Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

人魚(シレーナ)

01

「……まったく、(せわ)しない日だ」
 独りごちると、ルシアスはライラの横をすり抜けて大股で扉へと向かった。ライラも彼の後を追う。

 階段を上って露天甲板へ出ると、船首方面にはすでに遠眼鏡を手にしたスタンレイと、数名の航海士が立っていた。
 ルシアスの姿を認めたスタンレイが、隣にいるライラにも目をくれた後、苦い表情で告げた。
「見覚えのある船です。僚船は見当たりません」

 手渡された遠眼鏡で船影を確認したルシアスも、浮かない表情になった。
人魚(シレーナ)号か」
「どうします?」
「どうするも何も、何事もなく行かせてはくれないだろう。無視をしようものなら大砲を撃ち込まれかねない」
「あの人らなら、そのくらいはしそうですねえ。適当に相手をしてあげたほうが面倒が少なくて良さそうだ」

 スタンレイが軽く肩を竦める。遠眼鏡を返しながら、ルシアスは嘆息した。
「面倒なことには変わりはないがな。──視認を続けてくれ、何か動きがあったらすぐに知らせろ」
「アイ、サー」

 次に、ルシアスは後ろに控えていたライラを振り返る。
「今度こそ部屋に戻るぞ」
「え、いいのか?」
「あの位置なら接触までまだ時間がある。停船準備をするにしても伝令を出すにしても、もう少し後の話だ」
「知り合いの船なのか?」

 ライラが聞くと、ルシアスは面白くもなさそうに言った。
「同業の顔見知りというだけだ。モレーノ一家の名前を聞いたことはあるだろう」
「ああ。エスプランドルの海賊ってことくらいしか知らないけど……」
「今は国王直々の出資を受ける私掠船乗りだ。知り合いではあるが、用心に越したことはない」

 私掠船とは、国の許可を得て敵国の船に対して略奪行為を行う船のことだ。要するに国家公認の海賊船で、それらは相手が敵国船であれば海賊行為を行っても罪に問われない。

 この制度は海を擁する各国で大いに流行していた。異国の珍しい品物は高く売れるので、それを分捕っても罪にならないとなれば商人達は挙って船を武装させたし、貴族達も新しい投資先として競うように出資した。国にしてみれば、軍艦を派遣しなくとも敵の戦力を削ぎ、略奪物資から税金も徴収できる。道徳観念さえ無視してしまえば、とても良くできた制度なのだった。

 一方、人魚(シレーナ)号のように元から海賊業をしていた者達の参入も盛んだった。私掠許可証を得てしまえば、犯罪者として同国人から追いかけ回される生活に終止符を打てる。そればかりか、海を荒らす悪党から国を守る英雄へ扱いががらりと変わるのだ。やっていることは変わらないにも関わらず。

 そんな状況を考えれば、純粋な海賊船の『天空の蒼(セレスト・ブルー)』は、私掠船から見れば獲物の対象となってしまうのだろう。それどころか、是非とも狩りたい船に違いない。ルシアス一人の懸賞金だけでも相当な金額なのだから。

「戦闘になる可能性もある?」
 念の為ライラが確認すると、ルシアスは首を横に振った。
「わからない。過去、戦闘になったこともなかったわけじゃないしな」
 その口振りからすると、こちらが到底敵わない相手というわけでもなさそうだった。彼は戦闘になったとしてもその時はその時、と割り切っているらしい。
 ルシアスの言葉を受け、大海原の只中に浮かぶ船影を肉眼で眺めながら、ライラは呟いた。
「私掠船か。確かに厄介だな」

 ライラの立場としても、私掠船乗りは難しい相手だった。中身がいくら海賊とはいえ、どこかの国の庇護下にある相手である以上、下手に手を出せば手痛いしっぺ返しを食らう可能性がある。個人で活動している身としては、一国を向こうに回して勝てるはずもない。つまり、関わらないほうがいい相手ということだ。
 しかし、この船が攻撃されたら指を咥えて見ているわけにもいくまい。どうする、と自問しながらライラは腰に帯びた剣の柄に何気なく触れた。

 ルシアスはそんなライラをじっと見つめ、おもむろに言った。
「お前の存在も、知られたら面倒なことになるかもしれない」
 ルシアスも同じことを考えていたらしい。ライラは素直に頷いた。
「そうだな。基本的には大人しくしてることにする。戦闘になった時は、目立たない程度に加勢しよう」

 せっかく港が近づいているというのに、これ以上の面倒事を引き起こすのはお互いに良くないとライラは思った。バートレットの件がそれなりの決着を見たのだから、後はこのまま船を降りていつもの日常に戻るのだ。

(私は陸に、彼らは海に。次はいつ顔を合わせるのやら……)
 この賑やかな集団生活から一人旅の生活に帰ることを思うと、寂しさがないわけではない。波の音も、水夫達の威勢のいい声も、当分は聞くこともなく穏やかな毎日が──。

