Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

人魚(シレーナ)

21

『神父様、騙されてはいけません!』
 神父が何かを答える前に、最初にディアナに突っかかってきた中年男が声を上げた。
『何故我らが海賊に膝をつく必要があるんですか! 戦うのが嫌なら、あっちから頭を下げて頼み込んでくるべきだ!』

 その反論に、ジェイクだけでなくディアナとマルセロも苦い表情になる。

 水夫達は、自分達の置かれている状況がわかっていないのだ。そもそも、自分達の行動が原因で戦いに発展したと思っていないのだから当然だ。
 しかし、どんなに強い軍隊だって、まともな指揮官なしで戦えば本来の力を発揮する前に敗北する。そこをさらに高すぎる自尊心で目を覆ってしまえば、全滅するまで己の敗北に気がつかないだろう。いくら正当性を主張したところで、それは変わらないのだ。

「話にならんな」
 葛藤しているのか、黙り込んでしまった神父を見て、公用語に戻ったジェイクが嘆息する。ディアナが意を決したように身を翻した。

『やっぱりあたしが行く。ルースに詫びなくちゃ。こんなことで全滅なんて冗談じゃないよ!』
「ディアナ!?」
 話の内容を知らないライラは、突然のことに驚いた。そんなライラに、ディアナは足を止めずに告げる。
「皆が聞くかどうかわからないけど、駄目もとで降伏を呼びかけてみる」
『勝手なことをするな、この売女!』
『そうやって、元から海賊と裏で繋がっていたくせに……!』

 水夫達が剣を抜いてディアナの前に立ち塞がる。
 咄嗟にライラとバートレットも剣を手に構えたが、一触即発の空気の中、マルセロが両者の間に入って制止の声をあげた。

『言いがかりもいい加減にしろ! 海賊だろうと、彼らが治療をしてたのはお前らも知っているだろう!』
『うるさい! お前まで海賊に身売りしたのか、この裏切り者め!』
 マルセロは相手を強く睨みながら怒鳴り返した。
『裏切り者はどっちだ! 仲間が戦っている中でこそこそ隠れていたくせに!』
『戦っていないのは貴様もだろうが、マルセロ!』

 逆上した男が剣を振り上げてマルセロに斬りかかる。足を負傷しているマルセロは、少し後退るくらいのことしか出来ない。
 と、そこへ細い手が伸びてきて彼の肩を引いたかと思うと、いつの間にか前に躍り出たライラが男の刃を事もなげに薙ぎ払っていた。

「話はよくわからないが。力で解決しようと言うなら、彼に代わって私が相手になるぞ」

 公用語での宣言は相手には通じない。しかし、気迫は十分過ぎるほど伝わったようだ。
 男達は(ひる)んで息を呑んだ。だが相手は所詮小娘だと無理やり気合を入れ、剣を握り直したところでディアナが彼らを一喝した。

『お止め! そんなに死に急ぎたいのかい!? そうじゃないから隠れてたんだと思ってたけどね!』
 男達が彼女の言葉に耳を傾ける気になったのは、ライラの身のこなしを目にして分が悪いと本心では感じていたからだろう。ただの小娘であれば力で何とかなるが、こいつはどうやらただの小娘ではないらしい、と。

 男達が動きを止めたのを見て、ディアナは疲れたように首を振って溜め息をついた。
『ったく……。あたしは、これ以上犠牲を出さないためにルースの所に行くって言ってるんだ。皆殺しなんてあたしがさせるもんか。死にたくないなら、なんでそれを止めるのさ? この、わからず屋ども!』
『……』

 男達はちらちらとお互い目線を交わす。
 すると、水夫たちの中でも普段から口数の少ない顎ひげの男が、苦悩を滲ませた表情で言った。
『死にたくないだけの臆病者だと思わんでほしい。誰かが神父様を守らねえといけねえ、それだけだ』
『そうですよ、セニョーラ。神父様を死なせてしまったら、この船の全員が地獄に落ちる。それは避けなきゃならない』
 比較的若いそばかすだらけの水夫が追従する。

 信心深い彼らは本気でそう信じているのだろう。敬虔であることはディアナも責めるつもりはないが、今は苦々しい気持ちでいっぱいになった。
 死後地獄に落ちるのが怖いからと言って神父一人助けたとして、その代償として仲間を全滅させるような指導者は、それこそ地獄に落ちるべきではないのか?

