Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

人魚(シレーナ)

07

 なにか声をかけるべきだろうか、とライラが逡巡(しゅんじゅん)していると、ファビオが「はあ」と演技がかったような溜め息をついた。
「わかったよ、本題に戻ろうじゃねえか。お互いこんな茶番を披露しにわざわざここまで来たわけじゃないしな」
 その一言で、ディアナも我に返ったらしい。茶番と言われたのが面白くなかったのか、唇を尖らせた。

「話はもう済んでるよ」
「そうかよ。……クラウン=ルース、どこまで聞いてる?」
 ファビオはルシアスに直接話を振った。
 まるで事前に打ち合わせていたかと思うくらい、即座にルシアスは答えた。
「航海士含めて五名を借りたいと。それと腹痛を起こしている者がいるから、傷んでいない水が欲しいというところまでだな」

 病について、やはりルシアスには伝わっていない。
 ライラがファビオを見ると、彼もちょうどライラに視線で訴えかけてきた。ライラは意を決して口を開いた。

「ルース。それについて話がある」
「いや、俺から言うよ」
 手で軽く制したファビオを見上げると、彼は安心させるためか、ライラに苦笑してみせた。
「自分の船のことだからな」
「……。そうか」

 ライラは不安を覚えながらもおとなしく引き下がった。
 その話を切り出すには、今は人目が多すぎる。いくら航海生活で病が珍しくないとは言え、この船はそういった危険からは守られていて、それが当たり前になっている。拒絶反応から海賊達が騒がなければいいが……。

 そんなライラの懸念をよそに、ルシアスは少し不服そうな顔で呟いた。
「うちの小間使いと、随分仲が良くなったようだ」
「雑用をさせておくにはもったいないくらい、このお嬢さん(セニョリータ)は聡明だ。俺達の国ではそういう女性に敬意を払う」
 ファビオは気に留めることもなくきっぱりと言った。

「人員補充の件だが、マッキンタイア先生をうちの船に派遣してほしい。一時的でいいから」
 案の定、ファビオの言葉は直接的だった。彼の立場で他の船の船長に直談判できる機会はそうないと思ったのかもしれない。確かに、回りくどい言い方をしていては機を逃す。

 ルシアスだけでなく、周囲の海賊達も(いぶか)しげにファビオを見た。
「どういうことだ? そっちの船医(サージェン)は?」
「とっくに死んだ」

 それを聞いたルシアスは目を細めた。
「……なんの病だ?」
 その様子を嘆息混じりに眺めながら、ライラが答えた。
「赤痢と壊血病だそうだ」
 海賊達がどよめく。

 ライラがある程度事情を知っていると察知して、ルシアスはライラに聞いた。
「ジェイクはこのことは?」
「もう知ってる。彼はルースの判断次第だと」
「なるほど。……誰か、ジェイクをここへ呼んで来い」
 ルシアスが誰ともなくそう声をかけると、比較的医務室(シック・ベイ)に近い位置に立っていた者が走っていった。

 そして、それほど待たずして片眼鏡(モノクル)船医(サージェン)は現れた。
「やたら騒がしいとは思ってたが、こんなとこに集まって何をしてるんだ?」

 相変わらず飄々とした口調だったが、ジェイクは大体のことはわかっている風だった。
 他の皆が様子をうかがうように押し黙っていたので、仕方なくライラが答えた。
人魚(シレーナ)号について話してたんだ」
「そうか」

 ジェイクはそれだけで状況を察したらしい。短く返答した後はルシアスに向き直った。
「現場を見ていないから今は何とも言えん。話を聞いた限りでは、隔離以外の手を打っていないらしい。放っておけば船倉に放り込まれた患者は助からないだろうな」

 ルシアスはディアナに視線を向けた。
「何故そのことを言わなかった? そういうことなら全然話が違ってくる」
「何よ、そんな珍しい病気じゃないじゃない! 患者を船倉に隔離するのがそんなに悪いこと!? 無事な仲間を守るためだよ!」
 ディアナは責められていると感じたのか、困惑したように弁解した。

 しかし、普通の船では傷病者が出ればそういう対応をとる。船医を乗せていない船もあるくらいで、医療の知識がろくにない中ではそれが精一杯の対処法だった。人魚(シレーナ)号が特別に非人道的なことをしているわけではない。
 ルシアスは苦い溜め息をついた。

「悪いとは言わん、人魚(シレーナ)号の船長は俺ではなくお前だからな。だが、そんな場所にうちの水夫を派遣することはできない」
「そんな!」

 ディアナが非難めいた声を上げるのを打ち消すように、ファビオがルシアスに懇願した。
「クラウン=ルース、先生に()させてくれ! 俺は仲間を助けたい、先生に診てもらえばまだ助かるかもしれない!!」

「あんまり期待し過ぎるなよ」
 ジェイクはおどけたように肩を竦めた。
「この船で病が少ないのは、発生する前から対策をしているからさ。重症の患者を助けるより簡単だからな。今俺が行ったって、気休めにしかならんかもしれんぜ?」
「それでも指を咥えて見ているよりマシだ」

 ファビオは真剣だった。その様子を見たジェイクは微苦笑を浮かべた。
「……だってよ、ルース。どうする?」
 ルシアスは、白々しいとでも言いたげだった。
「どうするも何も、あんたは既に腹を決めているように見えるが」
「俺は患者がいるなら行くのは構わんよ。でもただ行くんじゃ、この船に()がねえな」
「確かに」

 すると、それまで黙っていたディアナが口を開いた。
「ただで助けてもらおうとは思ってないよ。でも生憎持ち合わせがないんだ。貸しにしといてくれないかい」
「いいだろう」
「ありがとう、クラウン=ルース。エスプランドル人は誇り高いんだ、その名にかけてこの恩は忘れないよ」
 ディアナとファビオは神妙な面持ちで頭を下げた。

 ルシアスはそれを一瞥した後、早速条件を提示した。
「まずはジェイクを診察に向かわせるが、一晩だけだ。朝までには戻らせろ。船内の状況について報告を受けた上で、水夫を貸し出すか決める。念のため、どちらかはここに残れ。ジェイクが戻り次第交換だ」

 ルシアスの言葉に、人魚(シレーナ)号の二人は顔を見合わせた。つまりは人質だ。
 それも、船長や航海長ともなれば普通の人質より強い意味合いを持つ。

 しかし、この状況ではそのくらいは仕方ないと思ったのだろう、渋々といった様子でファビオが頷いた。
「わかった。俺が残る」
「よし。ルース、助手が必要だ。何人か連れてっていいか?」
 ジェイクが何気なくそう言った途端、周囲が静まり返った。

 感染を恐れているのだろう。壊血病は伝染るものではないし、赤痢は必ず死ぬわけではないが、誰だって苦しい思いはしたくはない。
 男達の腰が引けているのを空気で感じ取りながら、ライラは顔を上げた。

「私が行こう」

 ルシアスが舌打ちをするのはほとんど同時だった。
「お前は正式な乗組員じゃない。行く義務はない」
「正式な乗組員じゃないんだから、私が行ってもこの船に不都合は出ないだろう。ジェイクには私みたいな助手が必要だ」

 ライラの言葉の裏に隠された意味に気づいたルシアスは、忌々しげに吐き捨てた。
「……時々、お前を帆柱に縛り付けてやりたくなる」
「小言は帰ってきてから聞くよ」
 ライラが笑ってみせると、ルシアスは「ふん」と鼻を鳴らしてそれ以上言わなかった。

 すると今度は意外な人物が名乗り出た。
「俺も行きます」

 バートレットだった。