(ちょっと待て)
 久々に陸のことを思い返していたら、ふと引っかかるものがあった。
 穏やかな毎日? 賞金稼ぎの自分が?
 そもそも自分がこの船にいる理由は何だったのか。陸から一時避難してきたからではないか。海のど真ん中に隔離されていて、すっかり忘れていた。

(私は逃げてきたんじゃないか)
 アリオルの破落戸(ごろつき)と、あの──ロイ・コルスタッドから。

 少なくとも、破落戸(ごろつき)連中は別な港街まで遠征して追いかけてくるとは思えない。しかし、ロイは違うだろう。彼はむしろアリオルまで訪ねてきていたのだ。
 彼はあの後どうしただろう。そこまで考えて、はたと気がついた。

(ルースが言っていた追手の話……ヴェーナの人間とかいう。あれはまさか)
 その男はライラを探していたわけじゃないと彼は言っていた。それはそうだろう、ロイはライラなんて知らないはずだから。
(ロイが探しているのは、「ライラ」じゃなくて「イリーエシア」だ)

 バラバラの物事が一気にひとつにまとまった気がした。と同時に、背中を冷たいものが走っていった。ヴェーナの使者というのは、つまりロイのことではないのか?

(なんで彼が魔法都市に所属しているかはともかく、辻褄は合う。彼はこの船に来た。ルースは彼に会ったんだ)

 まったく、腕利きの賞金稼ぎが聞いて呆れる。こんな大きな見落としをしてしまうなんて。
 とすればルシアスは、知らずのうちに二重の意味でライラを助けたことになる。
(なんてことだ)

「ライラ、大丈夫か?」
 急に押し黙ったライラに気がついたのだろう。ルシアスが声をかけてきた。
「やはり無理が出てきたんじゃないのか? 部屋に戻って今のうちに休んだほうがいい。夜になったら発熱するかもしれないと、ジェイクも言っていたしな」

 ライラはルシアスを複雑な思いで見つめ返した。
 無理をしているわけではなかったが、今はその言葉に甘えさせてもらおうと思った。

「ありがとう。熱はないと思うけど、少しだけ休ませてもらうよ」
「必要な物があったらいつでも言ってくれ」

 気遣いを見せる彼といるのが()(たま)れなくなって、ライラは逃げるように船長室(キャプテンズ・デッキ)へと戻った。酒を飲みたいと言っていたのは彼だったのに、あの様子だとライラが休んでいる間は極力部屋には入らないつもりだろう。申し訳ない気持ちもあったが、今は一人になりたかった。

 扉を閉めてそのまま背中を預けると、長い溜め息が漏れた。
(ルースとロイは何を話したんだろう。どこまで知ってるんだ……?)
 アリオルの前と後で、多少親近感は湧いたものの、基本的にルシアスの態度は変わっていない。ロイの探し人について、ここにはいないとただ突っぱねたのだろうか。それとも勘のいいルシアスのことだ、すでにいろいろ気づいているのかもしれない。

 しかし、正面から問い質すわけには行かなかった。そうすればすべて打ち明けることになる。
 彼は自分の仲間などではなく、なりゆきで一時的に保護されているだけの間柄だ。航海を共にしたからといって、気を許し過ぎてはいけない。

 でも、と思う。
 同じ船に乗り、寝食を共にしていく中で、彼やその仲間達と過ごす毎日は正直なところ楽しかった。陸で一人あちこちを旅するのは嫌いではなかったが、孤独はいつだってついて回る。女というだけで蔑まれるようなこともこの船ではなかった。客という立場を差し引いても、頭領のルシアスが率先して、ライラを一人の人間として扱ってくれていることはちゃんと伝わってきた。それがどれだけライラにとって貴重なことか、彼はわかっているのだろうか?

 しかし彼がそうするのは、賞金稼ぎのライラ・マクニール・レイカードだからだ。傍において見映えのするような美女には事欠かないだろうし、第一彼には愛する者がいる。剣がなければ自分はただのつまらない人間で、彼もそんな者には用はないに違いない。
 本来のライラを知った彼が今までと違った目を向けてきたら、自分はどうするだろう?

(そんなの、嫌だ)

天空の蒼(セレスト・ブルー)』の皆には、今ここにいる自分を見てもらいたかった。その上で、対等だと言って欲しかった。
 なぜそんな風に思うのかはわからない。今はじめて自覚した想いだった。

(都合のいい我儘だな)
 ライラは自嘲気味に(わら)った。
 表面しか見せないくせに、相手には本来の自分を認めて欲しいと願う。無い物ねだりもいいところだ。

(私は「ライラ」であり続けなければ……)
 そうすれば、ルシアスや皆が変わることはない。過去を知られるわけには行かないのだ。

 しかしどうしてだろう。時折、そんな自分にくたびれたと思ってしまうのは。