Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

天空の蒼(セレスト・ブルー)』の海賊たち

15

 心の苦さを噛みしめるような気持ちで、ライラは声を絞り出した。
「私はもう、足を引っ張るような真似はしない。したくもない。嘘はついていないよ。信じてくれとしか、言えないけど……」
 ルシアスはそんな彼女をじっと見つめてから、目を伏せてゆっくりと息を吐いた。

「信じてないわけじゃない。結果として、疑ってしまったことは謝るが」
 そして目を上げると、改めてライラを真っ直ぐに見た。
「お前が事実と異なることを言うとしたら、それ相応の理由が必要だと思った。色恋くらい理屈の通らないものでないと、お前に嘘をつかせることはできないだろうから」

 その言葉に、ライラは再び目を瞠った。思ってもいなかった返答だった。
 するとジェイクが、にやにやしながらルシアスを茶化す。

「へえ、随分このお嬢ちゃんを買ってるようじゃないか」
 しかしルシアスは動じることなく応えた。
「別に過大評価じゃない。女ひとりで旅をするなら、もう少し小賢しくてもいいくらいだ」
「まあ確かに」
 ジェイクも頷く。

「こいつ、今どき見ないくらい真っ正直だよなあ。俺も最初、調子乗って弄り回しちまったもん。……な?」
「……っ」
 思わせぶりな笑みを投げかけられ、初対面時のやり取りを思い出したライラは途端に真っ赤になった。

 そこへすかさず、ルシアスの硬い声が飛ぶ。
「ジェイク。わざと煽って遊ぶな」
「はいはい、お前を怒らせると怖いからな」
 年下の船長の叱責など大して堪えないのか、ジェイクは言葉ほど反省している様子でもなかったが、とりあえずは引き下がった。

 ライラはどきどきとうるさい自分の鼓動を無視して、この隙に話題を戻すことにした。
「つまり──、見間違いでもない限り、誰かがこの機に乗じてバートレットを貶めようとしているということだな」

 男二人も、そんなライラに注目する。日々気まぐれな海と天候に揉まれている海の男達は、切り替えの速さでは陸者(おかもの)に負けなかった。
「その可能性はある。あの坊やも、これまで好かれるような言動してなかったからな。身から出た錆ってやつだが、殺人未遂の冤罪ってのはやりすぎだ」
 ふん、とジェイクが面白くなさそうに鼻を鳴らす。

 普通に考えれば、嫌がらせを受けていたライラはバートレットに突き落とされたと訴えるだろう。だから自称目撃者は適当な証言をしたのだ。彼を嵌めるにはそれで充分だったから。

(第三者の目で「見た」といえば、あとは被害者の私自身が、具体的にどうされたのかを勝手に(さえず)ってくれるってわけか)
 知らずのうちに片棒を担がされかけたライラは、不快感に眉間に皺を寄せた。仮にも同じ船に乗る仲間を陥れようという性根も、どうも好きになれなかった。

「海に落とした奴が悪いというのはまだわかる。だけど、それを指を咥えて見てた奴だって褒められたものじゃないだろうが。それを差し置いて、バートレットのことを言えるのか?」
「海賊風情に紳士の対応を求められてもな。とはいえ、今回の件については面目次第もない」

 決まり悪そうに言うルシアスに、ライラは訊いてみた。
「頭領なんだから、一声で黙らせるわけにいかないのか?」

 そもそも、彼は一介の海賊の長どころか、伝説級の影響力を誇るクラウン=ルースのはずだ。それが何故今、水夫連中の顔色を窺うような事態になっているのだろう。
 それについてのルシアスの返答は、あっさりとしたものだった。

「黙らせることはできる。だが、人間の心まで命じて変えられるものではないからな。口を閉じさせたところで不平不満が熾火(おきび)のように(くすぶ)って、後になって大火事になって返ってくるだけだ」
「根本を解決しないと意味が無いのか」
「解決までいかなくても、どこかで折り合いをつけられればいいんだ。納得いかない奴は船を降りるという選択肢もある、もうすぐ港だしな。ま、膿を出すいい機会だと思うようにするさ」

「折り合いって……どうするんだ?」
 不安を滲ませるライラに、ルシアスはこともなげに答えた。

「事実関係をはっきりさせて、処分を決める。まだお前の言い分を聞いただけだから詳細はこれからになるが、目に見える形でのけじめが大事だ。……そうだな。例えば鞭打ち、両腕を縛った状態での船底潜り。それから──」
 ライラの顔が強張ったのを見て、ルシアスはいたずらっぽく笑った。

「無人島への置き去り。そういうことをやっているところもあるようだが、残念ながらうちはしてない」
「え……」
 ライラが予想どおりにきょとんとしたので、ルシアスは満足したらしい。その後はからかうことなく説明してくれた。

「海賊と一口に言ってもいろんな連中がいる。私掠船(しりゃくせん)なんてのが出てきてからは特に複雑化したしな。でもここは『血の掟』が流行る前からの古い組織だから、規律が別物なんだ」
「規律が別物?」
 ああ、とルシアスは頷く。

