Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

天空の蒼(セレスト・ブルー)』の海賊たち

01

 晩夏の陽が甲板を熱している。
 気温は数日前に比べれば少し下がってきたようだが、それでも太陽が中天にあるこの時間は、日差しがじりじりと肌を焼いてくる暑さもまだ健在だった。

 海上では風がある分、陸上よりも体感温度が低い。とはいえ、海の湿気と潮気をはらんだ風は爽快感ばかり引き起こすわけではなかった。甲板が放射する熱もそれなりのものだったし、風で飛ばされてくる海水の飛沫が肌に張り付いてベタつき、「風が気持ち良い」というよりはむしろ「風があるからまだマシ」と言えた。

 だが、もう何日か経てばこの暑さも和らぐだろう。夏が終わりに差し掛かっていることと、一行が北上を続けているためである。

 エディル大陸近海を縄張りとする海賊、『天空の蒼(セレスト・ブルー)』の船は今、大陸西側の海上沖にあった。リズヴェル国の港街アリオルから出港し、スカナ=トリア国を通過してその北隣のヤースツストランド国、港街ヴェスキアを目指している。

 ライラは周囲に相変わらず島影もないのを確認すると、小さく嘆息して視線を手元に戻した。次の港までまだ数日かかるとは聞いているが、毎日ひたすら同じ光景が続くという状況に慣れていないのだ。

 彼女は、露天甲板(アッパー・デッキ)の片隅で黙々と角灯(ランタン)を磨いていた。
 船尾楼の壁面に背を預けて座り、周囲に散乱する煤汚れた角灯(ランタン)を、ひとつひとつ綺麗にしていく。地味な作業だ。
 本当ならもっと風の当たる場所に行きたかったのだが、つい先程甲板の真ん中に立っていただけで「操船の邪魔だ」と怒鳴られたばかりだった。だから、じっとしていることを条件に何とか外での作業を許してもらった。

 角灯(ランタン)のほとんどは薄暗い船室を照らすもので、今現在も使用中のものがあり、すべて磨くには磨き終わったものとその都度交換するしかない。
 船内と露天甲板(アッパー・デッキ)とを何度も往復する手間を差し引いても、ライラが外に拘るのにはわけがあった。通気性の悪い船内は、日中ともなると甲板の熱と海からの湿気とで、陸者(おかもの)のライラにはとても耐えられるものではなかったのだ。
 実際は、それ以外にも外にいたい理由はあったのだが。

 アリオルで厄介事に足をとられて以来、ライラ・マクニール・レイカードは不本意ながらこの船に滞在している。

 女だてらに剣を握り賞金首を狩ることを生業にしているライラは、多少のことならば独力で乗り切るくらいの胆力は持っていた。
 しかしながら薬を盛られるという、痛恨の極みとも言える失敗を犯してしまったのだ。そうなるとライラといえども誰かに助けを求めるしか術はなく、その相手がこの船の主クラウン=ルースことルシアス・カーセイザーだった。

 そうしてライラが意識を失っている間に、彼がすべて片をつけてくれたらしい。本来であればこちらが礼を尽くさねばならないところを、風変わりな海賊は更に賓客として遇してくれた。
 その、名目上は賓客であるはずのライラが何故、このような雑用をする羽目になったのか。

 それは、先日のルシアスとの一戦の後、彼ととった食事の席にまで遡る。


 カリス=アグライア号の船長室(キャプテンズ・デッキ)は船尾楼にあり、入り口から入って手前に腰の高さ程ある円卓の置かれた小部屋があり、奥に寝台や所持品箱(シーチェスト)などが置かれた個室があった。間には、上下に明かり取りの透かし彫刻が施された、二枚の板材を繋いだ衝立が仕切りとして置かれていた。

 本来、食事は一般船員は砲列甲板(ガン・デッキ)で、専門職にある高級船員は会議室(サロン)でとるそうだが、船長の私的な客人などを迎える際はその小部屋を使うこともあるということだった。

 とはいえ、一度海に出てしまえば客人もそうあるものではなく、ティオのような者がいるとはいっても所詮は男所帯。他の場所より雑多にしてはいないというだけで、その部屋は特に飾り立てられているわけでもなかった。
 よくよく見ればその円卓も黒っぽい胡桃材でできており、優雅な曲線を描く脚部には植物の意匠が施され、安物ではないことがわかる。衝立も同様だろう。

 だが、それらは単なる家具として無造作に配置されているだけだった。暗い色彩の小部屋の中で、唯一色味を添えているのは円卓の下に敷かれた赤い絨毯くらい、という有様である。

 そんな殺風景な部屋の中で、並べられた料理のほうは意外にも船上にしては多彩と言えるものだった。
 上質な葡萄酒(ワイン)甘橙(オレンジ)、焼いた鶏肉に乾酪(チーズ)胡桃(くるみ)の蜂蜜漬、玉菜(キャベツ)の酢漬、豆類と塩漬け牛肉の入った汁物に薄く切ったパンなど。

