Brionglóid
海賊と偽りの姫
海賊との再会
09
ティオはそれから少しもしないうちに、一人の少女を連れて部屋に戻ってきた。
少女は踊っている時と違って、今は至ってあどけない顔をしていた。露出の多かった衣装も、既に着替えて普通の娘らしい格好になっている。
しかしそれでも、彼女は人目を惹きつける何かを持っていた。細い肩にふんわりとかかる長い髪も、小柄で曲線の多い肢体も、どこもかしこも触れたら柔らかそうな印象を作り出している。その大きな瞳で上目遣いに見つめられると、男なら誰もが無条件で守ってやりたいと思うだろう。
彼女自身、商売を通して自分の魅せ方を心得ているようで、わざと小首を傾げてみせるのが定番になっていた。
「如何なものかな」
ルシアスが促すまでもなく、ロイはリスティーを見るなり、落胆の溜め息をついた。
「違う……が、お役目はお役目だ。こちらで引き取らせてもらう」
「そうか」
この会話に、リスティーが驚きを露わに割って入った。
「あの、ルシアス様? どういうことですか。それに、この方は……」
「こちらは魔法都市ヴェーナの使者だそうだ。リズヴェル国の名代としてお前を保護すると言っている」
「え……?」
大きな瞳に不安と驚愕の色が交互に浮かび上がった。何かを求めるようにリスティーはルシアスを見たが、彼が動く気配はない。それを悟るや、リスティーは泣き出しそうな顔になった。
だが、当てが外れたロイの方は他人のそんな心情まで気が回らないのか、穏やかを装ってリスティーに向き直った。
「本当は、君に会わせてくれるようあの居酒屋の主人に交渉していたんだが、何処かですれ違いがあったようなのだ。後になって、こちらと契約してしまったと聞いてね」
「事情を聞けば、向こうも特に落ち度があったわけではないらしい。主にお前の前の雇い主の問題だそうだが、いずれにしても、こちらは無意味な揉め事は避けたい。そこで、この機会にお前を陸に返す事にした」
ロイの後を引き受けるように、ルシアスがそう告げる。
陸に返すという一言にはロイもぎょっとしたようだが、リスティーの受けた衝撃はそんなものではないらしい。
舞姫の表情が、見る見るうちに不安から絶望へと変わっていった。眼が見開かれ、細い肩が震え、真っ赤な紅をひいた唇が戦慄いていた。
「私を、返す……?」
ルシアスにはそんな彼女の様子が見えているはずだが、その表情も声もこの上なく無機質で、そこから感情を読み取るのは誰であろうと至難の業だった。
彼は今日一日の予定を話すような口調で更に言った。
「どの道、出港前にそうするつもりでいた。お前の細い身体では、とても船旅には耐えられないだろうから」
「……」
「あっちへ行ったりこっちへ行ったりと、品物扱いしてすまん。だが、ヴェーナの魔導騎士がこうしてついている以上、悪い様にはならないだろう」
「そんな……!」
とうとうリスティーの瞳から涙が零れ落ちた。
「そんな……」
立っていられなくなって、リスティーは崩れるようにその場に座り込んだ。
事情のいまいちわからないロイは怪訝そうな顔をしていたが、ティオはまるで自分の身に起こった事のような胸の苦しみを感じた。
信じていた相手に裏切られるのは辛い事だ。たとえそこに、悪意がなかったのだとしても。
ティオはやるせない思いのまま、彼女の傍に寄って片膝をつくと、労るようにその肩に優しく触れた。
「……リズヴェル国の正式な書状があるんだ。俺達にはどうする事も出来ないけど、悪い事にはならないよ、本当に」
「あ、ああ、それは俺が保証しよう」
少女の涙に戸惑いを隠せないまま、ロイがそう請け合った。だが、リスティーが望んでいるものは保証とか、そういったものではない。
