Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

人魚(シレーナ)

10

「なんで俺達が捕虜に? 別に喧嘩を売りに来たわけじゃない」
 心外だ、とでも言わんばかりにバートレットが言うと、ディアナは悔しげに答えた。
「あたしが船長じゃなくなれば、あんた達も客でも何でもないからね」

 つまり、彼らは単なる異国の海賊で重罪人、むしろ捕縛しない方がおかしいというわけだ。
 からかう色を消したジェイクが尋ねる。

「職務放棄って、留守中の代理を任命していかなかったのか?」
 ディアナは混乱から半分悲鳴のような声を出した。

「したよ! けど、教会側の了解がなかったから無効だって……」
「今まで部屋に篭ってたんじゃねえのかよ。つまんねえ言いがかりつけてきやがって」
 ジェイクが苛々と吐き捨てる。

 そこへ、乗組員達の騒めきが被さってきた。ライラ達がそろって振り向くと、船乗り達の合間から黒ずくめの男達が現れた。
 動きやすい服装の船乗り達の中で、暗い色合いの修道着で体をすっぽり覆った彼らはひと際目を引いた。辺りが暗がりに包まれている今は特に、神の意を伝える(しもべ)というよりは闇の使者のようだとライラは思った。

『セニョーラ・モレーノ』

 真ん中に立つ男のその声に、ライラは驚いた。
 想像より少し高めの声音だった。薄暗い中に浮かぶ容貌は皴が目立っていて、初老くらいかと思ったのだが、実際はもっと若いらしい。

『もう戻られないのかと思っていましたよ』
 あまり友好的ではなさそうな笑みを浮かべて男は言った。

(これが、神父様って奴か?)
 ライラは相手に気づかれない程度に、彼らを観察した。特に、中央に立つ人物を。

 異様な雰囲気を持つ男だった。目がぎょろりとして見えるのは、やつれているからだろうか。その頬はこけて肌は青白く、目元には(くま)が浮かんでいる。
 後につく二人は恐らくディアナの言っていた見習いだ。こちらはややうつむき加減にこうべを垂れながら付き従っている。

 声をかけられたディアナはかすかに表情を曇らせた。きっと、彼らに見つからないうちに──船長としての権限があるうちに、ライラ達をルシアスの元へ戻すなりしたかったに違いない。

 宣教師達の登場は、まるで甲板を監視していたかのような間合いの出来事だった。
 しかしディアナは、表情の強張(こわば)りを瞬時に消し去ると平然とした様子で振り向いた。

『これは神父様。お加減はもうよろしいのですか?』
『よろしいわけがない。全くここはひどい場所ですよ、水も空気も食べ物も、何もかもが最悪だ。だから私は海になど来たくなかったというのに』
 宣教師はそう言ってわざとらしく咳をしてみせる。それから()めつける様にしてライラ達を見た。

『それよりもセニョーラ。その者達は何なのです? まさか、この船に海賊を連れ込んだわけではないでしょうな?』
『彼らは、カリス=アグライア号の船長に派遣していただいた医師と助手です』

 言葉はわからなくとも、響きで彼女が丁寧に対応していることがライラにもわかった。しかし、その笑顔には柔らかさというものがない。凛としていて相変わらず美しいが、カリス=アグライア号で見せたような自然体の彼女の姿はどこにもなかった。

『医師ですって?』
 宣教師は驚いた様子でライラ達を眺める。
『善良な市民を脅かす海賊に身を置くような、そんな本物かどうかも怪しい医者に仲間を()せるつもりだと?』

 ディアナは、ライラ達を庇う様に一歩前に出て、宣教師に説明をした。
『彼は腕のいい医者です。実際、『天空の蒼(セレスト・ブルー)』には病気にかかっている者がおりませんでした』
『それはきっと、使い物にならなくなった水夫を使い捨てているだけではないのですか』
『……っ』

 穏やかとは言い難い雰囲気に、唯一言葉のわかるジェイクはどう思っただろうとライラは彼を振り仰ぐ。だが彼は、無表情のままディアナと宣教師のやりとりを眺めていた。
 ディアナは何かを堪える様に一瞬間を置いてから、静かに答えた。

