Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

天空の蒼(セレスト・ブルー)』の海賊たち

03

 そんな流れで、ライラは単純な雑用を請け負うことになった。
 といっても、それほど多くのことを任されたわけではない。仕事というのは大抵、技術的なこと以外は力仕事であり、ライラにさせたところで却って効率が落ちるからだ。その点、この角灯(ランタン)磨きはうってつけの作業と言えた。

 今またひとつを磨きあげ、ふう、とライラは息をついた。
 荒天時の雨風でも消えにくいよう考えられた角灯(ランタン)は、精巧で複雑な代物だった。解体可能な部分は外し、火屋(ほや)についた煤を磨きとり、短くなった芯は取り替える。
 角灯(ランタン)の手入れは小まめにしなくてはいけないものだが、乗組員は皆仕事で忙しく、後回しにされがちだったようだ。硝子(ガラス)の内側はすっかり汚れていて、ライラの仕事を難解なものにしていた。

(まあ、ただの穀潰しというのも気が引けるしな)
 周囲が忙しなく働いている中で、自分も何かしなければと思うようになったというのは、ここ数年のライラ自身の中でも大きな変化だった。
 こんなことをしている姿を父にでも見られたら、また軟禁でもされかねない。そう思うと、小さく思い出し笑いが浮かぶ。
 懐かしい。小さい頃から何度も叱責されては部屋に閉じ込められたものだ。
 そこでふと、ある面影が脳裏をよぎった。

(ロイ・コルスタッド……)
 これまで慌ただしくてすっかり記憶から抜け落ちていたが、アリオルの街に彼がいたことには驚いた。しかも、どうやら自分を追ってきたらしい。
(どういうつもりだろう)
 気安く言葉を交わし合うような仲でもなかったから、名前を思い出すのにとても苦労した。誰かがライラを連れ戻したがっているにしても、彼ではなく家人を使うはずだ。今更自分を連れ戻したがるような人間など、思いつきもしないが。

 理由をあれこれ考えているうちに、いつしか角灯(ランタン)を磨く手が止まっていた。
「少し、(こん)を詰めすぎじゃないですか」
 声に気がついて顔を上げると、船乗りにしてはやや線の細い若者が柔らかい微笑を湛えてこちらを見ていた。
「レオン」
 ライラが名を呼ぶと、レオンはそれだけで嬉しそうに笑みを深くした。

 以前から交流があったとはいえ、ライラは乗組員全員の顔と名前が一致しているわけではなかった。そのライラに名を覚えてもらったことが嬉しいらしい。
 貴公子のように優美な顔立ちと、毎日潮風に晒されているとは思えないほど艶やかな黒髪を持つレオンは、ためらいもなくライラの隣に座り込んだ。

「これ、数もあるし大変でしょう? 俺もガキの頃よくやらされました。手が小さくないと中まで磨けないんですよね」
 そう言いながら、ライラが磨き終わった角灯(ランタン)をひとつ持ち上げて眺める。
「うん、すごく綺麗になってる。ライラさん、手が細いからなぁ」
「そんなことはない。剣を握っているせいで、すっかり武骨になってしまったくらいで」

 レオンのお陰で物思いから戻ってきたライラは、作業を再開しながら応えた。すると、レオンはさり気ない仕草で、ライラの手の横に自分の手のひらを並べた。
「俺の手と比べたら、ほら。だいぶ華奢ですよ」
 ライラが思わず手を止めて彼の顔を見ると、レオンは「ね?」と邪気がない微笑みを見せた。

「俺もちょっと手伝おうかな。これ、一人でこなす量じゃないし」
 言うが早いか、レオンは胡座(あぐら)をかいて座り直すと、磨き終えていない角灯(ランタン)を手にとって慣れた手つきで部品を外し始めた。慌てたのはライラだ。

「でも、当直は」
「さっき終わりました。今は非番です」
「じゃあ身体を休めないと」
「女の子がこんなに仕事抱えてるのに、知らん顔して寝られませんよ。あ、俺じゃ中まで綺麗に磨けないんで、バラしと組み立てと芯の交換やりますね」

 呆気にとられるライラをよそに、レオンはテキパキと手を動かす。
 確かに男の手はライラよりも節ばっていて大きかったが、船乗りは基本的に器用なのだ。普段から支索や帆の修繕も自分達で行っているから、組紐どころか裁縫が得意な者も多かった。

 さっきよりも倍の早さで片付いていく仕事に、ライラは困惑した。
 早めに終わらせたかったわけではないのだ。仕事が終われば部屋に戻らなくてはいけなくなる。ルシアスのいる部屋に。

 彼と同室で生活することについて、腹を括って了承したつもりのライラだったが、実際始まってみるとそう簡単にはいかないことが判明した。
 一応船長室(キャプテンズ・デッキ)には、仕切りと釣床(ハンモック)が設置されて小さな個室ができあがっていた。が、やはり布一枚では安宿の薄い壁にも遠く及ばない。

