Brionglóid
海賊と偽りの姫
人魚 号
22
すると、縛られたままの航海長が口を開いた。
『全員よく考えろ。これは何のための戦いだ? こんなことで死んで本当にいいのか!?』
彼らがハッとする間もなく、今度は修道士が怒鳴った。
『ならん! 降伏はならん! 海賊の甘言に騙されるな!』
水夫達はファビオの言葉に惹かれつつも、修道士フェルミンの怒声を浴びて一斉に肩をそびやかした。
先程まで彼と切り結んでいたギルバートが威嚇するように剣を構え直す。しかし、ルシアスが目線で“喋らせろ”と合図してきたので、それ以上のことはしなかった。
フェルミンは水夫達を睨みつけて捲し立てた。
『海賊に降伏するなど、陛下に何と申し開きをするつもりだ! 我らにあるのは、誇りを持って戦う道のみ! 逃げるは神に対する背信、死後煉獄に落とされよう!』
カルロの訳を聞いたルシアスは、呆れたように嘆息した。
しかし信仰心というものは侮れない、とも彼は思った。実際、多くの人間が己の神を怖れたり希望に変えたりして生きているのだ。それは時に、何も信じるものがない人間の予想を超えた力となる。
どうするつもりかと視線を投げると、人魚号の航海長もまた負けじと声を張り上げた。
『誇りを捨てるわけじゃない! 俺達の誇りは、とにかく戦って死ぬことだけじゃないはずだ! それに問題が違う。俺達は補給なしの無茶な船出をした、それがどういうことかわかるだろう? 彼らもわかってる、だから手を貸そうとしたんだ。海賊である前に同じ船乗りだからだ!』
『ふん。むざむざ捕虜になった間抜けが、見苦しい……!』
ファビオは、口を挟んできたフェルミンを遮るように更に叫ぶ。
『俺達は! 差し出された手に唾を吐きかけるような真似をしちまったんだ。誇り高い、エスプランドル人の俺達が! 恩人に切っ先を向けるのが本当に誇りなのか!?』
『聞くな、命が惜しいだけの裏切り者に惑わされてはならぬ!』
『俺の命なんか、船に乗った時点でとっくに船長に預けてんだよ!』
ファビオは間髪おかずにフェルミンに言い返した。
『ディアナがここで死ねというなら死んでやるけどな、なんで彼女がここにいない? それどころかクレメンテ神父もいない。残ったあんたがなぜ水夫達に死ねと命令してるんだ!? おかしいだろ!』
甲板はすっかり興が冷めており、一同は二人の口論の成り行きを眺めていたが、話そこに至ってルシアスはフェルミンを見た。
ディアナはどこにいるのか。ライラ達はどうなった?
『たかが海賊崩れの田舎者が、増長しおって……! 罪深いほどに醜悪な魂よ』
フェルミンは聖職者とは思えないような罵りを吐いた。
『民の命はそもそも神より賜ったもの。それを神の身許にお返しするにあたり、せめて誇りを持てというだけのことだ。御高説は結構だが、この世に恋々としているようにしか見えぬ。貴様に誇りなど永遠に理解できぬであろうが、そのまま生き恥を晒すよりは、海賊の手にかかって潔く果てるがいい!』
「……エステーベの坊主ってのは強烈だな。捕虜は死ね、か」
カルロの通訳を聞くために、戦闘していた場所から移動してきたハルが肩を竦める。
それを背中で聞いていたファビオは、振り向かずに彼らにだけ聞こえるような声音で言った。
「それでもまだわかんねえよ。腐っても聖職者だ」
そして再度声を張り上げた。
『船長はどこだって聞いてるんだよ!』
『あの女は失脚した、貴様も既に航海長ではない! 命を預けた相手がもういないのだから、心残りはなかろう』
『……! いないって……』
フェルミンのその言葉に、水夫達もどよめいた。ルシアスもさすがに目を眇める。
船上では特に上官の言うことは絶対だからと、なし崩しになされた船長の更迭、抜錨に戦闘と、下の者達は上から言われるがままに従ってきた。エステーべ教会には逆らえないというのもある。
しかし、厳格な教会も生命の扱いについては慎重だった。船内の規律としても、即厳罰を与えて処分をすることはまずない。
