Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

海賊との再会

02

 最初から目を付けられていたらしい。注文した酒自体に薬物が混入されていたのだろう。
 不覚としか言い様が無かった。あれほどしつこく酒を勧めてきたのは、薬を飲ませることと時間稼ぎだったのだ。

 歯を食いしばるが、意識が遠退いていく。勝ち誇った様な店の主人の顔が、二重にも三重にもぶれて見えた。

「ふん。やっと効いてきたか。まったく梃子摺(てこず)らせやがって」
「く……っ。き、さま……!」
「悪く思わんでくれよ。こっちも命がかかってるんでね」

 おい、と主人が合図すると、離れた長卓に座っていた二人組の男がおもむろに立ち上がり、近づいてきた。狭い店内にいたのはライラとこの男達だけだ。特に荷物も持たない格好からして地元の人間だろうとは思ったが、どうやらこの店の主に雇われた者達だったようだ。
 ライラは危機感を覚えたが、店の中は長卓と椅子で埋め尽くされ、この状態で走ったとしても扉にたどり着く前に捕まってしまうだろう。一か八かで振り払って逃げるというのは無理そうだった。

 男のうち一方がライラの両手を後ろに回させて押さえつけ、残るもう一方が顎を掴んで顔を覗き込んでくる。反射的にライラは相手を睨みつけるが、男は意に介さないばかりか、逆ににやにやしながら彼女の顔を眺めた。

「へえ、こりゃまた滅多にお目にかかれねえ()い女だ。翠金石の瞳(スター・オリヴィン)なんてな、そうそういるもんじゃねえと聞いたが、案外いるもんなんだなあ。……旦那、これを売り渡しちまうってのは、ちょいとばかし勿体ねえんじゃねえのかい」

 しかし店の主は即座に声を荒げた。

「馬ッ鹿野郎。リスティーを連れ戻せない以上、替え玉を用意しねえとこっちがやばいんだ。いいからさっさと奥へ運べっ! 誰かに見られたらどうするんだ!」
「へいへい、判ってますよ」

 男達はあからさまに溜息をつくと、意識が朦朧としているライラを抱え、カウンター脇の扉のところまで引き摺るようにして運んだ。
「何やってる! こいつも持ってけ!」
「へ、へい!」

 店の主に更に怒鳴られ、一人が扉を押し開けてライラを中へと連れ込んでいる間、もう一人は席に置き去りにされたライラの荷物を取りに戻った。
 ライラを抱えた男が、扉を締めた途端に小声でぼやく。

「ったく、人使いの荒い(ジジイ)だぜ。しかしホント、勿体ねえよなあ。俺はリスティーみたいな甘ったるい娘より、こっちの気の強そうなのが断然()いんだが」
 首筋を無遠慮に撫でてくる手つきに鳥肌が立つ。だが幸か不幸か、それがライラの意識をある程度引き戻させた。

 連れ込まれた部屋は店内よりも更に狭く、両脇の壁を棚で埋め尽くされた納屋のような場所だった。床には酒樽が並び、壁に打ち付けられた棚の上には穀物の入った麻袋や乾物のはいった瓶が並ぶ。酒の匂いに混ざって埃と黴の少しつんとする匂いがした。棚と樽に挟まれた通路は大人がすれ違うのにもぎりぎりで、扉の脇の壁にある燭台の明かりも隅々までは行き届かず室内は暗かった。

 男がライラを酒樽に背を預ける形で座らせる。ライラがその間にも部屋を観察していると、扉の向こうの店内へ新たな来客の気配がした。それほど広くもなく、作りも古い建物なので、通常の声音で為される会話ですらここでも聞き取れてしまう。ライラを捕まえている男も、荷物を抱えて後から入ってきた男も、そちらに気づいて身動(みじろ)ぎを止め、聞き耳を立てた。

「おい、例の娘は戻ったか?」
 若い男の声だった。重みのある低い声は、鍛え上げられた体躯を連想させる。そして訛りの無い公用語は、声の主が大陸の中央から来たか、或いは多少の外交的な権力を持つ人間であることを示していた。再び靄のかかり出した意識の下で、ライラはぼんやりと会話を聞いていた。

「こ、これはこれは、コルスタッド様」
 狼狽したような、店の主の声。この場にいる二人の男も、その名を聞いて緊張を漲らせた。

『コルスタッド』……何処かで聞いた家名だと、ライラは思った。しかし誰だったか。コルスタッド。名前は何だろう。判らない。お尋ね者の賞金首だったろうか……。

「あなた様が直々にお越しとは、思いも寄りませんで……」
「御託はいい。約束の日は今日だったはずだ。例の、翠金石の瞳(スター・オリヴィン)を持つ娘とやらは客の所から戻ったのだろう。会わせてくれ」

 歯切れのいい口調で男は言う。これも、何処かで聞いたような話し方だ。何処だろうと、ライラははっきりしない意識の中で一生懸命考えた。

 コルスタッド……コルスタッド?