 船医(サージェン)として乗船しているジェイクの指示によって、陸者(おかもの)でも滅多に食べないような果物や野菜が多めに採用されているという。それに加え、今回は長期航海でもなく出港したばかりというのもあって、今は比較的まともな食事が出せるのだとルシアスは言った。

「あいつはモグリの医者だが、ジェイクの案を採り入れてから病死者が激減した。しかし航海が長くなれば食べ物や飲み物はどうしても傷む。日持ちする加工法を知るために、航海の度にいろいろなものを漬けたり干したりさせられているんだ。まあそのおかげで、(おか)にいるときよりも食卓が豪勢になったけどな」

 それを聞いてライラは、感心すると同時にその斬新で実験的な行為に驚いた。
 海に限らず陸でも、病では毎年沢山の人がこの世を去っている。ライラも旅先で何度か悲惨な現状を目にしていた。

 医者は病気と見ればとにかく瀉血(しゃけつ)を繰り返すばかりで、あまりの痛々しさにその治療行為自体が生存率を下げているような気がしていたのだ。健康な人間とて斬られて血を流せば死に至るというのに、病人がそれ以上に血を流して耐えられるはずがない、と。
 それなのに。

「病死者が減った? 食べ物を変えただけで?」
 ライラの驚きをよそに、ルシアスはあくまでも平然と応じる。
「別に珍しくもない。昔から、壊血病に効く食べ物なんかはどこの船も探していた。ただ、迷信の範疇を出ることもなかったし、真剣に検証するだけの予算が出ることもなかっただけだ」

 壊血病というのは、海だけでなく貧しい地域などでも稀に見かける病気だった。
 悪化すると歯茎が溶けて歯が抜け落ちたり、爪が剥がれ落ちて指先から腐っていく。伝染はしないものの原因はわかっておらず、陸よりも発生しやすい海では特に恐れられる病気のひとつだ。

 一旦出港してしまえば人員の補充が難しい外航船では、大量死を招くような病を特に警戒する。労働力を奴隷もどきの人夫に頼る船でも、だ。
 しかしそういう検証を行うとなると、手間も金も時間もかかり、航海の経費をできる限り抑えたいという船主側の思惑とは相容れない。

 それができるとしたら、航海に大きな裁量権があり、あらゆる材料を手にできる資産家の船乗り――つまり、海賊『天空の蒼(セレスト・ブルー)』のクラウン=ルースくらいのものだ。珍しい果物や調味料は、地域によっては金と同価値で取引されている程なのだから。

「以前から思っていたが……お前は変わっているな、ルース」
 ライラの呟きに、ルシアスが片方の眉を器用にあげた。
……それは、褒め言葉と受け取っても?」
「変わっているというのが、どうやったら褒め言葉に聞こえるんだ」
「これは失礼。貶しているようには聞こえなかったのでね」
 そう言って、ルシアスは目を伏せて軽く笑った。毒気を抜かれたライラは肩を竦める。

 誰が名付けたのかは知らないが、クラウン=ルースとはよく言ったものだ。道化(クラウン)にしても王冠(クラウン)にしても、目の前の男にしっくりくる渾名だとライラは思った。
 掴みどころがないようでいて、芯が通っている部分もある。気炎を吐くばかりの他の賊と違って、彼の言葉にはどれも根拠があるのだ。

 はじめは単なる獲物でしかなかった相手だが、いつの間にか自分の中で形を変えてしまっていることに、ライラも気づいていた。

 もちろん、海賊行為は違法だし、未だに彼の首には多額の懸賞金が掛けられている。
 だが例えば今、助けられた恩だとかそういったことを抜きにすれば、剣を取って彼の隙をつこうと思えばつけるのに、そんな気がまったく起きない。これは馴れ合いが行き過ぎてしまったか、とライラは若干苦く思った。

 その一方で、彼のような人間が一人くらいいてもいいのではないかという思いも、確かに存在していた。少なくとも、今の段階でどこかの国が本腰を入れて、壊血病や黒死病(ペスト)の対策を練るとは思えなかった。

 そこへ扉の向こうから声がかかり、ライラは我に返る。
「俺だ、ルース。入るぞ」
 開いた扉から入ってきたのは、ハルだった。後ろにはリックという少年が続いている。ハルの手には、金槌と畳んだ帆布があった。

「まだ食事中か。それじゃ後でまた出直すわ」
 食卓に並んだ食べ物がそれほど減っていないのを見て取るなり、ハルは一人でそう言ってさっさと引き返そうとした。だが、後ろに控えていたリックは逆に一歩室内に踏み込んできた。
「じゃあ、荷物だけここに置いていきますね、ライラさん」
 それは、ライラが寝かされていた部屋にあったはずの自分の荷物だった。荷物と言っても、軽く担げる程度の布袋だったのだが、問題は別のところにあった。

「どうしてそれをここへ?」
 ライラの問いに答えたのは、ルシアスだった。
「お前がいたあの部屋はもともとハルの個室だ。目が覚めた以上、いつまでもお前を置いておけないからな。今夜からここに移ってもらう」
「ここってまさか」
 思わず聞き返したライラに、ルシアスは頷いてみせた。

船長室(キャプテンズ・デッキ)だ」