 航海日誌をつけているであろう羽筆の走る音。起き出して身支度を整え、部屋を出て行く気配。仕事を終え、疲れきって服を脱ぎ捨て寝台に倒れこむ様子など、すべてがはっきりと伝わってくる。
 それは逆に、こちらの生活音もルシアスにひととおり聞かれているということを意味していた。とても気が休まらない。

 もちろん壁の向こうから、風を受けた帆や支索の音だけでなく、乗組員達の威勢のいい声も聞こえてくるし、波を切る音だって相当なものだから、気にしすぎている部分もあるのかもしれない。
 慣れるつもりではいるものの、完全に気にならなくなるまでは、まだまだ時間がかかりそうだった。

「ライラさん、最後の角灯(ランタン)回収してきました……って、ちょっとレオン何やってんの!?」
 汚れた角灯(ランタン)を抱えたマーティンが、ライラと並んで作業する仲間に目を剥いた。
「何って、手伝ってるだけだよ」
「距離近すぎだろ! ライラさんから離れろよ!」
「うるさいな。羨ましいならお前もそこ座って手伝えよ」

 あっさりと返され、マーティンはしばし悩む素振りを見せたあと、レオンの反対側に腰を降ろした。二人でライラを挟む形だ。
 文句を言いながらも早速ボロ布を手にするマーティンと、それを当然のように受け止めながら作業を続けるレオンに、ライラはつい笑みを誘われる。

 何だかんだ言いながら、この二人は常に一緒で仲が良かった。二人とも二十歳をいくつか過ぎたばかりで、年が近いのもあるだろう。ライラよりも彼らのほうが若干歳が上だが、ルシアスの客ということで、彼らはライラに一定の礼儀をとっていた。

「おお、仲の良いことだな」
 一気に賑やかになったことで目を引いたらしい。今度は、ハルとギルバートがやってきた。
 がっしりしたハルに比べて、ギルバートはしなやかな体躯の持ち主だった。とはいっても、胸板の厚さは服の上からでもわかるほどで、剥き出しになった二の腕は太い。背が高く、濃い栗色の長い髪を後ろに一つで束ねているのが特徴だった。
 美男ではないが、無精髭も粋に見えてしまう精悍な青年だ。

「当直が終わっても仕事とは、熱心で結構じゃねえか。何ならもっとしっかりした仕事を与えてやってもいいんだぜ」
「え、遠慮します……」
 マーティンはそばかすの散る顔を真っ青にして身を縮こませる。
 マーティンやレオンからすれば、更に年上のハルやギルバートには頭が上がらないらしかった。

 ギルバートもその辺りは心得たもので、必要以上に弟分をからかうことはせずに視線をライラに移した。
「しかしライラ、お前さんも変わってるよな。こんなつまんねえ雑用やりたいなんてよ」
「そ、そうかな」
「まあ、部屋にいたところで居心地悪いだろうしな」
 意外なほど冷静にそう言ったのはハルだ。

「布切れ一枚あったって、やっぱ落ち着かねえだろ」
「……どうして」
 驚いて目を瞬いたライラに、ハルは苦笑を浮かべた。
「俺も十歳下の妹がいてな。これがもしあいつだったら、同じ部屋に男と二人きりなんて真似は許さねえところだ」
「たしかに。仮に俺がその立場だったとして、入港まで手を出さずにいる自信はねえな」
 はっはっは、とギルバートが快活に笑う。

 もちろん船長室(キャプテンズ・デッキ)への隔離措置も、合理的な話だと皆わかっている。しかし単純な話、若い男女を部屋にいれておけば、何か起きても不思議はないのだ。
 頭領の手前もあって、ハルが指摘するまで誰も言わなかっただけで。

「とはいえ、ルースの客であるお前に俺があれこれするのは限界がある。もっとも、うちの頭領は忍耐力じゃあ俺らの中でもぶっちぎりの一等賞だから、心配するようなことはないと思うがね」
 ハルはライラを不安にさせないよう、慎重に言葉を選んでそう言った。彼としても苦肉の策だったのだろう。

 ライラは、荒くれ者揃いだからと彼らを見縊っていたことを思い知った。
 仕切りを作ってくれた背景にそんな思惑があったなんて、ハルは今までおくびにも出さなかったのだ。どうやらこの船は、頭領を筆頭に、見かけによらない思慮深い者が揃っているらしい。

 だったらあの場ではっきりそう言ってくれれば、とは彼女は思わなかった。
 彼らは自分達の領域にライラという異分子を迎え入れた上で、この船の均衡を保とうとしているのだろうから。

「ま、そういうことだから。万が一どころか億が一ってとこだが、何かあったら呼べよ」
「ありがとう、ハル」
 頼もしげなハルのその言い分に、感銘を受けたのはライラだけではなかった。
 マーティンもレオンも、作業も忘れて呆然とハルを仰ぎ見ていた。

「ハルさん、かっけぇ……」
「ヤバい、俺ちょっと惚れそうになっちゃった」
 するとハルは、下の人間に茶化されてハッとした。
「や、喧しい、お前ら! 手伝う気があるならちゃっちゃとやれ!」
 照れ隠しか、どやしつけたハルの後ろから声が飛んだのは、そのときだった。

「さっきから、そこでごちゃごちゃと何をやってる」