「海賊ってのは根っからの悪党だけじゃない。もともと漁師や失業者で、不漁や重い税金のせいで他の船を襲い出したというのもいたんだ。後者の場合、海賊船と言っても中身はその辺の庶民だからな。生きたまま皮を剥ぐまでしなくとも、軽い罰と口頭での注意だけで事足りる」
「悪党の集まりだと、『血の掟』が必要になるのか」
「昔はそんなものなかったし、今も必ずしも必要というわけじゃないだろうが、手っ取り早いんだろうよ」
 当事者ではないルシアスは肩を竦める。

「腕っぷしは強くても操船技術については素人が多いから、そうやって力で無理やり叩き込む。とはいえ勤勉な悪党なんかいないし、素人ばかりだから船内環境も最悪だ。そこでこき使うから、脱走者や死人が出る。で、人手が足りなくなって、陸でまた適当にかき集める。大体そのとき、欠員が出るのを見越して定員以上に乗せ、その分給料が減って余計にまともな船乗りが寄り付かなくなる、という感じだな」

「悪循環じゃないか」
 ライラが呆れた声を出すと、ルシアスも皮肉気な笑みを浮かべた。
「そうだ。だからうちでは、そういうことをしない。生死まで関わるような懲罰を細かいことでいちいち行ってたら、優秀な水夫がいくらいても足りなくなってしまうからな」

 そういえば、この船は少年水夫がやたらと多かったことをライラは思い出した。子供とはいえ、皆真面目に自分の仕事をこなしていた。
 彼らが一人前の船乗りに成長するまでにはどれだけかかるかわからないが、一年や二年ではないだろう。そうやって大事に育てた水夫を、軽い罪で傷めつけて使いものにならなくしてしまうのは確かに愚かだ。そうでなくとも、航海は生還率がそれほど高くないというのに。
 そこで思い切って、彼女はルシアスに訊いてみた。

「ということは……、ここは、体罰もほとんどない?」
「ないわけじゃないが、大体は罰金刑だ」
 あっさりと答えられて、ライラは拍子抜けした。

(なんだ。心配して損した……)
 ここ数日の懊悩(おうのう)は何だったのだろうと、正直この場にへたり込みたい気持ちだった。
 いや、罰金で済むほうが本当はいいのだろう。逆に、パンを盗んだだけで手や耳を釘で壁に縫い付けられる(おか)のほうが野蛮な気がしてきた。

 そこへ、横でずっと会話を聞いていたジェイクが、突然ライラの耳元に唇を寄せてきた。
「どうやら安心したみたいだな」

 驚いてライラが振り向くと、片眼鏡(モノクル)の医者と至近距離で目が合った。
 何とか出かかった悲鳴は飲み込んだものの、反射的に身を引こうとしたライラの肩を、ジェイクはさりげなさを装って掴んでぐいっと引き寄せる。
「そう逃げんなって。なるほどねぇ。お前、懲罰を気にしてバートレットを庇ってたんだな」

 距離の近さと言い当てられたのとで、再び頬の辺りがかーっと熱くなった。この医者は面白がっているのか何なのか、いちいち心臓に悪いことをしてくる。
「あ、あの……っ。だ、だって」
 しどろもどろになりながら、ライラは白状した。
「どう考えても、そこまでする話じゃないし……。理不尽すぎるだろう。……でも、笑われるとも思ったんだ。やっぱり陸者(おかもの)は甘い、って」

「なんの。火炙りなんかやってるそちらさんに比べりゃ、俺らのほうが甘ちゃんさ」
 それを言われるとライラも返す言葉がなかった。
「まぁ、懲罰なんて確かに見てて気持ちのいいものではないしな。それが自分に関わることの結果だっていわれりゃ、寝覚めも悪くなる」

 ジェイクは苦笑を浮かべつつも理解を示し、同時にライラのことも解放する。
 こういうジェイクの悪ふざけにはすかさず釘を刺すはずのルシアスが、どうしてか何も言わなかった。ジェイクもそれに気づいていたのかもしれない。
 ライラが不思議に思っていると、ルシアスは二人から視線を逸らし、やや渋い顔で溜め息まじりに呟いた。

「それならそうと、早く言え」
 どことなく歯切れの悪いようなその口ぶりに、一瞬遅れてライラは理由を悟った。

 バートレットに惚れているからなどという、見当を外すにしても寄りによってその方向に行ってしまったのを彼自身わかっているからだろう。そのことに何故か、ライラまで恥ずかしくなって俯いた。
 しかしルシアスは、ライラの態度の謎が解けたからか、すぐに気を取り直したようだ。
 彼は改めて口を開いた。

「しかし今回はさすがに、罰金を命じて終わりというわけにもいくまい。何らかの罰は必要だ」
 人命が関わったということで、やはりそれは避けられないらしい。
 押し黙ったライラに、ルシアスは念を押す。

「拷問めいたことはしないとわかったろう。それでいいな?」
「……わかった」
 まだどことなく不安を残しながらも、ライラは頷くしかなかった。