 当の神父は青白い顔で、相変わらず陰鬱な雰囲気を漂わせている。否、修道着ではなくなったためか、威厳のようなものが薄れてただひたすら頼りなく、弱々しい風に見える。
 まるで、病人のように。

「おい。そいつにそれ以上近づくな」
「え?」

 突然ジェイクが硬い声で言ったので、ディアナをはじめ、公用語のわかるライラ達は彼を見た。
 船医は眉間に皺を刻み、うつむき加減のクレメンテ神父をじっと見据えている。神父本人はさっきからずっと黙っていたが、時折、乾いた咳をしていた。

「初めて見た時から気にはなってたが、やはりこの咳……」
 神父から視線を外さないまま、ジェイクはささやくように呟いた。

「どうやら肺病に(かか)っているらしい」


 ライラ達がディアナを救出している頃、とうとう海賊船が人魚(シレーナ)号に追いついた。東の彼方に夜明けの気配を薄々感じつつも、まだ辺りはしっとりと暗かった。
 轟音と共に船腹同士がぶつかって擦れ合い、木材の軋む音に加えて(とき)の声があがる。

 海賊の襲撃は鮮やかだった。あっという間に人魚(シレーナ)号の甲板に雪崩(なだれ)込んできたが、それはほんの一部の人間でしかない。大半は船に残り、逆に移乗されるのを防いだ。

 対する人魚(シレーナ)号の乗組員達は、火矢での攻撃に船内の小火(ぼや)騒ぎと続き、更に移乗攻撃をくらって完全に浮足立っていた。ディアナもいなければ、ファビオもいない。ウーゴが士気を揚げんと声を張り上げていたが、前者二人に比べて何かと影響力が落ちる。

 一人、二人と味方が(たお)されていく中、修道士フェルミンは自ら剣を取り、僧兵さながらの奮闘を見せていた。
 際立って優れた技量の主というわけでもない。ただ、鬼気迫る眼差しといい刃といい、何をしでかすかわからない不気味さがある。
 そのせいで、海賊だけでなく仲間の水夫達も、すでに散々な状況にあるというのに停戦や降伏という道を選べないでいた。

 しばらく向かってきた敵と気のない打ち合いを続けていたルシアスが、適当に相手を打ち負かすと、スタンレイに何事か合図した。それから、船尾楼の手前の目立つ位置に立ったルシアスのもとに、後ろ手に縛られたファビオが引きずり出された。

航海長(ナビゲンテ)!』

 効果は抜群だった。ルシアスが何かを言う前に、人魚(シレーナ)号の水夫達は次々に戦いを止めていった。

 ファビオ本人も、密かに冷や汗をかきながら安堵の息をつく。自分の存在感に絶大な自信を持っていたわけでもないから、水夫達が止まるかは一か八かの大きな賭けだったのだ。
 しかし水夫達としても、何かきっかけが欲しかったという事情がある。このまま戦えば間違いなく敗北、全滅だった。

『パラシオス! この恥さらしめ……!』
 戦いの熱が甲板からひき始める中、返り血を浴びた修道士フェルミンが怒りに満ちた眼差しを捕虜に向ける。とはいえ彼自身、このままではギルバートに敗北する寸前ではあったのだが。

 ルシアスは意に介さず、所在なさげに立ち尽くす人魚(シレーナ)号の水夫達を見渡した。
人魚(シレーナ)号の乗組員諸君。一旦話を聞いてもらいたい」
 隣に立ったカルロがエスプランドル語に訳して告げる。

「この船の苦境は事前に聞いていた。同情するし、実際に我々は手助けをしようとした。それがどういうわけか、今の状況となっている。こんな事になって実に残念だ」
 ルシアスがそう続ける。内容はふてぶてしくもあったが、感情表現の乏しいルシアスが言うと、本気かどうかは怪しいがかといって皮肉にも聞こえないのだった。
 人魚(シレーナ)号の水夫達は、ファビオとフェルミンを不安そうな目で交互に見やっていた。二人の反りが合わないのは前々からのことで、どちらにつけば生きて帰れるのだろう、と懸命に予測を立てているのだ。

「しかしだ。特に一般乗組員である諸君の責任ではないことは理解できる。ここにいるセニョール=パラシオスもそのように釈明していた。見れば船も人も満身創痍。いくら命令とはいえ、難しい立場に置かれた君達とこのまま切り結ぶことに大した価値はないと我々は判断した」
 ルシアスは淡々と告げる。有利になった状況に勝ち誇るでもなく、ただ淡々と。
「そこで諸君に提案する。こちらが派遣した三人と、船長を速やかにここに連れてこい。生きた状態でだ。そうすればここにいる捕虜も返すし、戦闘による問題解決という手段を即刻放棄すると約束しよう」

 提案内容を聞いて、水夫達は小さくざわめいた。願ってもいないことだった。だが、話がうますぎるという気もした。