だからこそ、まさかという気持ちだった。
『てめえ、ディアナを……っ』
ファビオが愕然と呟いた、まさにその時だった。
『ちょっと、勝手に殺さないでくれる!?』
足音も荒く、話題の主が奮然と階段を駆け上がってきた。
全員が視線を投げた先には、苛立ちを顕にしたディアナ・モレーノが現れていた。
『さっきから聞いていれば……。茶番はもう終わりだよ!』
『ディアナ!』
乱れた金色の髪を手荒く掻き上げたディアナは厳しい表情だったが、ファビオは喜色満面で彼女を見つめた。
彼女の後ろにバートレットがいるのを見たフェルミンは嘲笑した。
『なるほど、海賊の手引きで脱獄か。この船は裏切り者ばかりだな』
『相変わらずよく回る舌をお持ちですね、フェルミン殿。お楽しみのところ水を差すようで申し訳ありませんが、既に神父様は停戦に同意なさいましたよ』
『!』
目を見張ったフェルミンに、ディアナは冷たい声音で続ける。
『私も晴れて船長に復帰いたしました。事態の沈静化をせよとの言葉も預かっております』
『出鱈目を……! 貴様、神父様に何をした!?』
『何も。どなたかと違って、筋を通さないやり方は好みませんので。……いくら戦争ごっこがお好きだとしても、これはおふざけが過ぎるのでは?』
周囲を見渡したディアナは、そう言って小さく溜め息をついた。
全滅は免れたが、惨状には違いなかった。血溜まりに倒れている仲間は片手では足らない。口ではフェルミンを責めているが、実際には己の不甲斐なさを痛感しているのだろう。自分がもっとしっかりしていれば、彼らは死なずに済んだかもしれないのに、と。
『戦争ごっこ、だと!? 物の道理もわからん女の分際で、いつも出しゃばりおって! その上海賊に肩入れするとは、愚かにも程がある!』
愚か、と侮蔑されたディアナは、逆に蔑むような視線を彼に向けた。
『フェルミン殿。賢い男とやらを自負するなら少しは黙るべきでは? ご覧なさい、肩入れも何も、このまま戦い続ければ我らは全滅です』
『笑止! 戦いが決着するより先に全滅を恐れるとは! そろそろ己が船長職を追われた理由を理解しても良いはずだがな!』
『船長だからこそ恐れるのですよ。大事な仲間の犬死なんて真っ平、私が一番見たくないものです』
顔を真っ赤にして吠え立てるフェルミンに、ディアナは毅然と言い返す。そして、遠巻きに見ている水夫達にも言った。
『あんた達もよくお聞き! あたしは船長として降伏するつもりだ。でも、納得がいかない者はこのまま戦闘を続ければいい。どの道、補給無しで海を彷徨えば全員死ぬ運命にあったんだ。死に方が違うだけだからね!』
水夫達から反論は出なかった。むしろ、彼らは明らかに安堵の表情で船長の一喝を受け止めていた。
彼女が戻ってきたなら、ファビオかフェルミンどちらかにつくなんていう話はなくなる。この若く美しい船長に特に不満があったわけでもないのだ。
神父も承認しているというし、海賊は皆殺しにする気も無いという。ならそれでいいではないか、と。
何の返答もないのを見て、ディアナは言った。
『戦わないんだね!? ……では、只今を持って停戦、降伏することを総意とする! 人魚号の者は直ちに武器を捨てよ。これ以上命を無駄にしてはならない!』
バラバラと、水夫達は素直に武器を手放し始めた。そして跪き、無抵抗を示すために両手を上げる。『天空の蒼』の者達が彼らを縛り上げていった。
フェルミンも水夫達にあっさり掌を返されて、憤怒か無念か、きつく歯を食いしばりながらも従った。
ルシアスは、ここまでの流れをただ黙って眺めていた。ほぼ想定通りの流れだ。一部を除けば。
東の彼方には太陽が顔を出しており、夜明けの清々しい風が血の匂いを何処か遠くへ運び去ろうとしているかのようだ。
だが、彼の気は晴れない。
甲板はまるですべてが片付いたような雰囲気だったが、ライラとジェイクの姿はそこにはなかった。