Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

海賊との再会

12

「良かった、安心しました」
 室内に身を滑り込ませると、後ろ手に扉を閉めながらティオは嬉しそうに言った。

「なかなか目を覚まさないから心配してたんですよ。どうですか気分は?」
「まだちょっと目眩がするけど、概ね大丈夫だ」
 つられるようにライラも微笑んで応じる。

 すると、反対にティオは真剣な顔になって言った。
「何日も眠ったままで飲まず食わずだったので、目覚めた後も気を抜かないようにと医師に言われています。しばらくは安静にして、無茶はしないでくださいね? そうだ、白湯なら用意できますけど召し上がりますか」

 まるで子を案じる母親のような口振りに、ライラは思わず苦笑を漏らした。
「いくらなんでも、気を遣いすぎだ」
「そんなことはありません」
 ティオは唇を尖らせた。

「こっちはびっくりしたんですから。あんな状態で出歩いたりして、危険すぎます。無茶苦茶ですよ。途中で行き倒れなかったからいいものの……」
 と、放っておいたら延々と続きそうな小言に閉口して、ライラはわざと言葉を遮った。

「ところで、眠っている間の世話をしてくれたのもお前か?」
「はい。そうですけど」
「そうか。いろいろとありがとう」

 ライラは素直に礼を言った。しかし、ティオはとんでもないとかぶりを振る。
「いえ、お礼なら頭領に言ってください。全部頭領の指示ですから」
「ルースの?」
「ええ。ライラさんにくれぐれも不自由がないようにって」

 意外だった。匿っただけでも有り難く思えと、そのくらいの皮肉は覚悟していたからである。
 しかし、ルシアス個人ではなく頭領としてならばその対応も頷ける話だった。彼らは海賊とはいえ、単なる寄せ集めの破落戸(ごろつき)集団ではないのだ。もっとも、その辺の悪党と同じであれば、皮肉どころか匿う振りをして何をされるか知れたものではない。ライラが助力を乞うこともなかっただろう。

「でもまだ起きられたばかりで、不自由もなにもないでしょう。何かあれば言ってくださいね、遠慮なく」
 ライラが目覚めたここからが本番とばかりに、ティオが請け負う。

 それならばと、ライラは気になっていたことを口にした。
「私が眠っている間、何か面倒事は起きなかっただろうか」
「面倒事、ですか?」
 ティオは表情をそれほど変えることなく訊き返した。

「ああ、今回の件でですね。全体の指揮は頭領がとったので、後で直接訊けば教えてくれると思いますよ」
 もったいぶった言い方をするティオを、ライラは軽く()めつけた。

 何かにつけて彼が自分とルシアスを引き合わせようとするのは、今に始まったことではなかった。何の思惑かは知らないが、お互いの立場を考えれば必要以上の馴れ合いなど出来るわけもない。ライラとしては苦々しいばかりなのだが、いくら大人びているとはいえ、まだ少年の域を出ないティオにはわからないのかもしれないと思った。

「直接……。あまり気乗りはしないな」
 ライラがむっつりと呟くと、その様子にティオは曖昧な笑いを浮かべた。
「そ、そんな事言わないでくださいよう……。ちゃんとライラさんのこと責任持って匿いましたし、感謝の気持ちを伝えたらきっと喜びますよ?」
「そりゃあもちろん、礼は言うつもりだけれど」
 ライラが言い淀む。

 ルシアスの力量はもちろんのこと、約束事を交わすだけの信用に足る男であることは理解している。ただ、腹の中で何を考えているのかがいまいちわからない、やりづらい相手でもあった。他の悪党のように、金や女に目の色を変えてくれた方がある意味気が楽だった。
 第一あの鉄仮面に近い男が喜ぶとは、一体どういう状態のことをいうのか。
 難しい顔つきで考え込んでしまった彼女に、ティオは嘆息する他ない。

「俺が言うのもなんですが、頭領って誤解されやすい所がありまして……そこまで悪い人じゃない、と思うんですけど」
 ティオはそう言いつつも、何だか奥歯に物が挟まったような口調だった。

 ライラはそんな彼をしばらく見つめ、それから含み笑いを漏らした。
「すまない。困らせるつもりじゃなかったんだ、ティオ。後でちゃんとルースと話をするよ」
「ありがとうございます」
 ティオはほっとしたような、それでいて情けないような、複雑な顔で礼を言った。

 考えてみれば、あの無愛想なルシアスがこれまで何とかやってこれたのも、彼のような者が裏でいろいろと気を回してきたからという部分もあるだろう。今のような気苦労を、ティオはその年に似合わず多く味わってきたに違いない。
 内心でそのことに同情しつつ、ライラは笑みを浮かべてみせた。

「ところで、もうひとつ訊きたい事があるんだ」
 ライラは真正面からティオを見据えた。そこに何かを感じたのか、びくりと、ティオは肩を揺らす。
「な、何でしょうか……っ」

 怯える少年の表情が、疑惑を確信へと変えた。
 ライラは口許にのみ微笑を残しながら静かに尋ねた。

「……ここは、どこだ?」
「えっ」

 簡潔な問いだった。だがそれが、言葉通りの意味合いばかりを持つものではないということは、聡明なティオもすぐ理解したようだ。少年の顔が、心なしか引きつっている。

「えっと、あの、そのー……」
「ティオ」
「は、はいっ!」

 こみ上げる感情の渦が、名を呼んだだけの短い声音に表れてしまったようだ。案の定、飛び上がる様にしてティオは返事をした。
 少年は口をもごもごさせ、しばらくしてから「うーっ」と唸った。後ろめたさがそうさせるのか、視線をあらぬ方へ向けつつ、とうとう口を割った。

「……あーもうっ。仕方なかったんですよ、船の上じゃ頭領の命令は絶対なんですから。俺だって、止めたんですけど……」
「あの馬鹿は何処にいる?」

 ティオの並べ立てた言い訳を、ライラは冷静な、凍りつくような程静かな声で遮った。あの馬鹿……つまりはルシアス・カーセイザーのことである。
 少年は数瞬だけ考え込む素振りを見せた。それから、弱り切ったような表情になって、蚊の鳴くような声で答えた。

「……甲板に出てます」
「わかった」

 ライラは立ち上がり、壁に立ててあった愛剣を腰に帯びると、今度は揺るぎのない足取りで部屋の入口に向かった。
 気迫に押されてつい道をあけてしまったティオが、なけなしの勇気を振り絞って声をかけてきた。
「あの……ら、ライラさん……!」
「なんだ」
 肩越しに振り返ると、ティオのやや青褪めたような顔が視界に入った。

「気持ちは判りますけど、どうかお手柔らかに……。頭領にも、その……悪気があったわけじゃないと思いますし。何か考えがあったんですよ、きっと」
「ふん。どうだかな」
 ティオのとりなしに、ライラは鼻で笑うように応じる。

「悪気以外の何があいつの腹に詰まっているのか、本人に聞いてみようじゃないか」
「……せめて船は、壊さないでいただけると助かります」
 もはや哀願するようなティオを一瞥してから、ライラは短く答えた。

「努力はする」

 ライラの感情が凝縮されたその一言は、哀れなティオ少年をその場に凍り付かせた。ライラはそれに構わず、向き直ると即座に行動に移った。

 残されたティオも、すぐに我に返った。
 そうだ。固まっている場合ではない。
 ティオは、まさに隔壁をぶち壊さんばかりの勢いで飛び出して行ったライラの後を、慌てて追いかけた。