるでどこかの貴族のような風体をしている。

 長い髪もきちんと纏め、服も均整の取れた身体にぴったりと合っていた。古着を着回すのも珍しくない中で、一から仕立てたものなのだろう。
 整った顔立ちと合わせて佇まいが洗練されていて、これでは上陸のたびに女性に騒がれるのも当然と言えた。陸の男達には気取った野郎だと陰口を叩かれているようだが、本人はどこ吹く風だ。

「衛生面での責任者は船医(サージェン)のジェイクだから、あとで教わりに行くといい。俺のほうで手が欲しいときに都度指示するから、基本的には近くで待機をしていてくれ。わからないことは俺かティオに訊け」
「承知した」
 頷いたライラを彼は見つめ、こう付け加えた。

「何かあったら、直接俺に報告するように。できるだけすぐに、だ」
「わ、わかった」
 気迫のようなものを感じ取ったライラは、やや怯みつつそう応えた。