『……お言葉を返すようですが、クラウン=ルースは仲間を何よりも大事にする男です。彼らは勇猛果敢ではあっても、残虐非道だという話は聞いたことがありません。実際に彼は、この船の苦境を知って援助を快諾してくれました』
『なるほど。慈悲の心を知るあたりは、さすが名の通った大海賊というところですな。しかし、我々は国王の御意志を受けた聖なる船を預かるもの、なにも賊に進んでかかわらずともよかったのでは?』

 ごほごほと、今度は演技ではない咳をしながら宣教師は言った。ディアナは辛抱強く告げる。

『残念ながらこの船にそのような余裕はありません。補給をする予定のヴェスキアで寄港できなかったのですから』
『あの港は論外ですよ。あの狭量な不信心者どもが、我らにそのようなことを許すわけがない。実際、我々の上陸すら認めなかったではないか!』
『それは船内に傷病者がいたためです。ただの腹痛でも、検疫では万が一を考えて上陸を保留されるのが常です』
『それはわかる。だが我々自身は病人ではないのに、四十日も船内に閉じこもっていろというのがおかしいのです。恐らくは邪な教えを受けた異教徒の仕業であろう。正しき道への導き手である我らを陥れようとしたのだろうが、その手には乗らぬ』

 怒りもあらわに宣教師は言い募る。
 慣れない航海生活を経てやっと陸についたと思ったのに上陸を許可されず、失望の勢い余って憤慨したくなるのは致し方ない事だ。
 だが、この宣教師は持っている権限が大きいのをいいことに、検疫用の停泊場所から海へ引き返すよう強引に進めてしまったのだった。こんな場所にはいつまでもいられない、と。

 ディアナにとって誤算だったのは、信心深い水夫達が神を(おそ)れるあまり、宣教師の感情的な命令に従ってしまったことだった。
 こうして、人魚号は不安だらけの中で航海を再開してしまったのだが、比較的早い段階で『天空の蒼(セレスト・ブルー)』に巡り合えたのは不幸中の幸いだったろう。

『とはいえ、我々は一刻も早く他から援助を受けねば立ち行かなくなってしまいます。病気の仲間を救うにも治療が必要なのです。そのような中で、知己の船に巡り合えたことを神に感謝いたしましょう』

 神、と口にしたディアナを、宣教師はじっと見返した。それから、せせら笑うような形に口元をゆがめた。

『セニョーラ・モレーノ。あなたは非常によくやっていると思うが、所詮は女性だ』
『……何が仰りたいのです?』
 ディアナの声が一段低くなる。

 宣教師は、にやにやしながら更に言った。

『聞けば、クラウン=ルースとやらは大層見目の良い男だとか。百歩譲って相手が賊なのを許容するとしても、救援を請うだけならば使者を出せば事足りましょう。だがあなたはそうされなかった……己の立場もわきまえずに。何故かといえばあなたが女性だからに他ならない。仲間のためと熱心に言いながら、本心はどうたったのやら。補給が今すぐ必要というのも怪しいものだ。まこと、女とは罪深く愚かな生き物よ』

 歌う様に言われ、ディアナの目が吊り上がる。
 彼女の感情の嵐が空気にも伝染したかのようだった。ただならぬ雰囲気に、堪えきれずにライラはジェイクに小声で尋ねた。

「彼らは一体どんなやりとりを?」
「なに、安酒の(さかな)にもならんような話さ」
 ジェイクは冗談めかして言ったが、その目はちっとも笑っていなかった。

 その意味を掴みかねたが、ジェイクの言い方とディアナの様子が気になって、ライラは更に呟いた。
「何か……嫌なことを言われているようだけど」
「楽しい話じゃないことは確かだな」

 どういう話をしているのか、ジェイクは解説する気にならないらしい。
 腕組みした船医(サージェン)の横で、バートレットも不信気な視線を宣教師達に投げかける。

「病人を診るどころじゃなくなってきましたね。一度、船に戻った方がいいのではありませんか?」
「そうだなあ。怪我人や病人を助けるのは構わんが、その代償が牢にぶち込まれて縛り首っていうんじゃあ割に合わないどころじゃねえ。しかし、この状態で素直に戻らせてもらえるかっていうのも……」

 すると、宣教師の後ろに控えていた修道士のうちの一人が、何事かを宣教師に耳打ちした。
 二、三言かわしたあと、その修道士はライラ達に向き直った。

「大変失礼を致しました。お医者様方、わざわざ当艦へご足労いただき感謝致します。船内へどうぞ」
 その口から発せられたのは、エスプランドルなまりの公用語だった。