ティオの手を退け、リスティーは長卓の向こうにいるルシアスに駆け寄ろうとして、扉番のバートレットに腕を掴まれた。
「嫌、離して! ルシアス様、ねえ、嘘でしょう……!?」
彼女は腕を振り解くようにもがきながら、もう一度ルシアスを一心に見つめて訴えた。
「私はこの船に……あなたに買われたのではなかったんですか、ルシアス様! 私……私、ここにいては駄目なんですか!? 踊りももっと巧くなって皆を楽しませるわ、船旅にも耐えてみせます。だから……!」
「リスティー」
ルシアスはその先を制するように名を呼んだ。びくり、と舞姫の肩が揺れる。
小さく嗚咽を漏らす彼女に向けて、彼は静かに言った。
「聡いお前なら判らないはずはないだろう。俺達海賊が本来どういうものなのか。海の上で暮らすという事がどういうことなのか。一度海に出れば、自分を守るのは自分だけだ。お前、自分の身を守る為なら人間を殺せるか?」
驚愕に目を見開いたのは、リスティーだけではなかった。彼女に寄り添うティオもまた、信じられないように頭領の顔を見返した。
そんなものを期待して彼女を船に上げたわけではないだろうに、反論を封じるためだけにルシアスは言ったのだ。彼女にできるはずもないことを。
「……。ひどいわ、そんなこと言うなんて」
手で顔を覆ってわっと泣きだした少女に、ロイやスタンレイなどが気まずげに視線を彷徨わせた。
ティオがさすがに非難するような目をルシアスに向けるが、当の本人は、仮面のような表情でじっとリスティーを見つめたまま動かなかった。
それを見て、ティオはふと気づいた。
ルシアスも、何も感じていないわけではないのだ、と。
ティオにはリスティーの悲しみもよくわかったが、ルシアスの苦い思いもまた、彼の傍にいる者として理解できてしまった。
最初は確かにきまぐれだったのかもしれない。時折自分たちの前で舞を披露してくれればそれでいいと、ルシアスはそれだけ言ってリスティをあの店から引き抜いた。
あの主人のことだ。踊りだけで人を寄せていられる間はいいが、人気が衰えてきたら娼婦のような真似もさせられるかもしれない。年を取ってそれもままならなくなれば、奴隷とそう変わらぬ下女に降ろされる。それは、リスティー本人はもちろんのこと、ルシアスにも容易に想像がついたことだろう。身寄りのない娘がたった一人で生きていくとなれば、行き着く先は大抵そこなのだ。そして一度身を落とせば、這い上がるのはほぼ不可能だった。
自らをそんな苦境から救い出してくれた相手に対し、少女が思いを寄せるのは自然なことと言えた。ルシアスとてそれには気づいていたはずだ。
だが彼は、そこで情に流されはしなかった。
自分達は所詮海賊で、彼女に幸福な人生を提供できるなど驕りを持ってはいけない。
縁があって、機会を与えただけ。これ以上のことはできやしないのだ。
ライラの件がなくとも、きっとルシアスの結論は変わらないだろう。そもそも、リスティーとは住む世界が違うのだから。
その姿勢が揺るぎないからこそ、ルシアスは『天空の蒼』の頭領として立っていられるのだろう。
きゅっと下唇を噛んで、ティオは心を決めた。バートレットが掴んだ腕を離すよう目で促し、そのままリスティーに寄り添う。
「……行こう、リスティー」
「ティオ……」
しゃくりあげながら涙目で見返してくる舞姫に、ティオは精一杯の笑顔を向けた。
「準備、手伝うからさ。また会えるよ、きっと」
リスティーはいやいやをするように弱くかぶりを振りながら、涙でくしゃくしゃの顔でティオに抱きついた。彼は少しの間、声を上げて泣く彼女を黙って受け止め、慰めるように背中を撫でた。
やがて彼女を支えたまま室内の他の人間に軽く会釈をすると、ティオはリスティーを伴って静かに部屋を出て行った。