「そちらの要求通り、前金は渡しただろう。娘に会わせてくれれば後金もこの場でやると俺は言った。別に娘を寄越せと言っているわけではない、確かめるだけだ。なのに何故、いつまでたっても会わせては貰えないのだ?」
「い、いえ、会わせないなどとは申しておりませんよ。ですが、ちょっとした手違いでして……リスティーが戻るのは早くても今日の夕方になります」

 彼は、リスティーという名の娘に会いに来たようだ。先程の店の主と男達の会話からするに、その娘は『翠金石の瞳(スター・オリヴィン)』の持ち主で今は連れ戻せない状態にあるのか。
 つまり手違いというのは、もしかしたらクラウン=ルースが連れて行ったという舞姫がリスティーなのかもしれない。しかし彼は確か、大金を払って……。

 ライラは必死に考えようとするが、割れるような頭痛が邪魔してうまく行かない。ルースは娘を買い取ったのではないのか。コルスタッドって誰だ。

「リスティー……本当にその娘はリスティーという名なのか? 別の名前を名乗っていた事は無いのか」
 思いつめたような男の声に、店の主は曖昧な答えを返す。

「はあ、ここに来る前は旅の一座にいたという事ですから、その当時のことは判りませんで。あれが本名でない可能性もありますが」
「本名ではない、か……。でも、名が少し似ている、リーシャに……」

 その呟きを聞いた途端、ライラの意識は冷水を浴びたかのように一気に覚醒した。
 思い出した、彼はロイ・コルスタッド。

(何でこんなところに!)

 逃げなくては、という思いが彼女を突き動かした。幸い、腰の剣は奪われてはいない。二人の男達は店の方に気を取られ、ライラは酒樽にもたれかけて転がされているだけだ。今しかない。
 左腕を持ち上げ、右腕に爪を立てる。

(意識を強く持て、さあ、剣を握れ!)

 ライラは静かにゆっくりと起き上がりながら鞘ごと剣を外し、両手に持って一度深呼吸した。扉の向こうを気にしている男達の背後に立ち、全身全霊を両手に集中させて剣を持ち上げ、片方の首筋めがけて振り下ろした。

「な……っ」
 もう一人が振り向いたところを、腹部に容赦の無い突きを食らわせてやる。
「ぐ、は……ッ」
 男が倒れた拍子に瓶がいくつか落ちて、けたたましい音と共に割れる。
 両者とも、一発で充分だった。男達が倒れこむのを確認する暇すら惜しんで、ライラは荷物を掴み、剣を杖代わりにしながら部屋を観察する。奥が明るい。窓か、裏口があるようだった。

「おい、何か音がしたが」
 いぶかしむようなロイの声がする。
「あ、いや、荷物が落ちたんでさあ。ほら、この通りボロい建物じゃあねえ、棚もよく落ちるんで」

 まさか、替え玉を用意したとはいえ、薬を盛ったライラを見せるわけにもいかないのだろう。店の主人は慌てて言い訳をした。今はその事に感謝しながら、ライラは身体を引き摺るようにして明かりの方に向かった。

 裏口の扉が見える。迷わず外に出た。近くを流れる運河の潮の香りが鼻をくすぐる。

 ライラがいるのは店の立ち並ぶ狭い路地で、一瞬方向がわからなくなるような場所だった。しかし運河沿いに走る大通りが近く、この時間は人通りも多いためここまで喧騒が届く。ライラはひとまず音を頼りにそこへ紛れ込もうと考えた。

 歯を食いしばって、ライラは進む。執念のみで重い身体を動かした。身体の不自由に苛立つその気持ちは、自動的に一人の男へと向けられる。

(あの野郎……又しても、か!)

 ぐらぐらする頭を抱えて、ライラは忌々しげに思う。
 いったいこれまでの道中、何度ルース絡みの厄介事で足止めを食らったことか。しかも、今回は薬まで盛られる始末……笑い話で流せる範疇をはるかに超えている。この責任はしっかり取ってもらわねばなるまい。
 ……そして。

(今度こそ、この腐蝕しきった縁の鎖を断ち切ってやる……ッッ!!)

 強い決意を胸に秘め、おぼつかない足取りで表通りに出たライラは、立ち止まり、傍をゆっくりと流れる川を見つめた。
「港は……あっちか……」
 眩暈を取り払うように、空いた手で頬をぴしゃりと叩くと、ライラは西を目指して歩き始めた。